第44話 誓約魔法 

 シャロンはじりじりしながら、ユリウスを待っていた。


 目の前のテーブルにはバターが香る焼き菓子に、バラの花びらを浮かべた紅茶が置いてあり、向かいには第一王子ヘンリーが座り、優雅にティーカップを傾けている。


「ソレイユ嬢、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 ヘンリーがいたわるように声をかける。ことのあらましは彼から聞いた。父とユリウスが手を組み、事件を解決に導いた。当事者であるシャロンはすっかりかやの外。


「はい、父はもとより、ユリウス殿下も、賢い方なのできっと大丈夫です。ただ、ちょっとさっき王妃陛下に何も言い返せなかったので、今頃腹がたってきて」


 シャロンが拳をふるわせてそういうとヘンリーが笑いだした。


「君は面白い人だね。一発殴りに行きそうだ。そうか、それにやられたのかユリウスは」

「は?」


 意味が分からなくてシャロンがぽかんとする。


「君は見た目は近寄りがたい美人なのに。なんというか、話をすると……。面白いな」

 といってけらけらと笑いだす。


 なぜヘンリーが上機嫌なのか訳が分からず目を瞬いた。そんなことより、ユリウスは自分の母親を断罪するつもりなのだろう。気を揉んでしまう。

 

 そこへばたんと扉がひらかれた。


「シャロン!」

 ユリウスが駆け寄ってきた。


「お帰りなさいませ、殿下」


 入ってきたユリウスは微笑んではいるものの若干ぐったりしていたが、とりあえず無事でほっとした。


「シャロン、済まない。君に辛い思いをさせて」

 といってユリウスがシャロンの手をとる。


「私はちょっと頭に来たくらいで、大丈夫です。それより一息つきませんか?」


 そう言って座らせようとするが、ユリウスは首をふる。


「それで、万事うまく事は運んだのか?」

 ヘンリーの言葉にユリウスは力強く頷く。


「はい、イレギュラーのことはありましたが、うまくいきましたよ」

 それから、彼はシャロンに視線を移し、

「今から婚約の誓約魔法を交わそう」

 と突然言いだした。


「はい?」

 シャロンは呆気にとられた。なぜ突然話がそっちに飛ぶのか。それに正式な婚約は待つと言っていたのに。


「国王陛下から、ソレイユ嬢との婚約の許可がおりたんだよ。母のところで止まっていなければ、本来はもっと早く決まるはずだったんだけれどね」


 答えたのはヘンリーで、シャロンはまじまじとヘンリーの顔を見てしまった。考えてみたら、こんなに彼と話したのは初めてだ。


 しかし、あまりにも急展開で理解が追い付かない。 


「殿下、来年の舞踏会まで待ってくれるというお話は……」

 シャロンは戸惑いを感じる。婚約云々よりもまず何があったのか彼の口から聞きたい。


「待つよ。証書はまだ交わさない。だが、シャロン、もう、私とララ嬢が婚約するという未来はあり得ない」


 彼の言う通りかもしれないが……。シャロンはヒロインのバッドエンドを覚えていない。いったい彼女はいまどうなっているのだろう。 ことのあらましはヘンリーからざっくりと聞いたが、まだ消化しきれない。


「バンクロフト様は実は無罪で、また戻って来るってことはないですか?」


「君は本当に頑固だね。そんな事ありえないよ。それに、彼女は魅了や媚薬の成分の入った香水をつかっていたといったろう? 香水に含まれていた成分には、この国ではまだ許可されていない薬があった。それが違法行為としてみなされた。

 私もパトリックも彼女に使わないように、警告していたのに彼女は使い続けた。だから罪に問われることになる。それと今しがた母の身柄が衛兵により確保された」


 シャロンは、ハッとして顔を上げる。ユリウスは特段顔色も変えることなく、いつも通りの微笑を浮かべているばかりで、気持ちが読めない。


「シャロン、いろいろと知りたいだろう? 前にも話したが、誓約を結べばはなせることも増える。だから、誓約魔法の許可を取った」 


 ユリウスがシャロンに真摯な瞳を向ける。どうしても話したいことがあるのだろう。


「ちょっと考えさせてください」

「私が信用できない? 本気で、お前を断罪すると思っているのか?」


 ユリウスの瞳が翳りを見せる。彼が傷ついているのがはっきりとわかった。


「あの、殿下、その誓約魔法って時間がかかるんですか? 私早く家に帰って弟に会いたいのですけれど」

 

「シャロン! ありがとう」

 ユリウスがぎゅっとシャロンを抱きしめる。


「それほど時間はかからない」

 

 するとコホンとひとつ、咳払いが聞こえた。


「ああ、私は、お邪魔なようだね」

 といってヘンリーが居心地の悪そうな笑顔を浮かべた。





 それから、シャロンはユリウスに促されるまま複雑な王宮の廊下をあるいた。


 すっかり夜も更けて魔法灯が影を揺らす。ことの顛末を聞いたら、すぐに家に帰るつもりだったのに妙なことになってしまった。ガランとした廊下に靴音が高く響く。


 着いたのは魔道具が棚にいくつも並べられた雑然とした倉庫のような広い部屋で。


「ここでやるのですか?」


 薄暗い部屋に少しの不気味さと心細さを覚えた。

 周りを見回していると、

「シャロン」

 耳元で囁かれ、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。


「ちょっと待ってください!」

 シャロンは、びっくりしてついうっかり、覚えたての護身術でユリウスのみぞおちに、肘鉄をくらわせていた。


「うぐっ」

 見事にユリウスのみぞおちに決まり、彼が呻き声をあげ、恨みがましい目でシャロンを見る。


「おい、この扱いはひどくないか」

「すみません! ちょっとびっくりしちゃって、それに二人きりだし」


 よく考えてみたら、人払いされた密室に二人きり、ドキドキしてしまう。


「秘事なのだから、人目を避けるに決まっているだろう。ここは王族しか入れない」

「え、私まだ王族ではありませんが?」

「出る時は準王族だ」

「なるほど」


 シャロンはそれ以上考えるのをやめた。もう腹をくくるしかない。それにここまで来たからには彼の話も聞きたい。


「殿下、さっさと始めましょう」


 シャロンが言うとユリウスが苦笑する。


「じゃあ、始めようか」


 彼が棚から大きな筒状の巻物を出してきた。さっと床に開いていくと、魔法陣が描かれていた。呪文を唱えると巻物の魔法陣が消え魔法陣は床に描き写された。

 どういう仕掛けなのかとシャロンは目を丸くする。


「ただの転写の魔法だよ。さあ、シャロン、魔法陣に入って」


 言われた通りに魔法陣に一歩足をふみこむと魔力による圧を感じた。ユリウスも入ってきてふたりは向かい合わせになる。


「呪文とか唱えなくていいのですか?」

「大丈夫。血を交換するだけだ。すこし痛いだけで、味も素っ気もない儀式だよ」


 そういって、ユリウスは懐から、細かい文様と呪文が刻まれた銀色の小刀を取り出す。それには、色とりどりの水晶がはめ込まれている。祭祀用の美しいものだ。


 彼は、小刀を抜くとさっと己の人差し指を切った。たらりと一筋の血が流れ、床に描かれた魔法陣に落ちたそれがじゅっと音を立てて消えた。

 それからシャロンはユリウスから小刀を受け取った。


「自分で斬れる?」


 一応頷いたが、やっぱり怖い。するとユリウスの手が重なった。


「シャロン、そんなに力を籠めると指を深く斬り過ぎてしまう。私がやっても?」


 シャロンは王子に任せることにした。いやな痛みが走った後シャロンの人差し指に血がにじむ。魔法陣にぽとりと落ちて、吸い込まれる。


 ユリウスがシャロンの傷ついた指に自分の傷ついた指を重ねると、しゅっと小さな音を立て、指先から眩い光が溢れ、徐々に部屋いっぱいに広がる。ふわりと一陣の風を感じた瞬間、光はゆっくりと終息していった。最後に、魔法陣が陽炎のようにゆらゆらと揺れ、消えた。


「シャロン、指を見てごらん」


 言われた通りに指を見ると、傷がふさがっていた。


「え? これでおしまい?」


 確かに血も流れ痛みもあったはずなのに跡形もなく消えている。あっけないが、不思議というより、不気味な儀式だ。


「そうだよ。この宝剣は強力な魔道具で、代々の王族の血を吸っている。それと王族の血を引いたものは血と纏う魔力で同族が分かるんだ」


 ユリウスはなんてことないように言うが、シャロンはぞくりと寒気を感じた。


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