自称ツンデレ彼女のツンが来ない
現場は静まりかえっていた。
吐息の音すら嫌う沈黙。衣擦れすら許してはくれない。そんな様相を呈していた。
そのせいか、俺は玲奈の肩に手を置いたまま、動けずにいた。一歩間違えれば、そのまま口が触れ合う距離感。いや、今まさに一歩間違えようとしていたのだけど。
「なにをしているんだ」
マスターの低く冷たい声が響く。
その声を皮切りに、俺は平静を取り戻すと、すぐに玲奈から距離を取った。
居住まいを正して、マスターに向き直る。
「お、おかえりなさいマスター。えと、れ、玲奈の髪にゴミがついてたのでそれを取ってあげようかと」
「とてもそうは見えなかったが」
「そ、そうでしたかね」
「ぶっ殺してやる!」
マスターの顔に血が上る。血管が浮き出るほど、強く拳が握られた。
オワタ……これはもう、詰んだ。完全に、詰んだ。これまでとは、状況が違う。
いよいよ死を覚悟しているときだった。
「実は、私、浩人くんとお付き合いすることになったんです」
ぴしゃりと、玲奈が声を発した。それを合図に、マスターの動きが止まる。
「……ッ、や、やめろ! 聞きたくない! 聞きたくない聞きたくない!」
年甲斐もなく、子供みたいに喚くマスター。両手で耳を塞いでいた。
「せっかく良いところだったのに、邪魔しないでくださいお父さん」
しかし、玲奈は臆することなく続けた。
突き放すような発言を受け、マスターはその場で崩れ落ちる。
両膝を突き、どっしりと項垂れた。
いい大人が四つん這いである。
「ふ……ふふ……脳が破壊されるとはこういうことか」
そうして、こちらには聞こえないくらい小さな声量でぼやくマスター(俺は耳がいいので聞こえた)。ひとしきり絶望し紫色のオーラを漂わせると、のっそりと起き上がる。
眼鏡のブリッジを指でくいっと持ち上げると、
「少しでも玲奈を傷つけてみろ、私に法律は効かないからな……!」
「き、肝に銘じておきます」
マスターは涙を目尻に浮かばせると、逃げるようにそのまま部屋を後にした。玲奈の『邪魔』発言が効いたのだろう。これ以上、滞在することはなかった。
再び、二人きりになる室内。微妙な空気感が立ち込める。
「ご、ごめんなさい。お父さん、常に間が悪くて」
「い、いや……そんな」
「あ、すごく今更ですけど、遊園地のチケットってどうなったんですか? 確か、期限が今日まででしたよね?」
「ああ、姉貴にあげちゃった。友達と行くって喜んでたよ」
「そうですかっ。無駄にならなくて少し安心しました」
ホッと胸に手を置き、安堵する玲奈。
「あ、すみません。私のせいなのに」
「ううん気にしないで。むしろ、結果論だけど玲奈と付き合えたし……俺的にはラッキーみたいな? 遊園地はいつでも行けるし」
「……っ。…………それで、その」
玲奈は口を開くも、歯切れ悪く声を途切らせる。
マスターの登場ですっかり白くなった頬を、再び紅葉させていく。
わずかな沈黙の後、物欲しそうな顔で問いかけてきた。
「さっきの続き、してくれないんですか?」
……しないわけがなかった。
☆
それからを少し話そう。
玲奈と付き合うことになり、俺の日常は以前よりも彩りを持つようになっていた。
俺と玲奈の仲を引き裂かんとするマスターの妨害工作は日常茶飯事だけれど、付き合うこと自体を咎められることはなかった。重度の親バカで、娘を溺愛しすぎなマスター。けれど、娘の意思を尊重しないわけではない。むしろ、誰よりも玲奈のことを考えているからこそ、玲奈の気持ちには敏感だった。
玲奈の気持ちを俺から冷めさせようとしてくるのは、正直迷惑だけれど悪い人じゃない。実際、玲奈と喧嘩した時には、仲を取り持ってくれた。マスターが俺のことをどう思っているのかは分からないけれど、100%嫌われているわけではなさそうだ。最近、コーヒーの淹れ方教えてくれているし。
それはそれとして──
「浩人くん。さっきの女の人誰ですか?」
ある日の登校中。五番目の車両の真ん中辺りで、扉に背中を預けているときだった。
電車に乗り合わせた玲奈が、ぷっくらと頬を膨らませて、視線をぶつけてきた。
見られていたのか。その女性は、玲奈と入れ替わる形で、すでに車両を降りている。
「誰だと思う?」
「う、浮気しちゃ嫌です……」
「ち、違うって! 姉貴だよ姉貴」
「浩人くんのお姉さんですか? でも、普段は一緒じゃないですよね?」
懐疑を宿した瞳を向けてくる。
「あぁ、講義の関係とかで、これから毎週火曜日はこの近くのキャンパスに行かないとダメなんだと。それで、たまたま時間が重なってたから一緒に来たんだ」
「そうなんですね。すいません早とちりして」
ぷしゅーっと顔を赤くして、うつむく玲奈。
俺はクスリと微笑むと、そんな彼女の頭に手を伸ばした。
「俺の方こそ、誤解生んでごめんね」
「浩人くんは悪くないです」
「そういや玲奈、髪切った?」
「あ、分かりますか」
「そりゃ分かるよ。毎日玲奈の顔見てるんだし」
「……っ。そ、そういう事言うのズルいです……」
「似合ってるよ」
「は、反則ですッ!」
玲奈は顔を真っ赤に染め上げると、しばらく黙ってしまった。列車が次の目的地に向けて進み始めると、僅かに車内が揺れる。
その反動で、俺と玲奈の距離が急接近した。
さして混雑していない車内。この密着具合は、周囲の注目を集めるものがあった。
離れようとするも、玲奈が俺の制服の袖をギュッと掴んで離してくれなかった。
「ち、近くない?」
「近くないです」
周囲から怨念を集める俺。チラリと周囲に目を配ると、内村の姿を発見した。
俺たちカップルを観察するなり、
「……好きです」
本当に小さく、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。途端、胸の奥がじんわりと熱くなっていくのを感じた。
彼女の一体どこがツンデレなのだろう。常々そう思う。玲奈は自分がツンデレだと解釈しているみたいだが、俺にはそうは思えない。デレばっかだ。
いっそ、ツンが来てくれた方が、俺の気も休まるのだけど。
「俺も好きだよ」
耳元でそう囁くと、玲奈の身体がビクッと上下に跳ねた。
耳や首まで真っ赤に染めて、そのまま俺の胸元に顔を埋めてくる。
こんな日が、続けば良いなと……密かにそう思う俺だった。
〈完〉
───────────────────────
最後までお読み頂きありがとうございました。
色々作品投稿してますので、ユーザーのフォローして頂けると嬉しいデス。お時間ありましたら、覗いていってください(^^)
(フォロー返し等はしていないので、予めご了承ください)
自称ツンデレ彼女のツンが来ない 〜この彼女、俺にゾッコンすぎる〜 ヨルノソラ/朝陽千早 @jagyj
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます