27.隆からの手紙

 仕事を終えたかつらは厨房でいつもの味噌汁を飲み干すと、たかしの渡した封筒を開いた。中には便箋が3枚入っている。裸電球の明かりで初めて隆の文字を見たかつらは、整った文字に隆の性格が見えるように感じた。


『前略


 これから書くことは他の人たちには秘密にして欲しい。正直話してよいものかも悩んでいる。かつらさんにとっては辛すぎる話だと思うし、私への気持ちも変わるだろう。それでも良ければ、続きを読んで欲しい。


 上野で私を「亡霊」と呼んだ男性は廣本久ひろもとひさし、戦地での上官だ。私が一等兵、彼が伍長ごちょうだった。私が戦場で捕虜になったことは以前話したが、そのきっかけになった出来事が絡んでいる。

 昭和19年、南方の島で戦っていた私は現地で流行していたマラリアにかかり寝込んでしまった。既に劣勢に陥っていた我々日本軍は弾薬も食料も薬も底をつき、米軍が迫っているため、上陸する前に撤退するようにという命令が出た。だが、撤退のための艦も次々と米軍に沈められており、ようやく到着した艦に乗れると思っていた我々の前に現れたのは、手榴弾しゅりゅうだんを持った廣本伍長だった。艦に傷病兵を乗せる余裕はなく、残された手榴弾で自決せよという命令が出たというのだ。日本に帰れると思っていた我々は混乱し、絶望した。私は立ち去ろうとする廣本伍長に連れて行って欲しいと頼んだが、伍長は私を振り払い、我々が寝かされていた洞窟を後にした。

 もう二度と家族にも会えない、家にも帰れないと思った私は最後の力を振り絞り、洞窟の外に出た廣本伍長を追いかけた。伍長はすがりついた私をふりほどこうとサーベルを抜き、私の背中に切りつけた。

「命令だ。あきらめろ」

 それが私の聞いた伍長の最後の声だった。

 上陸した米軍が進軍してきた音で意識を取り戻した私は、生死を確かめようと近づいてきた兵士に抵抗しない意思を見せ、投降した。後で聞いた話だが、洞窟では自決した日本兵の遺体が見つかり、生き残りはいなかったそうだ。

 私は日本に帰るためなら「非国民」と言われてもいいと思ったが、殺し合いをしていた相手の世話になるのは惨めだった。戦場から離れれば気さくに接する兵士もいたが、仲間を殺された恨みをぶつける兵士もいた。

 マラリアと背中の切り傷で重症を負っていた私はそのまま収容所の病棟に運び込まれ、同じ病室の捕虜仲間と色々なことを話した。戦友たちとも別れてしまい、捕虜になった同士で連帯関係のようなものが生まれていった。半年ほどで回復した私は労務作業をしながら解放の日を待った。

 ようやく解放されて帰った東京は焼け野原になり、家族はいなかった。誰に聞いても行方は分からない。私はこれが戦場から逃げ出した自分への罰だと思い、自決していれば良かったと思いながら酒をあおるしかできなかった。そんな私を介抱してくれたのがかつらさん、あなただった。まだ自分を心配してくれる人がいるのなら生きられるかも知れない、暗闇に光が差した気がした。

 かつらさんが私の話に興味を持ってくれた時の笑顔を見て、本当に素敵だと思った。二人でうまや橋まで歩きながら色々話したこと、康史郞こうしろう君たちと家を直したこと、かつらさんと一緒に映画を見たこと、不忍池しのばずのいけで弁当を食べながら話したこと、みんな素晴らしい想い出だ。

 だがあの日、上野で廣本伍長と出会って戦場の記憶がよみがえった。「亡霊」と呼ばれたことで、私は生きていてはいけない人間なのだと言われた気がした。

 東京から離れれば伍長にも会わなくて済む、そう思った私はかつらさんと結婚し、康史郞君とともに地方で暮らそうと思った。しかしかつらさんに断られ、自分が独りよがりだったことに気づいた。かつらさんがあの家を離れるわけがないと考えればすぐ分かったのに。

 家に戻った私はたばこを買いに出ようとしたところでまた伍長に出くわした。「二度とあの女には関わるな」と言われ、恐くなった私は「まつり」にも近寄れず、たばこを吸いながら何日も夜を過ごした。

 考えるうちに気づいたことがあった。廣本伍長の目が、ヒロポン中毒で暴れた隣部屋の男と似ていたこと。伍長がかつらさんを知っていたこと、ヒロポンをヤミで流している売人を探すため、刑事が家に聞き込みに来たこと。もし、伍長がヒロポンのヤミ売人を知っているとしたら、そこから伍長をかつらさんから引き離せるかも知れない。そして横澤よこざわ家の土地を狙っている人たちに接触し、手を引かせることもできるかも知れない。まずは仕事帰りに両国や上野近辺で伍長を探すことに決めた。

 正直に言って、私の推測が当たっているかも分からないし、廣本伍長と会える保証もない。だが、私が動くことでこれ以上かつらさん達に迷惑をかけたくない。かつらさんと康史郞君には幸せになってもらいたいし、私がその邪魔になるなら去ってもいい。だから全て解決するまで「まつり」にも来ないし、かつらさんとも会わないことに決めた。全て私のわがままだ。もし今後、家やかつらさんたちに危害が及ぶようなことがあったら、私に聞き込みしてきた警視庁の新田金三にったきんぞう刑事を尋ねて欲しい。

 私は背中に一生背負っていかなくてはいけない傷を持って生きていく。何も言えず亡くなった戦友たち、行方不明の家族のことを忘れることはないだろう。そして、かつらさんと康史郞君のことも。

 障害が解決し、再び会える日が来るのを願っている。


 草々

                               京極隆きょうごくたかし

 横澤 かつら様へ                      』


 手紙が進むにつれて乱れていく隆の字を追いながら、かつらはあまりにも重い告白に胸を締め付けられていた。手紙を読み終わっても立ち上がれず、そのまま前掛けを顔に押し当てる。かつらの止められぬ涙が前掛けを濡らしていった。


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