第6話

「うわああああっ」


 掴み損ねた門左衛門は派手に転んでしまう。

 それを見て、たゑ子は留まろうと考えたけれど、そこは淡水。彼女は長くいられない。人間でいた名残で、涙も出そうになるけれど、自分の塩分が下がってしまえば死んでしまう。急いで、海へと泳いでいった。


「くそっ、くそおおおおおっ」


 門左衛門は立ち上がり、必死に走る。

 鯛に戻ったたゑ子は物凄く速かった。

 今度は逆にどんどん二人の差が広がっていく。


「あきらめん、あきらめんよっ」


 それでも、門左衛門は諦めなかった。

 しかし、たゑ子は海へと泳ぎ切った。

 ようやく塩分濃度が適している海へとたどり着き、頭がくらくらして、理性が働かない。だからか、本能の心のままに泣いた。


(私は門左衛門さんが好きじゃ…でも…)


「たゑ子おおおおおおおっ」


 気が付くと、追いついてきた門左衛門が海へと入ってきている。


「来ても無駄じゃけ、帰っておくなましっ!!」


 鯛の姿でたゑ子は叫ぶ。


「おぉ、やっと返事をしてくれたか。たゑ子」


 嬉しそうな顔をする門左衛門を見るのが、たゑ子は辛かった。


「私は、鯛たい。だから、門左衛門さんとはいっしょにおれんっ」


「気にせんよ、俺は」


「嘘ですっ」


「嘘じゃなか。俺は男じゃっ!!」


「男だからなんなんですかっ!?」


 たゑ子は急に門左衛門がわけのわからないことを言ってきて怒りが込み上げてきた。九州男児の美学なんて、九州女児じゃないただの鯛の自分は知らん、と思っていた。


「たゑ子が言うたんじゃろうがっ。そがんこと、男ん人が気にすることじゃなかよって。その通りじゃ、俺はちーっともきにしとらんどっ。俺はお前が大好きじゃ。だから、帰ってこいっ」


 たゑ子は胸が熱くなるのを感じた。

 涙もいっぱい出た。


「でも…私は鯛です。化け物の鯛なんです」


「化け物でよかよ。俺は女も魚も釣れん男とよー言われておる。じゃから、化け物のたゑ子がぴったりじゃ。は洋戻ってこい。明日からも漬物作るんじゃろ?なっ?」


 たゑ子は嬉しさで満ち溢れていた。

 しかし…


「ごめんなさい。私はもう人間には戻れません」


「なぜじゃ、たゑ子」


「乙姫様に人間にしてもらったとです。一度だけ、一度だけのワガママだったとです。もう…乙姫様のところにもどらんと行けません」


 そう言って、たゑ子は海へと潜って行く。


「たゑ子、待ってくれっ!!たゑ子っ!!!」


 服が足かせになって、思うように前には進めないけれど、門左衛門は後を追おうとした。


「ごほっ、ごほっ、たゑ子おおおぅぶぶっ」


 西の玄海に沈みかけた太陽はもうほとんど消えており、門左衛門も暗闇へと潜ろうとして、溺れそうになっていた。



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