再検査

影武者

再検査

「部長この薬品の追加購入お願いします。」


 彼は 古野 俊之 29歳 ここ、私立病院の血液検査技師の主任である。しかし、主任になって数年が経過している。彼の欲のない仕事ぶりに、昇進の話しなんて来る筈がない。


「なんだ、古野くん、また試薬(検査薬品)の追加かね……」


 部長はそう言うと注文書に目を通していた。この事務部長がまた口うるさい人である。


「むっ、君、この試薬は高いんだから、もっと節約してもらわないと困るよ」

「うちのような病院は、国立や公立の病院と違って予算がないんだから」

「それに、もっと保険点数の高い検査は出来んのかね、くだらん検査ばかり……」


 そう言う部長に、さっぱり頭が上がらない古野であった。だが、部長の言葉も一理あった。株式会社の評価が株式の価格と売上利益で決まるならば、病院は保険点数の多さが実質の評価となるからだ。


 しかし、なんとか頭を下げ、注文書を受け取ってもらったが、この不満のぶつけようは彼にはなく、自室の研究検査室に篭もりソファ-で愚痴っていた。そこへ他の検査技師が部屋へと入って来た。この部屋の隅にロッカ-があるので、着替えに来るのである。


「あっ、古野主任、今日、緊急(泊まり)頼みますよ」


 後輩の日下だ、昨日は泊まりだったらしく、眠そうな顔をしている。ロッカ-に手を掛けると、愚痴る古野に気付いたらしい。


「えっ、俺は明日の筈だけど」


「今日、当番の横溝さんが休みなんですよ、お願いしますよ」


「ちぇっ、仕方ないなぁ」


 人がいいと言うか、了解するはいいが、ますます、欲求不満に陥る古野であった。


「なんだか、面白くないなぁ、貧乏くじもいいところだ」

「ひとまず、部長の言う通り、試薬の量を3分の1に減らしておこう」


 機械の調節をする古野であった。


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 プルルルル-ップルルルル-ッ

 緊急検査室で電話が鳴っている、もう日は暮れ、急虚、当直を代わった古野がその部屋に居た。


「はいっ、緊急検査室 」

「あっ、いいよ、すぐ流せれる(計測出来る)から」


 早速、仕事が入った、今日は日曜だから、暇だろうと考えていた古野の甘い考えは外れた。電話は看護婦からである。至急検査をしなければならない患者がいるらしい。


 夜の病院と言うのは、なんだが不気味な感じがするものだ。真っ暗で静かな館内に、人の姿は見られない。特に人の声は通り安くなっている。彼の電話の声は恐らく病院の玄関まで伝わっているであろう。


 暫くすると、看護婦の荒川が検体(血液の試験管)を持ってやってきた。彼女は、まだまだ新米の准看護婦である、仕事と言えば、物を運んだり患者の世話が主で、医療と呼ばれる程の仕事は無いに等しい。


「さっき救急車が来てたけど、交通事故? ひょっとして、この検体?」


「そうなんですよ、それじゃお願いします」


「ああ、10分で出来るから取りにきて」


 現在の医学では、血液の検査なんてのは、便利になって、人間が調べなくても良くなっている。血液を試験管に入れて、検査する項目を機械に打ち込めば自動的に計測してくれるのだから。


 古野は試験管を円心分離機にセットし、機械が動き出すと、部屋を出た。病院内の自動販売機でジュ-スとスナックを買い、再び部屋に戻ると、それをむさぼった。


 ガチャガチャガチャ

 プリンタ-に計測デ-タが印刷される。それにザッと目を通す。


「AMYL(アミラ-ゼ)OK……Fib(フィブノビリノ-ゲン)OK……血像 OK……依頼セットOK」


 ぶつぶつと言いながら、検査報告書を記入し、それを血液検査受付窓口に置き、仕事は終わり。時計は午前2時10分、いつもなら、この時間帯は仮眠が取れる時間だ、古野はそう考え、取りあえず、この計測が終わったら一旦眠る事にした。


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 ピ-ッ、ピ-ッ、ピ-ッ、ピ-ッ

 仮眠室のベッドに横になる古野のピッチ(PHS)が大きく鳴った。


「ちぇっ、今日はこのまま朝まで眠れるかと思ったのに」


 そう言って検査室へと急ぐ古野、時計は午前2時30分を差していた。すると、血液の入った試験管が1本、検査室の机の上に置いてあった。そばには、踊った様な文字で、

 「頼む!!再検査してくれ~!!」 とふざけたメモ書きがあった。


「あれっ、こんな所に」

「荒川だな、新米だから手順が無茶苦茶だ」

「なんだこのメモは……」


 その検体を機械に流し、ソファに腰掛け、雑誌を見ながら計測が終わるのを待っていた。


 ガチャガチャガチャ

 再びプリンタ-に計測デ-タが印刷される。それにザッと目を通し、検査報告書を血液検査受付窓口に置き、仕事は終わり。


「さぁ寝よ寝よ……」


 そそくさと、仮眠室に入る古野でだった。


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 ピ-ッ、ピ-ッ、ピ-ッ、ピ-ッ


「またかよ」


 仮眠室から飛び起きる古野だった。

 ……


 その夜、古野のピッチの音は鳴り続けた。


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 次の日、古野はボ-ッと机に座っていた。元々やる気のない人物だが、それに輪を掛けた状態だ。口をポカ-ンと開けて、もう半分寝ている状態である。


「古野主任、どうしたんですか、顔色悪いですよ」


「……結局、昨日は一睡も出来なくて」


「へぇ、珍しい日もあるんですね」


 古野の部下が気づかっているが、本気で心配している訳ではない。もし自分の時に同じ目に逢う事を心配しているのだ。


「昨日は荒川と泊まりだったんだ、あいつも大変だったろに」


 噂をすればなんとやらで、そんな話しをしていると、丁度、荒川がやってきた。


「おはようございます。」

「昨日の緊急検査は、あの1件しかなかったら良く眠れたでしょ?」


「バカな事言うなよ、おかげで、眠る暇もない程忙しかったよ……」


 古野の言葉に、荒川はなんだか変な顔をしていた。どう返答して良いやら迷っていたので、他の話題を探す荒川だった。


「……あっそうそう、昨日運ばれてきた交通事故の人、亡くなったんですよ」


「えっ、亡くなったって、何時頃」


「2時半ぐらいですけど」


 古野が2回目以降に起こされたのは、丁度その時間以降であった。気持ち良く寝ている所だったので、起こされた時間は時計を見て覚えていた。


「それで、処置ミスがどうので、大騒ぎになってるんですよ」


「……!」


 古野は試薬が少ないと、凝固テストや、他の検査値にも大きな影響が出る事を思い出した。古野は、昨夜の検査依頼の犯人が判った様な気もした。



   - おわり -

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