殺戮オランウータン連続殺人事件

山彦八里

殺戮オランウータン連続殺人事件

「鑑識の結果でました。殺戮オランウータンです!!」

「またか!!」


 警察署の二階。

 雑然とした会議室に転がり込んできた部下の報告に網本刑事は天を仰いだ。

 もっとも、視界に入るのはヤニで茶褐色に汚れた天井だけ。その色はどこかオランウータンを思い出させて不吉さと吐き気を催すばかりだった。


「またオランウータンか……」


 勤続三十年のベテランである網本刑事がそう呻くのも無理はない。

 今回のものを含め、殺戮オランウータンによると思われる殺人はすでに七件。

 犯人の目星はついているがいまだ捕獲に至らぬ現状に、警察の威信は下降の一途をたどっている。


「……よし。お前はもう一度全国の動物園を当たれ。脱走した猿がいないか確認しろ」

「了解です!!」


 半ばやけくそに叫んで出ていく部下を見送ると、網本刑事は会議室のドアを施錠した。

 ここから先は部下には見せられないからだ。


「で、探偵さんよ、そっちはどうなんだ?」


 網本刑事が水を向けると、それまで壁際にたたずんでいた青年がゆっくりと進み出て、刑事の向かいに座った。

 歳は二十代半ばか。痩せた長身にオーダーメイドのスーツを着込んだ男。

 探偵、二階堂元樹。殺戮オランウータン殺人事件が起きているこの街唯一の探偵だ。


「網本刑事、わかっていると思いますが――」

「みなまで言うな。正規の手続きは踏んでねえ。こいつは任意の情報提供だ。顧客のプライバシーまで明かす必要はない、建前上はな」

「ご理解いただけて幸いです。とはいえ、僕のところにもオランウータンの捜索依頼はきておりません。町内会の会長からこういうときのための探偵だろうがと喝はいただいておりますが……」

「なんだ。ペット探しはおめえらの十八番だろうが」

「たしかに、全国の動物園から脱走したオランウータンがいない以上、違法に輸入した個人が飼っていた可能性は高いですが、ね」


 二階堂探偵の慇懃無礼な物言いに網本刑事の眉がぴくりと跳ねるが、その口から文句が飛び出すことはなかった。

 二階堂探偵は網本刑事が個人的に雇った探偵だ。無論、刑事が捜査の為に私金で探偵を雇うのは違法であるし、捜査情報を漏らすのも違法だ。

 この事件が解決したとしても懲戒処分は免れない。

 だが、この事件が終わるまでは上層部も目をつぶってくれる。

 殺戮オランウータンによる未曾有の連続殺人事件なのだ。藁にも縋るとはこのことだろう。


「とはいえ、他にも気になることがあります」


 二階堂探偵はデスクの上に広げられた捜査資料を手繰ると、そのうちの一枚を手に取った。

 最新の事件についてまとめたものだ。

 とある一軒家で一家が殺害された。言葉にすればそれだけの事件。

 凶器は素手。身体各所を握り潰されたことによるショック死または失血死。

 台所が荒らされていたことから食料目的の押し入り強盗であったと推測される。

 そして、お約束のように現場には赤褐色の毛が落ちていた。


「事件は屋内で起きている。ですが、昨今の事件を受けて被害者一家はきちんと防猿対策をしていた。煙突はなく、扉は施錠され、オランウータンが出入りできるような小窓もすべて封鎖されていた。もちろんそれらが破られた形跡も――」

「なにが言いたい、探偵」


 苛立つ刑事に急かされた探偵は肩をすくめて告げた。



「密室殺人なんですよ、これは」




「密室殺人だあ? 探偵みたいなこと言いやがって。これ以上事態をややこしくするんじゃねえ!!」

「みたいではなく、探偵なんですがね」


 肩をすくめたポーズのまま、二階堂探偵はこれ見よがしに嘆息した。


「オランウータンがどのようにして屋内に押し入ったのか、そのトリックを明かさねばこの事件は解決しません」

「……正気か?」

「もちろん」


 網本刑事は再び天を仰いだ。協力相手を間違えたかもしれない。

 だが、警察も無能ではない。その可能性は考慮していた。


「まあ、普通に考えれば共犯者がいたんだろ。もちろん人間のな。そいつが鍵を開けて、オランウータンが押し入ってガイシャを殺した。そう考えるのが妥当だ」

「オランウータンはあくまで凶器として用いられた、と。なるほど、なるほど」


 探偵がパチパチと手を叩く。

 馬鹿にされたような――真実馬鹿にしているだろうその仕草に刑事は舌打ちした。


「……現場周辺で不審な車がないか何度も照会した。抜き身でオランウータンを持ち歩いてるとは思えねえからな」

「ですが、該当する車両は見つからなかった、でしょう」

「……ああ」

「それにですね、刑事。そもそもあなたの推理には穴がある」

「穴だあ?」


 苛立ちが頂点に達した網本刑事は懐から煙草を取り出して咥えた。

 まだ部下は戻ってきていない。この慇懃無礼な探偵も勤務中の喫煙をとやかく言うタチではない。


「ええ。鍵を開けるのはいい。ですが、それならばなぜ、

「――――」


 タバコに火を点けようとした刑事の手が止まった。

 見落としていた。そもそも事態が不可解過ぎて刑事の脳みその容量はとっくにオーバーしていたのだ。


「おい、探偵」

「なんでしょうか」

「そこまで言うならおめえにはあるんだろうな、推理ってやつがよ」


 結局火を点けずじまいのタバコを灰皿代わりの缶コーヒーにねじ込み、刑事は探偵に向き直った。

 探偵は意外なほど真剣な表情をしていた。

 顔色はわずかに青白い。緊張している、とベテラン刑事の経験が囁いた。


「あくまで仮説ですが――」

「ゴタクはいい。結論を言え」

「犯人が、だと僕は推理します」

「おれぁ頭よくねえんだ。はっきり言え」

「つまり、こういうことです」


 ピンと人差し指を立てた探偵は急き立てられるように続けた。


「この犯人は檻に入れられて飼われていた。。だから犯人は――殺戮オランウータンはこう学習したんです、『』とね」

「…………はあ」


 推理を聞き届けた刑事は大きく息を吐いた。

 真面目に聞いた自分がバカだった、と言わんばかりの表情だ。


「探偵さんよ、その推理には穴があるぜ」

「なんでしょうか」

「おめえの推理は前提として、オランウータンが鍵を開け閉めできるってことじゃないか」

「できないと思いますか?」

「……なに?」


 思わぬ反論に刑事が眉をひそめた。

 探偵は相変わらず緊張の面持ちのまま、絞り出すように告げた。


「ある種の猿は細い枝を使い、複雑な形状をした蟻の巣穴に差し込み、蟻を釣り上げます。同じことが高い知能を持つオランウータンにできないとは言い切れない」

「待て探偵。つまり、おめえはこう言いたいのか」

「ええ、」



「殺戮オランウータンはピッキングして屋内に侵入した」








「密室もクソもねえじゃねえか!!」


 思わずデスクを叩いた刑事を他所に、一仕事終えたとばかりに探偵は額に浮かんでいた汗を拭った。


「ああ、緊張した。僕、推理なんて初めてしましたよ。いやあ探偵になってよかった!!」

「人が死んでんだぞてめえ……」


 刑事は憎まれ口を叩くが、探偵の諧謔に毒されたのか、切羽詰まっていた思考はわずかに余裕を取り戻していた。

 あるいは、探偵もこちらの緊張を悟ってこんな茶番をしたのかもしれない。


「まあいい。殺戮オランウータンはピッキングができる。そういう可能性も考慮に入れておこう」

「ええ。随分と賢いオランウータンです。なにせいまだに街中の防犯カメラに映っていない」

「偶然とはいえ運のいい猿だ」

「スマホの動画なども投稿されていません。まるでカメラに映るのが危険であると知っているかのようです」

「……そうかもしれんな」


 撮影しようとした人間は漏れなく殺されている。

 そんな可能性がふたりの脳裏をよぎったが、どちらも口にすることはなかった。


「自分で推理しておいてなんですが、殺戮オランウータンピッキング可能説は信ぴょう性ありますよ。というか他に鍵を閉めた理由がありません」

「ああ、そうかい。こっちゃ悪夢だぜ」

「どんな鍵まで開けられるんでしょうね。そこの扉の鍵くらいは開けられるんでしょうかね」

「ああ?会議室の鍵なんざ民家のそれと変わりねえよ。取調室とかなら話は違うが――」


 扉に視線を向けた刑事はふと、部下がまだ戻ってきていないことに気づいた。

 随分と話し込んでいた。確認を取るにしても時間がかかりすぎている。


 それに――警察署全体が、ひどく静かだ。



 そのとき、突如として会議室の扉がガタガタと揺れだした。


「なんだ?」


 刑事と探偵は揃って立ち上がると警戒態勢をとった。

 冷や汗が頬を伝う。

 ふたりの脳裏を同じ単語がよぎる。



 ――殺戮オランウータンはピッキングができる。



 そして、ガチンとひとつ音を立てて、サムターンが旋回する。

 年季の入った扉が錆びた音を立てて、開く。


 その瞬間、

 扉の向こう、

 赤褐色の毛を纏った長い腕のなにかと目が合った――――








          (終)

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