15.一人で帝都へ

 夢見心地が終わると現実が襲い掛かってくる。私は自分の服装を見下ろした。洗剤で汚れ、裾や袖は擦り切れて継ぎが当たっているお仕着せ。よくもまぁこんな格好で公爵様のプロポーズを受けられたものだ。自分に呆れてしまう。


「・・・あの?公爵様?」


「ん?なんだい?イルミーレ」


 名前もそうだ。イルミーレは偽名だ。私はバリバリの庶民平民ペリーヌだ。


「その、プロポーズをお受けしたのは、いえ、公爵様と一緒にいたいのは本当なのですが、私が、庶民、平民の私が公爵様の妻になるなど無理でしょう?」


 自分で言って凹んでしまう。この時ばかりは自分が貴族に生まれなかった事が辛かった。しかし公爵様は涼しい顔をして言った。


「問題無い」


「え?む、無理ですよ。公爵様が平民と結婚するなんて帝国の誰もが許さないでしょう?」


 公爵様の権力でゴリ押しをすればなんだって無理は通るのかも知れないが、そんな事をしたら軋轢が残り、公爵様の今後の仕事に支障が出るだろう。私のせいでそんな迷惑は掛けられない。


「私はその、傍女とか愛人とかで結構ですから。お傍に置いて頂ければそれで・・・」


「問題無いんだ。イルミーレ」


 公爵様は笑って、デスクから一枚の紙を持ってきた。何だろう?私は受け取って紙に目を近づけて読んでみる。あんまり知っている単語は多く無いが、一応字はスパイ教育の時に習った。


「フレブラント王国は?貴族?・・・?ここにイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスとあって、下にモーガン・エルマ・シュトラウス男爵と書いてありますね?」


 読めない単語があって良く分からない。公爵様はニコニコ笑いながら代わりに読んで下さった。


「『フレブラント王国紋章院は、この者が確かに王国の貴族である事を証明する』と書いてある。つまり、君がフレブラント王国貴族シュトラウス男爵の令嬢である事を証明する書類だ」


 は?何ですかそれ?公爵様が説明する所によると、各国には紋章院という貴族の家系や血筋を管理するお役所があり、様々な場面で身分証明書を発行してくれるらしい。なので公爵様は私との婚約に際して、私の身分証明書をフレブラント王国の紋章院に依頼した。そして届いたのがこれだそうだ。


「・・・つまりこれは偽造ですか?」


 嘘っこ男爵一家であったシュトラウス男爵の証明書など出る筈も無い。公爵様が作らせたのだろう。


「いや、これは本物だ」


 は?どういうこと?


「フレブラント王国紋章院が間違い無く発行している。だから君は本当に間違い無く、シュトラウス男爵令嬢イルミーレなのだ」


 え・・・?書類が証明しているから、私はペリーヌじゃ無くイルミーレで、男爵令嬢?え?理解が追い付かない。


 私が頭の上に盛大に?を飛ばしていると、公爵様が声を上げて笑った。


「フレブラント王国の王太子は帝国に留学していた事があってな。その時の貸しが幾つかあったから一つ返してもらった。シュトラウス男爵一家をフレブラント王国貴族に認定し、証明書を発行するくらいは王太子なら何という事も無い」


 公爵様曰く、皇族王族が自分の気に入った平民を貴族にする際に「実はこいつは他国の貴族だったんだ」と言うために友好的な他国に頼んで爵位証明書を作ってもらい、その爵位を元に自国でも爵位を与えるというのは良くあることなのだという。は?爵位ってそんなにいい加減なものなんですか?


「実在する平民に爵位を与えてしまうと、歳費だの報酬だの役職だの面倒が起こるが、実在しない爵位の存在を証明するだけなら何の面倒も起こらない。手間だけだ。今回は私は貸しを返してもらったが、普通はそれなりの金を払う」


 そしていきなり何の功績も無い平民を貴族にするのには貴族社会の反発が強くなり過ぎるが、他国の貴族に自国の爵位を与えるのには反発が起こり難いらしい。


「つまり君はこの証明書が発行された時点で、ペリーヌでは無くイルミーレなのだ。正確には君が私のプロポーズを受諾した瞬間にそうなった。ペリーヌはもういない。君はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスだ。いいね?」


 いつの間にかペリーヌはこの世から消滅したようである。別にこだわりは無いし、公爵様と結婚するためなら仕方が無いけど。


「そんな力技で大丈夫なんですか?」


「大丈夫だとも。ちゃんと下にお父上のサインも入っている。こちらの婚姻承諾書にもな」


「いつの間に?」


 って、さっき男爵来てたもんね。多分もっと前にも呼び出されて、サインさせられたんだろう。公爵様曰く、シュトラウス男爵はフレブラント王国に帰ってこのサインをした後、行方不明になった事になるらしい。モラード男爵は帝国軍ワクラ王国駐留部隊で働く事になっているそうだ。しかも昇進して少佐になるとか。勿論このサインと引き換え条件なんだろう。機密厳守も約束させられての。大変だな男爵。


 て、他人事ではない。私はいつの間にか本物の男爵令嬢になってしまったようなのだ。えっと?どうすればいいのかしら?とりあえず平民バレしないように立ち振る舞いとか作法、言葉使いには気を付けないと。


「勿論、公爵夫人になるには男爵令嬢でも貴賤結婚になってしまうが、先例があるにはあるから何とかなるだろう」


「先例があるのですか?」


「あぁ。70年程前にいた皇族公爵の7人目の正夫人が男爵令嬢だった」


 ・・・良くそんな希少な事例を探してきましたね。何となく女好きのロクデナシの公爵だったような気配があるのですが。公爵様はそんな方と同列に語られて大丈夫なのですか?


 だが公爵様は朗らかに笑って私の頭を撫でた。


「大丈夫だ。私にとって一番大事な事はイルミーレと一緒にいる事だからな。もう君を離しはしない」


 頼もしい。私も自然と笑顔になる。


「それでだ」


 一転、公爵様は言い難そうに言葉を切った。何でしょう?


「君には一人で帝都に行って貰わなければならない」


 え?なぜ?私は声も出せないくらい驚いた。目を見開いて固まる私に公爵様が慌てて続ける。


「勿論、私も直ぐに必ず帰るとも、だが私は事後処理がまだ山のように残っていて、まだまだ帰るわけにはいかぬのだ」


 ・・・たった今、君を離しはしないとか言ってたのに。私がじとっとした目で見ると公爵様はうなだれてしまった。


「・・・すまない」


 あ、まずい。私は慌てて言った。


「そういう事ならば、私はこの王都で公爵様のお仕事が終わるのを待ちますわ?」


 公爵様は首を横に振った。


「駄目なのだ。なぜなら君は今『帝都の公爵邸で静養』している事になっているからな」


 は?なんですと?公爵様の言葉が理解出来なくて目を瞬く私に公爵様は説明する。


 何でも、あの夜会でプロポーズの際に倒れた私は気が付いた後、公爵様からのプロポーズを受諾したが、そのまま体調が戻らず、公爵邸で静養している、という事になっているそうだ。


「あれから9ヶ月も経ってますけど?」


「その間ずっと静養している事になっている」


 想像以上に力技だったよ!私、帝国の人達に物凄く病弱だと思われてるでしょ。


「なので君には一刻も早く帝都に帰ってもらい、快癒したというていで社交界に顔を出してもらいたいのだ」


 うぐっ。しかもあんな大騒ぎを引き起こしてしまった私に、何食わぬ顔で社交界に出ろと申しますか。しかも一人で。公爵様、あなたも中々無茶振りしてくれますね。


「すまない・・・」


 しょんぼりと俯く公爵様。そんな顔されたら否とは言えない。大体、何もかも私を妻に迎えるためにしてくれた事だ。今度は私が頑張る番だろう。


「分かりました。私はお先に帰って、公爵様を待ちますわ」


 私がそう言うと、公爵様はホッとした顔をしつつ、私を抱き寄せる。


「本当にすまない。出来得る限り早く始末を付けて私も帝都に戻る」


 しかし、了承はしたものの、こうやって公爵様の温もりに包まれると、離れるのが怖くなる。ましてや断腸の思いで別れ、再会し、漸く想いを確かめ合って婚約したばかりなのだ。正直、物凄く辛くて寂しい。


「その、公爵様?あと数日、数日で良いのです。お側にいさせて頂けませんか?」


 私の頼みに公爵様はグッと息を詰まらせたが、無念を露わにしながらも首を横に振った。


「駄目なのだ。今日、君をここに呼ぶのも大変だったのだ。君を側近に見られるわけにはいかなかったから」


「何故、見られるわけにはいかないのですか?」


「私の側近は殆どが帝都で君を見ている。見られたら一発で君が帝都にいるという嘘がバレてしまう」


 確かにそれはそうだろう。納得し掛かった私に公爵様は更にとんでもない事を言った。


「それに君がこの地にいたのがバレると、私が君を得るためだけにワクラ王国を滅ぼしたという事までバレてしまう」


 ・・・は?今、この人なんて言ったの!?


「わ、私のために王国を滅ぼしたと仰いましたか?」


「ああ。他に私自ら君を迎えにここに来る方法が無かったのだ」


 当然のように言い切ったよこの人・・・。


 私を迎えに来るためだけに、何万人もの軍隊を率いて、人死にが出る戦いを起こして、王国を滅ぼして王様を追放したと言うのだ。


 私が唖然としていると、公爵様は慌てて言い訳した。


「帝国に侵攻してきたのはワクラ王国が先だし、一応建て前として、この土地の有用性を狙ったという事にしてある。・・・が、部下が君がこの地にいるのを見てしまうと・・・」


 公爵様の私に対する執着を知ってる方には建て前でなく本当の目的がバレバレになり、言い訳の余地が無くなってしまうというわけですね。そんな事になったら公爵様が人望を失って大変な事になるわけですか。分かります。分かりますけどね。


 私は頭を抱えてしまった。力技というレベルでは無かった。明らかにやり過ぎだ。公爵様の恋の暴走が一国を滅ぼしたなんて、ワクラ王国のお偉いさんには絶対に言えないよ。


 そう思いつつ、公爵様にそこまで愛されるなんて、女冥利に尽きるなぁとちょっと嬉しく思う私も大概だわね。


 しかし、これは確かに一刻の猶予も無い。公爵様の側近の皆様に見られる前に速やかに姿を消すしかなかった。私はしょんぼりしながら、すぐに一人で帝都に向かう事に同意した。


 王宮の車寄せには手回し良く小さな馬車が用意されていた。私は公爵様のエスコートを受けながら馬車へ向かう。馬車の御者以外には人が居ない。ここまで歩いて来る途中にも誰も居なかった。沢山の人が働いている筈の王宮を無人にするのは大変だったろう事は私にも分かる。


「道中の安全は心配しなくて良い。目立たずにちゃんと守る部隊が付けてある」


 馬車の前で公爵様が私に言う。心配しないで良いと言いながら公爵様が一番不安そうなお顔をしてますよ。何度も私を抱き寄せ、頬を撫で、髪にキスを落として、中々離してくれない。私も離れ難かったが、何時までもこうしては居られない。


「そろそろ行きますわ。公爵様」


「う・・・」


 私は公爵様の胸に最後に顔を押し付けつつ、別れの挨拶をする。


「私は先に参りますが、なるべく早くお帰り下さいませね?愛しい人。アルステイン・サザーム・イリシオ様に大女神ジュバールのご加護がありますように。神に祈りを」


 公爵様は渋々挨拶を返す。


「感謝を。愛しのイルミーレ。君にも女神の加護がありますように」


 そして、公爵様は私の顔を起こさせて、私の頬にキスをした。う、私の全身が震える。か、身体に力が入らなくなるから止めて下さい!


 私は漸く公爵様から離れ、馬車へと乗り込んだ。窓から見ると公爵様は今にも追い掛けて来そうな顔をしている。手を振る私の方は自分がどんな顔をしているか分からない。馬車は動き出し、公爵様はすぐ見えなくなった。私はまた一人になってしまった。

 






 




 


 


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