二章 戦争とプロポーズの続き

11.庶民に戻った私

 帝国からワクラ王国の王都まで、行きは10日掛かったのに帰りは7日で帰り着いた。それだけスピードを出したのだ。舗装してある帝国内は兎も角、王国内のデコボコ道も相当な勢いでぶっ飛ばしたため、私達は馬車の中で跳ね回らないように馬車の内装にしがみついていた。


 こんなに急いだのは追っ手から逃れるためだったそうな。私が公爵様のプロポーズに返事が出来なかったせいだ。申し訳無い。追っ手に捕まれば命は無いと男爵は怯えていた。帝国には恐るべき暗殺者集団があるらしく、王国に入っても気は抜けないのだそうだ。


 もちろん疲労困憊。かなりしんどく、王都に入って心底ホッとした。私でこれだからお母様はぐったりして口もきけなくなっていた。お兄様はしきりに何か話し掛けてきていたが、馬車の中は爆音だったので全然聞き取れ無かった。


 王都に入れば流石に大丈夫だろうと、ようやく馬車はスピードを緩めた。王都も舗装が無いからそれでも揺れたが。


 そして馬車は王都の貴族街に入り、モラード男爵邸に入って止まった。そこで私だけ降ろされる。モラード男爵曰わくお母様お兄様には「イルミーレはモラード男爵の遠縁の娘」と説明していたとの事で、ここで私はお母様お兄様とお別れだ。


 お母様は疲れているのにわざわざ馬車を降り、涙を流して私を抱擁して別れを惜しんでくれた。私も心からの涙を流してハグを返す。お兄様は「連絡先を・・・」とか言っていたがまさか兵部省の寮の場所を教える訳にはいかない。


 馬車に手を振る。結局、私はこの時以来偽家族を演じたお二人と二度と会う事は無かった。ちなみに馴染んで仲良くなった侍女とは王都に入った時に馬車ごと分かれてしまっており、別れの挨拶も出来なかった。


 モラード男爵は帰国の報告の為そのまま馬車で行ってしまったので、私は一人でモラード男爵邸に入った。


 男爵の奥様は私の無事を大変喜んでくださった。そして、是非男爵家の侍女になるよう誘われた。男爵家は下位貴族にしては裕福だったし、男爵も奥様も良い方だったから良いお話ではあったのだが、この時私は色んな意味で疲れ果てており「少し考えさせて下さい」と返事を保留した。


 ドレスやアクセサリーをお返しし、男爵邸に置いておいた下働きのお仕着せに着替える。その瞬間、私はイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウス男爵令嬢から、ペリーヌに戻った。


 そういえば帝都で買った髪飾りがあった。奥様に差し上げようとすると「それくらいは持ってなさい」と持って帰るよう促された。こんな高価な髪飾り普段使えないんだけどな。私は仕方無く髪飾りをポケットに突っ込んだ。


 奥様に丁重にお礼を言い、お別れの挨拶をして、私はモラード男爵邸を出た。


 夢から覚めた気分だった。何もかも夢。綺麗なドレスも広いホールも輝くシャンデリアも、美味しい食事も楽しかったダンスも。綺麗な庭園も活気溢れる帝都の街並みも。あの暖かい手も、優しい眼差しも。


 みんな、夢だったのだ。


 私は帝都に比べるとショボ過ぎる王都の街をトボトボ歩いて兵部省へと戻った。


 兵部省の寮に帰ると私は「お貴族様の出張に付き合わされて、カストラール帝国に行った」という事になっていた。事実に限りなく近いので、言い訳しないで良くて助かった。食事の時などに帝国や帝都の土産話をねだられたので、帝都を探検した時の話をした。


 ベッドしかない自分の部屋に戻る。髪飾りは枕の中に隠す事にした。他に隠せそうな場所が無い。蝋燭の明かりにピカピカ輝く金メッキと模造宝石の髪飾り。これが唯一のイルミーレ・ナスターシャ・シュトラウスが存在した証だ。貴族基準では安物だけど、これでも庶民には過ぎたものだ。使ってたら目立ち過ぎる。後で売るしか無いな。


 カビ臭くて固いベッドにお仕着せのまま潜り込む。帝都の貴族用宿のまふまふベッドは良かったな。そう思いながらも疲れていたから、私は速やかに眠りに落ちた。




 翌日からは下働きとしての普通の生活だ。朝は下働き総出で水汲み。兵部省の広い建物を隅々まで清掃。山のような洗濯物を洗濯板でゴシゴシ洗い、干場で次々干して行く。炊事場のヘルプで竈の番をして顔を真っ黒にし、お使いで書類を預かったら王都の外れの業者まで走り、大量に届いた荷物を倉庫に運ぶのを手伝う。


 普通の生活。いつもの毎日。別にお嬢様生活が懐かしいという事も無い。あれはあれで偽お嬢様がバレ無いよう始終気を張っていたから別の大変さがあった。下働きの方が気は楽だ。


 だが、ふっと気を緩めた時。つい頭に浮かぶのは公爵様の麗しいお顔だった。仕事合間の休憩中などについ思い出してしまう。するとうっかり涙が出そうになる。泣いたりしたら下働き仲間のおばちゃんたちに根掘り葉掘り詮索されるに決まっている。私は泣く時は人目に付かない所か部屋のベッドで静かに泣いた。


 下働き仲間は帰って来てからしきりに「きれいになった。女っぷりが上がった」と誉めてくれる。なんでだろう。化粧の名残が残っているのかしら。実際、下働きや業者、軍人さんの男性から声を掛けられる事が増えた気がする。いっそのこと、違う男の人と付き合えば公爵様の事が忘れられるかもな、とも思うのだが、公爵様と比べるとどの人も芋かカボチャにしか見えなくてとても無理だった。


 そんなこんなで毎日を過ごすして2ヶ月くらい経った頃、兵部省の中で「どうやら戦争が始まるらしい」との噂が流れ始めた。男爵が言っていた作戦とやらの話だろう。私達が持ち帰った情報が役に立ったのだろうか。ちなみに、モラード男爵とはあの後に兵部省で一回お会いし、スパイの報酬として金貨三枚を頂き機密厳守を誓わされた。当然異議は無い。また機会があれば頼むとも言われたが、曖昧に返事を濁しておいた。まぁ、命令されたら逆らえ無いんだけどね。


 やがて噂は事実となり、兵部省の中は俄然活気付き始めた。何だか軍人さんがやたらと増え、私達の仕事も増えた。お給料は一緒なんだから勘弁して欲しい。忙しさを緩和するために何人か新しい人を雇ったけど焼け石に水だった。まぁ、目まぐるしく働いて疲れ果てて眠れば公爵様の夢を見ないで済んだのは良かったけど。泊まり込む軍人さんも増え、食事を届けたりベッドの整備をしたりする仕事も加わった。一度、夜中に夜食を届けた事もあったのだが、同僚のおばちゃんに「若い女の子がやると部屋に連れ込まれる危険があるから」と注意され、次からは他の人に頼むことにした。


 そうして忙しい日々が続き、やがて王都から遠征軍が進発して行った。華やかな式典が行われ、王都の市民が歓声を上げる中を行進して軍隊は出発したそうだ。私は忙しかったから見なかったけど。兵部省は更に忙しくなり、私たちは休日返上で働いた。早く戦争終わんないかなぁ。忙しくてたまんないわ。と私たちはぼやいていた。


 そして軍隊が出発して半月後。どうも我がワクラ王国軍はカストラール帝国軍にこてんぱんに負けた。らしい。


 兵部省の中が慌ただしいというレベルでは無くなり、軍人さんたちが怒号や悲鳴を上げていた。その叫び声を集めて分析すると、どうやらそういう事のようであった。あー、やっぱりね。私は声には出さないけどさもありなんと頷いていた。実際に行ってみて感じた帝国の豊かさ、素敵さ。公爵様から聞いた軍の規模や装備、そして軍の総司令官だという公爵様の有能さを知っていれば、こんなしょぼいワクラ王国が相手じゃない事くらいは私にも簡単に分かる。公爵様は軍の事も駄々漏れに教えてくれたので、全部男爵に報告しておいた筈なのだが、それを聞いてもまだ勝てると思えたのだろうか。


 まぁ、戦争に負けたのならこの忙しさももう終わりでしょ。そうすればまた何時ものお気楽公務員生活の毎日が始まる筈。私は呑気にも程がある事にそう考えていた。


 ところが兵部省は一向に暇にならなかった。軍人さんがバタバタと走り回り、伝令の馬が引っ切り無しに兵部省を出入りし、会議室の灯りが一晩中点いている。一体何事なの?さらに忙しくなり私たちもバタバタと走り回りながら漏れ聞こえて来た話を総合すると、なんと敗走する王国軍を帝国軍がしつこく追撃して国境を越え、未だに追撃中との事だった。


 今回の王国軍は王太子様が指揮をとっておられたのだけど、その王太子様を守って敗走している王国軍が捉えられる瀬戸際らしい。援軍がどうだの王都の守備がどうだの物凄い騒ぎになっている。王都に買い物に出た同僚曰く、帝国軍はどうやら王都に攻め寄せてくるらしいという噂が既に流れて、目端の利く者は荷物を抱えて既に王都を逃げ出し始めているらしい。


 そんな事言ったって私は逃げ出すわけにも行かない。逃げる当てが無い。どうしたものかと忙しさに流されてボヤボヤしている内に、遂に帝国軍は王都の手前で王太子様を捕まえ、同時に軍を展開して王都を完全に包囲した。そうだ。兵部省は高台にあるから王都全体が比較的良く見えるが、さすがに城壁の向こうは見えない。そういえば薄っすら土煙が見えるかなぁ?くらいしか違いが分からない。


 しかし、街に行った同僚の話では、王都の城門は閉じられ、街の商店や家々は固く扉を閉ざし、そもそも人がほとんど歩いておらず、城壁の上には兵士が走り回り、そして城壁の外から帝国軍の鬨の声が聞こえるそうだ。怯える同僚を落ち着かせようと背中を撫でながら、私は公爵様から聞いた帝国軍の軍規の厳しさの話をする。戦地で麦一粒でも盗んだら死刑という決まりがあり、実際パン一つ盗んで死罪になった兵士がいるらしい。あの公爵様が率いる軍隊ならそのくらいは当然だ。一般市民に無体な事をするとは思えない。


 そういえば、この軍隊を率いてきた将軍は誰なんだろう?私は夜会で知り合った将軍と言われていた人の名簿を頭でめくる。公爵様が信頼している将軍と言えばスティーズ伯爵かファブロン子爵かな?夜会で踊った事がある。公爵には及ばないけど結構イケメンだったなぁ。あるいは腹心のブレン・ワイパーさん?一度だけ夜会でお会いしたけど、あの人あんまり私に対して良い感情抱いて無いからな。間違っても会わないようにしないと。でもあの人若いし将軍じゃないから違うかな?


 もちろんこの時、私は「もしかして公爵様が自ら率いてきたのかも?」と思わない事は無かった。もしかしてそうなら遠目にも見る事が出来るかも、と胸が高鳴った。が、違ったらがっかりするし、見れなかったらもっとがっかりだし、そもそも見つかったりしたら大変な事になるに決まってるから意識してその予想から目を背けていたのだった。


 帝国軍の攻囲は一か月ほど続いた。冬であった事もあり、王都の物資はあっという間に不足し物価は高騰した。らしい。しかし兵部省は流石にお役所。食事は普通に出た。最初は街から人が消えていたが、それではやはり生活出来無いので人々はピリピリしながらも普通の生活をしていたそうだ。人々の不満は王に向かい、軍に向かったから、兵部省の門前に抗議の市民が数人やってきて石を投げる騒ぎがあったそうだ。私は見ていないけど、同僚のおばちゃんに「けして外に出るな」と言われて王都が攻囲されてから外に行っていないのだ。


 そして遂にワクラ王国の王様は敗北を認め、カストラール帝国に降伏したらしい。兵部省で軍人さんたちが泣いていたのを見てそれを知った。私は「へー、そうですか」としか思わなかったが、同僚の中には「もしかして仕事が無くなるかも!」と心配している人もいた。そうか。ここはお役所。しかも軍隊。国がどうかなったらその可能性もあるのか。まぁ、兵部省がどうかなって失職したらモラード男爵の奥様に雇ってもらおうかな?でも男爵も軍人さんだからどうなるか分からないか。


 などとボヤボヤしていたら、帝国軍が進駐してきて、兵部省に真っ先に乗り込んできて封鎖してしまった。下働きを含め職員は誰一人出入りする事はまかりならん、という話であった。まぁ、下働きの仕事は変わらずあるわけで、私の日常に大きな変化は無かった。軍人さんが大分減って仕事は楽になっていたけど。


 進駐してきた帝国軍を見ていた人曰く、先頭にいた指揮官らしき人は「凄い美形」だったそうだ。・・・まさかね。スティーズ将軍なんかも美形だったしね。分からない分からない。


 一週間ほどで兵部省の封鎖は解除されたが、私は別に寮から出る必要も無かったし、何が起こるか分からないからずっと兵部省で働いていた。王国の軍人さんはかなり減り、その代りに帝国軍の軍人さんが続々やってきた。聞いていた通り帝国軍の規律は正しく、王都に混乱は全く起こらなかった。むしろ帝国軍が持ってきた糧食から物資が放出され、あっという間に物価が落ち着いたので王都の人間は帝国軍に感謝したくらいである。


 どうやらクビにはならなそうだし、このままここで働いていこう。帝国軍はいつまでここにいるのかしら?などとのほほんとしていた私の元に、運命の使者がやってきたのは帝国軍が進駐してきて半月くらい経ってからだった。


 


 



 

 







 


 

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