笹と静謐

SHOW。

静かな日

第1話 旅行

 シズの愛称で親しまれていた楠木くすのき 志津佳しづかが十五歳の頃に訪れた修学旅行の一幕が、遺影としてこの葬儀告別式で使用されている。


 黒染めの四月。高校の卒業式を既に迎えていた僕は、背広とネクタイが間に合わなかったこともあり、おそらく人生最後の学生服に袖を通していた。


 鯨幕くじらまくの外壁を囲った、バリアフリーを完備している所縁しょえんのない式場は感慨もない。


 読経どきょう焼香しょうこう弔辞ちょうじを淡々と別れ急ぐように、弔問客たちがこなしているように思えて仕方がなかった。


 嗚咽おえつを漏らしながら、十分頑張った、長生きした方だ、決して挫けることはなかったと、優しさとも慰めとも受け取れる言葉を残してはいたけど、僕は冷めた心情で聞いている。


 そうでもしていないと、僕自身がとても保ていられなかったからだ。


 一通りの儀式が終わり、葬儀告別に対する落ち着きが見られる。


 そんなつもりはないんだろうけど、個人的にはとてつもない落差を感じていた。


「えっと……このたびは娘のためにご足労頂き誠にありがとうございました」


 シズの父親が謝辞を述べ、両親共々深く頭を下げている。

 弔問客も僕も、それに倣っている。


「娘もこれだけの人に見送って頂いたことを、照れながらも喜んでいると思います」


 そこで数人の口角が不覚にも上がっていた。

 シズのことをよく知る人たちだろう。


 形式の関係で大笑いすることには躊躇ためらった様子だけど、それでもシズの照れつつも、嬉々として院内を駆けていく情景が浮かんで微笑んでいたのかもしれない。


「……疲れてない?」

「あ、そうですね少し……」


 そのつかの間の数秒、僕の隣にいる黒を基調とした和装に身体を包んでいるシズの母親が、正面を向いたまま訊ねてきた。


 反射的に答えてしまったとはいえ、ここは嘘でも疲れていないと言うべきだったのかもしれない。


 僕は反省の代わりに、それ以上の言葉に窮してしまう。


「色々と緊張したと思うけど、あとちょっとだからね」

「は、はい」


 無理して発声をすると、元来がんらいの口下手がたったの一言で露呈して、シズの母親を余計に気を遣わせてしまっている。

 あまり無理をさせたくはないのに、僕の行動はどうしても裏目に出てばかりだ。


 そのシズの両親は、この式場の中に狼狽することも涙を流す様子もなく、ただ娘の葬式を見守っているように思う。


 それどころか僕のことを気遣い労ってくれたり、先程までここにいる全員に感謝の弁を伝えて回ったりしていて、とても愛娘を若くして亡くした両親の姿には思えないくらい、平然を装っている。


 けれど、ここにいる誰よりも虚勢を張って、親として振る舞っていることを、僕は知っている。


 あの日、精神的な憔悴しょうすいを取り繕えないままでも、僕に配慮して挨拶を交わしてくれたことを今も鮮明に覚えている。


 ある程度覚悟はしていたんだろうけど、やはり辛いものは辛い。


「わたくしたちの両親、娘から考えると祖父母が遠方に居住している関係で執り行なう時期が大幅に遅れ致したことを深くお詫び申し上げます。

 そして、これは個人的な感情ではありますが、余命よめい幾許いくばくもないと宣告された娘が、こうして沢山の人に迎えられて、最後まで連れ添ってくれた同年代の子がいて、きっと恵まれていたと、思います」


 静寂と感傷がささやかに攪拌かくはんする。

 俯く人、瞳を閉じる人、祈るように両手を重ねる人、その脳裏にはそれぞれ、どんな出来事を追憶しているのだろう。


 その空気を察してシズの父親は少しだけ朗らかな口調で発言した。


「ありがとうございます。それでこのあとの予定なのですが——」

「——ゔぅあぁっ……!」


 その呻き声に、皆が呆気に取られた。


 それは細々としたれ声をしていて、すぐに老齢だと分かる。


 僕がその方向を見ると、脚腰の不自由から車椅子に乗っている、シズと同じ病院で入院生活を送っていたウメ婆と呼ばれていた人物がいる。


 そのウメ婆さんはシズの父親の言葉を図らずも遮ってしまうと、両手で顔を覆って硬直していた。


 参列したほぼ全員の視線がウメ婆さんもとへと向けられているが、後に続く言葉がない。


「すみません。少し外出させて貰います」


 担当者が慌てながら、ウメ婆の車椅子の駆動輪ロックを外して、式場の外へと押していった。


「……では、改めてましてですが」


 そのあとは、何事もなかったかのようにシズの告別式が終わる。


 僕は即席で叩き込まれた礼儀作法と棒立ちだけして、結局何かを伝えられる間もなく、皆が式場を後にする中、ただ漠然と左手を添えるようにして僕はシズの遺影を眺めていた。


 中学校の制服を着て、振り向きざまの偶然の笑みで写っているシズ。

 まだ何が起こっているのか分かっておらず、肩肘を張っていない自然体の表情だ。


「こうしてみると、この時は少し顔が丸いんだね」


 当然これ以外の写真もあったけど、淡白な背景とはっきりと顔が判ることから厳選された。


 けれどそれとは別に僕は、フィルムには映っていない前後のやり取りを回顧する。

 謂わばこの写真の内輪話だ。


 まさかこれが、シズへの隠し撮りがバレる少し前の瞬間だとは誰も思いもよらないだろうと、僕は微笑む。


 何故それを知っているかと訊かれたら、この写真を撮ったのが他でもない、僕だからだ。


 だから僕にとっては、中学生活を送るシズを切り取っただけの一幕に過ぎない。


 それはこの場所にはどうにも相応しくはなく、ちょっと悪戯な童心が混じっていた、少し幼い僕とシズの他愛のない日常でしかない筈だったからだ。


 本音を言うなら、いつか数あるフィルムの中から掘り起こして、お互いに茶化したりしながら恍惚と眺めていたかったと僕は切に感じる。


 断じて、このような用途で撮影されたものではなかった。


 だけど皮肉にも、それはシズという人物を知る人からすれば、シズらしいなんて馳せてしまう程に佳麗かれいな写真だった。


「……ほんと、色々あったね」


 その問い掛けに、勿論返事はない。

 そもそも、僕からシズに話し掛けること自体が少なかったせいもあるかもしれない。


 でも、生前にもっと話し掛けていればという後悔はない。僕はシズの脈絡のない提案を聞くことを純粋に好んでいたみたいだ。


 それでも今だけは、僕は誰に届く筈もない言葉を紡いで止まない。

 感情はこんなにも疲弊しているのに、それを暫く続けていた。


「……今度はどこに行くのかな?」


 僕は最後までシズに翻弄され続けたことを、一生涯、忘れることはない。

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