第9話 課題4 借り物のお話に過ぎない?!

 さて、わしの娘(=隠し子)のみのりんであるが、その先輩とやらに自作を持って行って読んでもらっての感想の次の論点が、これ。


 登場人物等キャラクターも、話の内容も、どこかで読んだようなもので、ぶっちゃけ、「借り物」である。


 さて、それではなぜ彼女はそう評したのか?

 可能性として考えられるのは、ズバリ、こうであろう。


 キャラクターやストーリーを学んでそれを軸に書いてはいるのだが、元の世界から脱出できていない。つまり、元にした物語の世界をトレースしているだけで、言うなら「二次創作」レベルにさえも達しているとは言いがたい。

 要は、劣化コピーに過ぎない。


 そんなところでしょうな。

 実はこれ、小説に限った話じゃなく、論文においても、評論においても、はたまた、旅行記をはじめとする紀行文や随筆においても、同じことが言えますわな。

 最初はね、力がついてないものだから、元の作品というか、評論対象に振り回されてしまうことって、あるの。本人はそれを参考にして自分なりの文章を書いたつもりでも、実際はというと、その劣化コピーにしかなっていない。

 これはつまり、創作者として初心者のうちに誰もが通る道なのよ。

 わしの娘(=隠し子)のみのりんもまた、その道をたどっているわけです。

 もっとも、元の作品がそれなり以上のもの、ましてや名作と言われるような作品であれば、いくら「猿真似」であっても、それなりの仕上がりにはなるものだがね。


 それこそ、みのりんパパ?らしいワタクシの本業である鉄道趣味の世界においての話になるのであるが、その話を一つ。


 かつて、レイルウェイライターと名乗られていた鉄道紀行作家で種村直樹さんという方がおられた。この方は、元は毎日新聞の記者で、思うところあって退職してフリー作家の道に入られたというお方。

 種村さんの文書というのは結構癖があって、独特で、それが好きで読んでいた人もおられるほど。一方で、その文体だけではなく、彼の取材となる旅行のスタイルが気に入らないと言って離れていく人もいた。まあ、私もそのうちの一人ですけど。

 でね、その、種村さんの文体とか表現、結構面白いところもあって、よくみんなに真似されていたわけ。私も、ひとつそれでオマージュ的パロディー作品を作っているけどさ(わっはっは)。

 しかも、私の「影」が取材を受けているという前提でね。


 種村さんはまあその、そういう人であるから、熱烈なファンもあればアンチもある。もともと好きで読んでいたのが、途中から離れていった例も多々ある(私のような従来から鉄道趣味世界にいてもおかしくない手合いは、そうなった人が多いね)。何が気に入らないって、息子ぐらいかそれより若いファンを引き連れてどこぞここぞに群れたって取材と称する旅行をされていたからね。これが、江夏豊さん並みかそれ以上に一匹狼的個人事業主の多いこの世界で嫌われた原因でもある。

 だけど、この種村さんって人は、鉄道趣味の世界を確実に広げていったという点においては、この世界での功労者の一人であると、私は思っております。この人が提唱した「旅行貯金」をはじめとする旅の楽しみ方のバリエーションの数々は、今もっていわゆる「乗り鉄」と呼ばれる人たちには一定の影響を与えています。

 失礼ながら、種村さんの文章というのは、先輩格にあたる元中央公論編集長で紀行作家でもある宮脇俊三さんとよく比較されましてね、まあ、文章レベルは言うまでもなく宮脇さんのほうがはるかに上、という評判だった。それに引き換えタネムラは・・・、ってな感じで、従来からの鉄道趣味人層からは、あまりいい顔されていなかったところもありましたな。


 では誰もが、一見誰でも書けそうなタネムラさんレベルの文章が書けたのかというと、そんなことは、ないわけでね。

 仮に私が種村さんよりも文章力も文才もあるとしよう。

 そして、鉄道が好きで鉄道紀行を書いて職業にしようと思い立った。

 さあ、私はタネムラさん以上の作品を作れるか?

 まあ、無理やな。よしんばできたとしても、それを多くの人に読んでもらえるだけのものにできるかどうかとなると、さあ、どうやら、って話よ。


 これまでさんざん昔のプロ野球ネタばかり出したので、今度は私の本業?の鉄道趣味の世界を題材に例えを延々紹介してきました。

 さて、ここでわしじゃなくて、わしの娘(=隠し子)のみのりんに話を戻す。

 現状におけるみのりん作品というのは、言うなら、私が中学時代、種村直樹さんの作品に出合って、種村さんの文章を模倣して、自分の旅行記を書いてみました、というパターンと、実はまったく変わらないのですよ。

 もちろん、みのりんのは物語だから、架空の世界であってそこは自由に動かしていいところではあるのだが、それが意外にも、というか案の定、キャラクターを動かせていなかった可能性があるね。

 そんなこんなが重なって、中途半端な立ち位置に作品自体が落ち着いてしまっているものだから、その先輩が、「借り物」だ、という評価を下したのも、わからないではない。

 もしこの度問題となっている「マーメイド物語」なるみのりん小説が、私が先程述べたような、元作を明らかに意識して書いた「パロディー」であるというなら、彼女程度の実力があれば、すぐに見抜けたはずである。


 では、みのりんがその状況を脱却するには、どうしたらいいか?


 これはもう、「書く」ことを重ねていくよりほかない。

 ただし、その前提としての、鍛錬としてさまざまな種類の本を読むことを怠ってはならん。そして、これぞという表現があれば、それを肌身にしみ込むまで徹底的に習得することである。


 その表現というのは、物語や小説の中にばかりあるのでは、ない。

 もっと他分野の本、特に彼女の場合、ノンフィクションを読んだ方がええように、わしは思うけどな。


 あとは、体験を重ねることに尽きる。

 その体験を、修得した表現をうまく用いて自らの言葉で語れるようになることだ。


 その意味において、初期段階(第4話。みのりん初登場の回ね)で、ローラという「人魚」に出会い、その「尾ひれ」とやらに触れたのは、いかに現物を見て、それに触れることが大事かの象徴なのである。

 私は高校時代、川上哲治という伝説の野球選手が阪神対巨人のオープン戦に出場して、1回表に4番打者として打席に立って、阪神先発小山正明投手から中前打を放ったのを目撃した。

 川上選手が現役だったのは私の生まれるはるか前の話で、それこそ親世代の選手ではあるが、そんな選手が打席に立ってヒットを放つ姿なんか、本来見られないもの。でも、OB戦という枠組みに観客として入場し、そこで見ることができたわけね。


 人魚の物語を書くみのりんが、ローラという人魚に触れたという経験は、私が弾丸ライナー(大和球士氏のお言葉じゃ)の川上哲治の打撃を見たことと一緒でね、とにもかくにも、人生において得難い経験という点では、同じことなのよ。

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