第8話 マリヤ・ゴルドーの町

 飛び立ってすぐ、霧が身体にまとわりつくように漂ってくる。それを一度経験しているラナは、耳をたたみ、前を見、迷わず進んでいく。

やがて霧が晴れたように、青空と地上が見えた。太陽は真上に昇っている。暖かい風が吹いてくる。ついに、南の大陸に着いたのである。

「降りられるか?」

 すぐ近くに港町を見付け、キリルが言った。

「大丈夫よ」

ラナは頷き、翼をはばたかせた。

 町を守る門の前に降り立つと、キリルは門番に話しかける。

「通行料は?」

 すると門番は不思議そうにキリルたちを見比べ、

「通行料? そんなものはないぜ。あんたら、違う大陸から来たんだな」と、盛大な笑い声を立てた。そうして笑顔で門を開き、「マリヤ・ゴルドーの町へようこそ!」

 門の向こうは、白亜の町であった。壁が白く塗られた建物が並び、天上には色とりどりの洗濯物が干されている。人々の肌は褐色で、華やかな色の衣装に身を包んでいた。

「先にギルドに寄っても良い?」

 後ろを歩くラナに、キリルは話しかける。

「良いわよ。でも、早く済ませてね」

「はいはい」

 古竜は気が短い種族であり、ラナ自身の性格もあいまって、見知らない土地の宿で一匹で待たせるよりは、商売の手続きを早く済ませてしまいたかった。

 人混みをかき分け、広場に出ると、町は一層賑やかさを増した。その中で、商人ギルドは掲げられた大々的な看板であり、すぐに見つける事ができた。

「ちょっと待ってろよ」

「はぁい」

 あくびをしつつ、ラナはギルドの扉を開くキリルを見送った。

 商人ギルドへと入った瞬間、入口近くに鉢へと埋められた赤い花が見えた。南国は陽気だとルネより聞いていたが、カウンターに腰かけた男が奏でる弦楽器──リヤーマの音色や、三階まで吹き抜けの天井から差し込む陽光が、ギルド内を明るく見せていた。

「なんの用だい?」

 リヤーマを奏でていた男が、こちらへと振り向いた。

「商人ギルドの登録に来たんだ。仲介料とか、聞きたくて」

「ふぅん」と、男はキリルに顔を近付け、「肌の色から見て……あんた、この大陸の出身じゃないな?」

「東の大陸から海を越えてきたんだ」

 キリルは言った。

「まぁ良いか……俺はアリ。あんたは?」

「キリルだ」

「ついでに商売の内容も聞いておかないとな、キリル」アリと名乗った男はカウンターを乗り越え、契約書をキリルの目前へと置いた。「なんの商売なんだ?」

「港町から山間の村や町に魚を届ける事全般かな」

 名前などを綴りながら、キリルは答える。そんなキリルの様子を、アリはどこか楽し気に見ていた。

 そうして契約書を書き終えると、キリルは彼に紙を手渡した。

「鮮魚専門の商売か……」アリはぶつぶつと内容を読み返す。しかし、ある一点で驚いたような声を上げた。「おいおいおい、ちょっと待てよ」

「何が」

キリルは首をかしげる。

「キリル、お前の中で今日は何月何日だ?」

「水有月の二日だ」

「なんてこった!」アリは天を仰いだ。「今は収穫月十日だぜ? 三ヶ月も、どこで何をやってたんだ?」

「なんだって……」キリルが目を見開く。思い当たる事は、ただ一つであった。「城を改築した図書館に三日ばかり世話になったんだ。それしか考えられない」

「ガルガニア図書館か?」

「名前は知らない。ただ、魔法が収められている図書館だったな」

 アリは青ざめたようにギルドの奥へ向けて声を張り上げた。

「おいマーニャ! ガルガニア図書館からの帰還者だ!」

「ガルガニア図書館からの?!」すると、奥から赤毛を三つ編みにした老婆が現れた。彼女はキリルを見ると、その肩を掴み、「よく戻ってこられたねぇ。そこに迷いこんだ冒険者のほとんどが帰ってこられないってのに」

「あそこは随分昔に火事で消滅している筈なんだけど、未だに霧の中で生き続けている、幻の図書館なんだ」

 と、アリが言葉を継いだ。

「それは本当なのか……?」

キリルは言葉を失った。クラースもケイトも──他の司書たちも全て死者であったと言うのであろうか。全てが幻であったと。まだ、もてなしの料理の味を覚えている。古書の匂いも、痛々しいラナが負った傷も、全てが夢であったと言う事であろうか。

「まぁ、あんたは運が良かったんだ。話を進めよう」と、アリは契約書へ再び視線を向けた。「ドラゴンを使ってか……最近は便利になったもんだ。俺の小さい頃は魚なんて見た事もなかった。港町に出てきて、その美味さにおどろいたもんさ」

「俺も同じ」

 キリルは笑った。幼い頃、一度だけリーザの父に連れられ、彼女と共に港町までおもむいた記憶がある。そこで食べた魚料理の味は、今でも忘れられないものであった。

「じゃあ、仲介料は二割だ。これでうちとの契約は終わりだぜ」

「あぁ、ありがとう」

 踵を反しながら、キリルはギルドを後にした。

 外へ出ると、賑やかな人の流れを楽しんで見ているラナが座り込んでいた。その眼差しはどこか美しく哀愁をおびており、キリルは一瞬話しかける事をためらうほどであった。しかし、キリルの気配に気がついたラナがこちらへと振り向き、この不可思議な時間は終わりを告げた。

「お帰りなさい」

 ラナが言った。

「ただいま」

 キリルは歩き出す。

「どうだった?」と、それに続きながらラナは話かけてきた。「やっぱり、南国は違うのかしら」

「どうだろ。カウンターに座ってリヤーマを弾いてる男がいたよ。あと、血のように赤い花が置いてあった」

「へぇ、楽しそうね」

「お前は入れないだろ」

「ドラゴンを使う商売が始まってもう何年よ。特別に入口も大きくするべきだわ」

「まだまだドラゴンを馬や下級のワイバーンの延長線上に考えてるギルドが多いって事さ」

「あんなのなんかと一緒にしないでって感じよ、全く」

 と、ラナは悪態をついた。日が傾き始めた町は、一層の賑やかさを増し、家々に灯され始めた明かりは、やはり故郷のある大陸と似たような景色であった。

「なんだか懐かしいわ。四日くらいしか経ってないのに」

「まぁね……」

 図書館の話は止めておこうと、キリルは口をつぐんだ。

 宿は広場から交差する通りの、少し歩いた場所に位置していた。大きな扉に吊り下げられたドラゴンのシンボルが、ここがドラゴンも入る事のできる宿であると示していた。

「いらっしゃいませ」

 扉を開けると、鈴のような声で受付担当であろう娘が頭を下げた。

「ドラゴンと人間、一人と一匹づつ。泊まれる?」

「はい、ご用意できますよ」と、娘は受付の戸を開いて外に出た。「こちらになります」

 案内されたのは、今までの倉庫のような部屋ではなく、ドラゴンには羽毛の寝床を、人には木製のベッドが置かれた広い部屋であった。

「ドラゴン連れにも優しいんだな……」

 思わず呟いたキリルに、

「最近はドラゴンをお連れのお客様も増えておりますから。ぜひ満足して宿泊していただきたいのです」娘は頬笑んだ。「今、お食事をお持ちしますね」

「羽毛なんて初めてだわ……」

 娘が出ていった後、寝床にゆっくりと座り込み、ラナは喜びに声を震わせる。キリルも久しぶりのベッドに腰かけ、そんなラナの姿を見ていた。人間の為の掛け布団も、羽毛のようであった。

「良い夢が見られそうだな」

 と、キリルはひとりごちた。扉の向こうより、台車を引く音が聞こえてくる。どうやら、夕食のようである。

「お待たせ致しました」

 それぞれの食事をテーブルに置き、娘が言った。立ち上る匂いは、故郷で食べていた鳥と野菜のミルク煮を思わせるものであった。それに添えられたパンは、一度シエラの家で読んだ事のある一次発酵のみの薄いものである。

「ありがと、これは美味しそうだ」

 料理を見、キリルは娘に礼を言った。

「いえいえ、お食事が済まれましたら、扉の前に置いて下されば結構です」

 娘は再び部屋の扉を閉めた。

「美味しそうね……いただきます」パンをミルク煮に浸し、ラナはそれを口に入れた。そうしてすぐに、「キリル、キリル!」と、声を張り上げた。「とっても美味しいわよ!」

「あぁ、本当だ」

 スープを口にし、キリルは笑った。今まで本の中にだけあったものや、懐かしい味を味わえる幸せは、やはり格別で、心が踊るようであった。ラナはすぐにそれらを平らげ、

「美味しかったわぁ」

 と、満足げである。

「食べるの早いな」

 キリルが言うと、

「だって本当に美味しかったんですもの。キリルこそ、ゆっくり食べてると冷めちゃうわよ」 

「俺は味わって食べてるんだ」

「私だって味わって食べたわよ」

「無駄な喧嘩。”ライナス”」

 その答えに、ラナはむくれたようにキリルより顔を背けた。そうして、

「ごめんなさいね」

と、取って付けたように謝罪の言葉を紡いだ。

キリルがラナを本名で呼ぶ時は、ちょっとした怒りを覚えた時か、からかう時である。前者であると悟った賢い古竜は、謝罪したと言う訳であった。

食事を終えたキリルは、食器の乗った盆をラナの分も含め、外へと置いた。部屋に戻ると、そのままベッドへと倒れこむ。ふとラナへと目をやると、すねているのか、顔を背けたままであった。

「まだ怒ってる?」

 キリルが問うと、

「別に……」

 と、どこか寂しげな声が返される。

「この間みたいに、一緒に眠れないから?」

「あの時はピニャールで酔っていたからよ。気にしないで」

「そう」

 キリルは布団へともぐり込んだ。

「あ、キリル」

 枕元のろうそくを消そうとした時、不意にラナが口を開いた。

「何?」

「……お休みなさい」

「お休み、明日は早いからな」

 覚悟しておけよ、とキリルは灯を吹き消した。

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