第24話

 父と母が新しく買った家のテレビに、フレジャイルの姿が映っていた。国会に立つ少女。彼女は、体調がすぐれないので、今後はアバターを使って国会に出席すると宣言した。このアバターは急遽用意した仮のもので、すぐに新しいものを用意すると。

 その表情は凍っているようだったが、目は輝き、口調は堂々としていた。なにも恐れるものはなく、大地鳴動しても、心は揺らめかないというように。すべての人をねじ伏せ、納得させる覚悟すら感じさせた。

 ハイルはそれを見て、なにが起こったのかを察した。しかし、恐ろしいとは思わなかった。

 その数日前。白い貸し会議室。コの字型に並べられたデスクの窓側に座っているのはエピーク。廊下側に座っているのはハイル。二人を左右にして、壁側中央に座っているのはフレジャイル。

 三人だけの室内で、フレジャイルは完全な無表情でエピークを見ている。アバターは、細基レイ本人と比べると、かなり表情が乏しい。

「とんでもないことをしてくれましたね」

 そう言われたエピークは声を高める。

「記憶を与えろと言ったのは首相、あなたじゃないですか」

「そうではなく、全部です。そもそも初めからです。いや、すみません。あなたを責めても仕方ありません」

「そうですよ。通報したことを褒めてほしいくらいです。俺は、黙ってハイルに記憶を与えることもできましたが、それはさすがにまずいと思って通報したんです。それなのにあなたがたは、そのまま要求に従えと言った。いくら研究のためといっても、ひどいじゃないですか」

「わたしももしかしたら、調査の過程で静杯会に毒されてしまったのかもしれません」

「冗談ですよね?」

「いいえ。幸福追求は人類のテーマです。いろいろな手段の中の一つに、風変わりなものがあってもおかしくはないと考えるようになりました」

「でも、ハイルが幸福になったとは思えない」

「ええ、そうですね」

フレジャイルは、ハイルのことを気が狂っていると判断したらしい。ハイルはそのことを察したが、弁解する気はなかった。

「思わず無駄口を叩いてしまいました。すみません。もう調査は終了です。ありがとうございました」

 フレジャイルは、エピークの会社の系列の研究所から提供されたハイルの脳や精神の状態の資料にすべて目を通したのだった。

「それはいいんですけど、ちょっと訊いてもいいですか?」

「なんでしょう」

「どうして首相自らこんなことを?」

「国民と直に接したいのです。記憶カタログ会社社長のあなたや、史上最大量の記憶で満たされたかたなどと、会って話すことに意味はあると思っています」

「法案が通ったあとなのに?」

「世界は日々移り変わります。法律は、常に見直していかなければいけないものです」

「なるほど……常に国民のために法律をつくるということですか」

「ん? なにか言いたいことでもおありですか」

「今回の法律改正は、国が、陳述記憶売買をあえてブラックマーケット化しようとしたために行われたという噂もありますが」

 フレジャイルは笑みを浮かべる。

「とんだ陰謀論です。そんなことをしてもメリットはないって、わかりそうなものですが。政治家や権力者は悪者だと決めつけたい人が頭からひねり出したんでしょう」

「じゃあ、どうしてこんなに厳しい規制を突然設けたんです?」

「突然ではありません。わたしにとっては。この法律は、わたしの念願でした」

「へえ、それはまたどうして」

「わたしにも娘がいます」

 そのことについて、それ以上は話そうとしなかった。フレジャイルは声のトーンを上げる。

「あなたの仕事の仕方も、法律で変えさせてみせます。社員の人生を搾取するのは許しません」

「おお、こわ」

「ハイルさん、今日はありがとうございました」

「いいえ」

 ハイルは、たくさんの質問をされて疲れていた。しかし、苛立ちはない。

 その時、フレジャイルは素早く瞬きをした。瞬きは続く。一秒、二秒、三秒――

「首相?」

 エピークは椅子から腰を浮かせる。

 瞬きはとまった。透き通る青い目はハイルを見続ける。

「どうしたんですか、首相。大丈夫ですか?」

 うるさいエピークの声を無視し、ハイルは冷静に口を開いた。

「先生。先生ですね?」

 フレジャイルはハイルから目をそらし、周囲を見回した。

「おお、綺麗な夕日」

 その言葉に、ハイルも大きな窓の外の夕日に目をやったが、ハイルの心には、「綺麗」はひとかけらもなかった。「汚い」もなければ、先生への怒りも尊敬も、なにもなかった。

 ハイルは、フレジャイルが戸惑うエピークを置き去りにし、黙って部屋を出て行くまで、夕日を眺めていた。たくさんの人々が、様々な感情を抱いて見てきたもの。ハイルの中で、無数の価値観という視点が重なり合い、太陽の輪郭が揺らぐようだった。

ハイルは、内心で果てしなく連なる太陽から、客観を生成し、それを主観とした。それが新しい世界観だった。先駆者の心だった。

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私は巨大な杯。幸福 諸根いつみ @morone77

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