【キコリの短編シリーズ③】春、桜。そして本。

キコリ

春、桜。そして本。


『本日の天気は、最高気温23℃で、全国的に春らしい陽気でしょう。』


朝7時半過ぎ。

僕は新しく買ったスーツに身を通し、朝食でパンを食べながら天気予報を聞いていた。

4月から担当になった新しい天気予報士は、初々しいスーツ姿をしていた。

僕はその様子を見ながら、今の自分の着ている服を見た。


もしかしたら、今の自分と天気予報士は、あまり立場が変わらないかもしれない。

―――どこかでそう思えた。


「今日は何時からなの?」

「9時半に集合だよ。もう出る!」

「そんな天気予報ばっかり見てないで、早く支度しなさいよ。」

僕は母親に急かされながら、パンを口に詰め込んだ。登校初日に急かされるのは嫌だ。


「お互い頑張りましょう。」

僕は、母親にではなく、テレビで緊張しまくっている天気予報士に向かって挨拶をした。そのまま、新品のカバンを手にしてリビングから出る。



・・・今年の春は、どうも忙しくなる予感がする。



・・・


僕は今日から、大学生になる。

いわゆる、#春から○○大学、というハッシュタグを掲げた1年生になる。

新品の靴はどうも合わない。しかも、スーツのサイズも大きめだ。あの天気予報士に、どうやったらスーツを着こなせるのかを、聞いてみたくなった。


大学へと続く道を歩くのは、高校2年の夏休みに行われた、オープンキャンパスぶりだった。

この世界を巻き込んでいる「見えない恐怖」のせいで、高校3年生の時はこの場所に来なかった。入試も別会場で受けたので、この道を歩くのも久しぶりだった。

それでも、天気予報士の言っていたように天気は良好だ。入学式の会場に続く道は桜街道と化していて、新入生を暖かく歓迎してくれていた。僕はそれに見入り、一度立ち止まった。


・・・途端、誰かと肩がぶつかる。

「あ! すみません。」

僕は後ろを振り返った。ぶつかったのは、同じようにスーツを着ている女子だった。

「いえいえ、こちらこそ!」

女子は軽く会釈をして、僕の前を颯爽と過ぎ去っていった。


その時、彼女のカバンから1つ、何かが落ちるのを僕は見過ごさなかった。

「あのっ! 落としましたよ。」

僕はすぐに拾って彼女の方を見た・・・が、大勢いる新入生の中に紛れ込んでしまったのか、彼女の姿はもう見えなかった。

「・・・また会場で見つけられるかな。」

僕は、彼女が落とした物を拾った。

それは、ハードカバーの分厚い本だった。

僕は、そっと自分のカバンの中に入れた。


・・・


入学式が終わり、僕は学部のガイダンス会場へ移動した。

さっきから、あの本を落とした彼女には会えていない。

もしかしたら、同じ学部じゃないのかもしれない。

その分厚い本をカバンから出し、僕はパラパラと捲ってみた。


その1ページ目の冒頭は、女子特有の丸文字でこう書いてあった。


『4月2日。今日はとても温かい日。天気予報士の人も変わっていた。少し私と同じかもと思う。今日は、入学式。何かあるかもしれないから、この日記帳も持って行こうと思う。・・・』


「日記帳かよ!」

僕は、思わず声に出してツッコミを入れた。

それと同時に、他人の心を盗み見た恥ずかしさやら罪悪感やらで、胸がいっぱいになる。

某有名書店のカバーがされてあったので、普通に単行本かと思っていた。


「あの、それって!」


僕は、数時間前に聞いた声に反応して、振り向いた。

そこには、今僕が手にしている本・・・いや日記帳を落とした、彼女がいた。

彼女の手には、入学式で貰った資料があった。

「す、すみません!」

僕は咄嗟に彼女に返した。

「名前とか、書いてあるかなと思って開いていました。」

僕は咄嗟に、それっぽい理由を言う。本当は興味があっただけなのに。


「いえ、探していたので。拾って下さりありがとうございます。」

彼女は、透明感のある手で、日記帳を受け取ってくれた。幸い、彼女はキレるような人ではなかったらしい。

「同じ、文学部の人ですよね?」

僕は、彼女の言葉に頷いた。

「はい。僕も文学部です。」

「良かったです。もし同じじゃなかったら、日記帳貰えなかったです。」

彼女は、ふんわりと笑った。

マスク越しでも、彼女の表情がなんとなく分かった。

「日記帳、かなり分厚いですね。普段も本を持ち歩いているんですか?」

僕は、なんとなく質問してみた。

「はい。まぁ、普段は文庫本を持ち運んでいます。」

「え、好きな作家とかいますか?」

「私は、○○さんとか好きです。」

僕は彼女の言葉に驚いた。

「僕も○○さん好きなんですよ。あとは、□さんとか、△△△さんとか。」

「文庫本、かなり読まれるんですね!」

「そうですね。ちなみに、この大学の文芸部にも興味があって・・・」

僕はそこまで話しを続け、自然と知らない人でも会話ができていることに気づいた。

「もしよければ、LINE交換しませんか?」

彼女の勧めで、僕もLINEを出した。そのまま、彼女の連絡先をゲットする。

―――あの朝の天気予報士のように、僕も新しい場所で頑張れるかもしれない。



・・・今年の春は、どうも忙しくなる予感がする。



僕は朝思ったことを、もう一度思い出して笑った。

まだ春は、始まったばかりだ。



                 『終』

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【キコリの短編シリーズ③】春、桜。そして本。 キコリ @liberty_kikori

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