第28話 婚約

 帰り着いたアナルトー伯爵邸はなんとなく静まりかえっている。

 使用人たちはまだ休む時間ではないから出迎えてくれたのだけれど、なぜかいつもより空気が重いように感じられた。

 それほど遅い時間でもないはずだから、母は自室でくつろいでいるのだろうか。


 心がざわざわしている。激しく泣いた後のように興奮したような、落ち込むようなそんな気持ちで落ち着かない。


「お嬢様、お疲れ様でした」


 行きはヘンリーが迎えにきたのに、帰りは違う家の馬車に乗って帰って来た主人の娘。

 それなのにそれに深く追究してこようとしないメイド達は、教育が行き届いていると思っておかしくなった。


 ドレスを脱いで風呂に入り、もう寝てしまおうかな、と思う。


 今日は色々なことがありすぎて疲れた……。

 そう思えば、バタン、と扉が閉まる音がして、階段の上から自分を見下ろす父を見つけた。


「……お父様」

「お帰り」


 今日は父は早めに帰ってきていたようだった。ガウン姿の父を見たのは久しぶりな気がする。

 使用人が多く見ているし、帰ってきたばかりのこんなところで言うべきことではないのはわかっている。

 しかし、自然と口から言葉がこぼれていた。



「ヘンリー様と婚約解消します。マルタス侯爵家にもお断りの書簡を出してください」

「…………」


 その沈黙は、娘の言葉を否定しているわけではないのが分かった。こう見えても父も動揺しているのだろうか。

 無表情な父の感情を読むようなスキルは私にはない。


「ヘンリー様がどういう人だかわかっていて私と婚約させましたわよね」


 私が睨むようにして父を見上げていれば、ふいっと父が顎をしゃくった。


「書斎に来なさい」


 黙ったまま、ドレス姿で階段を上り、父の後について言われた通り部屋に入っていった。

 父は立ったまま私を出迎える。


「ヘンリー様と私の結婚は、隠し通路の奥のコレクションに関係してますよね?」


 ちらり、とアナルトー伯爵家直系のみに伝わる隠し通路の入り口に視線を向ける。


「なぜ、それを……」

「私の結婚が我が家にメリットがないことから推測しました。そして、コレクションのこと自体はお母様から教わりました。価値のあるものだから、お父様とお母様が同時になにかあった時は、お兄様に知られないように私がなんとかするように、と」


 父が驚いている内容はこれだろうと先回りして返事をしていく。そんなことに驚いてもらって時間を割くような暇はないからだ。


 早くしないと……自分の心が決壊しそうだったから。


「じゃあ、あの部屋に入った痕跡は……」


 痕跡?

 やはり、ばれていたようだ。だからこそ警備隊を家の中に引き込んで邸内を捜査させたのだろう。


「お母様と私でしょう」

「そうだったのか。それなら言ってくれたらよかったのに」


 父が怒らないのが驚きだった。

 勝手に秘密を話した母を責めるかと思ったのに。父にとって、あれは隠すようなものではなかったのだろうか。

 家の一番奥に、人目を避けるように隠されていた宝物のようだと思ったのに。

 まるで、父の秘めた心のように。


 父が静かに口を開いた。


「……オークションのカタログにあの中のものを載せたのもお前のしわざか」

「そうです」


 正確にはロナードだけれど、彼の名前を出すわけにはいかないので、頷いておく。


「私とヘンリー様の婚約理由を知りたくて、関係者をあぶりだすために使いました」

「ふむ、やはりな。なんらかの目的を感じて慎重に動いていたはずなのに、それでもわかったのか」


 それはロナードのおかげだと言いたくなる。自分だけではたどり着けなかったもの。他人の功績を奪ったようでもぞもぞするが、それを言うべき時ではないから無視することにした。


「そんなことより、お母様がお父様に言わないようにと言いながら、お父様の大事なものを私に託した理由をお気づきではないですか?」


 最初は、淫らなものをコレクションしていることを知られたら、父が恥ずかしいだろうから知っていることを黙っていろと言われているのかと思った。


 しかし、今ならわかる。母があの部屋の秘密を『私』に明かした意味を。

 兄なら燃やすから、というのは言い訳だ。いや、実際にしそうだけれど。


 マルタス侯爵家に嫁ぐ私だからこそ、知らせておかなければいけないと思ったのだろう。

 母はマルタス侯爵夫人が画家であることは知らないだろう。だから何を思って、私にあの部屋の秘密を教えたのかは本当の意図はわからないが……。



 ――母は夫の隠された思慕には、気づいていたのかもしれない。


 そう。母も絵をたしなんでいるのだ。

 夫の秘密を打ち明けられ、それから結婚をしている母。もしかしたら何度となくあの部屋に足を踏み入れているかもしれない。 

 画家の目を持つ母なら、夫がコレクションしている物のモチーフが全て同じ人、そしてそれが知っている相手だと気づかないはずがないのだ。

 侯爵夫人が描くのが自画像なら、その当人にも会ったことが過去にもあるはずで、その時点でわかってもおかしくはない。


 私が恥ずかしくて見ることができなかった絵を、冷静な目で見ていた母。

 あの目になるまで、どれくらいあの絵を見つめていたのだろうか。


「激しい愛がなかったとしても、お父様とお母様の間には静かな積もるような愛があると思っております。それよりお父様は過去の追憶の方が大事というのですか? それは私たち、家族の縁より大事なものですか?」


 ああ、ダメだ。

 怒りより先に悲しみが出てきてしまう。だからこうなる前に話を終わらせたかったのに。

 間に合わなかったようだ。


「お父様が私とヘンリー様を結婚させたがる理由は、なんとなく察しております。しかし、家門の繁栄のために娘を嫁がせるというのならまだ許せますが、お父様の思い出のために私たち家族を犠牲にするのはやめてください!」


 女の涙はずるい。

 そう女の自分でも思うから、男の前で絶対泣いてなんかやるもんか。そう思って生きていたのに、とうとう私の目から涙が零れてしまった。


 つうっ、と、頬を涙が転がり、ドレスにしみができる。


 これは感情が高ぶっただけ。母の気持ちを裏切ってる父の裏切りに怒り、悲しむ気持ちなんかであってたまるもんか。


 じっと私を見つめていた父は、細く小さく息を吐いた。


「……わかった」

「じゃあ、ヘンリー様との婚約は破棄してくださるのですね?」

「……ああ、約束する」


 ひどく疲れたような顔をした父は、もう行きなさい、とばかりに扉に向かって指を振った。

 それに従い、私は頷くと彼に背を向けて出て行こうとした。


「リンダ」

「なんですか?」


 呼ばれたので振り返り、まっすぐに自分を見つめる父と目が合う。

 ああ、自分と同じ目の色だな、とその琥珀色の目を見つめて感じた。


「すまなかった」

「……もういいです」


 父の謝罪を頷いて受け止め、そのまま扉を開けた時に、思い浮かんだことがあって、そういえばと父に話しかけた。


「コート男爵令嬢とお兄様の仲も認めてあげてくださいね」

「リチャード? コート男爵令嬢? 仲とはどういうことだ」


 ああ、父もまだ知らなかったのだろう。

 今日のパーティーで大騒ぎになっていたあの事に。

 情報が早い父がまだ知らないことがある。

 父には好き放題されていたけれど、このことで、少しばかり溜飲が下がった気がした。

 利用されたことは悔しいけれど、でも、父は結局は私の言い分を聞き入れてくれた。


 それに、どこか冷血漢だと思っていた父の人間味ある行動が見え、昔よりほんの少し、嫌いじゃなくなった気がした。





***





「お嬢様、リンダお嬢様、起きてくださいませ」

「なに? どうしたの?」

「アレックス様がいらしております」


 いつもとは違い、自分を乱暴に揺さぶって起こすローラの慌てた声に飛び起きた。



「え、今、何時!?」


 聞けばいつも起きる時間をとっくに過ぎていて、朝食どころか昼食を食べるような時間だった。自分はよほど疲れていたらしい。

 最小時間で最大限の効果が出るようにめかしこんで、アレックスの待つ応接室に急ぐ。

 しかし相手は自分のこんな乙女心なんてちっとも知らないんだろうなぁ、と思うと情けなくもみじめにもなってくる。

 でも、そういう影の努力に気づかない、まっすぐなアレックスだから信頼も置けるし、好きなんだな、と思う。


 ああ、そういえば、お互い婚約がなくなったのだから、フリーなのだ。

 そう思うといまさらながら、緊張してきた。


「珍しいわね、うちに来るなんて。なんか用事?」

 

 声がひっくり返っていないだろうかと気を付けながら、アレックスの前に顔を出す。

 婚約者がいる同士、二人で会うことは控えろとロナードに言われていたので、ロナードの家以外で会うのは本当に久しぶりな気がした。

 幼い時はお互いの家を行き来もしていて、家の中で走り回ったりもして、叱られていたのに。そんな日が遠い気がする。


 自分の思惑なんか微塵も感じてないのだろう。アレックスはいつもと同じように「ああ」とぶっきらぼうな言い草で頷くだけだ。


「結婚を申し込みに来た」

「は?」


 あまりにも普段通りすぎて、彼の言ってることをスルーしそうになった。

 結婚?

 それって? と一瞬、反応できなかった私に、アレックスは仏頂面のまま、深い紅茶のような色の薔薇を一輪、差し出してくる。


「お互いにしがらみがなく、問題もない場合は、一番最初に好きになった人と結婚するのが幸せだと言ったよな。……うちの方は両親の許可は取って来た。お前に好きなやつはいないんだろう? それなら俺のために俺と結婚してくれないか」


 ちょっと待ってほしい。寝起きの頭に情報が多すぎて、混乱しているから。

 どこから返せばいいかわからない質問を貰ったような気分になった。


「え、えっと……あ、あの時、言ったこと、よく覚えてるわね……」


 時間稼ぎのために、関係ないことを言って紛らわせてしまう。


「お前が言ったことはなぜかよく覚えられるんだよ」


 そういえば、この薔薇も、以前に彼に私が言ったことが原因しているのかもしれない。

 花束よりも質のいい薔薇を一輪差し出された方がいい。その時に付け加えられている愛の言葉が大事なのだ、と。


 もしかしてこれも、彼なりの演出なのだろうか。


 幼い頃から知っている彼が、どんな性格をしているかなんてわかっている。

 そんな彼が自分のあんな戯言のために変わろうとしているのかと思うと、照れ臭いやら申し訳ないやらで。

 今、自分はにやけて変な顔をしていないかと不安になってしまう。


「自分が好きになった人が自分を好きになるのは難しいのかもしれない。でも、誰よりもお前のことを大事にするし、お前の幸せのために努力もする。だから――」

「もう、いいから! もう、何も言わないで――」


 だって答えはもう決まっている。

 初めて恋をした相手との結婚が幸せなら、自分は幸せになるしかないから。


 私はアレックスの胸に飛び込み抱き着くと、赤くなって緩み切った顔を隠すことに決めた。





■END■


お読みいただきありがとうございました<(_ _)>

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浮気されてる同士、婚約破棄同盟を結びます! すだもみぢ @sudamomizi

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