五. 高校最後の学園祭

48. 猫娘の言葉がしりすぼみになり、雪女が言葉のバトンを受け取る


 愉し気で、賑やかしくて、どこか地に足がついていないような、フワフワした喧騒。

 窓の外をボーッと眺めていると、人々の笑い声が遠くで混ざり合っていた。

 ふいに秋風がそよいで、茶髪のくせ毛が遠慮がちになびいて。

 俺は思わず、少しだけ目を細めた。


 本日は十月三日、高校最後の学園祭、最終日――、午前中という時間帯もあいまってか、一般客の来訪はまだポツポツとまばらだった。けど、学内の生徒たちは昨日同様、朝から存分にはしゃいでる様子だ。浮足立った周りの雰囲気に感化されたのもあいまって、俺は妙にさっぱり、全てが吹っ切れたような心地になっていた。


「天津くん」


 俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 廊下の窓枠に両腕を乗せて一人たそがれていた俺は、声がする方にゆっくりと顔を向けた。見ると、男子のくせにやけにサラサラな前髪から覗き見える大きな瞳が、俺の顔を捉えていた。


「天津くんが一人でいるなんて、珍しいね」

「なんだよソレ。俺だって、トイレ行くときとかは一人だよ」


 俺……、天津向日葵が少しだけ顔をしかめながらそう言うと、眼前の前髪サラサラ男……、月代蒼汰は、何故か呆れたように肩をすくめている。


「……いや、トイレ行くときも一人じゃないじゃん。誰かしらいつもくっついてるじゃん」

「そうかな、ハハッ、そうかも」


 俺は快活に笑う。眼前の月代もまた、俺に釣られるようにニコッと口元を綻ばせた。

 でも月代は、すぐに真顔に直って、神妙な顔つきで俺に質問を投げかけてきた。


「あのさ、天津くん。小太刀さんか柴崎さん、見なかった?」

「……柴崎は、俺もさっきから探しているんだよ。でも、どこにもいなくて」


 俺はあの日以来、あの、花火大会の時以来、柴崎とまともに話せていない。

 教室で声をかけてもどこか妙によそよそしく、彼女が俺を避けるように、適当な理由でその場をすぐに去ってしまうからだ。

 月代は「そっか」と萎れたようにつぶやいて、口元に手をあてている。俺と話しながら、何か別のコトを考えているような素振りだった。

 俺は月代に、『もう一人』の所在地に関する有益情報を与えた。


「小太刀なら、屋上にいると思うぞ。さっきまで一緒だった」

「えっ? 屋上……?」


 口元に手を当てていた月代が、恐々とした声をあげた。俺は月代の表情の意図が読めずに、思わずキョトンととぼけたツラを晒す。

 月代は、いつもより少し速い口調で、どこか焦ったように言葉をつづけた。


「天津くん、屋上で小太刀さんと、何していたの? まさか、二人きりだったの?」


 鬼気迫る月代の雰囲気に、俺は少しだけたじろいでしまった。……なんだコイツ、俺と小太刀が二人でいるの、そんなにイヤだったんかな。それにしても、様子がおかしい気が――


 俺は月代から目を逸らして、ばつの悪そうに後ろ頭を掻いた。

 その後、俺は少しだけ逡巡しながら、チラリと横目で月代を捉える。吸い込まれてしまいそうな大きな瞳で、月代は俺をまじまじと見つめていた。

 俺は徐に口を開いて、ゆっくりと、一音一音を紡ぐように声を出した。


「俺、小太刀に告白してきたんだよ。お前のコト好きだったって、そう言ってきたんだよ」


 月代はポカンと、口を半開きにしながら呆けていた。その目がみるみる内に大きく見開かれて、あまつさえ顔面から血の気が引いていくようにも見えた。

 俺は焦った。月代が明らかに、誰の目から見ても動揺しはじめたからだ。

 慌てた俺は、思わず胸の前で両手を振って、急いで弁明を試みようとした。


「か、勘違いすんなよっ、別に俺は、お前らの仲を――」


 しかし俺の声は途中で遮られてしまった。

 月代が、すごい勢いで俺の両肩を掴み、血相変えて俺に顔面を近づけてきたんだ。


「――こ、告白っ!? 天津くん、小太刀さんに告白したのっ!?」


 月代は平静を失っているようだった。……そりゃあ、自分の彼女に告白したって聞かされて、いい気分になる男はいないだろう。けど――

 月代の表情、怒っているようには見えない。その目は、「俺を責めている」っていう感じではなかった。どちらかというと、予測不能の事態に困惑しているような――


「えっ、う、うん……、っていうか、声、でかいって」


 しばらく月代は、信じられないって目つきで俺を見つめていた。何がなんだかワケもわからない俺は、とりあえず状況を整理しようと、「とにかく手、離してくれよ」と月代に懇願する。ハッと我に返ったように俺の肩から手を離した月代が、ブツブツと独り言を繰り返していた。「そうか、そういうコトも、考えられたんだ。僕のせいだ、僕が――」とかなんとか。


 いよいよ脳の理解が追っつかなくなった俺が、再三、月代に声をかけようと口を開きかけたところで、月代が脱兎の如くその場から駆け出した。人と人との間を抜けて、まっすぐに伸びる廊下を突き進んでいく。

 俺は月代の背中を目で追っていたが、すぐにその姿は見えなくなってしまった。

 ……なんだったんだ、アイツ……?



「ヒマリせんぱ~い!」


 喧騒ひしめく廊下で一人、ポカンとバカみたいに突っ立っていた俺だが、猫を撫でるような甘ったるい声が背後ろから耳に飛び込んだ。振り返ると、異形な恰好をした二人組の女子がニコニコと俺の顔を眺めていた。一人は、猫耳をつけた真っ赤なワンピース姿で、もう一人は、青白い長髪のカツラを被り、真っ白な浴衣を羽織っている。


「おおっ、お前らか、なんだその恰好? 気合入ってんなー」


 奇怪な二人組の正体が、よく見知った水泳部の後輩女子なのだと気づいた俺は、彼女たちに向かって柔らかく笑いかけた。二人組のかたわれ、猫娘(たぶん)の方が、「私たちのクラス、妖怪喫茶やるって言ってたじゃないですかー、ヒマリ先輩、昨日結局きてくれなかったから~」と口を尖らせたもんで、俺は脊髄反射で、「わりぃわりぃ、あとで絶対、行くからさ」と言いながら、ニカリ白い歯を見せる。


 ……俺はいつから、愛想笑いがこんなにうまくなったんだろうな――

 心の中の俺が、自嘲するように乾いた笑顔を浮かべていた。


「お前らそういえばさ、柴崎のコト見なかったか?」


 俺が彼女たちにそう尋ねると、二人とも何故か困惑したような顔で、互いに顔を見合わせはじめた。彼女たちの様相に幾ばくかの不安を覚えた俺は、「えっ? 見たのか?」と思わず言葉を重ねた。二人組のかたわれ、雪女(たぶん)の方がおずおずと俺の顔を窺い見て、「あの~」と遠慮がちに声を漏らした。


「ヒマリ先輩、もしかして、柴崎先輩のコト、フっちゃったんですか?」


 俺は彼女の発言の意味がわからず、キョトンと目を丸くしながら「はっ?」と疑問符を洩らした。俺の顔面を眺めながら、猫娘の方が「あ、違うんですか?」と、首を斜め四十五度に傾ける。


「私たち、荷物を部室に置いていたから、さっき二人で取りに行ったんです。そしたら、柴崎先輩、電気もつけずに、一人で地面に座り込んでて――」


 猫娘の言葉がしりすぼみになり、雪女が言葉のバトンを受け取る。


「――どうかしたんですかって声かけたら、柴崎先輩が顔を上げて、目、真っ赤にはらしてて……」


 「あれ、たぶん泣いてたよね」と、彼女たちは再び顔を見合わせはじめた。

 俺は後ろ髪に手をあてて、癖の強い巻き毛をくしゃっと掴む。少しだけ間があいた後、「そっか、サンキュっ」と彼女たちに柔らかく笑いかけた。

 なおも困惑したような顔つきを見せる二人組に対して、「あ、俺、別に柴崎のコト、フってないからな。お前らのとこ、あとで柴崎と二人で遊びに行くよ」と俺は言葉を続ける。揃ってキョトンとしたツラを晒す二人の妖怪少女が、やがてニンマリとガキみたいに頬をたゆませた。「楽しみに、待ってますね!」


 二人がその場を去っていく様子をボーッ眺めていた俺は、誰に向けてでもなく、「よしっ」と一人こぼして、喧騒渦巻く廊下の直路を早足で歩き始めた。

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