10.プロポーズその後と私の決意 公爵サイド

 正直、それ以降はおぼろげにしか記憶が無い。


 別室に担ぎ込まれたイルミーレは医師に診察され、私は医師から、単に意識を失っただけで命に別状は無いと説明された。私は起きるまで屋敷に留まるようシュトラウス男爵に提案したが、男爵は何度も何度も謝罪し頭を下げながらも聞き入れなかった。この状態でイルミーレを無理に屋敷に留めると強奪婚扱いになってしまうかもしれない。私はシュトラウス男爵一家の退去を認めるしかなかった。


 馬車に彼女の兄に抱かれて乗せられるイルミーレ。診察前に元のドレスに着替えさせられたらしい。色褪せたドレス。涙で乱れた化粧を落としたせいで一切の化粧が拭われたその顔。まるで魔法が解けたお姫様が下働きの少女に戻る童話のようだと思った。勿論、魔法が解けてもイルミーレはイルミーレだ。十分に美しいし、狂わしいくらい愛おしい。


「では閣下。御前を失礼させて頂きます」


 馬車のドアが締められ、馬車が動き出す。それを見送り、自室に戻った私は本格的に意識を閉じてしまったらしい。気が付いたら翌日の昼だった。夜会がその後どうだったかなど知らないし聞きたくも無い。


 大遅刻をして軍務省に出仕した私を待っていたのは、シュトラウス男爵一家が早朝に帝都を出たとの知らせだった。


「な、なぜ止め無かった!」


「命令では出国禁止は昨日までになっていたからな」


 ブレンの言葉に私は駆け出そうとしてブレンに羽交い締めにされて止められる。


「馬鹿な事は止めろ!」


「離せ!」


「もう諦めろ!振られたんだろ?」


 うぐっ、その言葉に思わず力が抜ける。


「・・・振られて無い・・・。ただ返事を貰えなかっただけだ・・・」


「同じ事だ」


 力が入らなくなった私はブレンに押されて椅子にドサッと腰掛けさせられた。完全に脱力してデスクの上に溶けるように上体を伏せてしまう。


 イルミーレが行ってしまった。


 とんでもない喪失感に涙が出そうで出ない。頭をぐるぐる回るのは、何故だ、という思い。何故彼女は返事をくれなかった?何故彼女は倒れた?何故彼女はあんなに苦しげだった?何故彼女は泣いた?何故彼女は行ってしまった?何故、何故、何故・・・。


「・・・何故だ・・・」


 口からも出てしまった。すると、呆れたようなブレンの言葉が聞こえた。


「当たり前だろうが」


 あまりの台詞に私は顔だけを動かしてブレンを睨みつけた。ブレンがドン引きして頬を引きつらせる。よほど凶悪な顔をしていたのだろう。だが、その台詞には聞き捨てならないものがあった。


「・・・どういう意味だ」


 ブレンは自分の黒髪をかき回しながら呆れたように言った。


「シュトラウス男爵令嬢がお前のプロポーズを受けられる筈が無かった、という意味だよ」


 私は目を見開いて思わず身体を起こした。


「分かるのか!?」


「何故分からない?」


 ブレンは心底呆れているようだった。しかし私は縋るような思いで彼に問う。


「何故だと思うのだ?教えてくれ。私は、イルミーレがプロポーズを受け入れ易いように最善を尽くした筈だ。彼女だって私を愛してくれていた筈だ!何故彼女は返事をくれなかったのだ?」


 はー。とブレンが溜め息を吐いた。


「あのな。シュトラウス男爵一家はスパイだと言ったろう?送り込んだスパイが一人、裏切って帰って来ない、なんて事になったら残りのメンバーはどうなるか、なんて事が分からないのか?」


 は?私は、開いた口が塞がらなくなった。


「イルミーレ嬢一人残して他の家族が帰国したら、裏切りを疑われて家族は厳しく処罰されるだろう。普通に考えたら証拠隠滅の為に処分だな」


 シュトラウス男爵一家はフレブラント王国貴族を詐称している一家だ。スパイとして情報収集の為にワクラ王国から帝国に送り込まれて来た。しかも恐らくは平民の一家だ。


 ワクラ王国の軍、貴族に命ぜられて帝国に潜入して来たのだろう。そんな彼らの娘が送り込んだ帝国から帰って来ないなどという事になれば、ワクラ王国軍、貴族は当然黙っては居まい。厳しく罰するだけならともかく、スパイ行為の隠匿の為に綺麗サッパリ消してしまうかも知れない。いや、消すな。私ならそうする。


 シュトラウス男爵一家は仲が良い一家だった。そんな家族が自分のせいで消されるような事態をあの優しいイルミーレが看過出来る筈がない。


 つまり私は、イルミーレに「私と結婚して家族を見殺しにしてくれ」と迫った事になる。イルミーレが返答に窮し、苦しんだのも納得だ。


 愕然とした私にブレンは更に言った。


「それに、スパイを送り込むなら裏切りを防ぐ為に保険を掛けておくのは普通だろ。例えば人質とか」


 もっともだ。帝国だって送り込んでいる諜報員の家族は必ず帝都に住まわせ居住地を把握し、監視している。


「他にも家族がいるのかも知れないし、あるいは、恋人とか」


 瞬間、私の頭は嫉妬で沸騰した。


「何だと!」


「た、例えば!例えばの話だって!」


 イルミーレに故郷の恋人がいる?有り得ない。有り得ないが許せない。私が有り得ない存在を嫉妬の炎で焼き尽くさんとしていると、ブレンが再び呆れたような声で言った。


「分かっただろう?結ばれようが無い相手だったんだって。諦めて仕事しろ。スパイが帰ったんだからワクラ王国の侵攻は近いぞ」


 諦める?私は、呟いた。


 諦める?諦めるだって?


 私の心の中で何かが音を立てて弾けた。


 イルミーレを諦める?二十年の人生で初めて出会った最愛の女性。類い希なる美しさだけでなく、宝石よりも希少な才能の持ち主で、大海よりも大きな器量の持ち主で、何より私を溺れるほどの愛で包んでくれる人。


 その彼女を諦める?有り得ない。諦められる筈が無い。


「ふ、フフフフ・・・」


 不気味に笑い始めた私を見てブレンが再びドン引きした。私は構わず笑いながらブレンを睨みつけ、命ずる。


「至急『忍者』を派遣してイルミーレを守らせよ!」


「に、忍者だと?!」


「そうだ。シュトラウス男爵一家を追跡し、そのまま守らせろ。あらゆる危険からイルミーレを守れ。ワクラ王国に帰り着いてからもだ!」


「落ち着け!アルステイン!』


「私は冷静だブレン」


「忍者を動かすには勅許がいるだろう。無理だ」


 忍者は皇帝直属の諜報暗殺組織で、その存在は帝国上層部しか知らない。動かすには皇帝の許可がいる。が。


「問題無い。勅許は既に頂いている」


「い、いつの間に?」


 正確には「お前が必要だと認めた時には何時でも使え」とずっと以前に兄帝に言われていたのだ。今使わずに何時使うというのか。


「それから、国軍の動員計画を立てよ。員数は戦闘部隊だけで3万」


「3万?ワクラ王国の侵攻軍を撃退するだけなら5千で十分だろ?」


 ブレンが異を唱えるが、私はニヤリと笑いつつ言う。


「必要だ。目的の為にはな。さぁ、忙しくなるぞ!」


 私が上機嫌に仕事を始めたのを見ながら、ブレンは何だか青い顔をして立ち尽くしている。私はニッコリ笑いながらブレンに言う。


「何をやっている。今すぐ手配しろ」


「り、了解いたしました!」


 後日ブレンは「ヤバい奴の顔だった。逆らったらヤバいと思った」と語った。




「一体お前は何をやっているのだ!」


 帝宮に呼び出された私は、いきなり怒鳴りつけられた。私を怒鳴りつける事が出来る人間など帝国に何人もいない。その数少ない一人がこの帝宮の主だ。


 私と同じ色の髪を首辺りまで伸ばした、私より少し背が低く痩せ型の男性。目の色も同じで、顔立ちは良く似ている。幼い頃から病弱で顔色は常に青白い。


 カストラール帝国皇帝、ハイランジア一世。私の兄である。人払いして私と二人切りになった途端、兄は私に雷を落とした。


「何の事でございましょうか?」


「分からぬというのか?」


「分かりません」


 兄は眉をひくつかせた。


「何でも大体的に貴族を集めて、これぞ自分の妻であるとばかりに鳴り物入りで紹介した挙げ句、公開プロポーズかまして、見事振られたらしいではないか」


「・・・誰から聞いたのですか?」


「宰相からだ。帝国の恥だと騒いでいたぞ」


 ちっ。また宰相か。帝国宰相ランドルフ・イマシ・ヘルバーンは何かと私を目の敵にしている。あの夜会に呼んだのは失敗だったな。


 私は内心舌打ちしたが、何食わぬ顔で言った。


「陛下。それは誤解でございます」


「何?」


「イルミーレは別に私を振ったわけではございません。極度の緊張のため返事をする前に倒れたのでございます」


 私の言葉に兄は呆れたような顔をした。


「同じ事ではないか」


「違います。イルミーレはその後、目を覚ました後、


「は?何だと?」


「そして体調不良のため、


「男爵一家は逃げるように帝都を出たと聞いたが?」

 

「イルミーレ以外の男爵一家には婚姻証明書の身分証明を取る為に一時帰国させています」


 兄は頭痛を堪えるように頭を抱えて俯いてしまった。


 まぁ、私とてこんな大ボラが陛下に通じるとは思って無い。が、意図は通じる筈だ。


「・・・そういう事にするつもりか」


「そういう事でございます」


 この帝国で、陛下と私が意見を揃えれば、白いモノも黒で通る。大貴族であろうと、いやだからこそ、逆らう事は出来ない。権力とはこうやって使うのだ。


 勿論、噂は止められないが、権威ある公式発表というのは強いのだ。私だけでなく陛下の口からも発信して頂ければ、貴族たちはあえて否定までして噂を広めはしないだろう。


「当座はそれで良いとして、どう始末をつけるつもりか?」


 兄が厳しい表情で言った。


 イルミーレの所業は、はっきり言って帝国の、皇帝の威信を傷付けた。貴族社会の常識的に男爵令嬢風情が皇帝の弟であり公爵である私のプロポーズを断るなど、如何なる理由があっても許されないのだ。これを放置する事は皇帝の権威低下に繋がるし、シュトラウス男爵に他国でこの顛末を吹聴されでもしたら、帝国の国際的地位さえ下がりかねない。


 それを防ぐには私が責任を持って後始末を付ける必要がある。速やかにイルミーレ含むシュトラウス男爵一家をこの世から抹殺し、噂は権力でもみ消し、フレブラント王国にはシュトラウス男爵一家の不始末の責任を問う。最低限そのくらいをやる必要があるだろう。


「分かっております」

 

 私が返答すると兄は目に見えてホッとした様子を見せた。表情を緩める。


「そうか。其方には辛い事であろうが・・・」


「御安心下さい。私は必ずイルミーレを妻に迎えます!」


「は?」


 安心し掛かった兄の目が点になる。


「そ、其方、分かっておらぬではないか!」


「分かっておりますとも。イルミーレが我が屋敷に私の言った事の正しさが証明されるだけの事」


「忍者を動員したのは何のためなのだ!男爵一家を暗殺する為では無いのか!」


「勿論、私が迎えに行くまでイルミーレを絶対に守るためです」


「馬鹿な!迎えに行く?一体どうやって?』


「それは今は陛下にも秘密です。私はイルミーレを諦めません。絶対に」


 兄はもはや取り繕う事もせずに頭を抱えてしまった。


「わ、私の弟がこんなに色ぼけになってしまうとは・・・」


 私は自信満々に笑う。その笑顔を見てなぜか兄が顔をひきつらせた。


「大丈夫です。陛下。必ずや陛下の御威光と帝国の威信を高めた上で、イルミーレを私の元に迎え、陛下に会って頂きます。ご案内下さい」


「一つも安心出来ぬ!」


 兄は涙目で叫んだ。

 

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