千夜一話

狐狸田すあま

第0夜

「あたし、これから小説を千話書くよ」


 わたし、千夜琴乃が、高嶺一葉ーー大学卒業後十年ぶりくらいに会った知り合いから、深夜のファミレスに呼び出されての一言。

 それだけで一瞬心はサークル時代に戻ったかのような、十年を軽く飛び越えてしまったかのような気分になったけれど、今私たちはマスクをつけていて、それだけで現在に引き戻される。新型コロナウイルス、緊急事態宣言、三密、今はゼロ密なんだっけ?


「……そりゃまたどうして」

「まあ聞いてよ。まずあたしが殺戮オランウータン小説を書いた話をしなきゃならないよね」

「どういうことなの……」


 彼女はどこか得意げに、殺戮オランウータンという概念が生まれ、瞬く間にTwitterを駆け巡り、ついには殺戮オランウータン小説大賞というのが設立された経緯を説明した。なるほどわからん。


「つまり有名な推理小説のネタバレにキャッチーな言葉がつけられた上にみんなで悪ノリしたと。みんな暇なの?」

「みんな暇だったんじゃないかな」


 目の前にも暇人が一人。いやでもこいつは結婚して子どもが生まれたんじゃなかったっけ。二児の母って深夜のファミレスにいてもいいんだっけ?……これって差別だろうか。


「それであたしも殺戮オランウータン小説書いてさー、数年ぶりに小説書く回路が焼き切れてスパークして、すごく楽しくなっちゃったからまた小説書こうかなって。だから琴乃に言っておこうかなって」

「……それって今から私に殺戮オランウータン小説を読めってこと?」

「そーゆーこと!」


 十年ぶりに会った友達に殺戮オランウータン小説を読まされてるやつ、多分わたしが人類初で最後なんだろうなと思う。なんか滅びゆく人類のことを考えてしまった。


 とりあえず読んで一言。


「何書いてあるかよくわかんないしミステリーにもなってないのでは?ちゃんと状況説明しないと推理もできない。あと最後これ何を納得した?」

「厳しい……」

「ちゃんと描写を尽くせ。他の小説はもっとうまくて面白かったぞ。ちゃんと小説を書け。殺戮オランウータンをなめんじゃねえ」

「ことちゃんは殺戮オランウータンのなんなの?」


 昔の呼び名が自然に出てきて少し驚いたけど、わたしも普通に返す。


「賞貰ってる人たち普通に面白かったし、商業作家の方のちゃんとしたミステリー読みなさい。こちらの先生の新刊わたしも読んでるけどスピンオフよめたみたいでラッキー」

「それでね、二作目も書いたんよ」

「サプライズ松尾芭蕉……これもミステリのネタバレなの?こわ……」

「そっち未読ならいつか読んでほしいな!」


 作中にヒント出してあるから、とニヤニヤ笑っている様子が、学生時代と全然変わってなくてウケた。


「そっちはミステリーじゃないんだ。一応一話完結でラブコメ?なんかギャグ漫画日和思い出してそっちに意識がいっちゃう……いっちゃんは、小説全然書いてなかったの?」


 こちらも学生時代のあだ名で呼んでみたのだけど、ぎこちなさを誤魔化せたのだろうか。

 一葉はなんだか、授業聞いてなかったの?仕方ないなぁ、と言っているような、薄い笑みを浮かべた。


「うん、全然」


 それで、何となく。

 学生時代の彼女ではなくなってしまったんだなぁとわかった。


「それなのに、千話?」

「あたし、最近眠れなくてさ。

子どもが夜泣きするの、なかなか泣き止まない夜もあってさ、パパが起きてくれることも当然あるんだけど、まあどうせ起こされると思うと寝る気になれなくて」


 話が変わったように聞こえるけど、これは彼女の癖だ。最初から順々に話し始める。


「眠れないから、Twitter見て人のおすすめの漫画とか小説とかアニメ、アマプラとかKindleで見てさ。子育ての息抜きとかしてたの。でもインプットばっかりって、ちょっと自分が情けなくて。でも小説、ネタは思いついても文章書けないし。そんなときにTwitterで流れてきたのが」

「すごくいい話に聞こえるんだけど、ていうか最近Twitter漫画で同人でその流れ見たけど、それが殺戮オランウータンであってよかったの?一回考え直した方がよくない?」

「まさか一回脳を焼き切ることがスランプ解消の秘訣だったとはね……」


 なんだかしみじみ言っている。そういえばこの子は学生時代、いきなり北海道にヒッチハイクしに行ったりしてた。明らかに漫画の影響。


「それで!せっかくアカウント作っちゃったしもったいないし!これから千話小話書くわ!」

「飛躍がすごすぎるけど……そんなに簡単にできるもんなの?」

「まああまり無理しない範囲で不定期更新で……短い話もばんばん公開しちゃおうかなって」


 と、ここで彼女は今までいじっていたiPhoneを見せてきた。メモ帳には、文字の羅列。


「とりあえず、これで第一話」


(了)



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