「岩橋さん」から「沙織ちゃん」へ
第32話 馬鹿っぷる
めでたく、本当にめでたく俺と岩橋さんは晴れて恋人同士となった。めでたしめでたし……って、まだだ。まだ終わらんよ。そりゃそうでしょうよ、なんたって俺と岩橋さんがハッピーな日々を送るのはこれからなんだからな。
今日もいつもの様に学校に向かう道の途中、岩橋さんはマンションのエントランスで俺を待ってくれている。
「加藤君、おはよう」
いつもと変わらぬ朝の挨拶だが、今日の岩橋さんは照れていると言うか、何か気恥ずかしそうな感じがする。
そうだ、昨日、俺は岩橋さんに告白したんだ。つまり、今日が初めての『彼女としての朝の挨拶』なんだ。照れる仕草もかわいいなぁ、スマホで動画に撮っておきたいぐらいだ。
なんてバカな事を考えている場合では無い。俺もちゃんと挨拶しないと。もちろん彼氏として(ココ大事)な。
「おはよう、岩橋さん」
『彼氏として』とか意気込んでおきながら、思いっきり普通の挨拶だな。だが、それが良い。気取った挨拶なんかしたところでスべるのがオチだからな。
俺と岩橋さんはいつもの様に並んで歩いた。思い出すなぁ、初めて岩橋さんと一緒に登校した時の事を。あの時は妄想が現実になって本気でびっくりしたもんな。汗は拭いてもらえなかったけど。
さて、ココで一つ問題がある。俺は昨日までと変わらず彼女である岩橋さんの事を『岩橋さん』と呼び、岩橋さんは彼氏である俺の事を『加藤君』と呼んでいる訳なんだが、コレってどうなんだろう? どうなんだろうって言い方はおかしいな。素直に言おう、俺は名前で呼びたいし、名前で呼んで欲しいんだよ! 和彦が由美ちゃんを『由美』、由美ちゃんが和彦を『カズ君』って呼んでるみたいに。
たかが名前で呼ぶだけだ、告白に比べたらどうと言う事は無い。
「ねえ、沙……」
あれっ、おかしいな。口が思う様に動かないぞ。『お』の音と『り』の音が出せなくなってしまっているじゃないか。これは一体どういう事だ?
「さ?」
途中で止まってしまった俺に岩橋さんが不思議そうな顔をした。ここはなんとか会話を繋がなければ。
「さ……さくらんぼって好き?」
バカか、俺は。何でココで『さくらんぼ』? もうちょっと他にマシな言葉は無かったのかよ。だが、岩橋さんはにっこりと微笑んで素直に答えてくれた。
「うん、好きよ」
岩橋さんの口から出た言葉に俺はドキッとしてしまった。いやいや、今、岩橋さんが好きだと言ってるのはさくらんぼだ。俺の事じゃ無い。そんな事は百も承知だが、やはり彼女の口から『好き』だなんて言葉が飛び出した日にはしょうがないよな。
「加藤君も好きなの? さくらんぼ」
バカな事を考えている俺に今度は岩橋さんが聞き返してきた。正直なところ好きも何も俺はさくらんぼなんてパフェの飾りぐらいにしか思ってない。って言うか、俺が好きなのは岩橋さんだ……それは言うまでもないか。
「うん。甘酸っぱくて美味しいよね。岩橋さんって、パフェに乗ってるさくらんぼって始め食べる派? それとも最後に食べる派?」
自分が話を振った以上は優等生的な答えを返し、更に話を膨らませるのが礼儀というものだろう。それにしても『さくらんぼ=パフェに乗ってる』という陳腐なイメージが思わぬところで役に立ったもんだ。
「うーん、最後のお楽しみにとっておく方かな」
「そうなんだ、実は俺もそうなんだ。と言ってもパフェなんか何年も食べてないけどね」
岩橋さんの答えに同調する様に俺が答えると岩橋さんは楽しそうに微笑んだ。
「じゃあ、今度パフェ食べに行こうよ。夢だったんだ、彼と二人で喫茶店に行くの」
来た! そんな夢だったらいつでも叶えて差し上げますとも。って言うか、俺だって行きたいです。
「じゃあ、次の日曜に行こうか」
「うん!」
俺の誘いに岩橋さんは眩いばかりの笑顔で頷いた。
さて、ここでクイズです。当たり前の様に寄り道する俺が何故『今日の帰りに』と言わず『次の日曜』などという遠い先の話にしたのでしょうか? ちなみに今日は木曜日、日曜までは三日もある。はっきり言って待ち遠しくてしょうがない。だが、それをあえて日曜にした理由は一つ、日曜日は学校が休みだって事だ。
そんなもん当たり前だって? そりゃそうだな。今までは日曜は学校行かなくて良いから昼まで寝てたからな。でも、学校に行かないという事は岩橋さんと会えないという事でもあるんだぜ。そう、これは学校帰りなんかじゃ無い、正式なデートのお誘いなんだ。岩橋さんがそれに気付いているかどうかはわからないけどな。
「せっかく日曜日に一緒に出かけるんだから、喫茶店だけじゃ無くって色々なところに行きたいな」
ここで岩橋さんの口から願ってもない言葉が飛び出した。
これって、俺の心を読んだのか? もしかしたら岩橋さんもエスパーなのか? いや、きっと岩橋さんも俺と同じ事を思ってたんだ。そうだ、そうに違い無い。岩橋さんも俺と一緒に居たいと思ってくれてるんだ!
「そうだね、岩橋さんはドコに行きたい?」
俺が尋ねると、岩橋さんは口に人差し指を当てて少し考えた。そんな仕草も恐ろしくかわいいな。ドコへだって一緒に行きたい気分になってくるぞ。まあ、『色々なところに行きたいな』って聞いた時点でドコへだって行くつもりだったんだけどな。
なんて考えていると、思わぬ逆襲に遭ってしまった。
「加藤君は? どこか行きたい所あるの?」
もちろん逆襲なんかでは無く、岩橋さんが俺に気を使ってくれたのだろう。とは言うものの俺の行きたい所ねぇ……正直な話、岩橋さんと一緒だったら俺の部屋でも良いんだけど……いやいや、俺の部屋で二人っきりなんて絶対ダメだ。理性を保てる自信が全く無いからな。もっとも迫る勇気も無いんだけど。
だからこそ俺は正直に、素直な気持ちを声に出した。
「岩橋さんと一緒ならドコでも」
「嬉しいな。私も加藤君と一緒ならどこだって良いよ」
他人がしていればぶん殴ってやりたくなる様な典型的なバカップルの会話だが、まさか俺にこんな会話をする日が訪れるなんて……和彦と由美ちゃんもこんな会話をしてるんだろうか?
「じゃあ、日曜まで二人でゆっくり考えようか」
「そうだね」
俺と岩橋さんは笑い合い、手を繋いで学校へと向かった。
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