自殺願望のはずだった。

さーど

EP1.僕は落ちるはずだった。

 一学期の終了を、ついに告げられた放課後。


 季節としては既に夏のくせして、ひんやりと冷たいそよ風が更に冷めている頬をこする。

 透き通った青空は雲ひとつも無く、鬱陶うっとうしい太陽も高いのに、今日はやけに肌寒い。


 ……まあ、変に暑い気候よりはこっちの方が幾分かマシだとは思うけれど。


 何もかもを温めはしない憂鬱ゆううつな暑苦しさだなんて、僕にとっては全くと言って不必要だ。

 仮にそんなものがあったとしても今はいらない。結論を言えば、もう全てを欲しはしない。


 ……だけど、なにか一つでも。たった一つ、生きた証を残せた人生だっただろうか。

 この体、心になにか意味はあったのか。例外にも、この答えだけは無意味に欲してしまう。


 答えなんて分かりきっているはずなのに。

 何も残せているわけが無い。誰もが残せるであろうあとも、全くと残せてはいないと。


 だけど、だけど。見つけ出さないと。

 じゃないと、にくたらしい程に心地良い目の前の快晴に、嘲笑あざわらわれているように感じるんだ。


 ……嘲笑われるのなんて慣れたはずなのに、自分でも不思議に思えた。


「……どうしようもないなあ、僕は」


 そういう自身に、僕は嘲笑う。

 すると、右腕から段々と力が抜けていって、それにともない意識も朦朧もうろうとしてきた。


 嗚呼ああ、心地良い……


 皮肉にも、もうすっかり僕はこれに病み付きとなっているみたいだ。

 こうしないと落ち着きもしない。分かってはいるけれど、完全に手遅れだ。


「……あ、しまった」


 だけど、力が抜けてきたからか、愛用しているものを思わず落としてしまった。

 静かに落ちていくそれに、全体的に黒く染まった右腕を伸ばす。


 ──でもまあ、いいか。

 今更大事にしても、全く意味がないし。それに、今から僕も同じことになる。


 うん、そうだ。だから、このまま……


「──何してるの……?」


 しかし当然、後ろの方から声がした。


 鈴のように高くて、美しい。だけど、震えているのかとてもか細くなっている。

 それに、どこか聞き覚えのあるなつかしさを感じるような。……よく分からない声だ。


 朧気おぼろげな意識の中でそう考えるも、それ以上深く考えることはせず僕は振り返る。


 ──刹那せつな、脳内に何かしびれが走った。

 一瞬、呼吸を忘れる。自身でもよく分からない何かが、脳内をめぐっていく。


 ……美しい少女が立っていた。


 鼻筋が通り整っている顔に、透明感が溢れる乳白色の滑らかな肌。

 冷たいそよ風になびき、光沢まではっきりと見える栗色のストレートヘアとの相性が良く、その形の良さを引き立てていた。


 そして、学校から指定された制服の上からでも目立ってくるそのスタイル。

 出るところは出ているのに、ベルトで絞められたウエストはかなり引っ込んでいる。


 ただ、ワイシャツもシワ一つないしチェックのプリーツスカートも膝丈の長さだ。

 それをしっかりと着こなしているその姿は、どちらかと言えば清楚せいそな印象を受ける。


 どちらにせよ、その姿が美しいというのは間違いがなかった。


 ……ただ、最後に長く瑞々しい睫毛まつげふち取られたアーモンドアイが目に入ってしまった。

 見開かれたその中にあった銅を彷彿ほうふつとさせる瞳は、見るからに動揺の色をしている。


 ……よく見れば、そのご尊顔そんがおも酷く青白くなっていた。


「……あっ、え……」


 それを見てしまっただけで、急激に頭から血の気がなくなっていく。

 脳内に先程とは違う嫌な痺れが走り、ガタガタと手足が激しく震えてきた。


 頭の中に流れ始めるのは、ここ二年間の内に焼き付いたいくつもの思い出。

 しかしそれは忘れたいもので……まさに今こそ、思い出したくはない物ばかりだ。


 ──そうだ。

 いつも愛用しているあれで、もう一度……もっと、深く……


「……え」


 無かった。

 いつも仕舞っているポケットの中に、それは入ってはいなかった。


 様々な感情が脳内に渦巻く中、僕は他のポケットも叩き急いでそれを探す。

 けど、無い。どこにも無い。いつも身につけているはずなのに、一体どこに……


「───」


 ダメだ、間に合わない。


 耐えきれなくなって、もう体内から吐き出してしまっているのを自覚した。

 凄まじいスピードで、力が一気に入らなくなってくる。


 苦しい。寒い。むなしい。

 もうほとんど何も考えられない頭の中で、そんな単純極まりない言葉だけが浮かぶ。


 最後はもう、頭の中には何も残らなかった。

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