30.脱出

 私は屋敷の中を全力疾走した。使用人たちが驚いて見ているが構っていられない。東館から中央館に駆け込み、三階へと駆け上がる。その西の端に小さな謁見室がある。以前から、なんでこんなところに謁見室があるのだろう?と思っていた。しかもその下の階に当たる所には入れないのだ。二階も一階も。


 故に私はここ皇帝陛下がこの離宮を脱出する際の秘密通路の入り口だと考えたのだ。三階の廊下の突き当り。良く見ればドアも壁と同化していて一見ドアには見えないようになっている。私はドアに体当たりするようにして止まると鍵穴を探した。前回エルグリアに案内してもらった時には普通のカギで開けていた。が、よく見るとドアの左端に変な凹みがある。私はエルグリアからもらったブレスレットを開き、8の字にした。エルグリアに教えられた方をその凹みにあてがう。するとガチンという音がして鍵が開いた。鍵だけでなく仕掛けの動く音もする。どうもただの鍵でなくもっと大掛かりな仕掛けのようだ。


 ドアを押し開けて中に入る。広さは30m四方くらい。奥に階があり、その上に皇帝の座、皇妃の座がある。私は女だから向かって右の小さめな皇妃の方だろう。私は皇妃の座に駆け寄り、その後ろを覗いた。立派な椅子には重厚なベルベットのカバーが掛けてあったのだが容赦なく引っぺがしてよく見る。すると、ドアにあったのと同じ凹みがある。私はさっきと反対の方をその凹みに突っ込んだ。するとやはりガチン、と音がした。よし。私は椅子を押した。すると、案外簡単に椅子がするっと動いた。危うく開いた穴に落ちそうになる。


 穴を覗き込む。あれ?穴は浅かった。2mくらいしか深さが無い。おかしいな?ここから下にトンネルがあるのかと思ったのに?私は中に何か他に仕掛けが無い物か、穴の中に降りてみた。


 すると、中に入ると同時に覚えのある浮遊感と共に上の穴が遠ざかり始めた。というより床が沈んで行く。あ、これ昇降機だ。ゆっくり降り始めると、自動で上の穴が塞がり始める。椅子が元の位置に戻りつつあるのだろう。流石、帝国の皇帝陛下をお守りするための仕掛け。凄い技術だ。というか、ちょっと、閉まったら真っ暗になっちゃう!灯り!灯りなんて準備してないよ!無情にも開口部は塞がり、真っ暗になってしまった。いや~!


 真っ暗な中、昇降機が下がっている事は分かった。しかし、長い。いつもリビングで使っている昇降機で三階から降りても一階まで大体30を数えるくらいなのに、そんなものではない。延々と下がっている。乗ったのは中央館の三階。そこからどう考えても地表までではなく地下にまで降りて行っている感覚がある。どこまで下がるのか。というか、この機械とかちゃんと点検してるのかな?とか、ビクビクしてしまう。


 真っ暗な中どれくらい下がったのか全く分からなくなった頃、不意に軽い衝撃と共に昇降機が止まった。おお、着いた。着いたはいいけどまだ真っ暗だよ!真っ暗で何が何だか分からない。


 しかし、暗い中で延々降ろされたので少し暗さに目が慣れていて、見ると昇降機の内部の一面がドアになっているのに気が付いた。ノブは無く、どうやって開けるか分からないのでとりあえず押してみる。するとぽかっとドアが開いた。私はそこから恐る恐る降りてみる。暗いが、辛うじて物の輪郭が分かる程度の明かりがあった。何だろうと見ると、油を使ったランプが本当にほっそりと点いている。そのランプを手に取って見てみると、油の供給量を絞ってあるだけで調節したら実用的な灯りになった。ランプを手に入れた。


 灯りで照らしてみると、そこは広間で、床も壁も煉瓦で出来ていた。一面の壁には私の乗って来た昇降機がそのままある。その隣に二つ、昇降機が下りてくるのだろう穴が開いている。ランプもあと二つあった。このランプが点いていたのは誰かがここに定期的にやって来て設備の点検をしている事を示している。知らなかったしエルグリアもトマスも教えてくれなかった。む~ん。お屋敷の謎はまだまだありそうね。


 見回すと出口がある。私はそっちの方へ灯りで照らしつつ歩いて行った。


 水音?なんだか水の音がする。歩いて行くと、滔々と水が流れる水路に出た。人工的な水路だ。こんな地下に水路が?そう言えば以前にアルステイン様が公爵邸がある丘からはかなり豊富な水が湧いていると言っていた。この水路の水がそうなのだとすれば、確かに豊富だ。しかし、水路は良いが水路には歩くところが無い。どうやって行ったら良いのか?泳いで行けと?まぁ、泳ぎは子供の頃よく海で泳いだから得意だよ?貝とか獲るのも上手かったよ?でも今は真冬だし出来れば泳ぎたくないなぁ。


 困って見まわすと、壁際に小舟が立てかけてあるのに気が付いた。そりゃそうよね。皇帝陛下を泳がせないでしょう。普通。私は小舟を引っ張って動かしてみた。う、重い。でも動かせなくは無い。私は小舟を必死の思いで寝かせると、一生懸命引っ張って水路の方に持って行った。ひーん、お嬢様生活で筋肉が鈍ってる。やっとこ水路の際まで持ってこれた。私はお仕着せの入った袋を落とさないように抱え込むと、最後の仕上げで舟を水路に落とし、同時に船に飛び乗った。


 盛大に水しぶきが上がり、物凄く揺れたが転覆は免れた。よかったわ。水路の幅と小舟の幅はあまり変わらず、ゴツゴツと壁に小舟が当たるのが怖かったがそれ以外は順調に小舟は進んで行く。しかし、行き先が分からないのは不安だ。それに私は公爵邸を脱出したら終わりではない。そこから行かなければならないところがあるのだ。


 かなりの時間を小舟でゴツゴツ揺られていた。私がもしかして城壁の外にまで流されているんじゃないかと不安になった頃、ようやく先の方が明るくなってきた。出口だ!


 小舟は順調に出口に近付き、通過した。・・・あれ?


 物凄く長閑な水路だった。トンネルを抜けた先は、帝都の中を流れる幅15mくらいの水路で、左右を煉瓦で作られた護岸で挟まれていて、綺麗な水が流れていた。所々に降りる階段と踊り場があって、主婦っぽい女性たちがワイワイ言いながらそこで野菜を洗ったり洗濯したりしている。帝都には下水道があり、川に汚物を流すのは厳禁なので水が綺麗なのだろう。


 私は自分の置かれている緊迫した状況と、脱出行の緊張感とそぐわない呑気な風景にしばし呆然としてしまった。私が小舟の上に座って呆れていると、野菜を洗っていたおばちゃんが声を掛けて来た。


「なんだい?舟遊びかい?お姉ちゃん」


 私はなんと答えたものか分からなかったが、とりあえず適当に答えた。


「ええ、その、櫂が流されて困ってるの」


「なんだい。間抜けな話だね。それ、これに掴まると良い」


 おばちゃんがモップみたいなものを伸ばしてくれたので、それを手繰ってその踊り場に舟を付ける。船から降りて、踊り場に舟を引き上げておく。まぁ、別に流されても良いんだけどね。


 おばちゃんにお礼を言って、私は階段を上がって川から出た。どうやら帝都の古い市街のようだ。石造りの三階建ての建物が並ぶ石畳の通り。以前、貴族商人時代に帝都を散策した記憶と照らし合わせる。あの高い塔に見覚えがある。とりあえず行ってみよう。


 私はテクテク歩いてその塔の方に向かって行った。走ったりして人目に付くと面倒が生じるかも知れない。今の服装は膝丈の青いドレスにブーツだ。上等な品だがシンプルなので、裕福な市民のお嬢様ぐらいに見えるだろう。目立たないようにしていればまさか公爵様の婚約者だとまでは分かるまい。


 高い塔の付近に来た。ああ、ここなら分かる。帝宮はあっちだ。私はまた歩き始めた。街の様子は特に以前と変わりが無い様だ。特に騒乱が起こっているとか、火が出ているとかそういう雰囲気は無い。逆にそれが私の、事態の推測を裏付けているのだが。つまりやはり皇国の大使は帝都で騒ぎを起こすというような単純な目的で兵を準備したわけでは無いのだ。


 帝宮までは歩いてだとここから20分くらい掛かる。気は焦るし逸るが仕方が無い。私はじりじりした気持ちを抱えながら歩いていった。漸く帝宮が見えたタイミングで、私は人ごみに溶け込むように歩くその人に気が付いた。


 中年の女性だ。水色のワンピースを着てスカーフを頭に被っている。特に特徴は無い。が・・・。私はこの人を知っている。


 私はすすすっと近付いて声を掛けた。


「○○さん」


 彼女は目をぐっと瞑るだけで動揺その他を押し隠した。そして、私を茶色い目で見た。背丈は彼女の方が低い。


「いきなり声を掛けるんじゃない。ペリーヌ。びっくりするじゃないか」


 やっぱり。私はニッコリと笑った。この人には色々お世話になった。ワクラ王国の兵部省の下働きの同僚だった事もあれば、私を帝国まで送る御者でもあった人だ。帝国に来てからも何度か目にした。下働きに紛れていたり、皇国の大使館では給仕に紛れていたな。私をいつも守ってくれている人。見るたびに姿は違うのだが、私には何となく分かるのだ。今回も私が脱出したのを知って、どうやってか追い掛けて来てくれたに違いない。


「○○さん、お願いしたい事があるんですけど」


「ペリーヌ。危険な事はしてはいけないって言ったろう?大人しくしてなきゃダメじゃないか」


 この口調は、兵部省の下働きで同僚だった時と同じだな。何度か叱られた。


「大事な事なんです」


 私が言うと、彼女はう~んと唸って、仕方無さそうに溜息を吐いた。


「なんなんだい?」


 私は笑顔のまま言った。


「あそこに入るにはどうしたら良いか教えて下さい」


 私は一瞬視線を帝宮に向けた。○○さんは如何にも頭が痛そうに額に手をやって俯いた。


「今、あそこに向かっているように見えたんだけど違ったのかい?」


「ええ、あそこに向かってましたよ。でも、どうやって潜り込めばいいのか迷っていたの。丁度良い所であなたに会えて良かったわ」


「・・・まさか考えて無かったとは・・・」


 ○○さんが呆れを隠そうともせずに言う。


「色々考えてはいましたよ?でもせっかくプロが来てくれたんだから、プロに考えてもらった方が確実でしょう?」


 もはや言葉も無い風に○○さんは沈黙する。私はこそっと○○さんの口元に口を寄せて言う。


「陛下が危険です」


 ○○さんは流石、仏頂面を変えなかったが瞳が鋭く光った。そして私の手を引いて人通りの少ない所に入る。


「どういう事だい?」


「○○さんはどの程度事態を掴んでいますか?」


「・・・正体不明の連中が帝宮をうろついている事しか分かっていない」


 ○○さんは多分、帝国の上級諜報員の一員だと思う。只者じゃないもの。それでも事態の全容が分かっていない様だ。私は推論を話す。


「その正体不明の連中は皇国の大使が隊商に偽装して招き入れた皇国の兵士です。500名います。装備はどうやってか手に入れた帝国の装備ですが、人種が皇国人だったらしいからまず間違いありません」


 ○○さんは沈黙で先を促す。


「その皇国の兵士を恐らく宰相様が帝宮に招き入れました」


「なんだって?」


 ○○さんが表情には出さずに驚愕する。


「皇国の大使と宰相様には和平論の関係で繋がりがあります。宰相様は大使が平和論者で和平論者だと勘違いしていますが、もちろんそんな事はありません。しかし、政局的に追い詰められている宰相様は一発逆転を狙って大使の甘言に乗りました」


「一発逆転?」


「アルステイン様が不在の今の内に皇帝陛下に迫ってアルステイン様を軍務大臣から罷免する事です」


 罷免の理由は、ペグスタン皇国に侵攻の意図など無いのにアルステイン様が針小棒大に騒ぎ立て、大軍を動かしてペグスタン皇国を攻めようとしている、といったところだろう。皇国に侵攻の意図など無いという証明に大使を連れて行っているのだと思う。その護衛名目で兵士、恐らく公爵邸に200名来ていたらしいから残りの300名くらいを連れているのだろう。帝宮から人を追い出し、自分に味方している(と思いこんでいる)兵士と和平を保証する(というフリをしている)皇国大使を背景に皇帝陛下に圧力を掛け、アルステイン様の罷免を勝ち取る。そういうシナリオだ。


 アルステイン様が罷免され、遠征軍の司令官を外され帝都に召喚でもされたら、遠征軍は大混乱の上に士気も下がり、そして名将の指揮をも失う。その状態で敵の大軍勢と戦わなければならないのだ。勝利は難しいだろう。


 ○○さんは厳しい声で言った。


「クーデターじゃないか」


「違います。もっと酷いです」


 私は首を振った。流石の私も微笑を維持するのが難しくなってきた。


「皇帝陛下がアルステイン様の罷免など認める筈がありません。逆に宰相様が罷免される可能性が高いです。この状況下で宰相様が罷免されたらどうなると思います?」


「・・・どうなる?」


「宰相様が罷免に暴発したという名目で、皇国兵士が皇帝陛下を弑するでしょうね」


 ついでに宰相様も皇妃様も殺されるだろう。帝国政府の中枢は瓦解。大混乱。その状態がアルステイン様が率いる遠征軍に伝わったら、果たして遠征軍が士気を保てるだろうか?そのタイミングで皇国軍が襲い掛かって来たら。私は自然に出てしまった鳥肌をさする。


「もっと悪いシナリオもあります。聞きたいですか?」


「・・・これ以上悪いとはどういうことなんだい」


「恐らく既に早馬が出てアルステイン様に程無く帝宮の今の状況が知らされます。帝宮の危機を知ったらアルステイン様はどうすると思いますか?」


「慌てて帰って来ようとするだろうね」


「そうですね。大軍の敵と対峙している以上全軍を引き上げさせるわけにはいきません。アルステイン様だけが少数の供を連れて帝都に急ぎ戻る事になるでしょう」


 そのアルステイン様を待ち伏せされたら。私は歯がカチカチと鳴るのを止める事が出来ない。アルステイン様は容易に討たれ、アルステイン様亡き後の遠征軍も敗れ、それを見た後なら皇帝陛下がどんな返答をしようが関係無いから、宰相様も皇帝陛下も皇妃様も討たれ、帝室は断絶し、帝国は主柱を失って瓦解するだろう。正に帝国滅亡のシナリオだ。


 ○○さんは震える私の頭を軽く抱いてよしよしと落ち着かせてくれた。


「・・・その話は分かったが、せっかく帝宮に入り込んだならそのまま直ぐに皇帝陛下を殺してしまえばいいじゃないか。なぜそうしないんだい?」


「今のタイミングで皇帝陛下を弑してしまったら、アルステイン様が自動的に皇帝陛下になってしまします。アルステイン様が皇帝になったらペグスタン皇国にとっては最悪です」


 天敵であるアルステイン様が皇帝になってしまい、更なる権限を持って皇国に対峙する。そんな悪夢が起こってはたまらない。最善は最初にアルステイン様を殺す事。次善はアルステイン様の罷免を皇帝陛下から引き出す事。皇帝陛下を弑するのは下策だが、弑しなければならない状況になってもなるべく後に遅らせて遠征軍を動揺させてからにしたい筈だ。だから当面は皇帝陛下のお命は大丈夫だと思う。


「本当の目標は公爵様かい」


「そうでしょうね。だから公爵邸にも兵が来たんですよ」


 本当は勅使を名目に乗り込んでしまいたかったのだろうけど、早々に城門を閉めてしまって入れなかったからね。もし入り込まれていたら、例えスティーズ将軍が駆け付けても私達が人質になってしまい容易に排除出来なかっただろう。その状況がアルステイン様に伝わったら・・・。単騎でも帰ってきちゃったかもしれないな。


「で?ペリーヌが帝宮に潜り込まなきゃいけない理由は何なんだい?」


 私は頷いて、その理由を話した。○○さんはそれを聞いて流石に二の句が継げなくなってしまったようだった。


「馬鹿なのかい?あんたは」


「でも他に皇帝陛下夫妻を説得出来そうな人がいないし、方法も無いと思うでしょう?」


「スティーズ将軍なら作戦を考えて帝宮の賊を排除するだろうからそれまで待てないのかい?」


「時間が無いわ。時間が掛かれば掛かるほど、状況が悪くなります。一刻を争うんです」


 ○○さんはうぐぐ、っと詰まった。


「あんたは公爵様の婚約者だよ?守られる対象じゃないか。そんな危険を冒すのはあんたの役目じゃないよ」


 私は唇を尖らせた。


「アルステイン様だって、危険な戦場に行ったじゃない。それに、アルステイン様は帝都を頼むとおっしゃった。アルステイン様の背中は私が守ります。私はアルステイン様の婚約者だから」


 まだ迷う○○さんに私はあえて貴族らしい表情と姿勢と、貴族らしい口調で言った。


「帝国の上級諜報員は、皇帝の直属で、皇族の守護がお仕事だと聞きましたよ?○○」


 ○○さんの口がへの字になる。私は優雅な微笑を意識しながら言った。


「私はアルステイン様の婚約者。次期皇帝の婚約者です。次の皇妃になる者です。いわば準皇族。その私が命じます。私を帝宮の内部まで案内なさい」


 言った後、私はニカッと、歯を見せて笑った。


「お願い。◯◯さん」


 ○○さんはじーっと私を見ていたが暫くすると、は~っと溜息を吐き、ようやく折れた。


「分かりましたよイルミーレ様。ただし、死なないで下さいよ?あんたが死んだらあたしらは公爵様に里ごと丸焼けにされちまうんだからね」



 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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