11 呪いと口づけ

 




「──結衣と平野くん、とっても仲良しだったね」




 忠克たちと別れ、祭り会場を後にし……

 駅へと歩きながら、蝶梨が楽しそうに言った。

 その隣で、汰一は深いため息をつく。


 あの二人が付き合うに至ったきっかけは、汰一が交通事故で入院し不参加となった球技大会だったらしい。

 普段はゲームばかりしているインドア派で、クラスでも目立つ方ではない忠克だが、実は運動神経が非常に良い。クラス対抗のバスケットボールの試合でも大活躍だったそうだ。

 そんな忠克の意外な姿に結衣が惚れてしまい、大会の片付け中にこっそり連絡先を渡したのだという。

 そこから一気に距離が縮まり、付き合うことになったようだ。



「まったく。最近どうも様子がおかしいと思ったら、彼女ができていたとは……全然気付かなかった」

「でも、平野くんにはバレてたね。私たちのこと」

「昔からそうなんだ。俺の隠し事はすぐ見抜くクセに、自分の秘密は絶対にバラさない。で、後になってから何食わぬ顔で暴露したりする……ほんと、詐欺師みたいなヤツだよ」



 はぁ、と再びため息。

 "堕ちた神"に憑依されていないのは良かったが、何かに化かされたような、狐にでも摘まれたような気分だった。

 もっとも、忠克との長い付き合いの中でこんな思いをするのは初めてではないが。


 ため息をつく汰一の隣で、蝶梨がくすりと笑う。



「騙すのがうまいってことは、それだけ人をよく観察しているってことだね。そんな平野くんが信頼してずっと側にいるんだから、汰一くんはやっぱりいい人なんだよ」

「う……まだ褒め言葉が出るのか? そろそろ勘弁してくれ、恥ずかしくて居た堪れない……」



 と、汰一は先ほどの『彼氏の好きなところ』プレゼン大会を思い出し、顔を赤くする。

 今まで付き合っていることを隠していた反動なのか、蝶梨も結衣も惚気がなかなか止まらず、あの忠克が珍しく赤面して止める程だった。



「んふふ。さっきのプレゼン大会、楽しかったなぁ。またやりたいかも」

「やめてくれ、文字通り誉め殺しにされそうだ」

「そんなっ。だめだよ、私を殺すまで死なないで!」



 なんて、『殺される』というワードに過剰反応する蝶梨。

 そういえば、さっきの惚気合いでは上手いこと性癖を隠して喋っていたなと、汰一は振り返る。やはりそれについては、二人だけの秘密にしておきたいようだ。



「冗談だよ。蝶梨より先に死んだりしない。じゃないと、蝶梨のこと看取れないもんな」



 そう言って、汰一は蝶梨の手を握る。

 高校二年のカップルがするような会話ではないと承知しているが、もはや汰一の感覚も麻痺しつつあった。


 そんな風に、彼女の"殺され願望"に毒される一方で……

 汰一は、その言葉が嘘になるであろう罪悪感に襲われる。


 結局あの"黒い獣"の出所でどころはわからなかったが、近いうちに柴崎が対処するはずだ。いや、もしかすると既に終わっているのかもしれない。

 つまり……蝶梨エンシを護るという自分の役目も、いよいよ終わる。


 だから。

 彼女と死ぬまで一緒にいることは、できない。

 不運な自分と神さま候補の彼女とでは、きっと神々が添い遂げることを許さないから。



 やはり、これが最期のデートになるのだろう。

 そう考える汰一の視線の先に、駅が見えてきた。

 電車に乗って、待ち合わせた駅に降り立ったら、そこで終わりだ。

 最期のデート、思わぬハプニングもあったが……



「……楽しかったな」



 ぽつりと、汰一が呟く。

 蝶梨が「え?」と聞き返すので、汰一は微笑んで、



「今日のデート、すごく楽しかった。終わるのが寂しいくらいに」



 そう、素直な胸の内を伝えた。

 蝶梨は驚いたように目を見開くと、ほんのり頬を染めて、



「……わ、私も……まだ帰りたくないなって、思ってた」



 足を止め、小さく呟く。



「もう少し一緒にいたいから……ちょっと、寄り道していかない?」



 そのセリフに、汰一の心臓がドキッと跳ね上がる。


 あまり長くいると余計に離れ難くなるような気がして。

 別れた後に押し寄せる喪失感が大きくなるような気がして、怖かった。

 けれど……

 今日という日は、もう二度と戻らないから。



「……そうだな。もう少しだけ、一緒にいよう」



 蝶梨の手を、強く握りしめて。

 駅とは違う方向に歩き始めた。






 * * * *






 駅前の歩行者天国を抜けると、川が見えてきた。

 両岸が遊歩道になった、それほど大きくはない川だ。


 川に沿うようにして桜の木が植えられている。今は青々とした葉を茂らせているが、春にはきっと最高の花見スポットになるのだろう。


 遊歩道から川縁かわべりへ降りるための階段を見つけ、汰一と蝶梨は手を繋ぎながら降り、川のすぐ傍を歩いた。



 下駄が川砂利を踏む音が響く。汰一は蝶梨が転ばないよう足場が平らな場所へといざない、そこで足を止める。


 祭りの賑やかな灯りで気付かなかったが、今日は満月だった。さわさわと流れる浅い川の水面に、丸い月が揺れながら映っている。



 人のいない静かな場所を探しここまで来たが、何を話そう。

 最期のデートの、最期の時間に……一体、何を話せばいいのだろう。



 川面かわもに揺らぐ月を眺め、汰一は言葉を探す。

 しかし、彼が口を開くより早く、



「……今日、本当に楽しかったなぁ」



 蝶梨が、静かな声で言う。



「好きな色の浴衣を着て、好きなキャラクターのお面をつけて、大好きな汰一くんといろんなお店を回って……結衣たちにも、ちゃんと付き合っていることを知ってもらえて。今日一日、『本当の私』でいられたなって思う」

「蝶梨……」

「私ね、最近自分のことが好きになってきたんだ。前までは臆病で嘘つきな自分があまり好きじゃなかったけど……汰一くんが『本当の私』を真っ直ぐに肯定して、『好き』の気持ちをたくさん伝えてくれるから、私も自分を好きになろうって思えるようになった」



 そして、蝶梨は柔らかな表情で微笑み、



「あらためて、本当にありがとうね、汰一くん。私、汰一くんの彼女になれて……本当に幸せだよ」



 そう、はにかみながら言った。

 その言葉に、笑顔に、汰一は胸が苦しくなって、泣きそうになる。

 だから、詰まりそうな喉を無理矢理動かし、声を発するのに精一杯で、



「お……お礼を言うのは俺の方だ。本当にありがとう。今日のことは、とても……いい思い出になったよ」



 そんな、気の利かない言葉を返すことしかできなかった。

 しかし蝶梨は、嬉しそうに頷いて、



「うん。来年も、その次の年も、こうして来られたらいいね。あ、でも来年は受験生で、その次は大学生かぁ。その頃には何をしているんだろうね、私たち」



 と、闇夜に浮かぶ月を見上げながら、無邪気な声で言う。



 彼女が描く未来の中に、当たり前のように自分がいる。

 そのことが堪らなく嬉しくて……どうしようもなく切なかった。


 来年も二人で、この祭りに来る。

 それが叶うのなら、どれだけ幸せだろう?


 いっそ付き合わなければ、離れる辛さに嘆くこともなかったのに。

 ずっと片想いでいられたなら、この手を離す寂しさを知ることもなかったのに。


 自身の不運な体質と、それを利用する神の身勝手さを呪いたくなるが……恨んだところでどうにかなる問題でもなかった。



 何も言えず黙り込む汰一の横で、蝶梨が再び口を開く。



「……ねぇ。夜に見る川って、なんだか不思議じゃない?」



 汰一が「え?」と聞き返すと、彼女は川を見つめたまま続ける。

 


「夜、私たちが眠っている間も、川はずうっと止まらずに流れ、海へ向かっている。そう思うと、ちょっと不思議な気持ちにならない?」

「確かに……言われてみればそうだな。川は、俺たちが意識していようがいまいが、ずっと流れ続けているんだよな」

「そう。それって……私たちと同じだと思わない?」



 その言葉に、汰一が蝶梨の方を見ると……

 彼女は、穏やかな微笑みを汰一に向ける。



「私たちの時間は、刻一刻と終わりに向かって流れ続けている。途中で分岐や落差があったとしても、結末は同じ。みんな必ず、死という海を目指している」

「死という、海……」

「少し前までは、それが怖くて堪らなかった。こうしている今も、その海に近付いているんだって。けど……今は違う」



 手を繋いだまま、蝶梨は汰一と向かい合い、



「汰一くんと一緒なら……その海に向かうのも、怖くない。今日みたいに楽しい思い出をたくさん重ねて、同じ時間かわを一緒に流れて、いつか海になれるなら……それはとても幸せだなって思う」



 そして。

 蝶梨は、その瞳に妖しい光を宿し……




「でも、もっと幸せなのは…………汰一くんに、その海へ突き落としてもらうこと。避けようのない終着のときを、汰一くんの手で迎えることができたら…………私はそれが、一番幸せ」




 うっとりとした表情で、吐息混じりに言う。

 しかし、すぐにハッと我に返り、



「ご、ごめんなさい。私、また気持ち悪いこと言って……」



 と、繋いだ手を離そうとするので。

 汰一は、その手をしっかりと繋ぎ止める。



「……いいよ」

「え……?」



 そのまま、驚く蝶梨の手をぎゅっと強く握り、





「……蝶梨のことは、俺が殺す。だから……それまで絶対に死ぬな」





 そう、真っ直ぐに言った。



 それは"呪いの言葉"だった。

 "エンシ"として"厄"に狙われ続けることへの警告の意味もあるが、真意は違う。

 この先、神々に引き離されたとしても、蝶梨が死を迎えるその時まで自分を忘れずにいてほしいという想いを込めた、"呪い"。


 きっと本当に優しい人間なら、ここで突き放すのだろう。

 離れなければならない運命なら、「気持ち悪い」と言い捨てて、嫌われることを選ぶのだろう。


 だが、自分にはそれができない。

 好きだから。

 蝶梨のことが、狂おしい程に好きだから。

 本当は……離れたくなどないから。


 身体は離れても心だけは繋ぎ止めていたいという醜い欲が、胸の内を真っ黒に染め、残酷な言葉となってつむがれる。




「蝶梨を殺していいのは俺だけだ。誰かに殺されることも、自分で死ぬことも許さない。蝶梨の命は全部……俺のものだから」




 "呪いの言葉"を聞く蝶梨の瞳に、金色の満月が映る。

 美しい弧を描き、混じり気のない輝きを放つ月。

 その丸い月が……蝶梨の笑みに合わせ、三日月に歪む。



「うん……私の命は全部、汰一くんのものだよ。他の誰にも渡さない」



 恍惚の表情を浮かべ、蝶梨は汰一の手を握り返すと、



「ね……さっき言いかけたこと、教えて?」

「さっき?」

「うん。私と、どんなことがしたいって言おうとしたの?」



 言われて、汰一は思い出す。

 先ほど、太鼓の音に遮られ言えなかった言葉。


 蝶梨は、とろんとした瞳で汰一を見つめ、




「私……汰一くんになら、何されてもいいよ。だって、殺されたいくらいに好きなんだもん。だから……汰一くんが何をしたいのか、ちゃんと教えて……?」




 震える声で、囁くように言った。


 なんて……なんて甘い言葉なのだろう。

 そう思う汰一の理性が、ドロドロと溶かされていく。



 嗚呼、好きだ。

 どうしようもなく、愛している。

 言葉だけじゃもう足りない。

 蝶梨に触れたくて……堪らない。



 汰一は、繋いでいた手を離し。

 蝶梨の両肩にそっと、手を置く。

 そしてそのまま、ゆっくりと……顔を近付けた。


 しかし蝶梨は、汰一の手を掴み、



「……こっち」



 と……

 彼の両手を、あろうことか自分の首へと当てがった。


 汰一は少し驚くが、彼女の瞳が高揚に揺れているのに気が付き……

 きゅっと、首を絞める手に力を込めると、




「……いいよ。俺が…………殺してあげる」




 そう、囁いて。

 蝶梨に…………キスをした。




 それは、想像以上に柔らかく、幸福な感触だった。

 触れた瞬間、甘い香りに包まれ、まるで世界に二人きりでいるような感覚に陥る。


 手のひらに伝わる、蝶梨の健気な脈の律動。

 嗚呼、すごい。

 今、彼女の命が、手の内にある。

 その愛おしさと征服感に、汰一はどうしようもなく興奮し……

 ほんの少しだけ、手に込める力を強めた。


 白い首筋に、ぐっと沈む親指。

 途端に、嬌声にも似た甘い吐息が漏れる。

 唇をつけたままそっと瞼を開けると、切なげに震える彼女の長いまつ毛が見えた。




 ……そうだ。

 このままもっと力を込めて、本当に彼女を殺してしまえば……

 彼女は永遠に、自分だけのものだ。


 他の誰かのものになることもないし、彼女の願いも叶えられる。

 そうだ、それがいい。

 一緒になれない悲しみを背負って生きるくらいなら、いっそここで……



 彼女を、殺してしまえばいい。





 ──そんな危うい衝動に飲まれそうになるが。


 汰一は、蝶梨と初めて会った時のことを思い出す。


 不運な自分に絶望し、何もかも諦めて死のうとしていた自分に、彼女は言った。




『本当に終わりでいいの? まだ行ったことのない場所が、会ったことのない人が、この世には数えきれないほどいるんだよ? その中に、君が生きる理由になるものが絶対にある。だからもう少しだけ……そのときのために、生きてみようよ』




 ……そうだ。

 あの言葉があったから、今日まで生きることができた。

 あの瞬間が、自分にとっての"そのとき"に他ならないから。


 交わることはなくても、彼女を想うと決めた。

 他の何を犠牲にしても、彼女を護ると決めた。

 報われなくていい。

 彼女が笑って、生きていてくれるだけでいい。

 ずっと、そう思い続けてきたじゃないか。


 彼女にはきっと、この先も素晴らしい未来が待っている。

 それを、こんな醜い独占欲で奪っていいわけがない。

 来年、彼女の隣にいるのが俺じゃなくても、彼女には生きていてほしい。笑っていてほしい。

 それが、不運な俺が生きる、ただ一つの理由。

 



 だから……

 この手は、離さなきゃ。






「…………」



 どのくらいそうしていただろう。

 長かったような短かったような時間を経て、二人は重ねていた唇を離した。

 同時に、汰一は首から離した手で、彼女の身体を強く抱きしめる。



「蝶梨……好きだ。大好きだ」

「私も、大好き……幸せすぎて、このまま死んじゃいたいって思っちゃった」



 腕の中の蝶梨が、譫言うわごとのように呟く。



「私が死ぬ時は……こうしていてね」



 その言葉に「わかった」と答えることは、汰一にはもうできなかった。

 代わりに、彼女の後ろ髪をそっと撫で、尋ねる。



「……なぁ」

「ん?」

「蝶梨が先に死んだら……俺は一人になるんだよな」

「そう、だね」

「蝶梨がいない世界なんて、生きていても意味がないから……一つ、お願いをしてもいいか?」

「お願い?」

「うん。蝶梨が死んで、神さまになったら……俺を、迎えに来てよ」



 汰一の言葉に、蝶梨は「神さま?」と不思議そうに聞き返す。



「そう、神さま。俺、神さまになった蝶梨に殺されたい。そうすれば、蝶梨のいないこの世を離れて……死んだ後も、あの世でずうっと一緒にいられるはずだ」



 それが叶わぬ夢であることを、汰一は知っている。

 死んだ人間は、"エンシ"でない限りただの霊魂となって次の命に転生してしまうから。

 そうでなくとも、この約束はきっと守られない。

 これから先、自分と別れて、他の誰かと人生を歩むことになれば……こんな約束、忘れてしまうだろうから。


 でも、希望がほしくて。

 いつか彼女が迎えに来てくれると、そんな希望を持ってさえいれば、不運で孤独な人生でも生きていける気がするから。

 最期の我儘として、彼女にお願いをしたのだ。


 蝶梨にしたら突拍子もない話のはずだが、しかし彼女は優しく微笑んで、



「私が神さまになるだなんて、汰一くん不思議なこと言うね。でも……うん、幽霊になったとしても会いに行くよ。汰一くんが望むなら、一緒に連れて行ってあげる」



 そう答えてくれることに、汰一は堪らなく嬉しくなる。

 蝶梨の身体を離し、汰一は彼女の瞳を見つめる。

 そして、今までの全てに対する感謝を込め、「ありがとう」と言おうとした……その時。





「──あは。だめだめ、そんなこと。絶対にさせないよ」





 そんな声が、どこからか響く。


 反射的に顔を上げ、周囲を見回すと……

 景色から、色が消えていた。


 金色の満月も、緑色の桜の葉のも、ピンクや紫で彩られた蝶梨の浴衣も、全てがモノクロへと変わっている。

 そしてそれは、汰一の目だけに現れた異常ではないようだった。蝶梨も突然変わってしまった視界に、「汰一くん……」と不安な声を上げている。



 これは……

 似ている。以前、柴崎に導かれ足を踏み入れた此岸このよ彼岸あのよの狭間──"亡者たちの境界"に。



 汰一が警戒を強め、声の主を探すと、




「神さまになって迎えに行く? ハッ、無理に決まってんじゃん。だってその女は……今から殺しちゃうんだから」




 背後から、先ほどと同じ声。

 バッ、と振り返る汰一の瞳が、声の主を映す。

 そして……




「…………うそ、だろ……?」




 その姿に、彼の瞳は、驚愕と困惑に見開かれた。


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