第2話 狂ったこの世

(雪だ……)

 蕨山は雪化粧をしている。

 風に踊る雪片は、田畑に少しづつ降り積もって、緑がかった景色を白く染めていく。

 その様を、2人の男が見つめる。

「なぁ、豊さん。いよいよ食えなくて死ぬ奴が、出るかもしれないな」

 紋次郎は、拳をさらに硬くした。

「5月に雪だなんて。遂にお天道様まで狂っちまったのかよ」

 豊五郎の吐くため息も深い。

 この寒さ、一度春を迎え、動き出した農作物にとっては、ひとたまりもない。葉や新芽などが凍えてしまえば、収穫は見込めまい。

 

 横浜で貿易が開始されて以降、米をはじめ、物価は上がり続けている。

 そこに、幕府が長州藩とまた戦を始めるという話があり、諸藩が米の買い占めを行った結果、米価は更に高騰した。

 豊作も見込めないとなると、今後ますます米の価格は上がるだろう。

 林業中心のこの山間の村には、米などの食料を買い入れて生活する者も多く、米価は生活を直撃するのだ。



 ひと月後。

 2人の予測したとおり米価は更に上昇した。

 進退極まった村人達が、寺の一室に集まり、村の顔役である紋次郎に一揆の蜂起を迫っていた。


「もうダメだ」

「親を捨て、娘を売ったとしても、生き残れない奴が出てくるぞ」

「紋次郎さん、俺たちゃもう限界を超えちまってる。一家で首を括るか餓死するかは時間の問題だ」

 村の男たちは、失望で陰った瞳で訴えてくる。 

「紋次郎、やるなら今しか無い。立ち上がる気力も体力も無くなってからでは、遅いぞ」

 腕を組んで聞いていた豊五郎が言うと、男衆はそうだそうだと、紋次郎に詰め寄ってきた。


(もう、どうにも抑えきれないか……)


「分かった。しかし俺たちは、自棄になって暴れ回る暴徒にはならない。民衆の暮らしを少しでも良くするよう、富が極端に偏ることがないよう世の中を変えるよう訴えるだけだ」

 紋次郎は筆を取ると、紙にスラスラと書き付けていった。

 世直しのために立つ。

 要求するのは「米価の値下げ」「米・金の施し」「質物の返却」。そして、一揆の参加者は「略奪行為、殺人、傷害、放火、女犯を禁ずる」。「武器は農具や生産用具のみ」というように要求内容と決まり事を書き綴った。


「ほう、いいじゃねぇか。俺たちが打ち破りたいのは、この偏った世の中だ。百姓による『世直し一揆』、やってやろうぜ。もう侍なんかに任しちゃおけねえ」

 紙を見てニヤリと笑う豊五郎は、その中身を皆に読んで聞かせた。


「俺たちが世直し……」

「なんかすげぇな」

 先程まで、絶望に沈んでいた男たちの瞳がほんの少し明るくなった。

「攻撃目標はこのご時世でもたんまり金を貯めこんでいる、高利貸、質屋、商人、富農達だ。しかし、奴らが要求を受け入れ、請書を書いた場合は手を出すなよ。さあて、一丁やってやろうぜ」

 豊五郎が言うと、男達から雄叫びのような声があがった。


(これで、良かったのか? でもこれしか無い。村役人にも、近隣の豪農にも掛け合ったが、誰も救いの手を差し伸べてはくれなかった。このままでは俺たちは、静かに息絶えるだけだ。誰かに、何処かにこの声を届けなくては。汗水垂らして働く者が、報われず死んでいくような、この狂った世の中を少しでも動かすために)

 紋次郎は、仲間達の勇ましい声を聞きながら静かに決意を固めた。

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