28. らしくもなく、おセンチな気分


 ガチャンと、鉄が重く軋み上げる音が屋上に響いて、私は思わず音がする方に目を向けた。ムクリと上体を起こすと、隣で寝っ転がっていたヤエも、ほぼ私と同じタイミングで起き上がっていたようだった。建物の突き出し部分に設置された入り口の鉄扉が開かれて、よく見知った茶髪のくせっ毛頭――、天津向日葵が姿を現し、「おおっ!」と感嘆符をもらしながら私たちの元に接近してくる。


「お前ら、やっぱココにいたか」

「ヒマリ、どしたの? 私たちのコト、探してた?」

「ああ、うん。私たちっていうか、柴崎を探してたんだよ」

「……えっ、私ですか?」


 ヒマリの前だからか、いつのまにかしおらしく女座りの姿勢に直っていたヤエが、突然の指名に驚いたような表情を晒す。いつものジト目が二割増しに大きく見開かれていた。ヒマリはそんな彼女の様子に気づかないでか、ひょうひょうとした口調でヤエに話しかける。


「うん、なんか水泳部の顧問の先生が、柴崎はいないか、ってうちのクラスにきたんだよ。だからたぶん屋上だろうなって、俺が探しにきたってワケ」

「……顧問の先生が? ――あっ、しまった」


 数秒の間、何事かと顔をしかめていたヤエだったが、彼女の中ですぐに何か合点がいったようだ。ヤエは少しだけ慌てた様子で「よいしょ」と立ち上がった。


「すっかり忘れていました。今月分の部費の建て替えの領収書、今日の昼休みまでに持って来いって、言われてたんだった」


 ヤエはヒマリに「ありがとうございます」と行儀のいいお辞儀を披露したのち、トテトテとペンギンのような歩き方で屋上を後にする。ガチャンと、鉄が重く軋み上げる音が再び響いて、ヒマリと私だけがその場に残された。安寧のお昼寝タイムを邪魔された私は、しかし怒りの矛先をどこに向けようか、掴みあぐねている。


「ヤエの仕事って、フツウの部活のマネージャーがやる領域、越えてるよね。この前の他校との練習試合の時だって、ヤエが向こうの顧問の先生と日程打ち合わせてたし」

「アハハッ、うちの顧問ずぼらだからなぁ。柴崎がしっかりしてる分、頼りにしちゃうんだろ。まぁでも、俺らと一緒に柴崎ももうすぐ引退なワケだし、残された連中は大変になるかもな」

「……そっか、私らも、もうすぐ引退なのかぁ」


 こぼすような私の声はあまりにも弱々しくて、ヒマリの耳に届いたのかもわからない。

 おそらく、何の気なしに言ったんだろうヒマリの言葉が、私の耳の奥で変に引っかかってしまったらしく、気づけば自意識がふよふよと空気中を漂い始める。

 ……改めて考えると高校生活って、終わりがあるんだよな。ほとんど毎日、当たり前のようにあった部活に行かなくなって、体育祭やら学園祭やら、学校の行事も今年で最後で、卒業したら、クラスのみんなと顔を会わせるコトもなくなって――


 らしくもなく、おセンチな気分に浸ってしまった私はボーッと虚空を見つめていて、急に黙り込んだ私に対してヒマリが不思議そうに声をかける。「お~い、どうしたんだよ?」と、軽快な声色が私の耳に届けられて、慌てた私は「あ、ごめん、なんでもない」と、下手な言い訳すら思いつかなかった。


 目の前のヒマリに顔を向けると、彼は「なんだ、それ」と歯を見せながら笑っていて――、でもすぐに真顔に直って、持て余すように茶髪のくせっ毛頭をかきはじめた。

 一瞬だけ目を伏せて、何かを言いたげに口を動かしている。


 ……えっ、何その顔。急にどうしたの?

 今度は私がきょとんと目を丸くする運びとなった。やがてヒマリは、首を少しだけ斜め下に傾けながら上目遣いで私の瞳を捉えて、私たちの視線が再び交錯した。


「アカネってさ、月代と、付き合ってるじゃん」


 ヒマリがそんなコトを言い出した。想定外の角度から登場したその名前に、私は思いっきり虚を突かれてしまい、「えっ、うん、えっ、」と脊髄反射でマヌケな声を返す。ちなみに私は、ヒマリに直接、「私、月代くんとお付き合いしています」と報告などしていない。する必要はないと思っているし、まぁ周りにあれだけ騒がれていたのだから、ヒマリの耳にもおのずと噂は入っているのだろう、とは思う。


 ……今までヒマリとこのテの話なんてしたことなかったけど、一体なんだろう――

 私は無意識の内に全身に力が入ってしまい、次のヒマリの言葉を構えるように待った。

 ヒマリはというと、いつもの快活な彼のソレとは違って、少しだけ逡巡しているような素振りを見せている。彼は歯切れの悪い口調で言葉をつづけた。


「いや、コレ他の連中からアホみたいに訊かれていて、ウンザリしているとは思うんだけど……、急に、どうしたのかなって。……アカネ、恋愛に興味ないって、よく言ってたし、『恋愛しない宣言』とか、してたじゃん。……なのになんで、月代と付き合ったのかな、って」

「……あっ、ああっ、それは――」


 ……なんだ、そのコトか――、と拍子が抜けた私は肩から力が脱力してしまい、しかし一抹の疑念が脳裏によぎる。


 繰り返しになるけど、これまでヒマリとはこのテの話をしたことがない。私は今まで『恋愛しない』と声高に公言していたし、おそらくモテモテであろうヒマリの恋愛遍歴を私から尋ねたこともない。……それに、『ウンザリしているとは思うんだけど』と前置きをするくらいだから、私がこの質問を快く思わない事実はヒマリも承知の上なのだろう。承知の上で、彼は私の心境の変化について問い正してきたのだ。


 私は、シンプルに、困った。

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