14 二人きりの食事会

 



 日が暮れた駅前に、店舗の看板やバスのヘッドライトが眩しく煌めく。



 時間も時間なので、夕食を食べられる場所で漫画を読もうということになり、汰一と蝶梨はファミリーレストランへ入った。


 親へは『友だちとファミレスで勉強するから夕飯いらない』と連絡を入れた。

 帰ったら文句を言われそうだが、彼女が漫画を読む間、参考書に少しでも書き込みをすれば物的証拠としては十分だろう。



「二名さまですね」と店員に案内されたのは、二人がけのテーブル席。

 蝶梨を奥のソファーへ促すと、彼女は「ありがとう」と言って鞄と弓袋を下ろし、長い髪を揺らしながら静かに座った。


 その一連の動作を見つめ……汰一は、今更ながら緊張感に襲われる。




 想定外のことが起こりすぎて、深く考えないままここまで来てしまったが……


 なんだ、このシチュエーションは。

 二人で、食事?

 彼女と向かい合わせで座り、こんな近くでその美しいご尊顔を眺めながら、時に会話を織り交ぜつつ、一緒に食事をしようとしているのか?


 ……ありえない。夢に違いない。

 そうでなければ……



 明日あたり、俺はきっと、死ぬ。





 椅子の横で立ったまま固まる汰一に、「座らないの?」と蝶梨が尋ねる。

 汰一は我に返り、慌てて腰を下ろした。

 その様子を、小首を傾げながら不思議そうに見つめる彼女は……既に致死レベルの可愛さを放っている。


 正面からまともに見つめ合えば、数秒で心臓が破裂する可能性がある。

 蝶梨を直視しないよう、汰一はテーブルに置かれたメニューに目を落とす。



「急に夕飯食べていくことになって、家の人は大丈夫だったか?」



 平静を装いながら尋ねると、蝶梨は「うん」と頷く。



「今日は弓道部の手伝いで遅くなるって言ってあったし、『お友だちとご飯食べて帰る』って連絡したから大丈夫」

「そうか、ならよかった。何頼む?」

「ミートソーススパゲッティ」



 ……と、差し出したメニューを受け取りもせず即答するので、汰一は目を丸くする。



「……見なくていいのか?」

「うん。前にも頼んだことあるから」

「でも、他にもいろいろあるぞ? 季節限定メニューとか、新メニューとか」

「大丈夫。刈磨くん、選んでいいよ」



 淡々と言う彼女に驚きつつも、こんなところもさすがだなぁと感心してしまう。



「わかった。じゃあ俺は……」



 彼女を待たせるわけにはいかない。ここはスパッと決めなくては。

 汰一は気合を入れ、メニューを素早くめくっていく。



 よし、肉にしよう。ハンバーグかステーキだ。

 うわ、どっちも美味そう。めちゃくちゃ腹減ってきた。

 食べ応えがありそうなのはステーキだが、ハンバーグも肉汁たっぷりで捨て難い。

 なるほど、ステーキにはガーリックチップがかかっているのか。美味いんだよな、これ。

 うわ、中にチーズが入ったハンバーグか……画力えぢから半端ないな。

 おいおい待てよ、ビーフシチューも肉がとろっとろで美味そうだな。

 何? 煮込みハンバーグだと? きのこたっぷり入れやがって……くそっ、どこまで俺を悩ませれば気が済むんだ。



 食い入るようにメニューを見つめ、頭を悩ませる汰一。

 入院していた二週間、健康的な病院食のみを食べていたため、久しぶりの外食につい目移りしてしまうのだ。


 その苦悩の表情を、蝶梨はじぃっと見つめて……



「……ねぇ」



 と、声をかける。

 それに、汰一はハッと顔を上げる。



「あ、悪い。悩みすぎだな。もう決めたから……」

「私も」



 汰一の声を、遮るように。

 蝶梨は、ほんのり頬を染めて、




「私も、やっぱり…………メニュー、見てもいい?」




 と、遠慮がちに言うので……

 その照れ顔に、汰一の心臓が一瞬止まる。



 人が悩んでいるのを見てたら、自分もメニュー見たくなっちゃったのか?

 即決した手前、恥ずかしくなって、その照れ顔……?

 何だよ、それ…………



 可愛すぎるだろ!!!!





「……刈磨くん?」



 可愛さのあまり止まっていた心臓が、彼女の呼びかけにより再び動き出す。危なかった。本当に死ぬところだった。


 汰一は愛しさに震えながら、自分が見ていたメニューを「はい」と手渡した。


 それを受け取り、それなりの時間をかけてじっくり眺めると……



「……ん、決めた」



 蝶梨は一つ頷き、メニューを閉じた。



「じゃあ、呼び出しボタン押すぞ」

「うん」

「俺、ドリンクバーも頼むけど、彩岐は?」

「いる」



 程なくして、店員が「ご注文お伺いします」とやって来た。

 汰一は蝶梨に手を差し、お先にどうぞと促す。

 彼女は、店員を見つめ、




「『柔らかお肉のビーフシチュー』、付け合わせはパンでお願いします」




 そう、凛とした声で言った。

 それに汰一は……

 思わず、ぽかんと口を開ける。


 その反応を見た蝶梨は、メニューを変えた照れ臭さから「なに?」と顔を赤らめるが……

 汰一は、ふっと笑みをこぼし、




「……いや、俺も同じのを頼むつもりだったから、ちょっとびっくりしたんだ。すみません、俺もビーフシチューのパンセット。あとドリンクバーを二つ」




 こそばゆい嬉しさを感じながら、注文を済ませた。







 ──料理を待つ間、二人は他愛もない会話をした。


 汰一が欠席した球技大会では、普段はヤル気のないE組が珍しく燃えていたこと。

 汰一と忠克が幼稚園からの腐れ縁なこと。

 浪川なみかわ結衣ゆいには、最近好きな人ができたらしいこと……



「……そうか。だから浪川は恋愛漫画を読んでいたんだな」

「たぶんそう。結衣ってわかりやすいから」

「で、あのキャッチーなタイトルとイラストに彩岐もつい興味を持ってしまった、と」

「……刈磨くんて、実は性格悪い?」

「ごめんごめん、冗談だよ。でも、『家じゃ読めない』ってどういうことなんだ?」

「私、小学生の妹がいるの。私のやることなすこと全てに興味を持って覗いてくるから、こんな漫画、家だと読めなくて」

「なるほどな。じゃあ、一人で買った後はどうするつもりだったんだ?」

「それは……やっぱりどこかでご飯を食べながら、こっそり読むつもりでいた」

「なら、結果オーライだったわけだ」

「そうね。むしろ一人でいたらどんな顔で読めばいいかわからなかったから……刈磨くんに会えて、逆によかったかもしれない」



 アイスティーのグラスに手を添えながら、真っ直ぐに言う蝶梨。

 その言葉に、汰一は……ただでさえ早鐘を打ちっぱなしな心臓をさらに加速させる。



『不運体質のせいでクラスメイトと距離を置いている刈磨くんなら、この漫画のことを言いふらしたりはしないはず』


 そんな"不名誉な信頼"があるからこその言葉なのだろう。

 そうだとわかっていても……やはり「会えてよかった」と言ってもらえるのは、素直に嬉しくて。



 汰一は、頬が緩みそうになるのを堪えながら、



「……そうか。お役に立ててなによりだ」



 そう答えてから、グラスの中のメロンソーダを、一口啜った。




 ちょうどその時、店員が「お待たせしました」と料理を持って来た。


 二人分の、『柔らかお肉のビーフシチュー』。

 目の前に置かれた途端、白い湯気がゆらりと踊る。


 二人は「いただきます」と手を合わせ……

 同時に、食べ始めた。



 よく煮込まれた牛肉をスプーンで掬い、一口頬張る。

 すると、その名の通り口の中で柔らかくとろけた。

 味付けもいい。しょっぱすぎず、玉ねぎの程よい甘味があって、付け合わせのパンを浸したらよく合いそうだ。


 ファミレスにしては、と言ったら失礼だが、期待以上の美味しさに汰一は思わず「うまっ」と唸る。


 すると、目の前で蝶梨も「おいひい」と呟き……


 しかし熱かったのか、すぐに両手で口を押さえ、「はふはふ」と息を漏らし始めた。



 ……もしかして、猫舌なのか?



「大丈夫か? 水持ってくるよ」



 そう言って席を立つと、蝶梨は口を押さえながらコクコク頷く。

 そのコミカルな動きに汰一は思わず笑みをこぼしつつ、ドリンクバーで水を注ぎ、急いで戻った。


 差し出された水のグラスを、蝶梨は受け取るなり慌てて口へ流し込む。

 そして、グラスの中身を一気に飲み干すと……



「……ぷはっ……ありがとう、助かった……」



 真っ赤な顔で、そう言った。


 その必死な表情が、普段の彼女とあまりにかけ離れていて。

 そんな一面が見られたことに、汰一は嬉しいやら愛しいやらで、つい吹き出してしまう。


 すると、蝶梨はむすっと口を尖らせ、



「……人が熱がっているのがそんなにおかしい?」



 今度は熱さではなく、恥ずかしさから頬を赤らめる。

 汰一は口元を緩めたまま、首を横に振って、



「いや、なんか……知れば知るほど、彩岐って……」




 可愛いな、って。



 ……という本音は、流石に口にできず。




「……けっこう抜けてるところあるんだな、と思ってさ」




 という言葉に置き換える。


 蝶梨は、悔しそうに眉の間に皺を寄せて、




「……奇遇ね。私も、知れば知るほど刈磨くんって……けっこう意地悪なんだな、って思っていたところ」




 水のグラスを両手できゅっと握りながら、そう言った。


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