第36話 俺がしたい事

「ボクはボクがしたい事をしただけです。岩橋さんが明るさを取り戻したのは、岩橋さん自身の力ですよ」


 さすがに岩橋さんが実は美少女だったと期待したなんてご両親には言えないし、後ろめたい気持ちもあったのでちょっと濁した言い方になってしまったが、岩橋さん本人には全て話したからこれで良いよな。

 俺が思った時だった。


「ううん、全部明男君のおかげよ。本当にありがとう」


 あれっ今の声、横から聞こえた様な……でも、岩橋さんは俺の事『加藤君』って呼ぶ筈だ。でも今、確かに『明男君』って……


 そーっと隣に座っている岩橋さんを見ると、お母さんと同じ様に目に涙を浮かべた岩橋さんと目が合ってしまった。


「岩橋……さん?」


 俺が間の抜けた声を出すと、岩橋さんは涙を流しながら照れ臭そうに言った。


「岩橋さんはココに三人居るのよ。それじゃ誰の事だかわからないな」


 しまった、またやってしまった! 今度は止める間も無く『明男君』って先に呼ばれちまったよ。


「そうだね、沙織ちゃん」


 言えた。やっと言えた。でも、目の前には岩橋さん、いや沙織ちゃんのご両親が座ってるんだぜ。何かちょっと恥ずかしいぞ。すると、お父さんが愉快そうに笑い出した。


「はっはっはっ、まだまだ初々しいな。明男君、沙織の事をよろしくお願いします」


 お父さんがまた頭を下げると、お母さんが出かける前に昼ご飯を食べて行く様に言ってくれた。なんでも寿司を取ってくれてるとか。回って無い寿司なんて最後に食べたのいつだったっけ?


「じゃあ、それまで私の部屋にどうぞ」


 えっ、今何て? 俺の耳がおかしくなければ岩橋さん、いや沙織ちゃんの部屋へ誘われたと思うんだが……

 俺の耳はおかしく無かった。沙織ちゃんは俺の腕を引っ張る様に椅子から立たせると自分の部屋へ案内してくれたのだ。


 女の子の部屋に入るなんて生まれて初めてだ。綺麗に片付いているし、何か良い匂いがする。ココが愛する彼女沙織ちゃんの部屋……俺の胸の鼓動は高鳴りっ放しだ。頭もちょっとクラクラしてきたぞ。


 沙織ちゃんの部屋に入れてもらったのは良いが、さて、どうすれば良いんだ? ベッドがあるけど、ダイブしたら怒られるだろうな。でも、ダイブしたいな。沙織ちゃんの香りに包まれたいぞ……って、俺は変質者か。


「はい、ココにどうぞ」


 沙織ちゃんは床にクッションを二つ並べると、一つに座り、もう一つを俺に勧めた。それに座ったのは良いのだが、肩と肩が触れ合っているではないか。近い、近いよ沙織ちゃん! 俺の理性が吹っ飛んでしまっても知らないぞ。


 緊張で全身ガチガチになった俺に沙織ちゃんは話し始めた。


「明男君、今日は無理を聞いてくれて本当にありがとう。私、今、凄く幸せ」


 いや、あれぐらい何て事は無いですよ。ちょっと緊張したけど。それより俺だってもの凄く幸せです。


「私、この町に来て、明男君と出会えて本当に良かった」


 俺だって、この町に住んでて、沙織ちゃんと出会えて本当に良かったです。


「明男君……大好き」


 俺だって沙織ちゃんの事が大好きです……って、ええっ!?

 甘美な言葉に思わず俺が沙織ちゃんの方を見ると、至近距離で目が合ってしまった。ヤバい、このままでは俺の理性が崩壊してしまう。俺は平静を保とうとしたが、そんなの無理! しかも沙織ちゃんはそのまま黙って目を閉じてしまった。


 ――これは……キスしても良いってコトだよな……――


 俺は震える手で沙織ちゃんを抱きしめ、ゆっくりと顔を近付けると沙織ちゃんも俺の身体に腕を回し……唇が触れた。


 沙織ちゃんの唇は柔らかく、温かかった。どれぐらいの間、俺と沙織ちゃんの唇は触れていたのだろう? 多分ほんの数秒だと思う。だが、俺にとってはかけがえのない数秒間だった。


 唇が離れた後、俺は沙織ちゃんの顔が眩しくてまともに見る事が出来ずにいた。もっともそれは沙織ちゃんも同じ様で、顔を赤くして俯き、チラチラとこちらを覗っている。そんな姿もかわいいなぁ。ああ、もう一回抱き締めてキスしたい。

 だが、そんな思いはお母さんの声で破られた。そう、出前の寿司が来たのだ。呼ばれるままに俺と沙織ちゃんは部屋を出て、テーブルに着き、俺にとっては久しぶりの『回って無い寿司』にありついた。


 もちろん寿司は凄く美味かったのだが、沙織ちゃんの唇の感触が失われるのが少し残念だった。


 昼ご飯をご馳走になり、さあいよいよデートだ! という段になって俺は大事な事を思い出した。メインは喫茶店に行ってパフェを食べる事なのだが、沙織ちゃんが「色々な所に行きたいな」と言ってたのに、ご両親と会う事で頭が一杯になってしまっていてドコに行くか決めて無いじゃないか。何と言う失態だ、万死に値するぞ。だが、沙織ちゃんはにっこり笑って言った。


「どこだって良いよ。明男君と一緒なら」


 結局、ショッピングモールをブラブラし、レトロな雰囲気の喫茶店で沙織ちゃんはフルーツパフェ、俺はチョコレートパフェを食べるだけになってしまったが、沙織ちゃんが嬉しそうにパフェを食べる姿を見ているだけでも俺は幸せだった。



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