殺戮オランウータンの理

否定論理和

殺戮オランウータンと大富豪殺人事件—回答編—

「あなたが――殺戮オランウータンだったのですね」


 探偵、猿渡森人は静かに告げた。


「————いつから、気付いていたのですか?」


「最初から疑ってはいましたよ。ですがそれはあくまでも比較的可能性の高い容疑者として、です。判明した証拠次第ではあなた以外が殺戮オランウータンである可能性だって十分あり得た。ただ、そんな証拠は無かった。それだけです」


「おい、探偵さん、アンタ何を……何を言ってるんだ?」


 恰幅のいい紳士風の男、カーターが口を挟む。それを聞いた猿渡はゆっくりと話し始めた。


「まず、事件をはじめから振り返りましょうか。ことのはじまりは今から8日前、資産家ユーデン・モットル氏のもとに殺戮オランウータンを名乗る者から殺人予告が届いた。お間違いありませんね?」


「え、ええ。『私はお前の罪を知っている。次の誕生日を終えるまで待つ。それまでに良い返事が無ければお前を殺す』とか、そんな感じの内容だったと思うけど……」


 貴婦人然とした女性、ケイ夫人がそう答えたのを見届けると猿渡は話を続ける。


「そしてその手紙が届いてから7日後、即ち昨日ユーデン氏の誕生日を祝う盛大なパーティが開かれた。パーティには100を超える客人と倍以上の使用人が参加していましたがそのほとんどは別館に宿泊し、ユーデン氏と同じ本館にいたのは使用人を除けばここにいる3人だけ。即ち」

 

 部屋の中をぐるりと見渡し、その場にいる全員を一瞥する。


「ユーデン氏の弟にしてユーデン氏が経営する会社のナンバー2、カーター・モットル氏。ユーデン氏の妻、カーン・ケイ・モットル夫人。そして3年前にユーデン氏と養子縁組を結んだ義理の息子、シンギーニ・モットル氏。以上の3人です。これも間違いありませんね?」


「ああ、ついでに言えば他の人間が本館に侵入したってこともないらしい」


 身なりのいい青年、シンギーニがぶっきらぼうに返す。回りくどい話に苛立ちを覚えてのものだが、猿渡は気にも留めていない。


「そうです。しかし日付が変わって今日の午前0時過ぎ、ユーデン氏は無惨な姿で発見された。これだけならばあなた方のうち誰かがユーデン氏を殺した犯人であり、手紙の送り主である殺戮オランウータンの正体であるように見える……それこそが真犯人の狙いだったのです」


「どういうことだ!?」


 カーターが声を荒げ、他の2人も不思議そうに猿渡を見つめている。


「いいですか?そもそもこの殺人事件は、前提からおかしいのです。殺人であれ盗難であれ、予告状なんてものはターゲットを無駄に警戒させるだけでメリットはありません。それでも尚予告状が出されたということは、そこに何らかの目的があったと考えるべきです。その目的に我々はまんまとハメられてしまった。」


「目的って……殺戮オランウータンは主人ユーデンに何か要求があったのでしょう?それが予告状を出した目的だったのではなくて?」


「いいえ、それはそれで目的にそぐわないのです。この文面では悪戯なのか本物の脅しなのかわかりませんし、要求も曖昧です。ユーデン氏に何らかの心当たりがあったとしても、確実な行動は期待できないでしょう」


「じゃあ、予告状の目的って……」


「それは単純なことです。予告状を出すことによって、犯人はだと思い込ませたかった。殺戮オランウータンを名乗る何某かがユーデン氏の命を狙っているのだとアピールしたかった。そうすればアリバイを作ったり密室殺人トリックを作るよりも確実に自分を容疑者から排除できる……そうですよね?殺戮オランウータンさん」


 そう言って猿渡が見つめる先、そこには誰一人として立ってはいなかった。ただ、大きな檻とその中に飼育されている一匹のオランウータンがいるだけだ。


「そう、私が殺戮オランウータン。突然変異によって人間以上の知性を手に入れたオランウータン。年間50人の密猟者を殺していたら人間に囚われ、あと少しで殺されるところをユーデンに買われたオランウータン、それが私」


 殺戮オランウータンは流暢に身の上を語るが、人間にとってはウホウホとしか聞こえていない。


「君の過去は今どうでもいい。今この場で重要なのは君がユーデン氏を殺したこと、それに何らかの裁きを下さねばならないことだ」


 マルチリンガルの猿渡以外には。


「あなたの推理を誰が信じるというの?いえ、仮に信じられたとしても今この国に殺戮オランウータンを裁く法律は無いわ」


「そうだ、君はただの人殺しオランウータンとして無機質に処分されるだろう。だからこそ今のうちに聞いておきたい。君は」


 猿渡の言葉を遮って、パァンと、室内に乾いた音が響いた。


「ッ!殺戮オランウータン!!!」


 それはマルチリンガルでありすべての会話を聞いていたシンギーニ氏が猟銃の引き金を引いた音だった。


「すまないな、探偵さん……だけど僕は、そいつの言い分なんてどうでもいい。ただ、父さんを殺された復讐だけは果たさせてもらったぞ」


 猿渡は殺戮オランウータンのもとに駆け寄ったが、心臓を的確に貫いた銃創は誰の目にも明らかなほどの致命傷だった。


「油断したわ……まさかこの場にマルチリンガルが2人もいただなんて……」


「最後に、教えて欲しい。何故ユーデン氏を……言ってみれば命の恩人を、殺したんだ?」


「ユーデンは……私に安らぎをくれた。殺戮オランウータン、だった、私が、あと少しで、ただのオランウータンに戻れるところだった……」


 話しながら、少しずつ殺戮オランウータンの言葉は途切れ途切れになっていく。


けれど……彼は次々に新しいペットを増やし、遂には私のことを見向きも……しなく……」


 そして遂に、殺戮オランウータンの生命活動は停止した。あとに残されたのは物言わぬオランウータンの死体だけだった。


「……皮肉なものですね。これでもう殺戮オランウータンとただのオランウータンを見分ける手段は無い。自らの死をもってようやく、彼女はただのオランウータンに戻ることができたのです」


 憐れむようにそう呟くと、猿渡は静かに屋敷を後にする。ここから先はもはや猿渡の手を離れた問題だ。殺戮オランウータンがそのまま犯人となるのか、或いは別の誰かが世間を納得させるための犯人に仕立て上げられるのか。どうなるにせよ推理が終わった今探偵にできることはもう残っていない。


探偵猿渡は今再びただの猿渡森人として、次の事件を待つことにした。


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