0x0A 学生電子計算機設計選手権

 暗くて埃っぽい部屋で目を覚ました。硬い床で寝ていたからか体が痛い。

 あれ……ここは?

 眠りが浅かったからか、なんだか眠気が取り切れていない気がする。

 ぼーっとしながら体を起こして隣を見て、思わず固まった。

 人が、床に転がっている。

「……っ!」

 慌てて飛びのくと同時、扉がぎい、と開いて光が差し込んでくる。

 その眩しさで目がくらみ、同時にようやく眠気が薄まってきて記憶がはっきりしてきた。

「お、鷲流くんおふぁよ……ふあーぁ」

 入ってきたのは砂橋さん。その目は眠そうに細められている。

「あー、そっか。学校に泊まったんだったな」

 そう、ここはコン部の部室棟。いつも僕たちが居城としているオフィスエリアの向かい、倉庫として使っていた第二開発室で、寝具も無しに僕たちは仮眠を取っていたのだ。

「せっかく泊まるなら合宿みたいなのが良かったよ、こーんな地獄みたいな検証……」

「まあまあ、これも合宿みたいなもんだし。部活の存続が決まったなら合宿をやるのもいいな、楽しそうだ」

「にひひ、いいねそれ」

「他の連中は?」

「道香ちゃんと蒼はまだラボで粘ってるよ、氷湖はオフィスエリアで死んでる」

「寮に帰ればゆっくり寝れただろうに……」

「ま、氷湖も律儀な子だからね。自分だけ暖かい布団で眠るって発想がなかったんだと思うよ」

 まだ頑張っている蒼と道香の姿を思い描くと、なおさら目が覚めた。肩をぐりぐりと回すと、体はバキバキと悲鳴を上げる。

「早く代わってあげたら、二人の好感度も上がるかもよ?」

 いたずらっぽく言う砂橋さん。この手のイジりも慣れてきたから、肩をすくめておどけて返す。

「砂橋さんの好感度を上げられないのは残念だ」

「ほら、アタシはそういうキャラじゃないっしょ」

「そんなことないだろ、女の子なんだし」

「そ、そんなことないって、何言ってんのさ鷲流くん」

 急に真っ赤になると、ぷるぷると顔を振る砂橋さん。事実を言ったまでなんだけどな、砂橋さんだって女の子なわけだし。

 顔を振った時には、砂橋さんの長い髪がばさりと揺れる。それだけなら絵にならないこともないんだけど、埃が派手に舞い散ったのは見なかったことにしておこう。

「ほ、ほらっ、アタシが転がれないから早く杉島くんと柳洞くんを起こしてよ」

「それもそうだな。起きろお前ら! 朝だぞっ」

 確かにこの馬鹿どもが起きないと砂橋さんが仮眠に入れない。というわけで、床で伸びている二人を適当にどついて起こすことにした。

「ごはっ」

「ぐえっ、お前もうちょっと無かったのか……いや、弘治に蹴っ飛ばされて起こされるのは嬉しくないがお前が美少女だったらアリだな」

「ん、じゃあ俺が起こしてやろうか?」

「悠はビジュアルだけならともかくなあ」

「寝ぼけた頭で変な性癖開拓してんじゃねえよ、もう朝だぜ」

 真理の扉を開こうとしていた悠と宏に軽くチョップをお見舞いすると、引きずるようにして二人を部屋の外に運び出す。部屋から叩き出したころには、なんとか立ち上がって歩けるくらいには目が覚めてくれた。

「埃っぽいから、仮眠の前に窓開けて換気した方がいいかも」

「ありがと。じゃ、アタシは仮眠させてもらうね。おやすみ」

「おう、おやすみ。昼過ぎには起こすよ」

 それからドアを閉めようとした砂橋さんは、眠そうな目をこすってからもう一回にひひ、と笑う。

「蒼たちが来るから鍵は閉めないでおくけど、襲いに来たら駄目だぞ?」

「はいはい」

「あーあ、適当だなあ」

「そりゃ、まあ。しないし」

「にしし、知ってる。じゃ、本当におやすみ」

「おやすみ、砂橋さん」

 砂橋さんはどこか満足げに倉庫の扉を閉めた。何だかご機嫌だったな。

 伸びをしながらオフィスエリアに入ると、砂橋さんが言っていた通り狼谷さんがデスクに突っ伏していた。

 とりあえずは後にしてラボへと入ると、眠そうな目をこする道香とまだ元気そうな蒼の姿がある。

「おはよ、二人とも」

「おはよ、シュウ」

「ふぁ、おはようお兄ちゃん」

「で、どうよ状況は? 二十時間ちょっと経ったけど」

 今日は八月の七日。部室に泊まりこんだ理由はこのラボにあった。

 そこでは、七台のマシンが存在感のある音を立てて動作し続けている。本番で使う負荷を三十時間ずっと掛け続けて、本番の二十四時間という長い長い道のりを走り切ることができるかの確認をしてるってわけだ。

「ん、ばっちりよ。わりと急造なプロセスの割にはえらく安定してるわ」

「何も起きないから、暇でしょうがなかったですよねっ」

「いや、いいことだからな?」

「わかってるよ。実際、蒼先輩と色々お話してたからそんな暇でもなかったし」

「蒼と道香の二人なんて、確かに珍しい気がするな。何の話してたんだ?」

 そう聞くと、二人はきょとんとした顔で顔を見合わせた後。

「内緒よ」

「内緒っ」

 花が咲くような眩しい笑顔と一緒に、揃って言った。

「……わかった。それよりほら、もう朝だし交代しようぜ」

 きっと世の中には聞かない方が良いことがあるに違いない。なんとなく二人の笑顔にそれを感じたから、深入りすることは避けようと本能的に思った。

「後はよろしく頼んだわ」

「頑張ってね、お兄ちゃん」

「何も起きないことを祈っててくれ。あ、あと狼谷さんの回収は任せた。下手に女の子に触ると訴状が飛んでくるって聞いたからな」

「わかったけど、それは状況によると思うわよ」

 ひらひらと手を振って部屋を後にする二人。入れ替わりで顔を洗ってきたらしい宏と悠がやって来て、部のノートパソコンで最後の確認をしながら正常に動き続けることを監視し続ける。

 もちろん、ただ監視しているだけなんて楽なことはない。僕はプロジェクトマネージャーとして、今週末に迫った本番に向けて色々な準備をする必要があるからだ。

「着日指定は八月九日、十六時以降着ね。伝票も大丈夫だから、これで終わりです」

「わかりました、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 事務室が開いた時間を見計らうと、システムの監視を一旦悠と宏に任せて発送の手続きを済ませる。ボードを対応したIPの箱に入れ、それを段ボールに梱包したもの。それを五つだ。いくらサイズが普通のデスクトップパソコンくらいとはいえ、数があるせいで骨が折れる仕事だった。

「えーっと、システムは五台分発送した、シリコンは当日搬入でいいとして……」

 知っての通り、事務室のある本校舎と僕たちの部室棟はそれなりに距離がある。夏特有の湿気をたっぷり含んだ暑さの中を往復したくはなかったから、指を折って漏れがないかを再確認。

「遠征届も出したから……よし」

 本校舎で済ませないといけない事務仕事は全て終わったことを再確認したうえで、雲一つない灼熱地獄の中に足を踏み出す勇気をなんとか固めていると。

「ん、キミはコン部の」

 聞いたことのある声が耳に届いた。

 その声に振り向くと、外から入ってきたのは電工研の星野先輩だった。不思議そうな表情で僕の方を明らかに見ているから、無視するわけにもいかない。

「ども」

 とはいえ、蒼や砂橋さんと違って直接の面識がある訳でもないしなあ。無難な返事だけで部室棟へエスケープする覚悟を決めた、ちょうどその時。

「へえ、システムを送るってことはちゃんとチップは作れてるんだ」

 事務室の中の段ボールが見えたのか、こちらに話しかけてきた。

 エスケープに失敗したことを悟って、仕方なくその先輩へと向き直る。相変わらず、何度見ても真意の読めない笑顔だな。

「ええ、もちろん。電工研にも劣らないチップが出来てると思いますよ」

 だから、返すのは少しの挑発を込めた無難な返事。

「言うね、キミ」

 それを聞いた星野先輩は、初めて口角を吊り上げた。僕の返事がどこか琴線に触れたのかな? だとすれば、不思議な人だ。

「ま、早瀬ちゃんだけでどこまでやれるかお手並み拝見だね。楽しみにしてるよ」

 返す刀で飛んできたのは、露骨な挑発の言葉。でも、僕の心は不思議と静かだった。

「いえ、この部は蒼だけじゃありませんから。みんなで頑張ります」

 その挑発を笑顔で受け流すと、それは想定外だったんだろう。

「みんな、ねえ」

 少しだけ不思議がるような声を漏らすと、星野先輩は手をひらひらと振って事務室の中へと消えていった。

 いつの間にか、手のひらには爪の跡が付いている。無意識下ではなんだかんだで緊張していたみたいだ。

「……戻るか」

 その緊張のせいか、背筋に冷たい汗が伝う。それを振り払うために、僕は灼熱の夏空の下を部室まで走って戻ることにした。

「外あっちぃ!」

「ん、おかえりシュウ……ってひでえ汗だな、風邪引くぜ」

 部室棟に辿り着くころには、僕は汗だく。ラボに戻るやいなや悠に心配されるくらいに普通の汗をかいて、何故か流れた緊張の汗を押し流すことには成功した。

「とりあえず僕の仕事はひと段落したから、お前ら飯行って来いよ。朝からずっと任せて悪かったな」

「弘治はいいのか?」

「ここで誰も見てない訳にはいかないだろ、気にしないで行って来い」

「ん、りょーかい」

「悪いな、じゃあちょっくら行ってくる」

 悠と宏がラボを後にして、残っているのは僕一人。静かになったラボには、熱風をエアコンに向け吐き出し続ける四つのマシンの音だけが響いている。

「まさか、こんなものを作るのに俺が関わるなんてなあ」

 呟いた声は、周りの機械たちの騒音にかき消された。特にすることもないし、近くにある椅子に腰を下ろしてぼーっとマシンたちを眺める。

 液晶に表示された文字の羅列は蒼たちののCPUが正常に処理を進めていることを示していた。一方、道香ちゃんが設計したボードの方もLEDが光って無事に回路が動き続けていることを伝えている。

 正常動作を横目に見ながらぼんやりと考え事をしていると、突然背中にぞわぞわとした感覚が走った。

「おあっ!?」

 その感覚に思わず振り返る。そこには、蒼がいたずらを仕掛けたのであろう人差し指を立てたまま、楽しそうな笑顔で立っていた。

「何ぼーっとしてんのよ、シュウ」

「びっくりしたな、仮眠取ってたんじゃなかったのかよ」

「悪かったわよ」

 良くも悪くも幼馴染だから、少し拗ねて見たように見せたところで通じない。

「で、シュウは一人で何を考えてたの?」

「考えてたって?」

「何か考え込んでたの、お見通しよ」

 当然、僕が何かを考えていたことまでお見通しだったようだ。肩をすくめると、なんとなく考えていたことを口に出す。

「今、こうやってコンピューターに深く関わってることが不思議だなって思ってさ」

「不思議?」

「だってさ、今年の春……始業式までの間はさ。本当に嫌いだったんだ、コンピューターって」

 思ったよりも、その言葉はすんなりと出てきてしまった。蒼に言うつもりはなかったのに。

「もちろん欺瞞だってのは知ってたよ。コンピューターって、今は目に見える見えないを問わずに色々な所にあるってのも。でも、そうでも思わないと辛すぎたんだ」

 我ながら、情けない弱音だ。堰を切ったように口からこぼれ出す言葉は、どうしても止まらない。

「ずっとずっと。コンピューターが僕の家族を壊した……なんなら、母さんを殺したって思ってた。そんなわけないって、どこかでは判ってたのに」

「……やっぱり、そうだったのね」

 目尻に涙が浮いてきているのが自分でもわかる。そんなみっともない姿を見せても、蒼はしっかりと僕の目を見ながら、穏やかな笑顔で話を聞き続けていた。

「でもさ。あの夜考えて、こうやって参加するようになって、五月の大会で負けて」

「悔しかったわね、あの時は」

「でもさ、皆ほど悔しいって思えなかったんだ。それはやっぱりちょっと壁があったから」

 もちろん、悔しかった。でも、どちらかというとあの時は悔しがる自分に対する戸惑いの方が大きかった。今の僕なら、蒼と一緒に泣いていたかもしれない。

「でも開発主任になっちゃったらそれどころじゃなくて、何よりみんなの力を借りてばっかりでさ」

 改めて言葉にすると、やっぱりとても情けないよな。

 僕はずっと、仲間にここまで運んできて貰っただけだ。

 そう。

「僕は、立ち上がったはいいけど。進めてないんじゃないか、って怖くなったんだよ」

 立ち上がっただけで、自分で歩き出せていないんじゃないか。そんな不安が、つねに僕には付きまとっていた。どんなに自分に言い聞かせても、この不安は晴れない。

「そんなことないわ」

 だから、その一言は救いだった。

「シュウは、間違いなく前に進めてるわ」

 優しい、でも譲らないという意志を感じさせる声で、蒼は続ける。

「だって、この部活にいままでこうやって居てくれているじゃない。親の仇のようなものを作っている部活に」

 蒼に優しく髪を撫でられる。恥ずかしいのに、さざ波だった心は凪いで行くように感じた。

「あと、ちゃんと勉強までしてこの部活に貢献してくれた。現に、こうやって三十時間以上も無事に動き続ける、超高性能なCPUが出来たじゃない。私に皆の力を借りろって言ってくれたのはシュウ、あなたよ」

 蒼はどこか言い聞かせるように、でも楽しむように語る。

 それから、にこりと柔らかい笑顔を浮かべて、胸に手を当ててしみじみと言った。

「それに……絶対に忘れないわ、あの日私の事を迎えに来てくれたこと。本当にありがとう」

 目線と言葉でぶつけられる、直球の感謝。

 なんだか少し気恥ずかしくなって、蒼から目を逸らす。

「今は、どう? 今でも、コンピューターはお父さんと、お母さんの仇かしら?」

 その質問は、出来るだけ直視しないようにしていたもの。でも、ここで向き合わないとさらに二歩目は踏み出せないと、心のどこかがそう告げている。

「そんな、こと……」

 だから、言葉にする。

 一人で考え込むだけより、受け止めてくれる蒼がいるこの状況で。

「そんなこと、もう思えないよ……」

 そう口にした瞬間、脳裏に思い出されたのは家に新しいパソコンが来た時の情景だった。

 父さんも母さんも元気で、僕たちが家族として関東の家に居た頃。

 そこにあったのは、家族を壊してしまった仇なんかじゃない。

「僕にとってコンピューターは、希望の箱だったんだ。何にでもなる、夢の機械」

「ん、良い例えじゃない。色々なことができる、夢の機械」

 その暖かな情景の次に湧き出てきたのは、やり場のない悲しみだった。

 コンピューターが悪い訳じゃない。そんなことは解ってたんだ。母を亡くした悲しみを、受け止めることが出来なかっただけ。

 だけど、もう、受け止めないといけないんだろう。

「……っ、うあっ……」

 蒼の優しさは、認めたくなかった事実を穏やかに認めさせた。

 そうだ、もう母さんは居ないんだよな。

 涙は、なかなか止まらない。

「今までよく一人で頑張ったわ、男の子」

 僕は、声を押し殺して涙を流し続けた。

 しばらくして落ち着いた後、蒼は少し不安そうに聞いてくる。

「あの時のこと、思い出せたかしら。青空さんが亡くなったときのこと」

「どうだろう、ちょっと待って」

 言われた通りに母さんが亡くなった前後の記憶を思い出そうとしてみたけど、やっぱり鮮明には思い出せなかった。想起に成功したのは、前に夢で見た病室でのワンシーンくらいだ。

 東京からこっちに来て、蒼や道香と出会って、母を失って今に至ったのはわかる。でも、具体的なエピソードは黒いもやが掛かったように思い出せない。

「……やっぱり、駄目なのね」

 蒼が目を伏せる。その様子だと、蒼は、僕がどんな経験をしたのか今でも覚えてるんだろうか。

 でも、今は……それを聞く気にはなれなかった。

「そ、そういや悠と宏遅いな。昼飯を食べに出ただけだから、そろそろ帰ってきてもいいころなんだが」

 だから話を変えると、蒼も深掘りするつもりはなかったらしい。そういえば、と言うように話に乗ってきた。

「ん、そうね。どこで道草食ってるのかしら」

「案外すぐそこに居たりしてな」

 そう言って、ラボのドアを開けてみる。

「うおっ!?」

「げ」

 そして、そこには悠と宏が居た。まるで、今まで聞き耳を立てていたかのように。

「は?」

 その状況に脳がフリーズして、一文字分の処理しきれなかった情報が口からこぼれ出る。

 さすがに全部聞かれていたとしたら恥ずかしすぎる。

「お前ら、いつから……」

「いや、悪いなって思ったんだよ! でも、オレには密室の中でお前らが何をしてるか知る権利がある!」

「思ったより真面目な話で目を白黒させてたのはお前だろうが。俺は止めたぞ、止めたけど単純に気になって聞いてた」

「最悪だ……」

 どうも、結構早いタイミングで帰ってきていたらしい。ほとんど筒抜けだったみたいだ。

「え?」

 様子を見に来た蒼も、二人の姿を認めて固まる。数秒で現実に気付いたんだろう、ゆっくりと二人を視線で射貫くと、初めて聞くくらい低い声を聞いた。

「さすがに、盗み聞きしてるのはおいたが過ぎるんじゃないかしら?」

「うわ、蒼がマジで怒ってる」

「だってよお! お前らがラボを占拠してるからよお!」

「だからって、ずっと盗み聞きしてていい理由にはならないでしょっ」

「そりゃそうだ」

「お前認めんのかよ」

 その結果。

「おはよ、状況はどうよ……は?」

「え、何故拷問を?」

「地獄?」

 仮眠から三人が帰ってきて見たのは、古くて使われていない大きなコンピューターを膝に乗せ、昔製図に使っていたと思われる三角スケールの上に正座をする悠と宏だった。

「おはよ、マシンの方は二十六時間問題なしで動作してるわ」

「いや、アタシは何で部室の中で江戸時代の拷問が行われているのかの方が気になっちゃうんだけど」

「っと、二十六時間半、システムは問題なし!」

「おおおやりました! 凄く嬉しいんですけどあまりにも状況の方の情報量が多すぎて素直に喜べません!」

「地獄?」

「ほら、氷湖先輩も処理落ちして壊れたBotみたいになっちゃってますし」

 結局、三十時間の長時間試験はそんなドタバタの中で成功裏に終わった。

 正常に動作したCPUのうち狼谷さんが選んだ本番用四つと、出番はないことを祈りたい予備のCPUを幾つか大会に持っていく荷物に詰めれば準備は完了だ。

「いよいよ本番は明後日、か」

「だねー。忘れ物はない?」

「システムとかの発送はした、書類回りも大丈夫。抜けが無ければ大丈夫」

「私もチェックしたけど大丈夫だと思うわ」

「いよいよ本番、なんですね」

「新しいプロセスの初陣、楽しみ」

「足いってえ……マジであれは拷問だわ。正真正銘の拷問なんだけどさ」

「放置するだけだし考えた奴頭いいよな、重力を悪用しないで欲しい」

「何か二人だけ拷問の感想なんですが」

「じゃあ今日は解散! 明日は昨日言った通り休養日にするからな。明後日は電車移動だから遅れないように、若松の駅に六時十五分だぞ」

「えっ、スルーなんだ」

 こうして、僕たちが戦う準備は整った。



 迎えた大会当日の朝、さすがに気合が入っているからか、遅刻者無しで僕たちは会津若松駅の前に集まった。予定通り電車と新幹線を乗り継いで、辿り着いたのはIP大会の時と同じ、JCRAの大きなデータセンター。

「帰ってきたわね」

「ああ、そうだな」

「リベンジマッチと行こうじゃん?」

 僕たちは当然気合十分だ。

「へー、マジでこんなデータセンターでやるんだ。アツいな」

「こうやって大会に来ると、部活やってる感あっていいな」

「やってる感あって、じゃなくてやってんだよ」

 一方、初参戦のアホ二人は小学生みたいなコメントを漏らしている。相変わらずだなあ。

 ちなみに、悠は相変わらず可愛らしい顔と男子制服の組み合わせで存在感をブチ撒いている。時々男どもの注目を浴びているけど、僕からはただその男子達に手を合わせることしか出来ない。合掌。

「うっし、行くか!」

 相変わらずだだっ広い受付で受付を済ませると、荷捌き場で先に発送していたボードたちを回収する。

 貸し出しの台車は小さくて、五箱もあると全部は乗らない。

「今だけはお前らが居て良かったって思ってるよ」

「今だけって、酷いぜシュウ」

「助けてくれ、指がバグる」

 結果、僕たち男子陣は段ボールを抱えて歩くことになった。この中で一番もやしな宏は既に悲鳴を上げている。

「ま、さすがに女子にこれをやらせるのはな。ただ、さすがに重いわ」

「頑張って、あとすこし」

「狼谷ちゃんの応援で、どこまでも行ける気がしてきたわ」

「宏のチョロさ、上手いこと使ったらなんでも出来そうだよな」

「豚もおだてりゃ木に登るとは言うけど、こいつの場合空とか飛び始めそうだよな」

「緊張感の欠片もないわね、あんたたち……」

 そんな、前回とは違うリラックスした会話をする余裕さえある。それはきっと、今まで積み重ねてきた努力が自信になっているからだろう。

 やってきたのは、IP大会の時と同じ計算機室A。ただし、参加チームが多いから計算機室Bとの壁も取り払われており、前来た時より格段に広く感じた。

「若松科学、電子計算機技術部、と。ここだな」

「やっぱり隣は電工研なのね」

「仕方ないよ、同じ学校なんだし。諦めるしかないね」

 隣のテーブルには、同じ制服を着た見慣れない顔。いや、ちらほらと前回のIP大会に居た人も居る気がする。

 今回も当然のように隣は電工研だ。指示を出しているのは相変わらずあの変人部長。

「見つかると面倒だし、大人しくしてましょ。シュウと悠と杉島くんは開梱作業をお願い。私たちは出してもらったボードの準備をしましょ」

「おう、任せな」

「はいっ」

 一方、僕たちは頼もしい蒼の指示で、てきぱきと準備を始める。

 一通り段ボールを開けると、その中身を片っ端から引っ張り出してはどんどん設置していく。数が多いけど、個人的には前回と違って慣れた分スムーズだ。

「液晶もう一枚ないー?」

「そこの箱の中にまだ残ってるのがあるぜ」

「ボードは全部動いてる?」

「はいっ、予備含めて五台問題なさそうですっ。Melonの方も五つ無事に動きました」

「よし、それなら予定通り行こう。ボードは一号機二号機三号機、CPUは製造番号十三、十九、二十八を使う予定通りの構成で」

「わかりましたっ」

「はーいよっと、引き続き道香と起動やってるね」

「頼んだ」

 荷物をとりあえず設置し終わった後も、プロジェクトマネージャーはぼーっとしていられない。適宜蒼の指示をサポートするように細かい指示を出しながら自分も準備を手伝う。

 このCPU甲子園は一時間の枠内で自由に開始できたIP大会と違い、十四時ちょうどに大会開始のコマンドが送られるという条件がある。だから、それに何としてでも間に合うように準備を進める必要がある。

 幸い、僕たちの準備は順調に進んだ。

「ボード系、グリーンです」

「CPU系、グリーン」

「ソフトウェア系グリーン、大会主催サーバーとの通信もオーケーだぜ」

「予備試験もパスだってさ」

 十三時過ぎには各部門からオッケーの報告が上がり、大会規定のチェックをする予備試験も無事に通過した。

 今のところ、すべて問題なし。あとはしばらく自由にしても大丈夫だろ。

 蒼がふとアイコンタクトを送ってくる。頷いて返すと、小さく笑って全員に声をかけた。

「みんなお疲れ様、準備は完了よ。これから休憩にするけど、十三時四十五分には戻ってきて。時間が短くなっちゃって申し訳ないけど、ご飯は食べたといたほうがいいわよ」

「じゃ、食事に行く人はアタシについてきて。当然電子計算機室には飲食物の持ち込みはできないから、外で調達になるよ」

 砂橋さんも気を使ってくれたのか、連係プレーでみんなを食事に向かわせる。ここからは長丁場だから、食べられるときに食べておいたほうがいいのは間違いない。

「ん、お腹すいた」

「氷湖、当然自分で食べる分は自分で出すんだからね」

「もちろん。十二食分くらいのお金はある」

「明日の夜まで考えても一回二食ペースなんだが?」

「相変わらず食べますね氷湖先輩……」

 ワイワイと離れていく皆の楽しそうな声。

 でも、僕と蒼はここの会場に残ることを選んだ。

「蒼は行かないのか?」

 なんとなく理由は判っているけど、確認がてら聞いてみる。

「ええ、さすがにここに誰も残らないのは不用心だわ。ないとは思うけど、どこかの誰かが妨害を企てないとも限らないし」

 返ってきたのは案の定な答えだった。その生真面目さに、思わず笑ってしまう。

「何よ、私何か変なこと言ったかしら?」

「いや、蒼はまじめだなあって」

「変なシュウ」

 それだけ二人で言葉を交わしてから、改めてダブルチェックを始める。本番で使う装置だけじゃなく、予備で持ってきた装置まで。

 念のための確認を進めていると、予想通りの人がやってきた。

「やあやあ早瀬クン、IP大会以来だね。調子はいかがかな?」

 電工研の平原部長だ。まあ、同じ若松科技高の制服を着た別のチームで、僕たちの所までやってくる奴といったらこの人くらいだろう。

「奇遇ね、アンタがきた瞬間に最悪になったわ」

 蒼が口の端を釣り上げて直球の皮肉を返す。蒼も、砂橋さんに言い返せない姿と同じ人とは思えないけど、まああの人ならなあ。

 でも、電工研の部長は僕たちのシステムを見ると表情が変わった。

「ほう……ほう、実にちゃんとしてるな」

 ボードを見ると、何かを楽しむように怪しい笑みをこぼす。経験が長い人にはボードを見るだけで設計の良し悪しは解ってしまうらしいけど、そういうことなんだろうか。

「いいデザインだ。このボードを設計したのは、あの……桜桃クンと言ったかな? 新入生だろう」

 そういうことだった。何でわかるんだ?

 不思議に思っている間に、蒼はとても自慢げに胸を張って言い切る。

「ええ、そうよ。見てわかるでしょう? いい仕事をしているわ」

「ああ、コン部に置いておくには実に惜しい人材だと改めて感じたよ」

「あげないわよ」

「もちろん、君もだよ早瀬クン。後期から同じ部活で切磋琢磨出来るのを期待しているよ」

「アンタ三年生でしょうが、受験でしょ……もっとも、後期から同じ部活なんてことは無いと思うけどね」

「ほう、どうしてそう言い切れるのかな?」

「それはね、シンプルよ」

 我らが蒼部長は、自信に満ちた言葉で言い切った。

「ここで、アンタたちには負けないからよ」

「ふーん、あの早瀬ちゃんがねえ」

「うおっ!?」

 突然耳元で声がして、思わず飛びのく。声の方を向くと、そこに居たのは見たことのある顔だった。

「どうも、星野先輩」

 星野先輩だった。完全に気配を消してて、全然気付けなかったぞ。

 会うのは数日ぶりだけど、今は蒼と同じように好戦的な笑顔を浮かべている。その笑顔の鋭さは、思わず後ずさってしまおうかと考えてしまうほど。

「ねえキミ、どんな魔法を使ったの?」

 でも、その口から紡がれたのは楽しげな声。

「どういうことですか?」

 思わず聞き返すと、星野先輩は少し懐かしむように語った。

「早瀬ちゃんさ、去年の論理設計部門の期待株だったんだよ」

「そうなんですか」

「でもさ、論理設計のリーダーが最悪でね。もう卒業して居なくなっちゃったんだけど、あーんな無茶苦茶なコア作ってさ」

 去年について語るその目は、さっきまでの好戦的な瞳じゃない。

 まるで、そう。

 どこか遠いところを見ているようだった。

「LightBurstコア、ですね」

 その名前を出すと、大きく息を吐いた。そのため息は、やるせない気持ちを吐き出したかのようにさえ聞こえる。

「そ。燃え盛る開発日程の中、人手不足を言い訳に期待株だからって十分に慣れてない状態で修正に駆り出してさ。結果、去年のこの大会直前にやらかしてるじゃん? それからさ、部活じゃ全然笑わなかったんだよ。早瀬ちゃん」

「そりゃ、笑ってるような状況でも無かったでしょうしね」

「おっと、そこを突かれると痛いなあ」

 たはは、と苦笑いする星野先輩からは、もう最初の挑発的な雰囲気は感じなかった。

 続いた言葉は、まるで懺悔のようにさえ聞こえる。

「正直、もう二度と設計は無理かなって思っちゃったんだ。多分論理設計してる時、あの体験って頭から離れないと思うんだよね」

 実際、蒼の頭からは離れていなかった。僕はそのことを、あの河原で知っている。

「まあ、それくらい辛いでしょうね」

「だから、LightBurstを改良するのがやっとだって思ってた。んで、あたしはそれじゃ面白くないからコン部を辞めて電工研に入った。先輩失格なんだよね、あたし」

 先輩はまるで眩しいものを見るかのように、電工研の部長と舌戦を繰り広げている蒼を改めて見つめた。

「でも早瀬ちゃんは違った。ほぼ廃部の状態から部を立て直して、ここまで持ち直させた。それだけじゃなくて、何か面白そうなものも作り上げちゃったじゃん。いくら砂橋ちゃんも残ったからって、去年の今頃は考えられなかった」

「それは、蒼が諦めずに努力した結果ですから」

「すごいね、あの子。びっくりするほど真っすぐだよ」

「僕もそう思います」

 数秒の沈黙ののち、星野先輩はあらためて僕に向き直る。

 その顔は、好戦的でも何でもない。知的好奇心に満ちた、コンピュータが大好きな子供のような笑顔だった。

「ね、キミ……いや、鷲流くん」

「はい、何でしょう?」

「あたしが電工研に移ったのを後悔するような面白いもの、キミ達は作ってくれたんだよね?」

「ええ、そう信じてます」

「そっか、早瀬ちゃんも歩き始めたんだね。キミのお陰かな?」

「いや、先日も言いましたが、僕だけじゃなくて……」

 その時、聞きなじみのある、大好きな声たちが耳に届く。

「あーっ、電工研の先輩方!」

「何しに来たんすか、星野先輩」

「っと、穏やかじゃねえな?」

「なんだなんだ、祭りか」

「……敵情視察」

 ちょうど食事から帰ってきたらしい皆が、星野先輩や電工研の部長を見てあっという間にブースへと戻ってくる。

 その様子を見回してから、小さく肩をすくめて言った。

「部員の皆のお陰だと思います」

 そんな僕たちの姿を見て、もう一度星野先輩は笑顔になる。

「そっか。じゃ、大会の結果を楽しみにしてるよ」

「はい。楽しみにしててください」

 それから先輩はひらひらと手を振って立ち去ろうとした。

「あのっ」

 その途中で、思わず呼び止める。一つ、聞いてみたいことがあったから。

「星野先輩は、何を作っていたんですか? 主任になる前は」

 その質問は、さっきの子供みたいな笑顔を見た時に思ったこと。

 この人は、どんなチップの開発をしていたのだろうか。

 質問を聞いた星野先輩は苦笑いを見せると、もう一度手をひらひらと振って答えてくれた。

「Wilamette、って調べてみて」

 途中で電工研の部長に声をかけると、引きずるように電工研のデスクへ帰っていく星野先輩。

 その様子を、僕たちは思わず無言で見送った。

「へえ、あの人が……」

 砂橋さんが、ぽつりと呟く。

「あんな顔も出来るんじゃん、ったく……」

「砂橋さんも見たこと無かったのか」

「ん、どうだったかな……入ってすぐのころは、見たかも?」

 難しい表情の砂橋さんが過去を手繰っている間に、蒼もこちらへ戻ってきた。ちょっとむっとしているのは、あの部長から精神攻撃を受けていたからだろうなあ。

「お疲れ蒼、相変わらずだったなあの部長は」

「ほんっとーに腹立つわ。シュウは星野先輩に絡まれてるし」

「んー、何というかさ。星野先輩も、悪い人じゃあ無さそうだったよ」

 蒼や砂橋さんと話していると、どんどん皆も会話に入ってくる。

「IP大会の時とは、なんだか雰囲気が違った気がしました」

「ちょっと、意外」

「それにしても、因縁の相手ばっかりなんだなこの部活は」

「自慢じゃないけど、相手は一杯いるわよ」

「恐ろしいぜ……なあシュウ、何話してたんだよ」

 みんなが話に入ってわいわいと賑やかになる。それとは対照的に、隣の電工研のデスクを見るとぴりぴりとした無言が包んでいた。

 星野先輩の姿も見えたけど、その表情にはさっきの楽しそうな表情は無い。

「ん、まあ。あいつらに見せつけてやろうぜって話だ」

「ったく、お前も戦意は十分ってことか」

 宏がにやりと笑う。それに、同じようににやりと笑い返した。

「本番開始十五分前です。各チームは遅滞なく本番用プログラムを起動し、それぞれのIPアドレスを本部へ報告してください」

 腕時計を見ると、十三時四十五分。

 全体へ向けての放送が入って、会場のざわめきも一際大きくなった。それに負けないように、僕も声を上げる。

「よし、じゃあ本番前最後の点検をしよう。登録は済んであるから電源を落とさないで出来る範囲で再確認、いいな?」

 全員の顔を見回す。それに対して、全員が小さく頷いた。

 三台のマシンの最後の点検をして、ちょうどチェックが終わるころに再び放送が入る。

「お待たせしました、全チームの装置との疎通が確認できました」

 いよいよ本番だ。

 まわりでざわめいていた人の声の波が引いていく。

 聞こえるのは、空調の音と自分の心臓の音だけ。

「それでは本戦を開始いたします」

 僕たちの目の前には、自分たちの努力の結晶である珪素の頭脳。

 そして、隣には頼れる仲間たち。

「……ええ」

「……ん」

 隣の蒼と狼谷さんをちらりと見ると、小さく頷いた。

「……はいっ」

「ひひっ」

 その反対側、道香と砂橋さんに目をやると、こちらもにやりと頷いた。

「おう」

「へへっ」

 さらには、悠と宏にも。こいつらはいつも楽しそうだよな。

 さあ、準備は万全だ。

「それでは耐久時間二十四時間の性能計測期間を開始します。終了は明日の十四時です。では――」

 自分の唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。

 自然と湧き上がってくるのは、IP大会とは比べ物にならない緊張。

 そして、高揚感も。

 ああ、これが本気を出して臨む、大会前の緊張ってやつなんだな。

「三、二、一、スタート!」

 開催が宣言されると同時、大会運営からの指示を受けて自動でプログラムが走り出す。

 次の瞬間、会場は歓声と、それを掻き消すほどのファンの轟音で満たされた。

「プログラム動作開始っ」

「電源系オールグリーン」

「主記憶系グリーン!」

「放熱系グリーン、温度は六十度台! まだまだ行けますっ」

「CPU使用率、全コア百パーセントだ」

「リソース使用率も問題なし、駆動周波数も安定!」

 まずは起動直後、百二十秒のチェックを無事に通過。皆からの報告を聞く限りはばっちり安定して動いているみたいだ。

「っし、大丈夫そうだな」

 僕の声で、みんなが安堵のため息をつく。

「蒼の修正も、最初はどうなるかとは思ったけど何とかなっちまったな」

「だねっ。良かったよ、本当に」

「ええ、ここまでは完璧ね」

 IP大会の時は、この時点でまともに動かなかったチームの落胆の声が聞こえてきていた。だけど、さすがは一つの頂点となる大会。開始直後にまともに動かなくなるチームは無いみたいだ。

 ところどころに設置されたプロジェクターが残り時間のカウントダウンを進めている。

 とりあえずひと段落だな。あることを思い出した僕は、蒼に声を掛けた。

「おーい蒼」

「ん、どうしたのシュウ?」

「飯、食いに行こうぜ」

「そうね。そうしましょうか」

 空腹では戦は出来ないと昔の人も言っていたし、その教えに従いながらこの長期戦を戦い抜くことにしよう。

「じゃ、俺たちは飯行ってくる。何かあったら砂橋さんよろしくな」

 一応砂橋さんに声を掛けると、はいよー、という気楽な返事が返ってくる。

「いってらー、何かあったら連絡するね」

「何もないことを祈ってるよ」

「こっちも、お二人の逢瀬を邪魔したかないからね」

「逢瀬って、何言ってんのよ……」

 楽しそうに手を振る砂橋さんを背に、僕は呆れ顔の蒼を連れて食事へと出た。



 CPU甲子園の性能計測期間は、さっきの放送でも言っていた通り二十四時間。

 だから、僕たちが食事から帰ってきて、もう一度交代で食事に出て、さらには砂橋さんに欠伸が浮かび始める夜になっても終わらない。

 電工研の様子を見ると、相変わらず緊張がテーブルを包んでいるように見えた。あんなにずっと張りつめてたら疲れちゃいそうだけどなあ。

 一方、こちらは少し緩んだ雰囲気だ。二十四時間緊張状態を続けるわけにはいかないから、ある程度は緩めることも必要だろう。

「んん、今何時だっけ?」

「今、二十二時になるところね」

 周りを見ると、明らかに人が少なくなっているチームも多い。

 常に監視している必要はないから、特に関東圏内のチームの人なんかは一旦帰って翌日の昼に来たりすることもあるのだという。

 もちろん、そうすると何かトラブル時の対応が遅くなるから全員を帰らせるところはない。大体、開発主任や部長が残って当直をする、って仕組みだ。

「ふあーあ、ねむ……」

「そろそろ交代で仮眠取った方がいいわね。結凪と……道香、仮眠を取ってきたら?」

 一方、僕たちみたいな地方民はそうもいかない。会津若松まで寝るためだけに帰るのは、あまりにもお金と時間が掛かりすぎる。

 そういう学校向けには、大会運営のJCRAがこのデータセンターの近くのホテルの部屋を押さえておいてくれる仕組みになっていた。正直助かる。

「ふあーい、そうさせてもらうわ……」

「わかりました、わたしも休ませてもらいますね」

 眠そうな砂橋さんと声に少し疲れの滲む道香ちゃんが、もたもたと宿へと戻る準備をしていると。

 パーンッ!

 どこかから突然、何かの弾けるような乾いた音が響いた。

「うわ、これはコンデンサの音」

 眠そうにしていた砂橋さんの目が一瞬で開く。

 僕たちの眠気も一瞬で消し飛ぶその音は、どこかの机で良くないことが起きたのと同義だ。

 それから、IP大会の時にも嗅いだあの嫌な臭いが漂ってくる。周りを見回すと、計算機室Bのチームの方から煙が上がっているみたいだ。煙が上がるってことは、そのボードとシリコンはまあ駄目だろうなあ。

「っちゃー、電源装置かメインボードの電源回路か」

「定格、ぎりぎり?」

「熱かもしれません。電源周りの密度を上げて実装しすぎた結果熱が逃げなくなって、寿命が極端に縮むのもよくある話ですし」

「長時間試験はやってても、元々の設計に無理があったんでしょう」

 少し弛緩していた空気が、その炸裂音で引き締まった。

 そういえば、装置が壊れた時の規定に関しては何も聞いていなかったな。

「これ、装置が壊れた時はどうなるんだっけ?」

「最低三十分ぶんのスコア送信ができないわ。最後の平均FLOPS計算に使う二十四時間って時間は変わらないから、単純に不利になるだけよ」

 蒼はすこし緊張したような表情を浮かべたまま、大会規定に関して教えてくれた。単純にスコアが落ちて、不利になるってわけだな。

「どっちにしろ、装置故障は避けたいなあ」

「それは間違いないわ。もっとも、故障率は下げることは出来てもゼロにはならないから……そこが難しいんだけど」

 Melonが相変わらず熱をばら撒いているデスクの周りを見回すと、みんなも少し不安そうな表情だ。

 仕方がないとは思う。どんなに自信があったとしても、蒼が言った通り技術に絶対はない。

 だからこそ、その確率を少しでも高めるために明るい声を出した。

「うちのチームは大丈夫だから、砂橋さんと道香は休憩行っておいで」

「でもっ」

「これで寝不足のまま明日を迎えて、そこでボードの問題が起きたら大変だろ? だから道香、今は休んどけ」

 頭では理解できていても感情が付いてきていないみたいで、道香がううーっ、と唸る。でも、最終的には首を縦に振ってくれた。

「むーっ、そんな風に言われたら休むしかないじゃん」

「……じゃ、悪いけど休憩貰うね。後は頼んだよ」

「任された」

 二人を見送ると、再び沈黙が流れる。聞こえてくるのは、わずかな話声とマシンが立てる風切り音だけ。

 幸い僕たちコン部のシステムは、三台とも日付を超えても動き続けていた。

「この大会用プログラム、FLOPSを表示させてくれないのが卑怯だよな。他のチームの状況とか偵察して回れねえし」

「そういう奴が居るから表示しなくなったんじゃないのか?」

「まあ、番狂わせって要素とは無縁だしなあ」

「基本的には大きく性能指標が走ってる途中に変わることってないからな。放熱と電源さえまともなら」

 たまにそんなどうでもいいことを話しながら、時間が早く過ぎてくれるのを待つ。深夜になるにつれてどんどん人は減っていて、どのチームも今は一人か二人だけだ。

 もちろん、それは僕たちのチームも例外ではない。

「じゃあ、私たちも休憩に入るわ。あと二時間くらいで結凪たちも帰ってくると思うから」

「シリコンに何かあったら、携帯。すぐ呼んで」

「わかった、任せて」

「ゆっくり休んでこいよー」

「寝坊はすんなよな」

「しないわよっ!」

 午前三時、蒼と狼谷さんも仮眠へと向かった。残されたのは僕たち三人。

 ふと、去年までのことを思い出す。この悪友たちと緊張感に包まれた中で、こんな部屋に居るのがなんだか不思議だ。

 去年なら、例えばゲームの大会に出ているとかの方が現実的だったかもしれない。でも、現実の今はコンピューターに関係する大会で、日本一の座を一緒に争っている。それが、にわかには信じられなかった。

「何かお前らとここに居ると、リアルじゃないみたいだ」

「それ、どういうことだよ」

「だって僕たちが集まる時って大体ゲームばっかだろ。こんな時間ならなおさら」

 きっと、この状況を今年三月の僕に言っても絶対に嘘だと思っただろう。

「なんだよ、今だってめちゃめちゃ面白いゲームやってんじゃねえか。自分たちで何かをイチから作って、何かミスったらサービス終了だぜ?」

「ははっ、何だその例え」

 二人の表情は、ゲームに熱中しているときに見せるものと同じ笑顔。

 言われてみれば、その通りかもな。

 壁にぶつかりながらそれを乗り越えながら、自分たちの力でイチからコンピューターを作っているんだ。

 それは、育成ゲームと何が違うんだろう?……そんなの、面白くない訳がないじゃないか。

「……でも、そうだな。面白いよな」

 その言葉は、自然に口から出た。

 今までそう思うことは出来なかったのに。

 それは、この部活で皆と頑張ったから。その中で、過去にとらわれた僕も緩やかに前へと歩き始めることができたからだ。

 親父の事を許せた訳じゃない。今でもあの時の気持ちを思い出したくはない。

 あの時より少し大人になってしまったから、コンピューターは何でも叶えてくれる魔法の箱という訳という訳ではないことも知ってしまった。

 でも、親父と母さんが熱中していたコンピューターというものは、仇なんかじゃない。

 とても面白いものなんだって、いつしか思うことができるようになっていたんだな。

「ああ、面白いぜ」

「シュウもようやく分かってきたか」

 自信満々にニヤつく二人。礼を言うのはなんだか照れくさいから、僕もにやりと笑い返す。僕たちには、それだけで十分だった。

 ちらりと正常動作を続けるマシンを見た宏が大きく伸びをする。

「はーあ、意外と緊張しないもんだな、ここまで来ると」

「さすがに疲れて眠いのもあるしなぁ」

「悠も宏も、あと二時間は頑張ろうぜ。そしたら砂橋さんと道香が帰ってくる」

「ん、それもそうだな」

 少し緩んだとはいえ、やはり普段とは違う緊張感が包む空間だ。大きな問題が起きていないか定期的に確認するだけとはいえ、やはり疲れはする。

 そうして迎えた二時間後、午前五時。

「お待たせ、お兄ちゃんっ」

「三人ともお疲れ様、交代しよ」

 砂橋さんと道香が時間通りに帰ってきた。

「女神だ……」

「女神が居る……」

「女神と馬鹿しか居ないのかここは……」

 一方の僕たちと言えば、さすがに緊張感と長時間稼働からくる疲れで疲弊しきっていた。何しろ集合が朝早かったせいで、二十四時間以上起きっぱなしだ。幾ら男子高校生と言ってもさすがに辛い。

「……皆さん、お疲れですね」

「ほら、とっとと寝てきな。十二時には起きてよねっ」

 僕たちの背中をばしばしと叩きながら送り出す砂橋さん。

 その小さい背中に今までないほどの信頼を覚えながら、へろへろになった僕たちはホテルへと戻った。

 ホテルに辿り着いてカードキーを受け取ると、部屋に入ってベッドに倒れ込む。

 次の瞬間、睡魔に意識を刈り取られた。



 それから、どれだけの時間が経っただろうか。

「……、ふふーん……」

 夢か現実かはっきりとしないけど、何だか楽しそうな鼻歌が聞こえる気がする。

「っと……間ね。……ないと」

 徐々に意識がまどろみの中から回復するけど、変な時間に寝たからか頭はぼんやりとしたままだ。

「……ュウ、そろそろ起きて。もう……」

 柔らかに体を揺すられる感覚で、ようやく目が開いた。

「あ、起きた? おはよ、シュウ」

「ん……蒼? おはよ……」

 そこに居たのは、どこか幸せそうな笑顔で僕の顔を覗き込んでいた蒼だった。

 ああ、今日も蒼が起こしに来てくれたんだな。

 渋る体を無理やり起こして伸びをすると、ようやく頭が回り始めた。

 寝心地が違うベッドは、いつもとは違うところで寝た証明。

 目の前に広がるのは、ほぼ記憶にないホテルの部屋といつも通りの蒼。

 ……蒼?

「えっ、ちょ、蒼!? お前何でここに」

 一瞬で意識が覚醒した。本来なら居るべきではない人がここに居る。

 確かこのホテルはオートロックだったはず。どうやって、まさか――

「ちょっ、何バカなこと考えてんのよ! あんたが寝坊してるから起こしに来てあげたんでしょうが!」

 蒼の魂のツッコミを受けて時計を見ると、針が指し示しているのは十二時二十分。

 砂橋さんは十二時には、って――

「おわっ、マジだ! すまん蒼!」

 慌ててベッドから飛び起きると、服装は制服のままだった。本当に倒れるように寝落ちして、そのまま熟睡していたらしい。

 そんな僕の姿を見て、蒼はふふっ、と笑った。

「ん、はっきり起きたわね。一応人手は足りてるけど、早く降りてくるのよ」

「わかった、ちなみに状況は?」

「正常よ。開始から二十二時間、ちゃんと動き続けてるわ」

「よっし、すぐ行く」

 蒼が部屋を出たのを確認し、シャワーだけ浴びるとすぐにデータセンターに戻る。

「すまん、遅くなったっ」

 七時間半ぶりの計算機室Aは、相変わらずの騒音と冷気に包まれていた。ホテルとデータセンターの間の外が灼熱地獄だっただけに風邪を引きそうだ。

「おっそいぞー」

「悪い、目覚まし掛けないで寝落ちてた。蒼から状況は良いって聞いてたけど」

「ん、問題ない。CPU、電源、ボード、メモリ全部正常」

 狼谷さんの冷静な報告で、さらに安心した。

 それとほぼ同時に、館内に放送が響く。

「性能計測時間、残り一時間半です。プロジェクト部門の呼び出しです、四日市科技高計算機工学研究部チームビックス、大分科技高――」

「よし、あと一時間半だな。そういえば蒼、プロジェクト部門の発表は済んだのか?」

 そう、この大会にはプロジェクト部門という評価がある。

 具体的にこの大会に向けてどんな開発をしたのか担当者がプレゼンをするこの部門は、さすがに僕では知識不足が露呈するから蒼にお願いしていた。

「ええ、それに合わせて起きたからね。十時半過ぎに終わったわ」

 蒼は上機嫌な笑顔。きっと上手くやったんだろう。

「よし、それなら問題ないな」

「後は祈るだけだね」

 そんな話をする精神的な余裕さえも出てくる、残り一時間半。

 早く終わってくれ。僕たちのシステムが、正常に動いている間に。

 全チームの人たちがそう思っているだろう。

 時間が短くなればなるほど、期待と不安は大きくなる。

 一秒が一分に、一分が一時間に感じるような。胃に穴が開きそうなプレッシャーの中、僕たちのコンピューターは一度もエラーを吐いたり、燃えたりすることなく動き続けた。

 果たして、その時はやってくる。

「十、九、八、七、六――」

 放送のカウントダウンが進む。僕たちは固唾をのんで見守るしかない。

「五、四、三、二、一、〇」

 カウントがゼロになった瞬間、轟音を立てていたCPUクーラーのファンが静かになった。周りから聞こえてくる音も、一気にトーンが下がる。

「お疲れさまでした、性能計測期間終了です。これより集計を行い、一五時三〇分より結果発表および表彰式を行いますので、それまでに各チームはテーブルに再集合してください」

 放送がぶつりと切れると同時、緊張の糸も切れた。

 画面にはテストが正常終了したこと、そしてデータの送信も正常に完了したことを示すテキストが表示されている。

「はあああーっ……」

 最初に出たのは、大きなため息。

 IP大会は一時間だったけど、CPU甲子園は二十四時間。

 完走するのが前提だったということもあって、どちらかと言えば疲れが先に出たな。

「まずはみんな、お疲れさま。一度も不具合なく完走したの、最高だと思う」

「お疲れ様。本当に、本当に良かった」

「いやー緊張したぁ……」

 狼谷さんと砂橋さんも大きくため息をつくと、ばたりと椅子に座り込む。どちらかと言えば、緊張の糸が切れて伸びているって方が近いかもしれない。

 周りからは歓声が上がる。完走したチームが喜びを交わしているみたいだ。

 そんな中、僕たちは喜ぶことはできない。

「完走したってだけで、結果がわかんねえのがなあ……」

「勝たなきゃいけないってのはプレッシャーだよなあ」

 悪友二人が言う通り、まだ結果は判らない。

 一位を取るか、電工研に勝たないといけない僕たちにとって、喜ぶにはまだ早いのだ。

 僕は自分の頬をぱしり、と叩いて立ち上がる。とりあえず、手を動かすことから始めよう。

「さ、とりあえず帰りの準備をしちまおうぜ。喜ぶのも悲しむのも、とりあえず片づけを終わらせてからだ」

「それもそうね。始めましょ」

 二十四時間、エラー一つなく頑張ってくれたシステムの電源を落として箱に戻す。

 液晶やキーボードとかの周辺機器や、行きは手で持ってきた予備のCPUなんかも全部箱に入れて発送の手続きを済ませた。

 そんな後始末をしていると、時間はあっという間。

「それでは、間もなく結果発表を行います。各チームは自分のテーブルに集合してください」

 集合の放送が聞こえると、皆の緊張はピークに達した。

 今度こそ、隣の電工研に勝つことが出来たんだろうか。ちらりと電工研の方を見ると、同じようにぴりりと緊張した雰囲気だ。

 でも、あの変な部長は緊張していないみたいだ。どちらかと言えば、勝つことを全く疑っていない表情にさえ見える。

 そして、もう一人緊張してなさそうな人である星野先輩は、楽しそうに笑っていた。まるで結果発表を心から楽しみにしてるみたいに。

「いよいよね……」

 隣から聞こえてくる蒼の緊張した声で、僕は自分のテーブルに意識を引き戻された。

 蒼は不安そうな表情でこちらを見つめてくる。

「ああ、楽しみだな」

 だから、笑うことにした。

 蒼の心配はよくわかる。トラウマをねじ伏せながら、自分の全てを注ぎ込んで作ったチップの性能が出るんだから緊張しない訳がない。

 だからこそ、蒼には自分の技術に自信を持って欲しいと思う。

 今年に入ってから、蒼にはいろんなことを貰ってばかりだ。だから、去年のコン部のあれこれで失ったものを、僕が少しでも返せたらいいなと思った。

「楽しみ……そうね、楽しみだわ」

 さすがに心から笑うのは難しいのだろう、蒼は不器用な笑顔を見せる。でも今は、それでいいと思う。

「お待たせしました、第二十回学生電子計算機設計選手権の結果発表を始めます。まずは性能部門、上位五チームの発表です」

 スピーカーから司会の人の声が響き、壁には大きく結果発表のスライドが投影され始めた。

 心拍数が嫌でも上がってくるのがわかる。手には汗がしっとりと滲んできた。

「第五位、国立熊本科学技術高等学校電子工学部、記録4.27GFLOPS」

 五位でも、IP大会の時の僕たちの記録を大きく超えている。

「第四位、筑波大学附属筑波科学技術高校電子情報工学部、記録5.59GFLOPS」

 ふと、下ろした手に柔らかな手が触れた。その手は、小さく震えている。

 だから、優しく包み込むように握った。

「第三位、富山県立魚津東高等学校微細物理工学部、記録7.25GFLOPS」

 既に三位の時点でIP大会の電工研の記録も大きく更新していた。

 その性能は、これがCPU甲子園か、と驚かせるのに十分な数字だ。

 でも、僕たちには自信がある。

 部室で測った性能データは、負けていない。それどころか、大きく上回っていたから。

「第二位、国立若松科学技術高等学校――」

 その名前が聞こえた時、包んだ手がびくりと震える。

 大丈夫だ、自分を信じてほしいと願いを込めて握り返した。

「微細電子工学研究会チームA、記録8.73GFLOPS」

 隣の机から、歓声ともため息とも付かない声が上がる。

 これで僕たちは五位以下か一位、どちらかだ。

「第一位――」

 会場が静まり返った。

 緊張で、体中が氷漬けになったかのように冷たく感じる。

 でも、握った手だけは暖かくて。

 だから僕は、次に読み上げられる名前を疑うことはなかった。

「国立若松科学技術高等学校、電子計算機技術部、記録11.46GFLOPS!」

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