03:かくれんぼ


 バーチャルの世界でかくれんぼをするなんて、全員が初めてのことだった。幼い頃にリアルの世界でかくれんぼをした経験はあるだろうが、バーチャルの世界でそれをやるという発想が無かったのだ。


(そもそも、高校生にもなってかくれんぼすることになるとは思わなかったけど)


 理科室を出た五人は、最初に集合した教室へと戻っていた。

 ルールは簡単で、視界の右上には20分の制限時間が表示されている。その制限時間の間に、鬼は校舎内のどこかに隠れている四人全員を見つけるというものだ。

 マップの外には出ることができない仕様になっているので、屋外に隠れることはできない。

 じゃんけんの結果、鬼をやることになったのは春人だった。


「それじゃ、また後でね」


「万が一ゲーム抜けるってなったらチャットで報告な」


 そう声をかけて、各々が教室を後にしていく。その背中を見送ってから、春人は静まり返った教室の中央で一人立ち尽くしていた。

 全員が隠れるまで、5分ほどをここで待機していなければならない。

 先ほどまでは見慣れた友人たちの姿があり、声も聞こえていたのでさほど恐怖は感じていなかった。けれど、勝行の思惑通りというべきか、一人きりになると話は違っていた。


 始めは聞こえていた複数の足音も次第に遠ざかる。耳に届くのは、老朽化した建物が時折軋むような音と隙間風、そして自身の心音が聞こえてきそうなほどの深い静寂だ。

 普段はより深い没入感を演出してくれる高性能のヘッドホンが、今は少しだけ恨めしい。

 とはいえ、こんなにもリアルな恐怖を体感できるのは今だけなのだ。怖いという感覚も楽しもうと、春人は時間が経つのをじっと待ち続けた。


 随分と長時間に思えた数分が経過し、春人はようやく動きだす。教室を出て、廊下の突き当りに理科室があるということ以外、この校舎の構造はまったくわからない状態だ。

 まずはどこから探していくべきかと考えながら、手近な教室を覗いてみる。人影は見当たらないが、わかりやすく隠れているはずがない。机の下はもちろん教卓の下や、ロッカーの中などを手当たり次第に探していくが、人影はなかった。


 自分の足音だけが異様に響く校舎内に、懐中電灯の明かりがやけに恐怖を煽る。教室から出て視線を向けた廊下の先は真っ暗で、別の世界に続いているのではないかと思えた。


「誰でもいいから、まずは一人見つけたいな……」


 解散前に繋いでいたボイスチャットは、場所がバレてしまう可能性があるので全員オフになっている。必要になれば文字でのチャットも打てるのだが、最初にそれを打つとすればギブアップした一穂だろう。

 一番怖がりな女子が頑張っている以上、自分が最初に音を上げるわけにはいかない。


 続いて廊下を進んでいった先に、青と赤でそれぞれに男女のマークが描かれたトイレがあった。逃げ場のない場所だが、ここに隠れている人間もいるかもしれない。

 廃校とはいえ、真っ先に女子トイレに入るのは憚られる気がして、春人は手始めに男子トイレのドアに手をかける。ゲームパッドで操作をしているので、重さを感じることはない。


 けれど、ドアを開く際に伝わる微妙な振動や軋む音が、本当に目の前のトイレのドアを自分の手で開けているかのように錯覚させた。

 中には手洗い場のほかに五つの小便器と、三つの個室があった。中はかなり薄暗い。

 足を踏み入れると、先ほどまでの廊下とは異なりタイルの上を歩く音がやけに響いて、思わず動きが止まる。横を見れば、洗面台に備え付けられた鏡は汚れている。そこに、ぼやけるように映り込む自身の姿に心臓が跳ねた。


(っ……鏡にも映るのかよ)


 昔プレイしたホラーゲームの中には、プレイヤーの姿が映らないものも多かった。それを心霊現象だと笑ったこともあったが、鏡に映り込むという当たり前のことが、今はとても心臓に悪い。

 深呼吸をして、改めてトイレの中を見る。隠れるとすれば個室の中しかないのだが、耳を澄ませても物音はしない。しかし、息を殺して潜んでいる可能性もゼロではない。

 意を決して、春人は手前の個室から順に扉を開けていくことにした。


 中に人がいなければ、始めから扉が開いたままのタイプの個室であれば良かった。けれど、残念ながらこのトイレはそうではない。中に誰かがいたとしても、それは霊ではなく友人なのだから、恐れる必要はないのだと言い聞かせる。

 思い切って一つ目の扉を押してみると、そこには和式の便座があるだけだった。次いで二つ目の扉を開けた結果も同様だ。


「うわ……っ!」


 残る三つ目も空振りに終わるだろうと油断していた春人だが、開けた瞬間思わず声を上げてしまった。中には幽霊も人間もいなかったのだが、赤黒い色をした大きなムカデが、便器の中で蠢いていたのだ。

 顔を顰めながら、春人はすぐにトイレの扉を閉めてその場から足早に遠ざかる。


(廃墟だからって、虫までリアルに再現されてるとか聞いてねーし……!)


 叫びたくなる衝動を、心の中でどうにか留める。鳥肌の立った腕を擦りつつ、次に女子トイレも覗いてみたが結果はハズレだった。


 続いて見つけたのは、保健室と書かれた室名札だった。

 ここも隠れやすい場所ではあるだろうと踏んで、春人は思いきりドアを開いてみる。音に驚いて反応があるかと思ったが、自分の立てる音以外に特に聞こえる物音はなかった。


 保健室のベッド周りのカーテンはすべて閉じられていて、誰かが隠れていてもおかしくはない。校舎全体が隠れ場所とはいえ、一人くらいは早めに見つけておきたいものだ。

 念のために机の下や棚の影などを確認してから、二台あるベッドのカーテンを順に開いていく。ベッドの下も覗いてはみたが、ここもまた空振りに終わってしまった。


(クソ……一人も見つけらんないとかさすがにバカにされるだろ)


 視界の右上に表示されているタイムリミットは、無情にも減り続けている。急いで次の場所へ移動しなければならないと、春人が踵を返しかけた時だった。


「…………?」


 何か物音がしたような気がして、立ち止まる。近くに誰かがいれば足音などは聞こえる設定になっているが、基本的に隠れた場所から移動をするのはルール違反だ。

 気のせいかと思ったが、再び歩き出そうとした時、今度は確かに声が聞こえた。


「モ……イ……」


 女性の声にも聞こえたが、それは惠美や一穂の声とは違うものに思えた。


(西村がギブアップして俺を探しに来た……?)


 始めはそんな風に思いもしたのだが、そもそも自分たちには文字チャットという手段がある。ギブアップするほどの恐怖に晒されている彼女が、わざわざ一人で春人を探しにやってくるだろうか?

 少しずつ、足音が近づいてくるのがわかる。それは、靴音ではなくペタペタと、裸足で廊下を歩いている音に聞こえた。呼吸が僅かに浅くなる。


 ここは招待された友人同士だけが遊ぶことのできる場だ。同じソフトを遊んでいるユーザーであっても、招待されなければ入ることはできない。そんなプライベートな空間に、見知らぬ誰かが存在するはずがないのだ。


(勝行か洋司が、誰か勝手に招待したのか?)


 あの二人のことだ、可能性は否定できない。けれど、かくれんぼをしている最中に、断りもなしにそんなことをするだろうか? 少なくとも、人数が増えたのであれば鬼である自分にチャットで事前に報告をするべきだ。

 考えを巡らせている間にも、足音と声は着実に近づいてくる。


「モウ、イイ、カイ」


「……!」


 やはり女性の声ではあったが、春人には明らかに聞き覚えがない。隠れている人間を探す立場であるはずの春人は、反射的にカーテンを閉めて、一番奥のベッドの下へとその身を滑り込ませた。そして、慌てて懐中電灯のスイッチを切る。

 ベッドの下は埃だらけで不衛生そのものだったが、今はそんなことを気にかけている場合ではない。バーチャルの世界で、そもそも気にかける必要もないのだが。


 何者かはわからないが、直感的に彼女に見つかってはいけない気がした。

 目線を向ければ、カーテンの裾の隙間から保健室のドアまでが見通せる。近づいてきた足音がピタリと止まったかと思うと、開いたままだったドアの向こうから真っ白な二本の足が、部屋の中に入ってくるのが見えた。


 ゆっくりとした足取りで、何かを探しているように時折動きを止める。その足元を見る限り、同い年くらいか、もう少し下の少女のようにも思えた。


「モウ、イイ、カイ」


 彼女は誰なのか、どうやってこのサーバーに入ってきたのか、もしかしたら違法な手段を使った荒らしなのかもしれない。必死に可能性を探る春人だったが、ただひとつわかるのは、彼女に見つかってはいけないということだけだ。

 早く去ってくれという願いも虚しく、彼女は隣のベッドの下を覗き込んだようだった。次は間違いなく、春人のいるベッドの方へと向かってくるに違いない。


 ここは部屋の一番奥のベッドで、隣にあるのは壁と、システムの仕様上で開けることのできない窓だけだ。抜け出すのなら、彼女の横を通り過ぎるほかない。

春人にはもはや、逃げ場がなかった。


 ペタリ、ペタリと近づいてきた足音が、春人のいるベッドの前で止まる。目の前には女の子らしい小さな踵があって、瞬きも忘れて凝視してしまう。次の瞬間、彼女は倒れ込むように床に這いつくばって春人を視界に捉えた。


「ミ、ツケタァ」


「うわああああああああ……ツ!」



 叫び声と共に、春人の視界が眩しいほどに明るくなる。思わずきつく目を瞑ると、次に後頭部に衝撃が走った。


「ちょっと、何叫んでんのよ。近所迷惑でしょバカ!」


「…………え……姉貴……?」


 痛みと共に目を開けると、そこにいたのは自宅にいるはずの春人の姉・春歌はるかだった。その手には、VRのヘッドセットとヘッドホンがある。

 周りを見れば、そこはつい今しがたまでいた廃校ではなく、見慣れた自分の自室だった。


「イヤホン借りようと思ったらまたゲームやってるし、こんな時間までVRやってたら頭おかしくなるよ」


 そう言いながら、春歌は慣れた手つきで机の上の引き出しを漁る。すぐに目当ての物は見つかったようで、それを片手に部屋を出ていった。その姿を目にしてもまだ、春人にはリアルの世界に戻ってきた実感が湧いていなかった。


 バーチャル世界の中で、彼女と目が合った瞬間、本能的に終わったと思ったのだ。

 長い黒髪の隙間から覗く瞳は暗く濁り、口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。その姿を、現実のことのように鮮明に思い出せる。


 心臓が痛いほどに鳴り続けているのは、突然ゴーグルを外されたからではないことは、春人自身が一番よくわかっていた。


(姉貴が来なかったら、俺……どうなってたんだ……)


 バーチャルの世界での出来事なのだ、普通ならばどうにかなっていたとは思えない。けれど、とてもそうは言い切れない心境になっていた。


 ゲームはまだ起動したままだったが、再びゴーグルを装着する気になれなかった春人は、まだゲーム内で隠れているであろう友人たちに文字チャットを送る。

 調子が悪くなったので抜けるという内容には、心配する声やビビったのだろうと茶々を入れるメッセージが入り混じった。彼らも今夜はここまでにするらしく、終わりにするという連絡を受けて、春人もゲームを終了させたのだった。

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