8. フリーダムすぎるだろ。もう、いいか


「一年の時、月代さんのミステリアスな雰囲気にヤられて、彼に惚れちゃった女の子がいたらしいんですよ。彼はいつも何を聴いているんだろうって、その子、月代さんの上着のポケットをこっそり漁ってみたらしいんですよ。――そしたら、ポケットの中に入っていたのはイヤホンだけで、音楽プレイヤーの類は見当たらなかったんですって」

「何その子、やってることストーカーじゃん。……ってかそんなの、普段はスマホか何かで聞いてて、その時はズボンのポケットに入れてたとか、そういう話っしょ」

「……それがですね。席に戻った月代さんをその子がしばらく観察していると、急に月代さん様子がおかしくなって、慌てたようにイヤホンを耳につけだしたらしいんですよ、伸びたコードの先端は、『何も入ってないはずの上着のポケット』だったんだとか――」


 そこでヤエは一度言葉を切った。まるで沈黙を楽しむかのように、首を傾けた彼女が細い目つきで私を見やる。


「……何そのドヤ顔、ムカつく」

「……おや、驚きませんか。アカネは相変わらずこの手の話題に食いつきませんね。もしかして月代さんは、霊界と通信できる霊能力者なのかもしれないのに」

「いやいやいや……、そんなん、誰かが面白半分に流した作り話に決まってるでしょ。誰が信じるんだっつーの」

「実にロマンのない仮説ですね。……まぁ、さすがの私もそういうオチなんだろうなとは思ってますよ、安心してください。――さっ、続きやろーっと」


 一時の雑談が気分転換になったのか、私を置いて早々にゾーン状態に入ってしまったヤエは、チュパカブラとやらの創作に再び集中し始める。……自分から話を振ってきた癖に、勝手に終わらせやがって。はぁっ……。

 心にこぼれたたタメ息を、私は拾い上げる気にもなれない。何気なく、私が再び月代くんの方に目を向けると、さっきと同じポーズ、さっきと同じ姿勢、彼はやはり一人孤独に黙々と版画作業を続けていた。

 ――心の中で、ひそかにホッとしている私がいる。

 ……私が、『人には誰も言えない理由』で月代くんのコトが気になっている事実を、勘のいいヤエに気づかれなくてよかったな、って。



「――だから! ホントだってば! こ~んな大きい――」


 無駄にでかい声が再び、私の耳に飛び込んで。

 私は釣られたように声のする方へ視線を向ける。さっきと同じポーズ、さっきと同じ姿勢……、やはりと言うか、私の目線の先、例のボブカット女子が両手を大きく広げて大袈裟なジェスチャーを披露していた。――彫刻刀を、片手に持ちながら。


 ……おいおい、だから危ねぇって、ってか一体お前は何見たんだよ――、一抹の不安が脳裏をよぎった私は、頼みの綱をえいやっと引っ張ろうとしたものの、彼女の対面にいるはずのヒマリは忽然と姿を消していた。

 周囲に目を向けると、彼は運動部の男子連中が固まっている他の席に移動しており、互いの怪作を披露しながらニカニカ笑い合っている。……頼みの綱は、分厚い裁ちばさみによって一刀両断されたってワケだ。ちなみに美術の先生の姿も室内に見当たらず、教室の外へ出てしまっているようだった。……フリーダムすぎるだろ。もう、いいか――


 「ちっ」と悪意に満ちた舌打ちが私の耳に流れて――、さっきまでゾーン状態に入っていたヤエがいつの間にか手を止めており、むき出しのしかめ面で前方――、ボブカット女子率いる、華やかなリア充グループたちを睨みつけていた。かしましい雑談に集中モードを切らされ、彼女がイラついているのは誰の目から見ても瞭然だ。


 ……気持ちはわかるけどさ、その顔、露骨すぎだってばよ。

 「まぁまぁ、ヤエはカルシウム不足なんだよ、だからチビなんだっつーの」と、私は怒り心頭の彼女に対して、さらにガソリンをつぎこもうとして――


 しかし、その台詞が外の世界に飛び出すことはなかった。

 私の意識は、数秒間の『イレギュラーイベント』にくぎ付けになっていた。

 ――そんなことある? って思うような事件が起きた。


 一抹の不安が、百抹の悲劇に成り代わろうとしていた。

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