8.横澤家の危機

 9月18日、木曜日。カスリーン台風による洪水は埼玉と東京の境にある桜堤で滞留していたが、崩壊は時間の問題だった。

 12時過ぎ、八馬やまは雑貨店の裏にカイとリュウを呼びつけた。

うまや橋を渡った所にある『横澤よこざわ』って表札のついたバラックの様子を見てこい。今なら誰もいないはずだから、屋根や壁に穴を空けてくるんだ。中学校から坊主が帰ってくる前にずらかれ。詳しい場所は表にいるヒロに聞くんだな」

「いくらくれるんだ」

 手を差し出すカイに、八馬はトンカチと10円札を2枚渡した。

「首尾によってはボーナスを出すぞ」

「アニキ、これでごはん食べられるね」

 目を輝かせるリュウを見たカイは、無言で10円札をポケットに突っ込んだ。そのままきびすを返す。

「リュウ、行くぞ」


 厩橋を渡り、大通りから一本入った所に横澤家のバラックがある。カイとリュウはやはり仕事に出かけて誰もいない山本やまもと家の裏から近づいた。雨戸を利用したドアはスライド式で、家にいるときは中から心張り棒を置いているが、出かけるときは外付けの南京錠をかけている。その横に木製の郵便受けがあり、「横澤」と書かれているのをカイは確認した。

 トタンをかき集めた建物は経年劣化でサビが全体的に浮いているが、窓代わりのベニヤ板がはまっている側のみ焼け残った板切れを寄せ集めている。

「リュウ、トンカチを貸せ」

 カイの言葉にうなずいたリュウは、ボロボロの学生服の下に隠したトンカチを取りだす。トンカチを受け取ったカイはベニヤ板の窓を叩き壊し、そこから屋根の上によじ登った。リュウは下で見張り役だ。

 トタン屋根の上には重し代わりの石が乗っている。カイはその石をのけるとトタンをはがした。そのまま下のリュウに渡す。2枚はがしたところで、カイはバラックの内部をのぞき込んだ。金目のものでもあるかと思ったのだ。だが、カイの目に入ったのは横澤家の家族写真と位牌の乗った木箱だった。思わず手が止まる。

「ずらかるぞ。トタンは墨田川に捨てるんだ」

 リュウに声をかけると、カイは屋根から降り、トタンを持ち上げて頭に乗せた。


 山本槙代やまもとまきよは昼休みの時間に自宅へ忘れ物を取りに向かっていた。家に近づいた時、トタンを頭に乗せて運ぶ二人組の子どもが通りかかった。

「なにしてるの」

 思わず呼びかけた槙代の声に驚いた二人は、そのまま墨田川の縁にトタンを投げ捨てて走り去った。


 数時間後、中学校が終わった康史郞こうしろう戸祭征一とまつりせいいちが横澤家に戻ってきた。これから夕食の支度をしながら征一と宿題をするのだ。征一は近くの長屋で父啓輔けいすけ、祖母マツとの三人暮らしだが、祖母に隠れて貸本屋で借りた漫画や雑誌を康史郞に預かってもらい、互いに読みあうのが常だった。

 南京錠を外し、ドアを開けた康史郞は目を疑った。天井にぽっかり穴が空いているのだ。

「台風に吹き飛ばされた……わけじゃないよね」

 後ろからのぞき込んだ征一が声をかける。康史郞はそのまま部屋に上がり込んだ。窓も壊されていることを確認すると肩掛けカバンを征一に渡し、再び外に飛び出す。

「ここで見張っててくれ」


 手がかりを探して家の周囲を探し回っていた康史郞を呼び止めたのは、工場の仕事を終えて戻ってきた槙代だった。

「康史郞君、どうしたんですか」

「おばさん、トタン見かけなかった」

 槙代は「トタン」と聞き、昼間の出来事を思いだした。

「そういえば、二人組の子どもが墨田川の側に捨ててたわね」

「ありがとう」

 康史郞は礼を言うのももどかしげに墨田川に向かった。いつも釣りをしている川の縁にトタンが散らばっている。あわてて側に駆け寄るが、川は長雨の影響で増水し、草むらもぬかるんでいた。

「ウワッ!」

 トタンにつまずいた拍子に右のズック靴が脱げ、川に落ちた。ズック靴はそのまま川の水に浮かんで流されていく。だがトタンをそのままにはしておけない。康史郞はひとまず家に戻ることにした。


「手を貸してくれ。トタンを運ぶんだ」

「康ちゃん、それよりズック、どうしたの」

 出迎えた征一は康史郞の泥だらけの靴下を見て言った。

「川に流された。トタンを運んだら探しに行ってくる」

「僕もつきあうよ」

 征一の申し出を康史郞は断った。

「征一は夕飯までに帰らないとまずいだろ。それよりトタンを運んだら『まつり』にいる姉さんに早く帰るよう伝えてくれ」

 康史郞は征一の手を引っ張ると走り出した。

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