1-2 蝶と向日葵

 



 草むしり。


 それは、花の成長を阻害する雑草を、引き抜く行為。



 晴天続きのせいか、ついこの間草むしりをしたばかりだというのに、ヒマワリの苗の周りには既に名も知らぬ雑草が我が物顔で生えていた。


 それを、抜かなければならないのだが……




「くっ……草むしり……っ」




 目を大きく開き、わなわなと震える蝶梨。

 その様子に、汰一は……ため息をつく。



 数日前、彼女と花壇の手入れをした時……

 何気なく雑草を抜いた汰一の手捌きに、蝶梨はを見せたのだ。


 つまり。

 彼女があの艶っぽい反応を見せるとわかった上で、今から草むしりをしなければならないということ。



 ……正直、理性がしんどい。



 この後、摘心てきしんの作業でも『ハァハァ』する可能性があるのだ。

 横でずっとあの息遣いをされていては……どうしても良からぬ方向に思考が傾いてしまう。



 だが、これは彼女のため。


 彼女は、真剣に自分の本心と向き合おうとしている。

 自分が一体何にときめいているのか、本気で知りたいと考えている。

 三つ編みに結ったのだって、もちろん俺のためなんかじゃない。

『本当の自分』を曝け出すための"練習"をしたに過ぎない。


 この草むしりと摘心で、彼女のヘキがわかるかもしれない。

 彼女の本心に、近付けるかもしれない。

 理性を最大限に働かせ、彼女が何にどう反応をしているのか、じっくり分析をするのだ。




 ……そう、自分に言い聞かせ。

 汰一は覚悟を決めると、軍手を今一度しっかり嵌め直し、



「じゃあ……むしるよ?」



 という、未だかつて口にしたことのない宣言と共に。

 ヒマワリの苗の近くに生えた、一本の雑草に手を伸ばす。



「う、うん……」



 既に口を手で押さえつつ、蝶梨が食い入るように汰一の手元を凝視する。

 その熱い視線を感じながら……彼は雑草を握る。



 草むしりをする時、汰一はいつも罪悪感を抱いていた。

 この雑草も、すぐ隣に生えているヒマワリも、同じ植物だ。

 懸命に種を飛ばし、ようやく辿り着いたこの土壌で、しっかり根を張り生きている。

 それを、無慈悲に引き抜く。

 ヒマワリは大事に育てるのに、である。

 そこに人間のエゴを感じ……汰一は草むしりの度に、少し胸が痛くなるのだ。



「……ごめんな」



 せめてもの手向たむけに、そう呟いて。

 茎をぎゅっと掴み……



 それを、根っこからズルズルッと、引き抜いた。



 直後。




「んぅ……っ!」




 横で、そんな声が上がる。



 ……わかっていた。

 わかってはいたが……



 汰一はチラリと蝶梨を見る。


 白い肌を赤く上気させ、押さえた手の隙間から熱い吐息を漏らす彼女……




 …………あの。

 これ、どう見ても発情しているよな……??




 と、その潤んだ瞳を見て、思う。


 今まであえて考えないようにしていたが、これは『ときめいている』と言うよりは、『性的に興奮している』ような反応だ。


 まぁ、『恋愛的なときめき』と『性的な興奮』が直結する場合ケースがあることは、汰一も男なのでよく理解している。

 それに近い感覚が、彼女の中でも起きているのかもしれない。



 ならば、尚のこと不思議だ。

 こんな、"雑草を抜く"というだけの事象に、どうして『ハァハァ』できる?



 汰一は一度手を止め、蝶梨に向き直り、



「なぁ……ちょっと詳しく教えてもらえないか?」



 真剣な表情で、尋ねる。



「この動作を見た時、彩岐の視点はどこにあるんだ? 俺に重ねているのか、第三者として見ているのか、それとも雑草目線になっているのか……」



 彼女は、どの立場でこの事象に興奮しているのか。

 それを知ることは、真相を解明するための重要な手掛かりになるはずだ。


 その質問に、蝶梨は「えぇと」と少し考えてから、



「…………草目線で、見ている……と思う」



 と、少し恥ずかしそうに答えるので、



「じゃあ、草として俺に引っこ抜かれることを想像してそんな風になってんの?」

「……うぅ」

「チューリップの花摘みや、紫陽花の取り木の時は? 同じように、花の方に視点を置いていたのか?」

「……わ、わからない」



 ふいっ、と目を逸らす彼女。

 これは、図星と考えていいのだろうか。



 どうやら彼女は、植物に自分を置き換えて興奮しているらしい。


 ……いや、それってどういう性癖だよ?


 草や花になって、引っこ抜かれたり花を折られたり、土に埋められたりしたいってこと?

 わからない。わからないが、一つ言えるのは……



 やはり彼女は、被虐性を求めているのではないか?




「…………」



 朱色に染まったその横顔に。

 汰一は、背筋がゾクゾクするのを感じながら、



「……ほら」



 と、再び近くにあった雑草を、ズブッと抜く。

 途端に、ぴくんっと跳ねる蝶梨の身体。

 その反応を楽しむように、汰一は次々に草をむしっていく。



「どう? 彩岐……きゅんきゅんする?」

「んっ、ぅ……っ」

「自分が引っこ抜かれているみたいで、ドキドキするか?」

「あ……っ」



 雑草を根から引き抜く度に、声を漏らす蝶梨。

 汰一は加虐欲に突き動かされるままに、園芸鋏を手に取り、



「摘心……してみようか」

「え……」

「わかる? この、真ん中からツンッて出てる芽……これを鋏で切り落とすから……よぉく見てて」



 言いながら、汰一は左手をヒマワリの苗に添える。

 そして、




「…………いくよ……?」




 少し焦らすように、そう言ってから。

 伸びた主枝の頂点にある小さな芽を……



 ──ブツッ。



 と、根本から切り落とした。




「…………っ!」




 口を押さえ、息を止めるように声を堪える蝶梨。

 今までで一番大きな反応だった。


 身体を小刻みに震わせ、声も出せない様子の彼女に……

 汰一は、ハッと理性を取り戻す。



 何をやっているんだ、俺は……

 雑草を引っこ抜いて、「ドキドキするか?」なんて……どういう趣旨のプレイだよ。

 自覚はなかったが、もしかして俺って、Sのがあるのか……?



 などと自己嫌悪しながら、震えている彼女に慌てて声をかける。



「さ、彩岐……大丈夫か……?」



 欲に飲まれたばかりに、彼女にとって刺激の強いことを連発してしまったに違いない。

 心配げに覗く汰一を、蝶梨は……潤んだ瞳で見つめ返し、



「…………かい」

「え?」



 こくんっ。

 と、喉を鳴らして。





「今の…………もっかい、見せて……?」





 潤んだ瞳で、ねだるように言った。



 半開きになった赤い唇。

 そこから漏れる、熱い吐息。


 ああもう、何なんだよ。

 せっかく理性を取り戻したというのに……



 そんな顔で見つめられたら…………

 こっちまでおかしくなってしまう。




「…………いいよ」




 熱に浮かされたように答えると、汰一は別のヒマワリの苗に手を伸ばす。




 ……彩岐が悪いんだ。

 こんなわけのわからないことで興奮して、扇情的な顔を晒して。

 好きなひとから、そんな顔で「もっと」とねだられたら…………


 理性など、保てるはずがない。

 




「……ほら、見てて…………?」



 汰一は、鋏を構える。


 そして再び、主枝についた花芽を、ブツッと…………




 摘み取ろうとした、その時。






 ──ひょこっ。




 と、汰一が手を添えている葉の裏から。


 ……一匹の蛞蝓なめくじが、顔を覗かせた。





「…………」

「…………」



 同時に気付き、固まる二人。


 ヒマワリには、蛞蝓が付きやすい。

 今年はあまり雨が降らないためほとんど見かけていなかったのだが……よりによって、このタイミングで出てくるとは。


 思いがけない形で水を差され、汰一は冷静さを取り戻す。

 そしてそれは、蝶梨も同じのようで……



「な、なめくじ……」



 と、赤かった顔を、一気に青白くさせていた。

 汰一は、先ほどまでの悶々とした雰囲気を払拭するように一度咳払いをしてから、尋ねる。



「……虫、苦手なのか?」

「ううん、全然平気」

「…………」

「…………うそ。ちょっと苦手」

「だよな、顔にそう書いてある」

「……ごめんなさい」

「なんで謝るんだよ。ちゃんと""を出せるようになってきたじゃないか。良いことだ」



 そう微笑む汰一に、蝶梨は……

 どこか恥ずかしそうに見つめ返して、



「……ありがとう」



 と、呟くように言った。


 どうやら彼女も落ち着いたようだ。

 あのまま続けていたら……お互いどうなっていたことか。


 欲に飲まれ暴走してしまったことを反省しながら、汰一は苦笑いする。



「何にせよ、芽を摘むのは蛞蝓こいつをどかしてからだな」

「こ、殺しちゃうの?」



 そう尋ねる蝶梨の声が、微かに震える。


 その強張こわばった表情は、蛞蝓に対する憐れみによるものなのか、それとも……

 殺すことへの期待によるものなのか、汰一にはわからなかった。


 物置小屋には蛞蝓撃退セットとして、塩水入りの霧吹きとつまむためのトングを常備しているので、いつでも駆除することができる。

 だが……



「……蛞蝓の身体は、九〇パーセントが水分でできている」



 汰一は、独り言のように語り始める。



「そこに塩をかけると、濃度を薄めるために体内の水分を排出し、浸透圧が働く。よって、身体が縮み……死に至る」



 言いながら、彼女ならこんなことは知っていたかもしれないな、と思うが……汰一はそのまま続ける。



「日照り続きで、水を求めてここまで来たんだろう。それなのに、 身体中の水分を奪われて殺されるだなんて……可哀想だよな」



 そして、汰一は園芸鋏の先に蛞蝓を乗せ……

 静かに立ち上がり、歩き始めた。


 汰一が向かったのは、先ほど腐葉土を取りに行った薄暗い校舎裏。

 ここなら人目につくこともないし、理不尽に駆除される心配もない。

 そう考え、校舎を囲うブロック塀の壁面に、蛞蝓をそっと降ろした。


 蛞蝓は、コンクリートに含まれるカルシウムを好んで食べる。

 ヒマワリの葉を食わしてやるわけにはいかないから……



「……悪いな、ここでおとなしく塀でも舐めていてくれ」



 人語を理解しないのは百も承知だが、願望混じりにそう声をかけた。


 塀を這っていく蛞蝓を見届けてから、汰一はきびすを返す。

 と、蝶梨が少し離れたところで、その様子を見ていた。




「……殺した方がよかったか?」




 何故か、そんな問いが口から溢れる。

 しかし、蝶梨は首を振って、




「ううん。これで良かったと思う」




 そう答えた。

 そして、薄暗い校舎裏で、その背中に西日を浴びながら、





「……やっぱり、刈磨くんの手は……優しいね」





 と。

 ふわりとした笑みを浮かべて、言った。


 思いがけない言葉に、汰一は驚いて聞き返す。



「……手が、優しい?」

「そう。初めて見た時から、そう思ってた。だから…………」



 ……そう、何かを言いかけて。

 しかし、すぐに口を閉ざし、



「……ううん、何でもない」



 目を伏せ、小さく首を振った。


 何を言おうとしたのか、言葉の続きが気になったが……

 なんとなく、今はまだ聞くべきではないような気がして。



「……掴めそうか? 『ときめきの理由』」



 代わりに、そう尋ねることにする。

 蝶梨は、困ったように笑って、



「……まだ、もう少しかかるかも。だから……これからも付き合ってね、刈磨くん」



 三つ編みにした髪を揺らしながら、そう言った。


 それから、眩しそうに空を見上げて、



「……日が、長くなってきたね。いつ植えようか? こないだ言っていた、"ストレスパーパス"」



 ……と、凛とした声で言う。


 それに、汰一は……

 一瞬、「ん?」と考えて、




「……もしかして、"ストレプトカーパス"のことか?」




 そう、聞き返す。

 それは、今度一緒に植えようと約束した花の名前だ。

 汰一の指摘に、蝶梨はびくっと肩を震わせ、



「そ……そういう名前だったっけ……?」



 引き攣らせた顔を、みるみる内に赤く染めていく。


 どうやら、花の名前を間違えて覚えていたらしい。

 確かに長くて覚えにくい名称だが……彼女がそんな間違いをするなんて、初めて見た。



 恥ずかしさに顔を赤らめ、目を泳がせ、おろおろする蝶梨。

 その余裕のない表情が……やはり汰一には最高に可愛く感じられて。


 もっと見たいと、つい追い討ちをかけてしまう。




「……彩岐も、見切り発車でモノを言うことがあるんだな。あまりにも自信満々に言うから、そういう名前の花があるのかと思った」



 わざと感心したように言ってやると、蝶梨は眉間に皺を寄せて、



「……刈磨くん、手は優しいのに、口は時々意地悪だよね」



 可愛らしい顔で睨みながら、悔しげに呟いた。




 嗚呼、この表情。ほんとクセになる。

 やはり俺には、加虐性愛者サディストがあるのかもしれない。





「……その顔、俺以外には見せない方がいい」

「え? な、なんで?」

「すっっごく、怖いから」

「うそ、私そんな怖い顔してる……?!」

「というのは冗談で」

「もうっ、揶揄からかわないでよ!」

「すまんすまん。でも、本当に……他には見せないでほしいかな」

「……え?」




 だって、可愛すぎるから。


 という真意を見せないまま、汰一は微笑んで。

 花壇へ戻るべく、来た道を歩き出す。



「さて。残りの摘心をして、虫除けを撒こう。また蛞蝓が寄って来たら困るからな」

「ねぇ、私って顔怖い? 目つきとか気をつけた方がいいかな?」

「本当に冗談だって。正直、彩岐の睨み顔は……ぜんぜん怖くない」

「それはそれで、なんか悔しいんだけど!」

「じゃあ、俺相手にもっと睨む練習をすべきだな。いくらでも付き合うぞ」

「いいの? 刈磨くんのこと睨んじゃって」

「もちろん。むしろもっと睨み付けてほしい」

「……刈磨くんて、ひょっとして変態?」

「…………それは」




 お互い様じゃないか?



 という言葉が、喉まで出掛かるが。

 汰一は、それを飲み込んで。




「…………そうかもな」




 と、軽い口調で返しながら。

 陽の当たる花壇へと、戻って行った。


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