2-1 蝶とホラー映画

 



 ──はぁはぁ、と。


 蝶梨の口から、荒い息が漏れるのを……


 汰一は半眼で見つめ、困ったようにため息をついた。




 放課後。

 いつものように蝶梨と二人で花壇に来ているわけだが……

 今日も今日とて、彼女は汰一の動作にあの"妙な反応"を見せていた。


 ちなみに今日の作業は、春に咲き終え枯れてしまった花の処理。

 スコップで根っこごと掘り起こした瞬間に、例のが始まったのだ。


 頬を染め、悩ましげに吐息を漏らす蝶梨を見つめ……汰一は考える。




 今回も、掘り返された花の方に感情移入しているのだろうか?

 ならばやはり、被虐的な方面の嗜好を持っているはずなのだが……

 ファミレスでドSなキャラクターが登場する漫画を読んだ時には、「思っていたのと違う」と言っていた。


 あの時は、彼女は所謂いわゆるMではないのだろうと思った。

 だが……



 もしかしてあの漫画のS具合が、彼女にとってぬるかっただけなのではないか?



 と、今は思い始めている。

 もっとこう、エッジの利いたSを求めている可能性はないだろうか?


 ……いや、『エッジの利いたS』というのがどんなものなのかは知らないが。




 などと自問し。

 汰一は苗を掘り返すのをやめ、一度咳払いをすると、



「……なぁ、彩岐。『ときめき』を探すのに、ホラー映画とかは試したことあるか?」



 彼女を見つめ、そう尋ねた。

 それに蝶梨は、舌ったらずな声で「ほらーえいが……?」とぼんやり聞き返すので、汰一は理性を総動員させて答える。



「そう。それもお化け系じゃなくて、スプラッターとかサイコホラーって言われているやつ」

「……例えば?」

「チェーンソー持った殺人鬼に狙われたり、監禁されてデスゲームに強制参加させられたり……そういう狂気的な恐怖を描いた映画のことだよ」

「ゾンビ映画なら観たことあるけど……そういうのはあまり観たことはないかも」

「なら、今度試してみたらどうだ? 『ときめきの理由』に近付くヒントが見つかるかもしれない」

「なんで?」



 間髪入れずにそう聞き返され、汰一は面食らう。

 しかし、蝶梨は続けて、



「なんで、そう思うの?」



 と、熱から冷めたような、いつものクールな無表情で問うので……

 汰一は、思わず口をつぐむ。



 もし彼女が本当に被虐的欲求を抱えているのなら、いっそ過激なシーンの多い映画に触れてみるのはどうだろうかと、汰一は考えたわけだが……

 しかし、彼女自身にその自覚がないため、それをそのまま伝えるのははばかられた。

 なので、



「前にファミレスで聞いた『ときめいたシーン』の例から考えても、結構スリリングなシチュエーションが多そうだったからさ。そういうのをテーマにしている映画なんかいいんじゃないかと思ったんだ」



 と、精一杯オブラートに包んだ提案の仕方をしてみる。

 が、蝶梨は、



「そうかな……私はあまりそうは思わないけど」



 と、やはり無表情のまま淡々と返した。


 その声に少しの違和感を覚え、汰一は……

 正面から、真っ直ぐに彼女を見つめ返す。


 そして、一見無表情に見えるその顔をじっと見つめ……

 唇と瞳が、微かに震えていることに気が付く。



 ……まさか。




「…………苦手なのか? ホラー映画」




 半信半疑のまま尋ねた瞬間、びくぅっ! と露骨に反応する蝶梨。

 そして、慌てて口を開き、



「べ、別に苦手ってわけじゃ……子どもじゃあるまいし」

「彩岐。今は素顔を出す"練習"の時間だぞ? 本当は?」

「…………」

「…………」

「………………こわぃ」



 ぽつりと、観念したように呟き、




「……苦手なの。お化け系だけじゃなくて、テレビでよくやってる衝撃映像とか、ああいうびっくりさせられる系のやつも怖くて……あまり観ないようにしてる」




 肩を縮こませながら、怯えるような表情で答えた。



 言わせておいて何だが、まさか本当に苦手だったとは……と、汰一は驚く。


 いつも冷静で、滅多なことでは動じない性格だと思っていたが、それも彼女の努力によって作られた虚構だったらしい。



 汰一は、おどおどしている彼女をじっと見つめ、



「ふーん……怖いんだ」

「……うん」

「心霊とか、ドッキリ系とか、苦手なんだ」

「だから、そう言ってるじゃない」

「なるほど。"素"の彩岐って……結構、なんだな」



 あえて平坦な声で言ってやると、彼女はぴくりと肩を震わせて、




「そ、そうなんだけど……そう言われると、なんか悔しい……っ」




 眉間に皺を寄せ、汰一を睨み付けた。

 その表情に、彼は……


 嗚呼、これこれ。


 と、胸の内で悶絶する。



 普段はクールで無表情な彼女の、この悔しそうな顔……

 眉の間に寄った皺も、尖らせた唇も、上目遣いで睨むジトッとした目も、可愛くて堪らない。

 これが見たくて、つい揶揄からかうようなことを言ってしまうんだよな……


 ……って、好きな子を怒らせたいとか、小学生か俺は。



 などと、幼稚な自分に呆れながら。

 いまだ自分を睨み付けている蝶梨に、ふっと笑って、




「ごめんごめん。"素"の彩岐が可愛くて、つい意地悪を言いたくなるんだよ」




 そう、正直に言う。



 先日の三つ編み姿を見た時から、汰一は極力本音で彼女を褒めると決めていた。

 口説こうとしているわけではない。"素"の自分を曝け出すことへの抵抗をなくしてもらうためである。


 それに……

「可愛い」なんて言葉、彼女はもう耳にタコができる程言われてきたはずだ。

 今さら自分の言葉一つで心が動くわけがないと確信しているからこそ、汰一は素直に「可愛い」と伝えることができていた。



 しかし……


 言われた瞬間、蝶梨はボッと顔を赤らめ……さらに汰一を睨み付ける。



「……刈磨くんて、誰に対してもそんな感じなの?」

「『そんな感じ』って?」

「…………なんでもない」



 ふいっ、と目を逸らし、今日も三つ編みに結った髪の先をきゅっと握る蝶梨。

 その反応を、汰一が不思議そうに見つめていると……蝶梨は、横目でチラリと彼を見て、



「……刈磨くんが勧めるなら……観てみようかな、怖い映画」



 と、窺うように言う。

 汰一は頷いて、彼女の勇気を後押しする。



「あぁ、ぜひ観てみるといい。きっと何か収穫があるはずだ。観終わったら感想を教えてくれ」

「……え? 一緒に観てくれないの?」



 きょとん。という顔で。

 蝶梨は、汰一を見上げて、




「そんなの、私一人で観られるわけないじゃない。どんな映画があるのか全然知らないし……刈磨くん、付き合ってよ」




 ……と。

 縋るような、泣きそうな目で、そんなことを言うものだから。


 ……嗚呼、本当に、独り占めしたくなる可愛さだな。


 と、胸の内で呟いて。



「……わかった。言い出しっぺだしな、付き合うよ」



 そう、微笑みながら頷いた。






 ──映画館で上映中の作品を調べたものの、今の時期はそういうジャンルの映画をやっていないようだった。


 ならば、過去の有名な作品をDVDで借りたり、ネット配信で観たりするしかないのだが、それはそれで『何処どこで観るのか』という問題が浮上する。


 互いの家に上がるのは当然なしだ。同性の友だちならまだしも、家族の目がある中で異性のクラスメイトを招き入れるのは……さすがにハードルが高すぎる。


 なら、どうしようかと考えた時、蝶梨がこう提案した。



「お休みの日に、生徒会室のパソコンを使って観るのはどうかな?」



 生徒会室には、ノートパソコンが何台か置いてあるらしい。

 平日は生徒会で使用するため難しいが、先生に事前に言っておけば休みの日でも使わせてもらえるのだそうだ。

 部活動の練習があるため土日でも学校は開いているが、生徒会室なら一般の生徒はまず立ち入らない。誰にも邪魔されず、集中して映画を観ることができる絶好の場所だった。



「よし。じゃあDVD借りて持って行くから、今度の土曜に学校集合な」

「ありがとう。レンタル代は払うから、あとで金額教えてね」

「いいよ、俺が言い出したことだし、俺が払う。そんなことより、彩岐は今から心の準備しておいた方がいいぞ? すっげー怖いの選んでいくから」



 にやりと笑って汰一が脅すと……蝶梨は露骨に顔を強張こわばらせて、




「…………刈磨くんて、やっぱり意地悪だね」




 と、恨めしそうに呟いた。









 * * * *







 そうして。

 約束の土曜日がやってきた。


 休みの日に制服を着ることに違和感を覚えつつ、汰一はいつものようにバスに乗る。



 映画を勧めたのは自分だが、一緒に観るつもりはなかった。

 まさかこんなことになるとは……



 ……と、昨日の内にレンタルした鞄の中のDVDに意識を向ける。



 結構本格的なスプラッターホラーを選んでしまったが、彼女はどんな反応をするだろう?

 怖い思いをさせるのは可哀想だが……怖がる彼女を見たいという気持ちも多分にあることは否めなかった。


 そういう個人的な楽しみもあるが、一番の目的は彼女の"ヘキ"を明確にすることだ。

 そのためにも、どんなシーンに反応するのか、よくよく見極めなければな……



 ……なんて、シリアスな表情を作ってみるが。


 内心は、単純に彼女と一緒に休日を過ごせる喜びでいっぱいなのだった。





 ──予定した通りの時間に学校へ着くと、校庭から運動部の掛け声が聞こえてきた。

 休みの日まで練習なんて殊勝なことだと他人事ひとごとのように思いながら、上履きに履き替え校舎へ入る。


 知り合いに鉢合わせたら厄介なので警戒していたが、誰にも会うことなく無事に三階の生徒会室へ辿り着いた。


 廊下側には窓がないため、中の様子はわからない。

 汰一はコンコンとノックをし、先に彼女が来ているか確認する。

 と、中から「はい」という聞き覚えのある声が返ってきたので、汰一は扉を開けた。


 生徒会室に入るのは、これが初めてだった。

 汰一は思わず、その部屋の中を見回す。



 中央に置かれた会議用の長机。役員ごとの席が決まっているらしく、名前が書かれた三角形の札が置かれている。

 部屋の両端には、本やファイルが収納された棚がずらりと並んでいる。この学校の様々な資料が保管されているのだろう。

 正面には校庭を臨む広い窓、その下に小さな冷蔵庫とポット、カップなどの食器類が置かれていた。さすが生徒会、一般生徒にはない高待遇である。



 そんな、広い生徒会室の中。

 蝶梨が、鞄を肩にかけたまま、長机の前に立っていた。



「おはよ。彩岐も今来たところか?」



 扉を閉めながら、汰一が尋ねる。

 すると彼女は、目を泳がせて、



「お、おはよう……私も、さっき来た」



 ……と、どこか落ち着かない様子で答えるので、汰一は「どうした?」とその顔を覗き込む。


 蝶梨は、肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握り……

 内股にした足をガクガク震わせて、




「せ……先生に、『生徒会の仕事がある』って、嘘ついて鍵借りちゃったから……今頃になって、ざざざ罪悪感が…………」




 言いながら、目に涙を浮かべ始める。

 どうやら生徒会室を私的に利用する罪悪感に飲まれ、座りもせず立ち尽くしていたらしい。


 汰一は、あまりの可愛さに吹き出しそうになるのを必死に堪える。

 この真面目さと責任感の強さは、後天的な演技によるものではなく、彼女自身の生まれ持った性格だ。

 そんなところも好きだと、汰一はあらためて思うと同時に……



 この戸惑った顔を見ると、さらに追い詰めたくなってしまう。



「そうだな……まさか彩岐が『映画を観る』なんていう超個人的な理由で生徒会室を利用しようとは、先生方も夢にも思わないだろう」

「う゛っ……」

「彩岐…………悪い子だな」



 瞬間、『ガーン!』という顔をして、蝶梨はドアの方へと駆け出す。



「ややややっぱり鍵返してくる!!」

「うそうそ、冗談だよ。嘘が嫌なら、こういうことにしないか?」



 その反応に笑いを堪えつつ、汰一は引き止める。

 そして、指を立てながらこう提案した。



「『今年の文化祭で、二年E組は"デスゲーム屋敷"をやろうと考えている。もちろん本当に死ぬわけではないが、あまり怖すぎても問題なので、生徒会役員である彩岐に意見を求めた。その参考に、映画を観ることにした』……これなら正当な理由になるだろ?」



 しかし蝶梨は、釈然としない顔で俯く。



「……でも、それも嘘だよね?」

「大丈夫だ。今度の文化祭の出し物会議で、俺がちゃんと『デスゲーム屋敷』を提案する。そうすれば嘘ではなくなる」

「……なるほど」

「な? だからそんなに自分を責めないでくれ。じゃないと、いつまで経っても"クールで優等生な彩岐蝶梨"から脱却できないぞ?」

「……そうだね」



 納得したのか、蝶梨は踵を返し、出て行くのをやめた。

 汰一はほっとして、長机に鞄を置く。



「別に誰に迷惑をかけているわけでもないんだし、俺も共犯者だから。気楽に観よう」

「……うん」

「ま、宣言通りめちゃくちゃ怖いの借りて来たから、気楽に観られるかはわからないけど」

「え゛っ」



 顔を強張らせる蝶梨に、汰一は鞄から取り出したDVDを掲げ、にやりと笑う。

 さらに、



「あと、ポップコーンとコーラも買ってきた。映画と言えばこのセットは欠かせないからな。あ、炭酸大丈夫だったか?」



 と、蝶梨の分のペットボトルを机に置くと……

 彼女は、驚いたように目を見開いてから、少し頬を染めて……



「……じ、実は…………」



 どん、と。

 自身の鞄から、まったく同じコーラのボトルとポップコーンの袋を取り出し、机に置いて。




「……映画館では、いつもクールぶってコーヒーだけ飲んでいるから……ずっと、こういうセットに憧れてたの。だから、今日は絶対にポップコーンとコーラを用意しようって決めてた。そしたら……被っちゃったね」




 と、はにかんだ笑みを浮かべ、言う。


 その笑顔と、机に並んだ四本のコーラ、そして二袋のポップコーンを眺め……汰一は同じように笑みを浮かべた。



 苦手なジャンルの映画を観ることになって、嫌な思いをさせていないかと心配だったが……

 彼女は彼女で、今日のことを楽しみにしていてくれていたのだろうか?



 なんて、自惚れた考えに頬が緩むのを堪えられないまま。



「……よし。じゃあ今まで我慢してきた分、これ全部彩岐にやるよ」

「えっ?! さすがにこれ全部は無理だよ!」

「そう遠慮せずに。彩岐なら余裕だって」

「刈磨くんは私のこと一体なんだと思っているの?!」



 どんどん声を荒らげ、ムキになる彼女に……



 この生徒会室で、彼女のこんな顔を見たことがあるのは自分だけだろうな、と。



 得体の知れない優越感に浸りながら、汰一は「冗談だよ」と微笑んだ。


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