〈三〉



 馬に乗って土楼いえに帰って来るまで、言を発せず黙々と後ろについてくる下僕に天波は盛大に溜息をついた。

「なあ潭凱。いい加減辛気臭い顔はやめろ」

「……なんということをしたんです。主公だんなさまが黙っておりませんよ」

「知らないね」

 お嬢、と潭凱は目を見開く。天波は水井いどの縁に座って長靴を脱いだ。

「どうせ誰かが行かなきゃならないんだ。それなら少しでもおぼえのある奴のほうがいいに決まっている」

「あまりにも危険です。それに、まさか勝手に谷へ行っていたなんて。もしや菊佳きっかさまも共犯ですか」


 菊佳はよく街で一緒に遊ぶ天波の親友だ。足を洗いながらいいや、と否定した。


「口止めしていただけで私が何をしていたかは知らない」

「やはり俺がついているべきでした」

 無粋だ、と笑う。「私はもう子どもじゃないぞ。それに、お前も僚班のはしくれだ。常任の務めは果たさなければならない。私の護衛ばかりやってはいられない」

「お嬢に言われたくありませんね」

 言い返した潭凱は真剣な面持ちで向かいに膝をついた。

「本当に、探索隊の長をお受けになるのですか」

「ああ。伴當になってからなにも役に立っていなかったからな。いい機会だろう」

「それでは私もお連れください」

 天波は思い詰めた表情を見返した。

「…………それはだめだ」

「なぜです」

「お前に死なれては困る」

 目を逸らした主に潭凱は憤然とした。

「では他の者なら良いと?お嬢のことをいちばんよく分かっているのは俺です。少人数で動くならなおさら意思疎通に難のない者が必要です。当主は民以外なら僚班でも万騎でもいいとおっしゃった。であるなら、俺でもなんら問題はないでしょう」

 それでも首を振った。

「お前は連れて行かない」

「天波さま!」

「聞き分けろ。たしかにお前は誰よりも私のことを知っているが、それとこれとは別だ」

 負けじとみなまで聞かず両肩を掴んだ。

「もし本当に麅鴞がいたら、死ぬかもしれないのですよ!俺に指をくわえて待っていろと言うのですか⁉」

「お前では役不足なんだ!」

 強い調子で言い返した天波は唇を引き結ぶ。厳しい面持ちに潭凱は動揺した。こんな顔をする娘だっただろうか。

 天波は力の抜けた手を払った。「……父上にはすでに知らせが届いているだろう。私からも説明する。お前はもう休め」

 濡れた足のまま去っていく後姿に、潭凱は追い縋ることも出来ずただやるせなく佇むしかなかった。こちらの言葉の一切を受け入れない強い気にあてられてしまい、もはやどう引き止めて良いのか分からなかったからだ。





 五日後、天波は人員を選出して当主の御前に集った。同じく招請されて城に来た薬師の炮眇は地図の上に大小の石を置いてみせた。


 目下から顔を覆った白い蒙面布ふくめんの中で口を開く。

それがし藤麹とうぎくを採る以外は不必要に訪れませぬゆえ、地理の分かる範囲も限られますな。しかし登虎で使う道に少しは被っております」

「わざわざこんなところで藤麹を集めているのか?」

 藤麹とは薬の調合に使う薬土で、特に珍しいものではない。伴當のひとりに問われた炮眇は灰味の瞳を細めてみせた。「もちろん、谷ばかりではございませんが。藤麹は霧の溜まる場所のほうが上質なものがあるのです。それで度々、天波さまには手伝って頂いております」

 天波は頷き返して石を移動させた。

「南北に延びる峡谷で、登狼は北、登虎は南側で行われる。崖上で遺骸が見つかったのは北側の、街にもっとも近い、登狼の試験を始める場所とほぼ同じ。だが登虎の受験者までもいっしょくたに積まれていたらしいから、麅鴞が一概にそちらだけにいるとはいえない……鈴丞」

 はい、と幼い少女が向かい側で居住まいを正した。

はどういうふうに皆を襲ったんだ?待ち伏せ?それとも追いかけてきた?」

 鈴丞は口許に手を当てて記憶を巡らせる。

「……いきなり現れて、みんなを飲み込んだり、逃げている途中で隠れようとした洞穴ほらあなに潜んでいたり、です」

「神出鬼没か…お前が見た姿は狼、虎、鳥だったな?他の姿は見たか」

「ほんとうに、たくさんのものに変じました。獣を継ぎいだような形にもなりましたし、生き物だけでなく岩や木に擬態したり……それに」

 迷うように目を泳がせる。

「たぶん、あれは鏡なのです」

「鏡?」

「私たちの心を読み取って映す、鏡」

 聞いた者たちは顔を見合わせた。

「読心の妖……似たようなものにかくがいるが」

「それは?」

「人の女をさらい子を産ませる。五百年を生きたさる変化へんげしたものだ。しかし姿自体を変えるというのは聞いたことがない」

「とはいえ鈴丞が見たものから判ずるに、さとりの化物であることには変わりない。厄介なのは人を食うことだ。心を読まれるのが事実ならば仕留めるのはやはり至難の業だぞ。無理だ」

 炮眇が尖った爪で地図をつついた。

「退治は無理でもなんとか追い出して貰わねば困りますな。谷には藤麹の他にも万病に効く薬草の群生地もありますゆえ、立ち入れないとなれば民の生活にも影響がございまする。天波さま、なにか策がおありで?」

 振られて、いや、と地図を見たまま眉根を寄せた。

「まずは敵の存在の有無を確かめてからだ。もうどこかへ行ってしまっていることを願うばかりだが」

「そういえばお二人はこの件の後も谷に出入りしていたのですか」

 これには天波も炮眇も首を振った。

「某は昨年の秋にある程度採取し終えておりましたから。他の薬も作らねばなりませんでしたし、今年はまだ降りておりませんね」

「……私もいろいろ忙しかったので。新年の初めに一度降りましたが、その時はなにも」

 天波は内心焦りながら答えた。春からついこの夏まで無断で万騎に付いて他国へ出かけ、領地くににもいなかったなどと言えるはずがない。


 天波は集めた者たちを見渡した。

「とにかく、帰還することを最優先にしよう。はじめから無茶はしない。まずは谷の地形を把握することに努め、徐々にめぼしい箇所を潰していこう」

 集めた五人は三人が伴當、二人が僚班で、いずれも有能で名を馳せる男たちだ。天波は振り仰いだ。

「準備が整い次第向かいます。危険なので谷には誰も近づけないようお願い致します」

「……御岳みたけの加護を祈る」

 そう呟いた当主は全てを託して彼らに頷いた。





 最終的な準備のために天波は街へ降りた。行きつけの飯店しょくどうで遅い夕餉ゆうげを摂っていたところ、その前に立つ人影がある。

「――――狼家の」

 呼びかけてきた初老の男に眉を上げた。

「どちらさまで?」

 男は頭から被った外套を取った。ひどく困ったような顔でことわって向かいに腰を下ろす。


「失礼を。私は張貞ちょうていと申します」

「張……」

 箸を置く。「大商家張家の家督さまが、私などに何用ですか」

「折り入って、貴女にお願いがあります」

 皺を深くしていきなり白髪混じりの頭を垂れた。

「どうか、せがれを見つけて来てくだされ……‼」

「ちょっと」

 天波は慌てて周りを見回す。ただならぬ様子に皆がざわついた。店の主人が気を利かせ持ってきてくれた衝立ついたてにありがたく甘え、食べかけの器を隅に押しやった。

「どういうことです」

 張貞はしおれて項垂うなだれる。

「実は、私めの次男が今年の登虎の受験者だったのです」

「――そうか……それは、お悔やみ申し上げる。こんなことになってさぞお辛いでしょう」

 首を振った。「もともとあれの技量には手に余ったのでしょう。しかし、商家から伴當に登れそうな才能の者が出たと皆に担ぎあげられ、本人もその気になっておったので私はなにも言えなかったのです」


 天波は同情した。一家の中から孔雀くじゃくが出たとなればたとえ本人にその気がなくとも城の重鎮に推し上げようとする気風はどこの名家でも見られる。自分でさえ断りきれずに渋々登虎を受けたのだから。


「しかし、ご遺体は帰ってきたのでは?」

 老翁は沈黙すると皺に埋もれた瞼を瞬かせた。

「たしかに、戻って参りました。……頭以外は」

 返事に窮した天波から目を逸らさず続けた。

「身は間違いなく倅のものであるのは確認致しました。しかし、肝心の顔が」

 涙が溢れ出た小さな瞳にこちらも目頭が熱くなる。

「このたび貴女が谷へ赴かれると聞き、もしかすればまだあの冥府の入口で倅の首が打ち捨てられているやもしれぬと思うといても立ってもいられず……どうか……お願いでございます」

「しかし……もう半年は過ぎている。万一見つけられたとしても……」


 谷は年を通して寒冷な土地だが、見つかったとしてももう原型をとどめてはいないだろう。獣や鳥に食い荒らされている可能性のほうが高い。張貞は頷いた。

「分かっております。ですが、諦められないのです。どうか、もし見つけたおりには頭ごとでなくても良いので息子の証たるものを持ち帰ってきてはもらえませんか」

「なにか特徴が?」

「次男の……せいの耳には珥飾かざりがついております。見ればすぐに分かります。女媧ジョカ練石ねりいしの欠片です」

「なんですか、それは」

 天波が知らないことに張貞は驚いたようだった。

「他国から仕入れた貴重な護石です。もし持ち帰ってくださるのなら御礼は十二分に。どうかお願い致します」

 それだけ言うと、天波の手を押し戴き、人目をはばかる余裕が出来たのかこそこそと去って行ってしまった。呆気にとられたまま見送り、話を反芻しながら馬に揺られて帰宅した。




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