36.結婚式

 帝宮の中央館四階。つまり私が死ぬ気で走った例の廊下の一つ上の階には皇帝陛下が神事にお使いになる礼拝所がある。


 上位貴族の結婚式は普通、帝都にある大神殿の聖堂で行われるそうだが、皇族の結婚式だけは帝宮で行うのだそうだ。ちなみに離宮である公爵邸にも礼拝所はある。使った事は無いけど。


 帝国の皇帝陛下は大女神ジュバールより大地と民を預かる存在である。神話の神々は大女神より様々な権能を与えられて神となっている。その意味で皇帝陛下は神話の神々と同格なのだ。故に皇帝陛下は全ての神官の上に立つ。皇族の結婚式ではその最高神官でもある皇帝陛下が儀式を取り仕切って下さるのだ。


 神事が生活に密着しているペグスタン皇国と違い、帝国では国民は普段、神を意識する事はほとんど無い。しかし、最高神官である皇帝陛下となれば話は別で、毎日朝夕に大女神に貢ぎ物を捧げ礼拝をしているそうだ。知らなかった。現在の皇帝陛下も体調さえ良ければ4階の礼拝所で。悪い時は自室にある祭壇に祈るらしい。因みに4階の礼拝所への階段には東館からしか入れ無い。


 私は公爵邸で支度した後、馬車で帝宮へと向かった。アルステイン様は時間に差を付けて別の馬車で向かう。まさか結婚式に同じ馬車で行くわけにはいかないからだ。考えてみればまだ婚約者の内から同じ屋敷に同居しているというのがおかしいのだ。多分、ご婦人方のゴシップのネタになってたね。絶対。


 ちなみに、書類上の話だと、私とアルステイン様はとっくに夫婦である。アルステイン様がワクラ王国から凱旋なさって直ぐに紋章院に婚姻関係の書類は提出してあり、数カ月掛かりの精査の末に去年の秋には承認されているからだ。しかしながら婚姻関係はあくまで神々の領分である。大女神の前で結婚を誓い、女神の祝福を受けなければ正式に結婚した事にはならない。


 私は帝宮で馬車を降り、そのまま東館に入る。東館入り口を守る4人の騎士、私の「戦友」たちが熱烈に祝福してくれるのに笑って応える。そして用意された控室で最終的な支度をすると、案内されて礼拝堂へ続く長い階段へ案内された。


 青い布で覆われた階段をゆっくり上る。公爵邸に来たばかりの頃教えられた宮廷儀礼にはこの特別な階段の登り方が含まれていた。二段登ったら両足を揃え、一瞬止まってから再び上るという謎な動きだが、そう決まっているのだから仕方がない。間違え無いように気を付けつつ上る。


 廊下に出てからも、二歩歩いたら両足を揃える。その繰り返し。なかなか進まない。皇帝陛下、毎日これやらなきゃいけないのか。大変だな。礼拝所の入口は神話の光景が描かれた巨大な扉だった。私が前に立ってからゆっくりと開き始める。


 礼拝所の天井はドーム状で天窓が大きく取られており、明るい。正面には階、その上に祭壇があり、女神ジュバールの大きな像が立っている。その後ろはステンドグラスになっていて、大女神像に色あざやかな光を落としていた。


 礼拝所はそれ程広くは無い。奥行き30m幅20mくらいで丁度、公爵邸の私の部屋と同じくらいだ。ドーム天井で高さはずっと高いが。


 帝宮もそうだが帝都の5つの丘は、古来より大女神のおわす天に最も近い場所として神殿が置かれていたのだそうだ。帝宮や離宮が置かれても最上階に最も神聖な礼拝所を置く事でその機能を受け継いでいるのだ。つまりこの礼拝所は麓の大神殿より神に近いとされる。


 私が礼拝所に入ると、階の前に立っていた人物が振り返った。


 ぐわっ!私はあまりの眩しさに顔を背けかけた。凄い。凄過ぎる。この美形っぷりはもはや暴力では?アルステイン様の花婿姿。ちょっと、本当にあんな素敵な人が私の夫になるの?大丈夫なの?


 アルステイン様は白い燕尾服を着ていらした。白とは言っても、縁に華麗な銀糸金糸の刺繍が入っていて単調ではない。ネクタイは私の瞳の色である水色。チーフは赤茶。そんな華麗な姿で微笑む様は・・・。はう!意識飛びそう。素敵過ぎる!


 私の方は真っ白なドレスで、やはり銀糸金糸の刺繍がビッシリ入っている。レースのヴェールを被り、頭にはティアラを載せていた。このティアラは以前着けたものでは無く、この日の為に新調したものだ。私は前の物で良いと言ったのだが、アルステイン様がどうしても新調すると譲らなかったのだ。理由は完成品を見て分かった。このティアラにはふんだんにエメラルドが使われているのですよ。花嫁衣装は基本的に白一色なので、何とかして緑色を入れたいと考えたのだろう。


 私は二歩、停止、二歩、停止と進む。私の後ろにはエルグリアがいて、アルステイン様の後ろにはトマスが感慨深げな顔をして立っている。アルステイン様にとっては兄姉とも頼る存在で、私にとってももう家族みたいなトマスとエルグリアに立ち会ってもらえるのは素直に嬉しい。


 階の祭壇の前には白いローブを着た皇帝陛下が椅子に座っていらっしゃる。その横にはやはり白いローブ姿の皇妃様が立っている。神事には皇妃が関わる部分が結構多いらしい。「頑張ってね」と完全他人事みたいな顔で皇妃様は私に教えてくれた。この結婚式が最後だわ、とか。丸投げが過ぎるのではないだろうか。


 私はアルステイン様の横に並び、微笑む。アルステイン様も万感の思いを感じさせる笑顔だ。正直な話、アルステイン様があれほど必死に私を求めてくれなければ、私達は今日という日を迎えていないと思う。私はワクラ王国に帰った時点で諦めていたもの。アルステイン様は諦めないでくれた。何もかもアルステイン様のおかげだ。


 階の上の皇帝陛下が立ち上がり、私達の前に進み出る。そして香炉を振って私達を清めると、さすがの重々しい声で言った。


「そなた等が大女神の祝福を望むなら手を取り合って上るが良い。ただしその想いに嘘偽りあらば、大女神は神罰の雷を降らせるであろう」


 私はアルステイン様に右手を差し出す。アルステイン様は躊躇無く左手でそれを取った。


 私達は手を取り合ってゆっくりと階を上った。天窓から暖かな日差しが降り注ぐ。勿論、雷など落ちる訳がない。階を上がり切ると皇帝陛下が言う。


「大女神はそなたらの真心を認めたもうた。大女神はそなたらを祝福して下さる」


 皇妃様が進み出て美しい声で短い歌を歌った。


「恋人達に神々の祝福を。太陽のように暖かく、月のように冷静で、火のように激しく、水のように透き通り、土のように寛容で、木のように健やかに、鉄のように強くあれ。二人の前途にあらゆる神の祝福あれ」


 私達は跪き、皇帝陛下を通して大女神に宣誓する。


「「大女神ジュバールよ。私達はここに永久なる愛を誓い、御身の元にいたるまで共に歩む事を誓う。我々に御身の加護と祝福を下さらん事を」」


 皇帝陛下は左手でアルステイン様の、右手で私の上に手を起き祝詞を唱える。


「大女神ジュバールと七つ柱の大神よ。二人に祝福を与えたまえ。いかなる困難をも乗り越えられる勇気と、いかなる苦しみにも耐えうる強さを彼等に与えたまえ。我が親愛なるアルステイン、イルミーレ両名に神々の加護と祝福あれ」


 皇妃様が手に持ったハンドベルを音高くカーン、カーン、カーンと三回鳴らした。私とアルステイン様は立ち上がり、向かい合った。


 私はスカートのポケットから指輪を取り出した。ブルーダイヤモンドの指輪だ。私の瞳の色だとアルステイン様が言うのだが、こんなに綺麗じゃないと思うんだけど良いのかな?アルステイン様が良いというのだから良いのか。


 私はアルステイン様と視線を合わせながら言う。


「あなたのおかげで私の世界は広がり、世界は彩りを増し、視界は高く遠くなりました。これからも永久にあなたと共に。私、イルミーレは今、あなたの妻になります。これからも私を未知なる世界へお導き下さい」


「君が欲するのならこの世の全てを手に入れてみせようぞ。何もかもを君のために」


 アルステイン様が洒落にならない事を言ってニヤリと笑った。私が世界征服して欲しいって言ったら本気でやるわよね、この人。


 私はアルステイン様の左手を取り、薬指に口付けをして、そこへ指輪を差し込んだ。この瞬間、私達の婚姻は成立し、私はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢から、イルミーレ・ナスターシャ・イリシオ公爵夫人となった。


 私は満面の笑みを浮かべてアルステイン様の胸に飛び込んだ。アルステイン様は私を優しく抱き止め、私の頬に手を当てると私の唇に熱烈なキスをくれた。唇へのキスは夫婦の間にしか許されない。


 最初は軽く。二度、三度となる度にキスは熱く深くなっていく。私はだんだん身体が仰け反ってきた。ちょ、ちょっと待ってアルステイン様!この人、目の前にお兄様がいらっしゃる事忘れてるよ!私が焦り出すと同時にオホン、と咳払いが聞こえた。アルステイン様が恨めしそうに皇帝陛下を見る。


「邪魔をしないで頂きたい。兄上」


「大女神の御前だぞ。いい加減にせんか。それに、まだ終わって無いだろう」


 アルステイン様は名残惜し気に私の顔を離した。皇妃が楽しそうに笑っている。これ、皇妃様のお茶会のネタにされるわね。絶対。


「結婚おめでとう。アルステイン。イルミーレ。そなた等に永久なる幸せと健康の有らんことを」


 皇帝陛下が兄としての真心を籠もった祝福の言葉を下さった。そして一度皇妃様と共に侍女や侍従が控える脇に歩いて行き、着ていたローブから青いマントに着替え、頭の上に王冠を載せられた。最高神官から皇帝陛下に早変わりと言ったところだ。皇妃様も頭に皇妃冠を載せている。


 私もエルグリアにティアラだけ外してもらう。エルグリアはぐすぐすと嬉しそうに泣いていた。


 皇帝陛下は再び私達の前に来て、大きな声で言った。


「では、続けて立太子の儀を行う」


 私とアルステイン様は再び皇帝陛下の前に跪く。皇帝陛下は私達に手を伸ばし、儀式を始めようとして、う~ん、と唸った。


「アルステイン。やはり譲位の儀式にせぬか?儀式的には殆ど変わらぬのだし」


「兄上。それは何度も話したではありませんか」


「しかし、どうせ半年くらい後にまた儀式をせねばならぬのだぞ?二度手間ではないか」


「半年はあり得ませんよ!それに、すぐに出来るとは限らないではありませんか!」


「いや、絶対にすぐであろう」


 こらこら。そんな微妙に下世話な話を大女神の御前でしないで下さい。私もいたたまれない。


 皇帝陛下は仕方なさそうに、改めて立太子の儀式を始めた。


 アルステイン様は往生際悪く、いきなりの譲位はどうしても嫌だと言い張り、とりあえずは皇族復帰して皇太子になるという事で皇帝陛下と折り合ったのだ。


 アルステイン様は皇太子になると同時に摂政にもなり、摂政皇太子として皇帝陛下の全ての権能を引き継ぎ「事実上の皇帝」として全ての政務と神事を引き受ける事になっている。私も摂政皇太子妃として皇妃様の仕事を何もかも引き継ぐ予定だ。


 皇帝陛下と皇妃様は一切(皇帝陛下はここを強調していた)政務神事には関わらず、私達に何もかも任せるとの事。そして離宮に引きこもって療養に専念するのだそうだ。確かに譲位とまるで変わらないのでは無いかと思うのだが、そこはアルステイン様の謎なこだわりだ。アルステイン様は頑固だから。


 で、正式な譲位のタイミングだが、話し合いの結果「私達に子供が産まれたら」という事になったのだった。世継ぎが産まれたならたとえ私が男爵令嬢でも、皇妃になっても誰も文句は言えなかろう、というのがアルステイン様の主張だった。が、それを聞いて皇帝陛下と皇妃様は真顔になって言った。


「今更イルミーレが皇妃になる事に文句を言える者などいるものか。そんな心配は要らぬと思うぞ。アルステイン」


「イルミーレ様に逆らう命知らずがいるなら見てみたい気もいたしますわね」


 皇妃様曰わく、私があの事件でやらかした事は、貴族界で相当尾鰭が付いて広がっているらしい。


「何しろイルミーレ様は、皇国兵何千名を千切っては投げして蹴散らし、私と皇帝陛下を抱えて城壁を飛び越えたとか」


 な、何ですかそれは!全然違うじゃないですか!そんなの人間の仕業じゃありませんよ!ていうか、皇妃様当事者じゃないですか!キチンと訂正して下さいよ!


「さて、どうでしたか。私は意識が朦朧としていましたから」


 皇妃様はコロコロと笑っている。うう、絶対これ面白がってるよ。それか、あの時に邪険に扱った事を根に持ってるのか。


 兎に角、貴族界では私は何だか怪物扱いで、夜会で挨拶に来る皆様が恐れおののいて震えている有り様だった。待って!私、そんなのじゃ無いよ!私はちょっと涙目だ。自業自得とは言え酷い扱いではないか。


「皇妃になるなら恐れられるくらいで丁度良いのではありませんか?」


「限度がありますわ・・・」


 そんな余談は兎も角、正式な譲位は私達に子供が産まれたら、という事になったのだ。皇帝陛下は「どうせあっという間に産まれるに決まってる」と言うのだがそんな事分からないわよね。・・・いや、私だって何となく直ぐに出来ちゃう気がしない事もないけど。


 立太子の儀式自体は、皇帝陛下が太子任命の祝詞と祝福を下さって、アルステイン様に太子冠を載せるだけだ。その瞬間、アルステイン様はイリシオ公爵から皇籍に復帰し皇子に戻り更に皇太子殿下となった。既に摂政へ任命する手続きは終わっているから、アルステイン様は「摂政皇太子アルステイン」となり、カストラール帝国の事実上の頂点に立った事になる。


 同時に私にも皇妃様が太子妃冠を被せて下さった。私は皇太子妃イルミーレになり、皇族となった。皇族の名字はヴァルシュバールだが、普通は使われ無い。私の公爵夫人期間は僅か数分で終わった。一年以上も「公爵様の婚約者」だったのに。


 結婚式と立太子式を終えた皇帝陛下は流石に疲れた顔をしていたが満足そうだった。


「後は頼んだぞ。アルステイン。イルミーレ」


 アルステイン様は露骨に嫌そうな顔をしつつ言った。


「皇帝陛下はこれから悠々自適ですか?羨ましいですね」


「そなたの様な真面目な仕事人間に悠々自適が出来るものか。直ぐに飽きて仕事をしたがるだろうよ」


「陛下も仕事したがっても返してあげませんからね。ゆっくりと静養してください」


「ああ、そうさせてもらう。一日でも長生きする事が、そなたたちの苦労に報いる事になると思っているよ」


 皇帝陛下が笑い、アルステイン様が苦笑する。皇妃様がそっと涙をぬぐったのが見えた。皇帝陛下はこの後、上皇になられてからもしばらく生きていらした。崩御なされたのはこの日から10年後の事だった。




 全ての儀式が終わると私達は帝宮を後にした。公爵邸、改め離宮に戻ると自室に戻り、着替える。今度は深紅のドレスで例によって金色の刺繍ががっつり入っている。・・・いくら何でも派手なのでは?しかしエルグリアは素知らぬ顔で言った。


「妃殿下のお披露目ですからどうせなら限界までやってみようかと思いまして」


 何ですか、限界までって。何の限界を目指しているのよ?


「大丈夫ですよ、ほら」


 純白に銀の刺繍が入った大きなケープを羽織らされる。確かにこれなら真っ赤っかなイメージにはならないかな?髪は今日は緩く結って軽く上げられ、結婚式で使ったティアラを載せられる。


 めでたく皇族入りしたし、皇妃様にとって代わる存在になったアピールもあるので、先代皇妃様から受け継いだ宝飾品も惜しみなく使う。以前のプロポーズ騒ぎの時にも使った巨大なルビーのネックレス。サファイヤのブレスレット。巨大なブルーダイヤのブローチ。そして、皇妃様から譲られた黒真珠のイヤリングである。これを見れば皇妃様から円満に地位を譲られたのだと一目で分かるだろう。


 控室に行くとアルステイン様が待っていた。・・・もう、ちょっと、私の夫、かっこ良すぎでは?ダークブルーのフォーマルなスーツだが、襟には華麗な金の刺繍がしてあり、右肩には帝国の紋章が大きく刺繍された黒いマントを羽織っていた。銀色の髪はオールバックに固められ、いつもと雰囲気が違う。うわ~、なんかドキドキするわ。


 この控室はあのプロポーズの時にも使った部屋だ。あの時は色々と一杯一杯だったし、物凄く負い目があって居た堪れなかったが、今は違う。私は幸せで一杯だし、アルステイン様からの愛を微塵も疑っていないし、他に譲るつもりもない。


 アルステイン様は私の姿を見るとあからさまに嬉しそうな顔をした。


「素晴らしいな。イルミーレ。これならあの時のやり直しに相応しい」


「?何のやり直しですか?」


「君のお披露目だ。プロポーズの時に皆に見せつけそこなったからな。今日は十分に見せつけてやる」


 またこの人は執念深くそういう事を言う。アルステイン様は兎に角頑固で真面目で諦めを知らない。悪く言えば根に持つタイプだ。夫婦円満のためには気を付けなければ。もっとも、私はアルステイン様のそういうところも大好きなんだけど。


 アルステイン様は私の手を取り、立ち上がった。


「さて、行くか。摂政皇太子とその妃のお披露目だ。思う存分見せつけてやるとしよう」


 何を見せつけるんでしょうね?私は笑ってアルステイン様に引かれて歩き出す。大扉が開かれ、バルコニーに出た。離宮の巨大広間には何百人という貴族たちが立ち並んでいた。私達が現れると一斉にこちらを振り仰ぐ。アルステイン様は私を抱き寄せると片手を上げた。貴族たちがどおっと湧き、口々に叫び出す。


「摂政皇太子殿下万歳!」


「アルステイン様に大女神のご加護あれ!」


「皇太子妃イルミーレ様万歳!」


「緋色の聖女よ帝国を守り給え!」


 なんか変なのが混じっていたが、貴族たちは口々に私達を讃えてくれている。私達は手を上げてその歓声に応えながら、披露宴の会場に向けて皇帝の階段を降りて行った。




 結婚式も披露宴も終えてすっかり日が暮れた。私は自室に戻って支度部屋で夜着に着替えた。は~、流石にもの凄く疲れた。私は支度部屋を出ると寝室に歩いて行こうとした。ら、エルグリアに慌てて止められた。


「妃殿下。今日からはそちらではありません!」


 ・・・え?


 私は首を傾げた。私が全く分かっていないことが分かったのだろう。エルグリアは思わず額を押さえてしまう。そして言い難そうに言った。


「今日から共用部の夫婦の寝室でご就寝頂きます」


 ・・・あ。素で忘れてた。そう。今日は結婚式だった。つまり、今日は結婚初夜じゃない。立太子式だとかお披露目パーティだとかがあったせいですっかりその意識が無かったのだ。


 ・・・って、結婚初夜?私はその事が意味するアレに愕然とした。ちょ、ちょっと待ってよ。その、心の準備が・・・。え?結婚式なんだからとっくに覚悟を決めておけって?結婚式や立太子式、パーティの手配で無茶苦茶に忙しくてそれどころじゃ無かったのよ!


 私は尻込みし、恐る恐る言った。


「あ、アルステイン様もお疲れでしょうから、あ、明日からで良いんじゃない?」


 しかしエルグリアは無情にも言った。


「皇太子殿下はもうリビングでお待ちですよ」


 ぎゃ~!まさか期待しているアルステイン様を置いて自分だけ自分の寝室に逃げ込むわけにはいかない。私は恐る恐る共用部に入って行った。


 共用部のリビング一階のソファーではアルステイン様が寛いでいらした。青いナイトウエア姿。初めて見るその色っぽいお姿に普段ならときめくところだが、今の私はそれどころではない。色っぽい格好=その気満々という事だろう。私は涙目で立ち尽くしたのだが、アルステイン様は逆に私の姿を見ると目を輝かせて立ち上がった。


「来たか」


 実に嬉しそうに寄って来る。私はジリジリと後じさりながら一応抵抗してみる。


「あ、アルステイン様も今日はお疲れなのでは無いですか?その、明日もお仕事ですよね?」


 アルステイン様はニッコリと大変良い笑顔で笑い、私に流石の素早さで近付くと、さっと私を横抱きにした。お姫様抱っこだ。ぎゃ~!捕まった~!


「心配無い。明日から5日間休むと言ってある」


「い、5日間?」


「ああ、その間、私は君以外を目に映すつもりはないぞ」


 え・・・?なんですか?その嬉しいけど不穏な言葉は・・・!


 アルステイン様は私を横抱きに抱いたまま足取り軽く共用部の大寝室の方へ歩いて行く。いつも恨めしそうに睨んでいたあのドアだ。しかし、そのドアが今日はアルステイン様の接近に伴って開いて行くわけである。・・・いや~!助けて!エルグリア!


 と涙目でエルグリアを見ると、エルグリアは生暖かい微笑みを浮かべて手を振っていた。その隣ではトマスも苦笑している。・・・ふ、ふぎゃあぁぁぁぁ!


 アルステイン様と私と私の声にならない悲鳴をするっと飲み込んで、大寝室のドアは無情にもしっかりと閉まったのだった。

 


 


 

 


 


 


 



 


 


 

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