けものども

@kajiwara

熱い夜

 高級カーペットを汚す、ピンク色のこぼれた脳の一部をセバスチャンは呆然と眺めている。館の主人である夫妻の子女なキャサリン嬢からの緊急内線で呼び出されて、何事かと思いきや見知らぬ男がキャサリンの自室で頭部を砕かれて死んでいるのだ。部屋の隅でグズグズと泣いているキャサリンの元へと寄り添い、事情を伺う。


「お、お嬢様、これは一体……?」


 キャサリンは真っ赤に充血した目でセバスチャンに言い放つ。


「トムが……トムが彼を殺しましたの!」


 トム、なる名前を聞いてあの猿畜生とうとうやりやがったなとセバスチャンは内心激しく舌打ちする。トムとはキャサリンの財団が森林伐採中に見つけた、親元から離れた子供のオランウータンでこのままでは可愛そうだとキャサリンがわざわざ拾い上げて育てていたのだ。最近図体が大きくなって猿知恵もつけてきて不安視していたが、よもや殺人を犯す事になるとは思わなかった。やけに従順なのもどこか不気味だったが、その勘は当たっていたとセバスチャンは思う。早めに事故装って殺しとけばよかった。


 いや、今そんな事はどうでも良くて、肝心な事は一つ。


「それでお嬢様、トムはどちらに……」

「逃げてしまいました……」


 この女……とセバスチャンは歯軋りしかけてどうにかぎりぎり堪える。色々と足らない女だとは仕え始めてからそこそこ感じてはきたが、何故ここまで何も出来んのかと叱咤したくなる。いや、落ち着こう。トムに関しては部下のメイド達に捜索させれば良い。それより今はこの状況を片付けねばならない。一応ここにいるのはセバスチャンとキャサリンの二人だけ。この目の前の死体を、と向き直ってまた別の問題が出てきた。


 そもそもこの無残な死に様を晒している男は誰なのか。とても貴族の出とは思えないラフ、というよりみすぼらしい服装にせよ、短髪にせよ平民な事はわかるが。視線をキャサリンに向けると、キャサリンはぽつぽつと答える。


「ロミオです……私が愛していた殿方です」

「お嬢様申し訳ございません、全くの初耳、なのですが……」

「私と密かに交際しておりました……。夜な夜な窓から忍び込んで交流を……」


 衝動的にこの女の頭をかち割ってやろうかなと思ったがどうにか堪えている自分を褒めたいとセバスチャンは思う。まさか執事として働き始めて三十年余り、猿とよくわからん平民にその安泰を脅かされるなんて。しかしここで揺らぐセバスチャンではない。気合を入れるために両頬をたたいて、いまだに泣きじゃくるキャサリンを安心させる為に進言する。


「お嬢様、一先ずこの場は私めにお任せください。愛している方がこのような姿になり悲しいのは私も同じです。ですが迅速に対処しなければお嬢様にあらぬ疑いが」

「トムはどうなるのですか」


 いや猿とかより先に片付けなきゃならないことが目の前にあるだろうが、と言い掛けて留まる。本当に偉い。外面だけは申し訳なさげに。


「お嬢様、お気持はわかりますが今はトムよりも優先しなければならない事が……」

「なりません!」


 は? と目を丸くしているとキャサリンはたわ事を抜かす。


「トムに自らの罪を突きつけて反省させねば、あの子の成長になりません。早くトムを探し出して、セバスチャン」

「ええっと……あ、はい。今探させます……」


 心から呆れ気味に、流石に戸惑い気味の表情を浮かべつつ無線で部下にトム捜索を急ぐように命を出す。もう強引にでもこのロミオの死体を片付けなければ事が収まらないと判断したセバスチャンはキャサリンにもうすぐトムは見つかりますから、そこでじっとしていてください、いいですねと念押しして、改めて死体を確認する。


 トムがどの様にこの男を殺したのか、どう見ても撲殺としか思えないが、それにしてもと思う。わからない、オランウータンが全力で人間の頭を殴れば容易に後頭部を削り取るくらい訳無いのだろうか。そもそも、どんな経緯でトムはロミオを殺すに至ったのかが不明瞭である。恐らく、推察すればロミオがキャサリンを襲おうとした、位しか思い浮かばないのだが、それ以外にあるとすれば……。いや、動機はこの際留意しておくとして。


 ドアはセバスチャンが訪れるまではしっかりと閉じていた。そもそも鍵を使わねば開けられないのだから密室には変わりあるまい。そうだ、窓。窓はロミオが忍び込んでいるのならば開いているはずだと、セバスチャンはつかつかと近寄って確認してみる。窓は確かに開いており、カーテンが夜風に靡いて揺れている。縁を触ってみるとなるほど確かに乾いた土がこびり付いており、キャサリンが言う様にここから忍び込んで密会していたのだろうと思う。


 だが……何だか妙な違和感をセバスチャンは抱いている。状況証拠的にはパーツは揃っている。やはりロミオが何らかの乱暴を働こうとして、それを見かねたトムに背後から殴られて倒れた、としか言えない。馬鹿な事を考えているよりもうさっさとこの死体を片付けてしまおうと、吐き気を覚えつつもカーペットに戻る。散らばる脳漿どうしようかな……と思いつつ砕かれた頭部に目を向け、セバスチャンはん? と一寸疑問を抱く。


 いまだにグズグズ泣いているキャサリンに顔だけを向けて、尋ねる。

 

「……お嬢様、辛い所申し訳ないのですが一つだけ宜しいですか」

「何ですの……わたくしもう傷心で眠りたいのです。それにトムも見つからないし」

「ロミオ様がトムに殴られた時、どのような状況でしたか……。ぼんやりとでも教えていただけると嬉しいのですが」


 セバスチャンにそう尋ねられ、キャサリンは涙を拭きつつ、とうとうとそのときの状況とやらを説明し始める。いつもの様に窓から入ってきたロミオが強引に迫ってきた、それでカーペットに押し倒されかけたのをトムが後ろからロミオを殴って助けてくれた、と。その際に興奮してトムが窓から逃げだして止める間も無かったとまで説明してくれた。さっきまで驚きのあまり脳内で罵倒してしまったがまぁそれなら……と納得しつつ、でも、とセバスチャンは考える。確かにオランウータンの腕部は木々の間を渡り歩く為に人間よりずっと強靭ではあるが、それでもこうも正確に……まるで狙った様に綺麗に後頭部を削って殺せるだろうか。そこまで人体の構造に精通できるのか、アレが?


 浮かぶ可能性が一つしかない。考えない様には無意識に置いていたが、というか流石に無理がありすぎるだろと、トムに罪をかぶせるのはとセバスチャンは思う。いまだにトムを発見したという一報を聞こえて来ない辺り無駄に手を焼かせてくれる。まぁ……自分の仕事は探偵ごっこではなく執事だと思い直して粛々と、ちょうど良くカーペットの上にあるのでロミオの死体を包んでいく。後で血痕などは掃除しないといけない、面倒だなと小さくため息をつきながら死体入りカーペットを移動しようとする。


 この部屋で撲殺を行えそうな術とは……と考えてみてセバスチャンは気付く。いや、やはり無い。何故ならキャサリンのこの部屋には銃や斧などの明確な凶器となる物は無いし、そもそもキャサリンは両親が見せびらかしてくるのが嫌、という事でトロフィーなどは置かないようにしていて、あるのはベッドと飾り立てる様に並べられているぬいぐるみの類い、それに夜トムが寝床に着く様の特注の檻くらいだ。檻を見るが、特に取り外されたり壊されている様子はない。キャサリンにそんな事が出来る腕力もあるまい。やはりトムが殺したのだと結論付ける。あの猿めと。


 だが。だが、と一つの仮説が頭の中で浮かぶ。もし仮にキャサリンが犯行に及んだとして、この頭を削る凶器を持ち込んだのはロミオでは、と。ガッと抉れる様に後部を傷つけられる道具、断面からして恐らくハンマーかスパナ、それを何度も何度も振り下ろしているうちに、こうも痛ましい傷口になっているように思える。……また別の疑問。先ほどの檻の件でもそうだが、キャサリンは見るからに華奢な、腕どころか体その物が細く力仕事も生まれてこの方した事が無い、そんな正真正銘の箱入り娘だ。だから……。


「……お嬢様」


 それとなくセバスチャンはキャサリンに目を向ける。キャサリンは隅に固まりその場からじっと動こうともしていない。……何かを、隠している? としか思えずセバスチャンは誘導するつもりで声をかける。


「お嬢様、お疲れでしょう。ここは血の匂いが酷いので、降りてお父様の寝室でお休みください」

「いえ……私には、私にはトムを待つ責任がありますの、あの子の飼い主として」

「ですがここに居続けても気に病むだけですし……」

「……トムは、見つかったのかしら」


 そう言えば、とすっかり忘れていた。無線でトムの行方を聞こうとしたが、何故だか無線がノイズまみれで返答が聞こえて来ない。仕事をサボるような部下を持ったつもりはないが、チャンネルを変えてもどの無線も返答がない。強い胸騒ぎがしてきてセバスチャンはキャサリンでここで待つ様に言って部屋を出る。

 やけに屋敷内が静かで人の気配がない。いや、そんな筈はないのだ。部下が各々の仕事で忙しなくしているはずだし、トム捜索に駆り出した四、五人も戻ってくる気配がないのもおかしい。恐る恐ると階段を下りて廊下を行こうとした時、ふらふらと千鳥足の影が遠く見えた。急いで駆けつけると、セバスチャンが信頼を置いている同僚のジョンが、頭から多量の血を流しながら転倒した。


「ジョン! 何が、何があったんだ、ジョン!」


 腕の中で今にも息絶えそうな様子でジョンが、途絶えそうな呼吸の中でセバスチャンに何かを伝えようとしている。


「さつ……」

「ジョン?」

「さつりくを……始め、たんだ……」


 ガクリと、深く項垂れてジョンの呼吸がスーッと薄くなっていく。畜生! と歯軋りしながらその亡骸を床に寝かせつつ、セバスチャンは廊下に飾られている、緊急用の斧のガラスを叩き割るとそれを片手にキャサリンを救う為に部屋に戻ろうとする。   

 その時、ガラスを叩き割って何らかの物体が外から放り投げられてきた。な、何だ!? と慄いていると、それはどうやら火炎瓶のようだ。乗り移った火がカーテンへと、壁へと広がっていく。いかん! とセバスチャンが消化しようとするのを防ぐ様に次々と外から火炎瓶が立て続けに投擲されて廊下を火の海へと変化させる。


「くっ……! お嬢様……!」


 今優先すべきは今すぐにキャサリンを救うことだと即座に判断して、全速力で部屋を目指す。炎に包まれている柱や階段の帯びている熱に怯みそうになりながらも、どうにか部屋にたどり着いてドアを開ける。


「お嬢様!」


 大声で呼びかけるが、何故かキャサリンは先ほど座っていた場所にはいない。代わりに、座っていた場所の壁を見、セバスチャンの瞳孔が見開く。血だ。血で書かれている、まるで抽象画の様な何か。矢印のような棒がいくつもべったりと塗られている。いや、これは棒ではない、とセバスチャンは気付く。これは恐らく……。


「森です、セバスチャン」


 気付けばキャサリンが、ぬいぐるみを両手に持って目前に立っている。呆然としているセバスチャンに、キャサリンはぬいぐるみを放り投げると、その手には余るほどの大きさのスパナが握られている。事態の突飛さに頭が追いつかず、セバスチャンはそのままの疑問を投げかける。


「貴方が彼を……ロミオを殺したんですか?」

「……始めて味わう手ごたえでした」

「……は?」


 視線をロミオに一瞥しながら、キャサリンは真実を話し出した。


「トムは……私に語ってくれました。この家の者が憎いと。住処と家族を根こそぎ奪った、この家が」


 まさか……まさかこの女、あのオランウータンに懐柔されているのか? まさか、と思ったがキャサリンの顔は至極真剣であり、いつもの家柄の権威を笠に腑抜けている箱入りさは無い。もしや……あれらは全てこの日のための演技だったのか? とさえ思う。


「ですが、トム一匹だけの力では復讐は不可能……だから、そこの男を利用する事にしました」


 そこの男、と言われて包まれているロミオへと目を向ける。


「恋人なのでは……?」

「違います。その男はトムの檻の鍵を開けて貰うために雇ったこそ泥です。ただ檻を開ければ良いだけだったのに、私に体を迫り……」

「ほ、本気で……貴方があの殺人を?」

「人間、本気になればかち割れるんですね、頭」


 あぁ、そんな。そんな馬鹿な話があるかと怒鳴りたくなるが、聞いた事はある。極限状態で人間には火事場の馬鹿力、普段の数倍もの腕力が発揮される事例があると。ついでにアドレナリンが多量に放出されていると、肉体に疲れや痛みを感じにくくなるとも。恐らく、今のキャサリンは正にそれ、なのだろう。


 しかし、いやしかしどころではないが、疑問点がいくつも浮かぶ。それならばトムを逃がしたままにでもしておけばいいのに、何故探させたのか。そして何故寸前まで、こそ泥の身分を偽る嘘をついて、トムがこそ泥を殺したかのように見せかけたのか。


「……私の事をずっと、侮っていたでしょう」


 既に部屋にさえ火の手が回り、周囲を逃げられない状態にしているのも関わらず、キャサリンはセバスチャンの前に慄然と立ち続ける。


「貴方のその目、見下し方が苦痛だった。財団の人形としての役割をし続けなければならない苦痛は、貴方にはわからないでしょうね」

「そ……それにしても、何故、皆を殺し火を……?」

「再現よ。トムが受けた、苦痛の」


  あくまでセバスチャンの見取りではあるがつまりこういう事だ。こそ泥の男はトムを逃がす代わりにキャサリンに体を迫り、持っていた道具で撲殺された。それを恐らく利用してトムを逃がしたキャサリンは、「非力な箱入り娘」を演じてわざわざ自分を呼び出して滑稽な推理劇をさせている間際、トムの手で部下を殺していき、最後の締めで火炎瓶で屋敷を燃やしている、と。


「……イカレ女が。猿に丸め込まれて大量殺人か」

「殺戮を始めたのは人間側よ、セバスチャン。これは、始まりに過ぎない」


 途端、屋根を支える屋台骨が炎上しながら轟音を上げて落下してきて、セバスチャンとキャサリンの間を阻む。待て! と叫ぼうとしたが、最早炎と共に巻き上がる煙の勢いが凄まじく、早くこの場から逃げ出さねばならない。無我夢中で屋敷から非難しようとした手前。


「ぬおっ!」


 頬を掠る、毛深く鍛え上げられた野生の豪腕。行かせまいと――――ついにトムが姿を現した。炎にも臆せずに、そのつぶらな瞳はセバスチャンを逃がさんと強い眼差しで見つめている。


「傀儡女とエテ公ごときに、俺の人生滅茶苦茶にされてたまるか!」

 

 手に保持している斧を振りかざして、セバスチャンはトムに殴りかかる。振り下ろされる斧に紙一重で回避するトムだが、虚を付いてくる鋭い蹴りを胴体に浴びてしまう。その威力に一瞬えづくトム。動きが鈍ってしまった。


「死ねー!」


 全力で斧を振りかざし、セバスチャンはトムの肩へと斬り込んだ。ザックリと痛ましく肉へと斬り込まれる斧にも怯まず、トムはむんずと、その斧を力強く鷲づかみにして動きを封じる。


「離せ! 離せってんだよ猿が!」


 しかし、物言わぬトムのその手は斧だけでなくその長い腕を伸ばしてセバスチャンのスーツを掴んで離さない。リーチの差で、人間はオランウータンには敵わないのだ。必死に身動きして拘束から逃れようとするが、オランウータンは強い。少しばかり鍛えている成人男性など、容易に逃げられはしない。セバスチャンを睨み続けるトムの気迫が、炎以上に渦巻く。


「お前も……お前も死ぬんだぞ、ここで!」


 悪あがき的にトムにそう叫ぶセバスチャンだが、トムは意地として力を緩めないし、引かない。とうとう業火が一人と一匹を天高く包み込んでいき、セバスチャンの絶叫が響き渡る。セバスチャンは死の間際に思い出していた。


 若りし頃、遊戯で動物達をハンティングしていた頃を。面白半分に、若気の至りとはいえ、森に住む物言わぬ住人たちを殺していたことを。そしてその中に、トムの両親が確かいた事を。


「殺戮者……か」


 自らの体が燃え盛っていても、延々とその目で睨みつけてくるトムを見、セバスチャンは嘲笑的に呟いた。



 巨大な焚き火の如く燃えている屋敷を、内通者からの手引きにより脱出したキャサリンは首にかけているシャトルを開く。そこには幼くあどけない顔のトムの写真が入っている。


「トム、ありがとう……」


 涙ながらに感謝しつつも、キャサリンは誓う。愚かな人類どもよ。お前たちの森を燃やすのは――――これからだ。



 

 








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