閑話 シュトラウス男爵令嬢護衛記録  忍者視点

 私はカストラール帝国の忍者でございます。え?名前?忍者に名前なんて聞いても無駄ですよ。どうせ偽名です。


 帝国の忍者と言えば知る人ぞ知る、というか名前だけは噂として流れていますが、実情は良く分からない存在の代名詞みたいな存在でございますね。何でも市井では忍者は不思議な術を使うとか空を飛ぶとか水の上を歩くとか言われているそうです。勿論そんな事は出来ませんよ。


 私たちは帝国の皇帝にお仕えする一族で、代々諜報活動や暗殺を生業にしている者たちでございます。代々、子供の頃から里でそれらに特化した訓練をして過ごしていますから、普通の人よりも身体能力が高いとか、変装が上手いとか、気配を消すのに長けてるとか、まぁ、その程度でございます。


 さて、ある日私たちは皇帝の弟君であるイリシオ公爵様に呼び出されました。正確には公爵閣下の副官であるブレン・ワイバー殿が私達に公爵閣下の命を伝えます。


「昨日、帝都を出たシュトラウス男爵令嬢を護衛するようにとのご命令だ」


 ?不思議な命令だとは思いましたが、命令に疑問を持つ事は許されません。忍者は皇帝陛下の道具。陛下が死ねと言われれば理由も問わずに死ぬでしょう。


「名前はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス。緋色の髪にアイスブルーの瞳をした背の高い令嬢だ。目立つのですぐ分かる。彼女をありとあらゆる危険から守って欲しいとの仰せだ」


 ワイバー副官はあまり乗り気では無さそうな口調で言います。この人も公爵様に絶対の忠誠を捧げていますので、納得が出来なくても逆らえないのでしょう。


「シュトラウス男爵一家はおそらくワクラ王国の王都に向かう。王都に入っても別命あるまで護衛し続けて欲しい」


「他のご家族はよろしいので?」


「令嬢だけで良い。後、令嬢の事を調査して報告を頼む」


 私はワイバー副官に恭しく頭を下げました。


「了解いたしました。数人で任務に当たります」



 私たちは馬でシュトラウス男爵一家の乗った馬車を追いました。翌日の夕方には追い付きましたが、見られない程度に距離を置いて追跡します。それにしても飛ばしていますね。暗くなっても中々止まりません。危険です。護衛する方としては気が気ではありません。


 ようやく止まると野営の準備を始めています。どうやら馬車の横で焚火をするだけで、寝るのは馬車で寝るようですね。あんな狭い馬車に四人もいては、座ったまま寝るようですが、貴族女性にそんな事が耐えられるものなのでしょうかね?


 馬車から人が降りてきました。女性が二人います。若い方が令嬢でしょう。年配の女性はフラフラになっていますね。若い女性が介抱しています。聞いていたように緋色の長い髪をしています。あれで間違いなさそうです。


 ふと、男爵令嬢が御者が焚火に火を付けようとしているところに行きました。御者は慣れていないようでなかなか火が付かずにいます。そこへ令嬢がやってきてしゃがみ込むと、見事な手際で火を起こしてしまいました。びっくりしました。なかなか活動的な女性のようです。


 シュトラウス一家の乗った馬車は休憩もほとんど取らずに帝国内を走破して国境を越えました。王国内の街道は舗装されていません。それでもかなりの速度で走っています。一体何を急いでいるのでしょうか。宿も取らず全部野宿です。しかもほとんどの時にはテントも張りません。おかげで男爵と夫人はヘロヘロになっています。男爵令嬢と令息は平気なようです。貴族令嬢なんて温室栽培のお嬢様だと思っていましたがこんな令嬢もいるんですね。


 やがて馬車は王都に入りました。同伴の馬車と別れてどうやら貴族街に向かっています。やがて一件の邸宅に入りました。そこで令嬢が降ります。どうやらここが自宅のようですね。不思議な事に家族の方は降りないようです。令嬢とお別れのハグをすると、他の方は馬車に乗って行ってしまいました。


 どういう事なのか不思議には思いましたが、我々の任務は令嬢の護衛です。令嬢は邸宅の中に入ってしまいましたから、我々はどうやって潜入するか、どうやって見張るかの打ち合わせをしていました。


 その時、一人の使用人が邸宅から出て来ました。見過ごしそうになって、あれ?っと気が付きました。格好は使用人らしいみすぼらしいワンピースですが、髪が緋色です。なんとあれは男爵令嬢ではありませんか!我々は混乱しながら歩く令嬢を追跡します。


 男爵令嬢は迷い無く歩いて、王国の何かの役場と思われる建物の裏門から入り、どうやら使用人の寮と思しき建物に入って行きます。何しに来たのでしょう。我々は至急打ち合わせて、そこのお仕着せと良く似た服を手に入れると私が変装して潜入する事にしました。


 3階建ての女性寮には20人程の使用人が住んでいるようでした。探すと男爵令嬢が部屋にいるのを発見します。その様子を見るに、どうやらそこが彼女の自室のようです。男爵令嬢が下働きを?訳が分からず混乱します。


 それからも彼女の様子を伺っていましたが、彼女は寮の住人と親しく声を掛け合い、食堂で貧しい食べ物を笑い合いながら食べ、部屋に帰ると小さなベッドで薄い毛布を被って寝てしまいました。


 あれ、明らかに男爵令嬢なんかじゃない!と私達は悟りましたが、私達の任務は彼女の護衛です。とりあえず身分は関係ありません。我々は引き続き護衛をしながら彼女の事を調べる事にしました。


 程なく分かったのは、男爵令嬢は実は全くの平民で名前はペリーヌという事。身寄りも無く難民として王都に来たらしい事が分かりました。よくそんな身分の少女が貴族を装えたものです。


 ペリーヌは大変な働き者で、一日中殆ど休み無く働いています。良く気が付き、記憶力も良いため使用人仲間に非常に頼りにされているのが分かりました。


 私が何食わぬ顔をして混ざった洗濯場で一緒に仕事をしていた女性達は口々にペリーヌの事を誉めます。


「前から働き者で気立ても良くて良い娘だったけどね、帝国?に出張してからは表情が明るくなってね」


「そうそう。前はちょっと表情が乏しかったしあんまり笑わなかったのに、最近は華やかになって」


「ありゃ、帝国で誰か良い人と恋でもしたんだよ。きっと」


 確かにペリーヌは麗しく笑い人目を引きます。実際、男性使用人の中にはペリーヌに見とれている者が少なくありません。しきりに声を掛けて来る者もあります。ペリーヌは相手にしていませんが。


 気になるのは時折表情がふっと暗くなる事がある事です。そういう時は物陰に隠れてジッとしています。最初は分かりませんでしたがどうやら泣いているようなのでした。後、自室の枕に帝国風の髪飾りを隠していて、それを毎晩見ては泣いているらしい事も分かりました。やはり何か帝国に関わる事情があるようです。


 ある時、ペリーヌは洗濯物を干していました。何枚ものシャツやら制服やらテーブルクロスやらを干している途中、不意に、ペリーヌが踊り始めました。手に持っているのは白いシャツです。それを相手に見立てて、ワルツを口ずさみながらステップを踏みます。流れるような、淀みない見事なダンスです。


 その表情は艶やかに、しかし切なそうに笑っています。ここにいない誰かを痛切に想っている顔です。見ているこちらの胸が痛むような表情でした。


 我々はそれらを報告にまとめて帝国に一人を送りました。平民が男爵令嬢を偽装していたのは公爵閣下を驚かせるでしょうが、多分これで護衛の任務は終わりだろう、と正直我々は思っていました。


 ところが暫くして戻ってきた者が言うには、護衛は続行。むしろ強化。特に近付く男性は絶対に排除しろとの厳命が下りました。公爵閣下が平民の女にご執心?と思わざるを得ませんでしたが、命令は絶対です。


 折り良くペリーヌがいる王国の兵部省が忙しくなり、下働きの新人が募集されたので私ともう一人が採用され、ペリーヌを間近で見守る事が出来るようになりました。男性の接近を防ぐには近くにいた方がやり易いです。使用人は勿論、出入りが増えた軍人もペリーヌを見て目を付けているようです。危険です。私はそれとなくペリーヌを男性の目から守る為に、ペリーヌがなるべく人目に付かない仕事をするように誘導しました。


 ペリーヌは使用人仲間から大変慕われていまして、男女問わず誰も彼もが彼女と話をしたがります。大人気です。私も親しく話をしてみて感じたのは物凄い聞き上手な事で、話しているとうっかり私の素性を話してしまいそうになるほどなのです。そして柔らかく清楚な笑顔が気持ち良いですし、声も落ち着いていて耳に優しい。これは人に好かれます。


 用事で二言三言話しただけの男性が、コロッとペリーヌに惚れてしまい付きまとうなどという事態は珍しくありませんでした。護衛としては頭が痛いです。一番困るのが、ペリーヌに自分の魅力に対する自覚が薄い事で、平気で男性使用人と二人切りになりそうになったり、お使いで人気の無い路地を通ろうとします。何度偶然を装って妨害した事でしょうか。


 一度などは泊まり込んでいた軍人に夜食を頼まれ、夜中にノコノコと中年男の部屋に入って行くではありませんか!案の定、中年男は本性を現します。


「ではこちらに置いておきますので」


「あぁ、ありがとう。まぁ、こっちへ来なさい」


「?何でございましょう」


「良いから良いから。悪いようにはせんよ。私は子爵家の一族でな。私とねんごろになれば、良い生活が・・・」


 なぞと言ってペリーヌに手を伸ばします。ちょっと待ちなさい。その娘に目を付けてるのは子爵どころか公爵閣下ですよ!とは言えないので、私は何食わぬ顔でドアを高らかにノックし、嘘の呼び出しでペリーヌを救い出します。本人はどんなピンチだか分かっていないようでしたので、この時ばかりは夜中に男の部屋に入る危険性について懇々とお説教させて頂きましたよ。


 やがて帝国軍が王国軍を撃ち破り王都に迫ります。我々はペリーヌを護衛するついでに王国軍の情報を細大漏らさず何もかも報告していました。そのため帝国軍には王国軍の動きが筒抜けでした。そんな事をしなくても帝国軍が負けたとは思いませんがね。


 攻囲された王都では世情が荒れ、治安も悪化していました。こんな状況では馬鹿が何をしでかすか分かりません。なのにペリーヌは頼まれた、と言って王都の外れまで走ろうとします。私は慌てて止め、王都の治安悪化をまたも懇々と説明し、兵部省から出ないように説得しました。


 遂に王都は開城し、帝国軍が入城しました。忍者の増援もあり、一安心です。帝国軍が物資を放出し、治安を取り締まったため、世情は安定しました。ただ、ペリーヌは何となく外に出たがらなくなりました。脅かし過ぎたでしょうか。悪い事をしました。


 帝国軍の指揮官はなんとイリシオ公爵閣下でした。これは、あれです。本気ですよ。ペリーヌを迎えに来たに違いありません。良かったです。本気で守っておいて。冷や汗が出ました。


 兵部省にも帝国軍が続々と入って来ます。すると、帝国軍の軍人がペリーヌに目を付け始めました。暴行略奪は禁止されても自由恋愛なら良いだろうとばかりにペリーヌに付きまとっています。結構な上級軍人もしきりに声を掛けています。止めて下さい。彼女に何かしたら、私もあなたも物理的に首が飛んでしまいますよ。


 帝国軍が入城してからペリーヌが呼び出されるまでは結構時間がありました。その間も我々はペリーヌに言い寄ってくる男共を全力で遠ざけていました。何をやっているのですか公爵閣下。早くペリーヌを迎えに来て下さい。


 そして、やっとその日が来ました。年末のある日、王都にいる忍者全員がペリーヌが王宮に向かうので、道中の護衛と王宮の警備を命じられました。勿論、姿を見せずにです。下心全開の男共から無警戒のペリーヌを守るのに比べたら造作も無い事です。


 シュトラウス男爵を名乗っていた男性に呼ばれたペリーヌは洗濯の途中でした。ちょっと待ちなさい、せめて新しいお仕着せに着替えなさい、と言いたかったですが無理でした。そのまま馬車に乗り、王宮に向かいます。


 王宮は一見無人です。勿論、かなりの数の忍者が潜んでいますが。私も潜みながらペリーヌを追跡します。公爵閣下のお部屋に入ると、私は天井裏に潜みました。いよいよです。


 ペリーヌは公爵閣下を見ると小さな悲鳴を上げて立ち尽くしました。公爵閣下が立ち上がり近付いて来るのを呆然と眺めています。そして何事か会話を交わすと、突然、ペリーヌが大声で泣き始めました。物凄い泣き方です。普段の彼女からは想像もつきません。目の前で泣かれた公爵閣下はオロオロしています。何しているんですか!公爵閣下!早く慰めてあげて下さい!


 公爵閣下はワイバー副官を部屋の外に追い出すと、ようやくペリーヌを抱き寄せました。ああ、良かった。良かったねペリーヌ。と私まで感慨に耽ってしまいました。そこで私は仲間に呼ばれて天井裏を離れました。もう少し幸せなペリーヌを見守りたかったですが。


 これで私の任務も終了でしょう。変わった任務でしたが、たまにはこの様な任務も悪く無い、と思える任務でした。ペリーヌが幸せになるよう、女神に祈っておきましょう・・・。


 と思っていたのですが、私はワイバー副官に呼ばれ、シュトラウス男爵令嬢を帝都まで送る任務を仰せつかりました。は?男爵令嬢?


「彼女はたった今から紛れもなくシュトラウス男爵令嬢だ。そのつもりで扱うように」


 そして、帝都の公爵邸まで誰にも知られず、誰にも見られず、勿論絶対安全に送り届けるように、と命ぜられました。命令は絶対です。


 我々は目立たない小さな馬車を用意し、大至急で準備しました。同時に一人が兵部省の寮のペリーヌの荷物を回収します。特に大事にしていた彼女の髪飾りは必ず回収しなければなりません。


 我々が王宮の玄関で待っていると、なんと公爵閣下直々にエスコートされてペリーヌが出て来ました。それを見て愕然とします。別人です。華やかに微笑し、ゆったりと優雅に歩くその姿はペリーヌでありながらペリーヌではありません。着ているお仕着せさえ高価なドレスに見えます。


 ああ、確かに彼女はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢なのだと納得するしかありませんでした。


 そして、ふと彼女の左手に目を落としてギョッとします。巨大なエメラルドが嵌まった指輪が薬指に輝いています。今朝には無かったものです。誰が贈った婚約指輪なのか言うまでもありません。


 心底、彼女を守り切れて良かったと思いましたよ。下手をしたら我々が里ごと消されるところでした。


 公爵閣下とのお別れを済ませ、ゆったりと馬車に乗り込もうとして、シュトラウス男爵令嬢がふと、御者として控えていた私に目を止めます。


「あら?あなたは・・・○○さん?」


 ギョッとしました。私はペリーヌの前に出ていた時とは別人になっている筈なのです。顔も髪の色も、性別さえも変わっているのです。しかし、シュトラウス男爵令嬢は確信を持った目で私を見詰めています。


「違います。男爵令嬢」


「でも・・・」


「人違いでございますよ」


 男爵令嬢は考え込んでいます。何をしているんです。公爵閣下の目付きが怖い事になってきたじゃありませんか。婚約者の目の前で男性に軽々しく声を掛けてはいけません!


「・・・そうかも知れませんね」


 男爵令嬢は何かに納得してニッコリと笑うと、私に向かって淑女の礼をします。周囲が明るくなるような、見事な礼でした。


「では、道中よろしくお願いします」

 

 イルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢はそう言うと、優雅に馬車に乗り込みました。



 


 

 


 


 



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