2 たすけ

 中学校に般若が侵入し、女子生徒が酒瓶で殴られたというニュースは、どのメディアでも流れなかった。どうしようもない町で何度か陽が昇り、何度も沈んだ。


 日曜日、昼前。

 少年の住処すみかでは、のんびりとした時間が流れていた。

「そうだ。今日は友人を呼んでいたんだ。忘れていたよ」

 人がよりつかなそうな静かな居間で、父はつい数秒前に思い出したように、わざとらしい動揺を見せた。

「そういうことは早く言ってくれないと。何時頃に来るの?」

 それを聞きつけた母が、呆れた様子で居間へと入ってきた。

「夕飯の約束だから、まだ時間はあるよ」

「今晩は、私の友人を夕食に誘ったって言ったじゃない」

「では友人たちに事情を説明して、楽しく食事会でもしようじゃないか」

 ふたりは演劇じみた語調と動作を見せつけるように、友人へ連絡を取り始めた。どこか温かみを感じない会話を余所に、少年の端末から着信音が鳴った。

 見知らぬ番号――その対応に移ると、

『わたしわたし、わかる?』

 例のバイオレンスな声が、クスクスと語尾を強めた。酒瓶で人の頭を殴ることに躊躇しない人物の声、と言ったほうが正確か。数日前と比べて、抑揚というか生気が感じられる。

「わたしわたし詐欺?」

『せーかい、キミを騙したい森下もりしたちゃんだよ。ねえ暇? 暇でしょ? なんか毎日つまんなくて。ちょっと会わない? ふたりきりでさ』

 スピーカーの向こうに居る少女は、少年の助言を聞き、イジメの主犯格をぶちのめすというリスクテイクを取った人物である。そこで得たリターンは、しがらみのない生活だったはずだ。それなのに、恥じる様子もなく『つまらない』と言う。

「わかった。十三時に駅前で」

 そんな彼女の本音を、少年はもう少し覗いてみたくなった。心に住まわせているであろう珍獣がどの程度の大きさなのかと。


 昼下がりの柔らかい日光を浴び、大した名前もない駅で顔を合わせた少年少女は、自然な挨拶を交わした。

「今日は聞きたいことがあったの」

 そうして森下は常套句じょうとうくを口にし、駅前広場に設置されたベンチに座った。カジュアルな私服、結っていない黒髪、学校生活との些細な違いだけでも、よほど大人びた雰囲気を漂わせている。

「森下さんは、いつも聞きたいことがあるんだな」

 少年は問おうとせず、ネコが入りこめそうな隙間を空けて隣に座った。

「乙女だからね」

 一拍。

 近くの若いカップルが、大きな声で、心底どうでも良い会話をしながら通り過ぎてゆく。風音かざおとが戻ってきたところで、

「言われたとおり、イジメの主犯格ぶん殴ったよ。褒めてくれる?」

 森下は普段よりも小さな声量で本題を持ちかけてきた。もはや虚栄心や他者承認を隠そうとはしておらず、人を見下すような笑みを浮かべている。

「凶器はもう犯罪なんよ……」

 対して少年は、表情をやや強張らせながら本音を漏らした。

「バっカみたい。イジメだって立派な暴行罪じゃん。あぁバカみたい」

 返ってきたのは冷めきった反応だった。逆張ぎゃくばりのつもりはなかったが、森下にはそう捉えられてしまったようだ。少年が訂正するよりも早く、

「わたしがぶん殴ったあの女子ね、実は中学に入って初めてできた友達なんだよ。でも、わたしんが極貧ってわかった瞬間に掌を返したの。イジメの被害者と加害者が生まれるのって、ホント一瞬。だから『貧しいは悪』って思い知った」

 森下の苦笑が寂しげに消えるとひとしく、彼女に好かれている理由を理解した。

【友人との関係が悪化した少女】

【誰とでも仲良くなれる転校生】

 そんな、いんようの対比によって少年にかれたのだと。

「わたしは親の経済力の無さによって生まれた、社会不適応者モンスターチルドレン。どうせ中卒で人生が終わることは決定づけられてるの」

「決めつけは良くないよ。俺のアドバイスは覚えてる?」

「勉強して見返す? 二度と会わない連中を見返して意味あるの? だから手向たむけとして一撃をくれてやったってのに」

「その気概きがいは充分なんだけど。なにかにつけて、やらない理由を探すのは――」

「やって成功するの? SNSで声がデカいのって、成功体験でしか物事を語れない奴ばっかじゃん。現に、勉強したほとんどの人間がそれを無駄にして生きてるし」

 森下の意見を耳にしながら、少年はふと考えた。

 こういった自己否定型のクソリプは、現代を表す大事な要因ファクターかもしれないと。『絶望』がスタートラインの令和で、若者は世間の苦い部分を上手く咀嚼そしゃくし、葛藤の中で折り合いをつけてゆくしかないのだから、森下の考えも間違いではないのだ。若い世代に向上心がなく、成功より平穏を望むなら、もうそれは幸せの完成形だ。

 ――決して『正しい』のではなく、『間違いではない』というだけだが。

「答えがないから、みんなが必死に頑張るんじゃないかな?」

「答えがないから、たまたま成功した奴がほざいてるだけよ」

 森下の言うとおり、人間の本質なんて誰も彼も変わらない。

 やる気とか努力とか、そういった精神論を第三者に説くのは、中途半端に成功した奴か、なにも成し遂げられていない奴の二択に過ぎないのである。森下はそれを理解したかのように、シニカルに口角を上げていた。

 はなから『成功』を夢見ることが、愚行だと言わんばかりに。


「――そういや森下さん、夕飯はどうする? もしアレなら、うちで食べてく?」

 少年は釣られるように口元をほころばせ、ひとつ提案を持ちかけた。純粋に、森下がなにを望むのかを知りたくなったからだ。彼女の深層心理に眠っている思想と、その先――若者としての答えの出し方を。

「……どうせ家に帰ってもインスタントが置いてあるだけ。あとは家事がある」

 ふと垣間見せる家庭環境と、そこに付随する彼女の諦観が、ヤングケアラーさえ匂わせている。助けを求めるかのような吐露だった。

「今日は両親のお客さんが来るんだけどさ。ほら、たまには賑やかな食事もどうかなって。もちろん、森下さんさえ良ければね」

「……わかった」

 わずかに考える素振りを見せた森下だったが、すぐに柔らかい表情で首肯しゅこうしてくれた。少年は母へ、が追加される旨を伝えたあと、森下とのデートに付き合った。

 少年の住居に着いた頃には、もう陽が落ちていた。そんな町の隅っこ。丹色にいろ禿げた木製の鳥居と、その両側には台座の上で苔むした二体のお稲荷さんが鎮座している。少年は短い石段の上を見据え、「この先だよ」と異世界へと誘うように、冷たい風に言葉を乗せた。

「え、あれ? この神社……? 何年も前に潰れてなかった?」

「そうだった? 記憶違いじゃないかな。俺ん家、社務所兼自宅なんだよ」

 付近には薄暗い街灯しか立っておらず、それ以上に鎮守の森は暗く、月明りでなんとか参道を視認できる。社殿も見えないフィールドで、森下の足取りが重くなっているのがわかる。

「復興したの? でもキミって転校生だよね? えっと……神職しんしょくなの?」

「そんなところかな」

「……へえ」

 わかりやすい表情で警戒心をむき出していた森下だったが、闇にぽつんと浮かぶ明かりが社務所だと気づくと、ようやく安心した顔を見せてくれた。

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