第3話 知らないうちに家族が増えていた件

「一週間後なんて大丈夫なのか?」


「最初の企画書なんて、ざっとしたスケジュールと改正案を持っていけば大丈夫だ。あっちの要求だって、あれだけしか聞いてないんだ」


「それにしても三ヶ月だぜ。あのハゲ無茶ばっか言いやがって」


 正直言ってそっちの方が問題だった。昌兄はプログラミングなんてさっぱりだ。事務仕事を任せたとしても、残るスタッフは今は俺一人だけ。キャラと武器グラフィック、BGMや効果音なんかの音楽関係、ゲームシナリオ、プログラマーだって単純なコーダーでも田舎じゃ捕まえるのは難しい。


 なんとか頭数が集まったとしても、その指揮を執るリーダーは絶対に必要だ。シナリオとプログラムは俺がやるとして、せめてあと二人。リーダーになれる能力のあるやつを捕まえないと。


「知らないで連れてきておいてなんだけど、祐ちゃん無理はするなよ。姉さんだっていつも祐ちゃんが体を壊さないかって心配してるんだから」


「いいんだ。俺にとってこんなチャンス二度とないかもしれない。絶対に認めさせてやるさ」


「って言ってももう夕方だし何もできないな」


「まだ五時過ぎだぞ。これから仕事の本番じゃねえか」


「公務員はお前らと違うんだよ。東京から新幹線に乗って来たんだろ。今日くらいはしっかり休んどけ」


 まだいくらでもやれることはあったと思ったが、昌兄とおじさんに強引に事務所から追い出されてしまった。まぁお袋にもちゃんと話してないしな。今日くらいはゆっくり家族で語ろう。親父の仏壇の前で。


 そんな感傷的な俺の気持ちは玄関先で一気に崩れ落ちた。


「こんな時間までどこほっつき歩いてたの!」


「仕事だって。つーかまだ六時前じゃねえか。小学生か俺は!」


「役所の仕事なんでしょ。定時で上がりなさい、定時で」


「ゲーム制作に定時なんてものはないんだよ」


 大学の頃からあまり帰ってこなかった実家。女手一つで大学にまで入れてくれたお袋にもう手間をかけたくないという気持ちからだったが、結局は余計に心配かけただけだった。この仕事を続ければ、親孝行もできる。一人でこの大きな家に住んでたら気も滅入るだろうしな。


 ようやく言い合いも落ち着いて家に上がろうとする。並んだ靴の中に見慣れない小さなものが混じっていた。同時に軽い音がリビングダイニングの方から響いてくる。


「誰?」


 見たこともない女の子だった。小学校にあがったくらいか。まっすぐに切り揃えられた前髪に栗色のまんまるの瞳。長い黒髪は光を浴びて絹のように輝いている。そのせいかやけに大人びた落ち着いた印象を受けた。


凪沙なぎさちゃん、うちのお兄ちゃんよ。祐雅っていうの」


「おにーたん? ゆーが?」


 舌ったらずにお袋の言葉を繰り返す。外見とは裏腹にその声はとても子どもっぽかった。


「今年から小学生よ。仲良くしなさいよ」


 ほー、俺に妹が。

 いや、待て待て待て。


「いつ産んだんだよ」


「産むわけないでしょ。お父さんもいないのに」


「じゃあ誘拐か? 俺が家にいなくなったからって拾ってくるのはマズいだろ。犬や猫じゃねえんだぞ」


「誰が拾ってくるのよ!」


 容赦のないげんこつが頭に振り下ろされる。懐かしい痛みだ。オロオロとする凪沙に心配をかけないように痛みを堪えて笑顔を作った。


「よろしくな」


「うん、おにーたん」


 その笑顔は少しだけぎこちないように見えた。

 食卓は見事に野菜料理ばかりだった。庭を改造して作り上げた家庭菜園はとうに趣味の域を突破していて、旬のものならスーパーいらずなのは知っていたが、数年ぶりに帰ってきたらさらにパワーアップしていた。ビーツとかアラスカ豆とかスーパーで見たことねえよ。


 そういや煮物なんていつ振りだろう。料理どころか一日三食食べることの方が珍しくなってずいぶん経つ。丸一日水しか飲まずにコードを打った日だって片手じゃ足りないくらいだ。


「それで誘拐じゃないなら、凪沙はどこの子なんだ?」


「二区画先の親戚の家あるでしょ。義姉さんの旦那さんの家。あそこのおばあちゃんのところで預かることになってたんだけど。おばあちゃんももう歳でしょ。デイサービスとかも受けてるし。大変だからうちで預かることにしたのよ」


「またそんな安請け合いして」


「いいじゃない。子どもはね、たくさん愛情を向けられる権利があるんだから」


 そう言って何かを思い出すようにお袋は笑った。そんな寂しさを帯びた笑顔で言われたら俺は何も言い返せない。

 親父が死んでからもお袋は子どもに愛情を注ぐことだけはやめなかった。朝は俺より早く起きて弁当を作り、夜は俺が寝るより遅く帰ってくることもあった。それでも記念日は絶対に忘れなかったし、親父がいないことで辛いと俺に当たることもなかった。


「……そうだな。俺も凪沙のこと大切にするよ」


「うん。よかったわ」


 次の瞬間、少ししんみりとした雰囲気をぶち壊すようにお袋の声が一気に明るくなった。


「実はね、四国の大おばあちゃんが入院したらしくてね。ちょっと看病に行かなきゃいけなくなったのよ。だから数ヶ月家を空けることになるんだけど、あんたが帰ってきてくれてちょうどよかったわー」


「おいおいおい、ちょっと待てよ。それっていつからの話だ?」


「明日」


「はえーよ! 俺も仕事があるんだって!」


「どうせ自転車で十分くらいのとこでしょ。畑はお隣に貸すことにしたから心配しなくていいわ」


「いや、何時に帰れるかわかんねえんだけど」


 凪沙を大切にする、といった言葉に嘘はない。でもそれは俺が家にいる間って話で、結婚どころか恋人もいないっていうのに、大人の階段を三段は飛ばして子どもの世話はハードルが高すぎるだろ。


「大丈夫よ。あんたはお母さんの子なんだから。何が一番大切か、本当はわかっている子だから」


「そんな信頼のされ方じゃ全然安心できねーよ」


「凪沙ちゃんはどう? お兄ちゃんと二人で大丈夫?」


 そう言われて隣に座っていた凪沙が俺の顔をじっと見つめた。子どもの純粋な瞳に見つめられると、いろんなものを見透かされているような気がして目を逸らしたくなる。二十五年も生きていると、やましいことがなくても子どもの瞳は眩しすぎるのだ。


「だいじょーぶ?」


「なんで疑問形なんだ」


「まぁまぁ。凪沙ちゃん人見知りする子なのよ。それが一目見て一緒にご飯を食べられるんだから心配いらないわ」


 もう一度凪沙の顔を見ると、何かを理解したように椅子からはみ出して俺に体を預けてきた。そんな体勢じゃ食べにくいだろうに。信頼している、と言ってくれているんだと信じたい。


 翌日、お袋は宣言通り大おばあさんの面倒を見るために四国に行ってしまった。親戚とはいえ血も繋がってないだろうに。それでも行ってしまうのがうちのお袋というやつなのだ。


「困ってる人は放っておくと自分がいつか苦しむことになるんだ、って」


「そうなの?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でもお袋はそう言ってたよ」


「そっかー」


 凪沙はわかっているのかわかっていないのか。ぼんやりとした返事をしながら、お袋が乗った電車を見えなくなるまで見送っていた。


「おばたん、かえってくる?」


「あぁ、絶対帰ってくるよ」


「おにーたんは?」


「俺は毎日帰ってくるよ。ちゃんと定時で」


「やくそくする?」


「あぁ。約束するよ」


 受けてしまったものはやるしかない。納期がギリギリの仕事も慣れない子どもの世話も。自転車の後ろに凪沙を乗せて、自分も通った懐かしい小学校へとペダルを踏みこんだ。

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