第7話 そういえば俺、岩橋さんの名前を知らなかったな……

 翌朝も岩橋さんはマンションのエントランスで俺の事を待ってくれていた。これはもう岩橋さんは俺にすっかり心を許してくれてるに違い無いよな? 嬉しくなった俺は昨日と同じ様に小走りで岩橋さんに駆け寄った。


「おはよう、岩橋さん。今日も待っててくれたんだ」


 出来る限りの爽やかな笑顔で声をかけると、岩橋さんは口元に笑みを浮かべた。


「おはよう、加藤君。一人じゃ無いって、やっぱり嬉しいな」


 やはり昨日、弁当を一緒に食べようと誘ったのは大正解だったみたいだ。それに連日俺の事を待って一緒に登校しようというのだから、岩橋さんはかなり俺に心を開いてくれていると見て良いだろう。実に良い傾向だ。


 俺と岩橋さんは肩を並べて歩いた。例の公園の横を通った時、岩橋さんは公園の中に顔を向けた。きっとタマ……あの子猫の事を気にしているのだろう。


「ちょっと様子見ていく?」


 俺が提案すると、岩橋さんは「うん」と嬉しそうな声で頷いた。


 通学路を外れ、俺と岩橋さんは公園へと足を踏み入れた。さすがにこの時間には他に人影は見えず、公園は俺と岩橋さんの二人っきりだ。別に変な下心は無い(のだろうか?)つもりだが、二人きりの公園というのは緊張する。

 もっとも、初めて岩橋さんと話をした時もこの公園で二人きりだったが、あの時とは状況が違う。だが、ドキドキしている俺の気持ちを知ってか知らずか岩橋さんは母猫が子猫を咥えて姿を消した草むら辺りをキョロキョロ見回して肩を落とした。


「今日は居ないみたい……」


 残念そうに言う岩橋さんだが、相手は野生生物(野良猫とも言う)だからな。まあ、どこかに巣でも作って親子でのんびり寝ている事を祈るしか無い。本当は俺が拾って飼ってやりたいんだけどな。


「きっとどこかで元気にやってるさ。また見にこようよ」


 こんな無難な言葉しか出て来ない自分が悲しいが、ともかく俺と岩橋さんは公園を出て、学校へと向かった。俺としては誰も居ない二人っきりの公園でブランコにでも乗ってゆっくりしてたかったんだけどな。


 学校が近くなると、同じ制服を着た人間が増えてくる。並んで歩く俺と岩橋さんって、他人の目にから見るとどう見えるんだろうか? 友達? 恋人同士? なんて考えていると誰かに背中を叩かれた。まあ、俺にそんな事をするヤツは一人しか居ないんだけどな。


「すっかり岩橋さんと仲良くなったみたいじゃないか」


 やっぱり和彦だ。もちろん隣には由美ちゃんの姿もある。いつも俺より早く登校する二人が何故こんな時間に? なんて疑問を抱いた俺の心を読んだかの様に由美ちゃんが悪戯な笑みを浮かべて言った。


「カズ君がね、二人が一緒に登校する姿を見てやろうぜって」


 おいおい和彦、バカな事言ってんじゃないよ……俺と岩橋さんがどんな風に見えたか後で聞いておこう。

 などと呑気な事を考えながらチラッと横を見ると、岩橋さんは恥ずかしいのだろうか少し俯いている。これはいかん。せっかく昨日一緒に弁当を食べて打ち解けつつあると言うのに。このままでは岩橋さんはまた内気で引っ込み思案な女の子に戻ってしまうではないか。


「すまんすまん。親友としてどうしても見ときたかったんだよ、お前の晴れ姿をさ」


 和彦が笑いながら謝るが、晴れ姿ってほどのモンじゃ無いだろ。だがまあ、和彦の軽口に緊張が解けた様で、岩橋さんの口元に笑みが浮かんだ。


「本当に仲が良いのね、羨ましいな」


 岩橋さんの心からの言葉だろうな。するとその言葉を聞いた和彦が素晴らしいフォローを入れてくれた。


「何言ってんだよ岩橋さん。明男と友達になったんだろ? だったら俺達とも友達だぜ。なあ由美」


 和彦、お前ってなんて良いヤツなんだ……知ってるけど。

そんな風に言われて嬉しかったのだろう、岩橋さんの頬が少し赤く染まった。すると和彦に続く様に由美ちゃんも嬉しい事を言ってくれた。


「そうよ。私達、友達なんだからね。だから岩橋さんは加藤君と堂々と一緒に居れば良いのよ」


 さすが由美ちゃん、良い事を言ってくれるぜ。これで岩橋さんも俺と一緒に居やすくなるってモンだ。なんて思っていると由美ちゃんは更にえらい事を言い出した。


「岩橋さんと加藤君がくっついてくれたら私とカズ君が一緒に居られる時間も増えるしね」


 おいおい、いきなりなんて事を言い出すんだよ。もっとも岩橋さんと俺がくっつく事によって由美ちゃんが和彦と二人で居られる時間が増えるだろうってのは、由美ちゃんにとって非常に重要なポイントなんだろうな。

だがまあ、俺的には実にグッジョブなセリフだ。ほら、それを聞いた岩橋さんが「ぽっ」と頬を赤らめてなんか……いないな。見事にスルーされちゃったよ。おかしいな、女の子ってこういう言葉に敏感に反応するんじゃないのか? すると岩橋さんが申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい。私、くっつくとかそういうの、まだわからないから……」


 そうだ、今の岩橋さんが欲しいのは友達なんだ。彼女とか彼氏とかはまだその先の話。いかんいかん、危うく突っ走って自滅するところだったぜ。


「そうだね。まずはクラスのみんなと仲良くならないと」


 俺が下心を抑えてフォローする様に言うと由美ちゃんも納得した様だ。


「そうね。友達より先に彼氏なんか作ったら、みんなに何て思われるかわからないもんね」


 そりゃそうだ。女の子ってそういう事に面倒臭いらしいからな。なんにせよ友達作りは由美ちゃんの力が必要だ。ここはひとつ由美ちゃんにあらためて頭を下げておこう。


「由美ちゃん、よろしく頼むよ」


「うん、わかってるわよ。でも、私に出来るのはきっかけ作りだけ。後は岩橋さん、あなた次第なんだからね」


 由美ちゃんは前に俺に言った言葉を岩橋さんにも言った。きっかけは誰かが作ってくれたとしても、後は全て自分次第だ。もっとも和彦におんぶに抱っこの学生生活を送っている俺にはちょっと耳が痛いが。


「うん。ありがとう、島田さん」


 喜んでお礼を言う岩橋さんに由美ちゃんがとんでもない事を言い出した。ちなみに『島田さん』と言うのは由美ちゃんの名字だ。


「由美で良いわよ。私も……あれっ、岩橋さん、下の名前、何て言ったっけ?」


 おいおい由美ちゃん、そんな事も知らないのかよ。興味ナシって訳か? って、そう言えば俺も岩橋さんの下の名前知らないや。


「沙織です、岩橋沙織。よろしくお願いします、由美……ちゃん」


 そうか、岩橋さんって、沙織ちゃんっていうんだ。ありがとう由美ちゃん、貴重な情報が手に入ったよ。ってまあ、同級生の名前ぐらい調べればすぐわかるんだけど。ともかく由美ちゃんの協力は確約されたみたいで良かった良かった。



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