6.呪禁師になるのは大変だ

「ねえ、どうしてわたしが矢を射られなくちゃいけなかったのかな」


 壁に刺さった矢は、力ずくで引っこ抜いてもってきた。


 刺さったままにしておいてもよかったが、相手のことがわかるかと、なんとなくもってきたのだ。


「わたしを殺そうと狙ったみたいに飛んできたんだよ。誰かに恨まれるようなことでもしたかなぁ?」


「なにをいってるの。緋鳥ひとりは生意気だよ。今朝も宮内卿につっかかってたでしょ」


 白兎はくとも、緋鳥に遠慮はなかった。笑いながら、ぐさぐさと胸に刺さるような鋭い小言を容赦なくいう。


「そうだねえ、呪禁師じゅごんじはたまに狙われるよ。なにしろ、化け物だと思われてるからね」


「――そうなの?」


「うん。呪禁師は持禁じきんをするでしょ。あれがね、面白いみたいだよ」


 持禁というのは、おのれの呼吸をもって結界を操る呪禁師の技だ。


 とくに守りにすぐれていて、おのれを害そうとする火や刃を「禁」じて、動きをとめることができる。つまり、身構えていれば火や刃の害を防ぐことができた。


「呪禁師には刃が効かないとか、火の中でも平気だとか、妙な噂が一人歩きしてね、まことなのかとたしかめがてら、ちょっかいを出してくる奴も、まあ、いないこともない」


「――なにそれ、迷惑」


 やはり、いるのだ。


 呪禁師をなんでも屋や、もののけの仲間と勘違いしている奴が。


「じゃあ、この矢を射た人も、わたしに矢が効くかどうかを試してみたかったのかな」


「いやいやいや」と妙な声が出た。


「こんなのに串刺しにされたら、さすがに死ぬでしょ。そこは人として、もしもの時のために手加減をしてくれないと――」


「かしてみて」


 白兎にうながされるので、緋鳥は床に置きっぱなしだった矢を拾いあげて渡した。


 矢を手にすると、白兎はしげしげと見つめた。


「へえ。衛士えじのものかな? 困ったね」


「――もうすこし心配してくれてもいいと思うなぁ。わたしはこれに殺されかけたんだけど?」


「だって、ちゃんと気をつけていればこんな矢くらい平気でしょ? いい稽古だと思って、身構えておきなさい」


「稽古? 突然矢で狙われるのが?」


「そう。呪禁師になるんでしょう? はい、気を抜かない。さあさあ、持禁じきん持禁じきん


 持禁じきんは呪禁師の奥義で、できる者もかぎられる難しい技だ。


「さあさあ」と軽く振られるようなものでもなかった。


 緋鳥は存分に愚痴をいった。


「働け働け、みたいな言い方をしないでよね。――師匠って、いつもにこにこ笑ってるけど、たまに鬼みたいなことをいうよね?」


「だって、私たちもふだんからやっていることだからね。昇進がかなって緋鳥が呪禁師として目立っていけば、これからも続いていくことだよ。緋鳥の技を試してみたいっていう連中も、そりゃ、増えるでしょ」


「呪禁師かぁ――」


 呪禁師になるのは、緋鳥にとっても、幼いころからの憧れだった。


 でも、まさか命を狙われる生業だとは――。


「呪禁師になるって、たいへんなんだねぇ」


 抱えこんだ膝小僧に、頬を寝かせた。


 夕餉が済んだばかりで、かまどはまだじんわりと温かい。


 ぬくもりがほのかに伝わってくるのが心地がよくて、ついうとうととしてしまう。


 こくりこくりと舟を漕ぐように緋鳥が揺れはじめると、白兎は小言をいった。


「緋鳥、寝るなら自分の小屋にいきなさい。ここで寝てもほうっておくからね」


「はぁい」


 なんだかんだと、くたびれていた。


 夜明け前から出仕して、早朝から働いて、あちこちへ出かけたのだ。


 辻や、宝物殿や――。


 そこまで思いだして、がばっと顔をあげる。


 こんなことをしている場合ではなかった。


「そうだ、師匠。たいへんなんだ」


「どうしたんだい、急に」


「あぁ、わたしってば――すっかり忘れてた。典薬寮てんやくりょうで薬をたしかめようと思っていたのに」


 矢を射られて頭がのぼせていたけれど、緋鳥は典薬寮へ向かっていたところだったのだ。


 諸国から集まってきた薬種箱の中から、柴胡さいこを捜したかった。


 記憶にあった生薬と同じかどうかをたしかめなければ――と。


「ねえ、師匠。たいへんなんだ」


「うん、きいてるよ」


「今日、宝物殿にいってきたんだけど、五種の毒薬のうちのひとつが、誰かに使われているかもしれない。竜葛りゅうかつが別の薬にすり替わっていたんだ」


 白兎は相変わらず。のんびりと笑っている。


「へえ、竜葛が」


「本当なんだよ。あれはたぶん柴胡さいこだ。七束あった竜葛のうちの二束、重さでいうと三十五斤あったうちの十斤が、別の薬にすり替わってたんだ。たいへんだよ。あんな毒薬を、いったい誰が――」


「そっか。気づいちゃったか」


「はい?」


「そうなんだよね。宝物殿にある竜葛が、いつのまにか柴胡さいこにすり替わってるんだ。困ったよね。どうしようかなぁと、私もしばらく考えてたんだけどね」


 白兎はゆるりと笑ったまま。ぽつぽつといった。


「ほら、宝物殿の管理を任されてるのは、典薬寮うちだけじゃないでしょ。薬種にかぎっていえば、どちらかといえば中務省ちゅうむしょうの管轄でしょ?」


「――そうなの?」


「呪禁師が薬種の見極めをするのはおまけみたいなものだよ。薬種の専門家じゃないからね。同業者で最高位といえば、中務省で医術をになう内薬司の侍医だ。私よりもずっと位が高いし、月料も多いんだ。うらやましいよね」


 白兎は笑ったが、そういうおだやかな世間話は、いまの緋鳥には相いれなかった。


「どういうこと? 内薬司の侍医が、宝物殿の薬種の見極めに携わってるのは知ってるけど――」


 舶来の薬はたいへん貴重だからと、所属が異なる専門職がそれぞれ検めをになうのだ。


 そのひとつ、内薬司は中務省に属していて、中務省そのものが地位の高い役所だった。


「内薬司の侍医は、竜葛のことはとくになにもいわないんだ。だから、私が勘違いをしたのかなって、思っていたんだよね。だって、侍医は私よりも地位が上だし、薬の専門家だ。見立てを間違うなんてありえないからね。でも、もしかしたら、あちらさんも気づいているけれど、理由があって黙っているのかな――とも思うよね。だから、どうすべきなのかなあと、考え中だったんだ」


「……なにそれ。様子の見合い?」


「まあね。大人だから、気長にね。でも、緋鳥も気づいたんだね。へんだなあと思っていたから、よかったよ。これで、私の見立てに賛同する人が一人見つかったわけだ」


「えっ、気づくでしょう。どう考えても……」


 手に取れば一目瞭然だったし、匂いを嗅げば、疑いは確信にかわった。


 竜葛は有無をいわさず人を害する強欲な悪人のような薬だが、すり替わっていた柴胡のほうは、明るすぎる善人の気配がある薬なのだから。


「うん」と、白兎はうなずいた。


「呪禁師は薬の力をじかに感じ取って見分けるから、ほかの皆さんとくらべるとちょっと癖があるからね。でも、こんもなにもいわなかったんだ」


 昆というのは、兄弟子の名だ。呪禁師の名門、嶺吏れいり氏の跡取り息子で、緋鳥よりも一年先に呪禁生として入寮し、そのぶん早く見極めの試験を受けている。


 昨年、緋鳥と同じように、昆も宝物殿に出かけていた。


 呪禁師や呪禁生には技や知識の得意不得意があって、昆の得意は医生いしょう按摩生あんましょうの真似事だった。


 昆は、薬種についても詳しい兄弟子だったのだ。


「昆が気づかないわけがないよ。だって――」


「そうなんだよ。だから、ふしぎなんだ。昆も気づかなかったのか、そもそも気づく必要がなくて、あそこにある竜葛がすべて本物だったにもかかわらず私が間違えたのか、それとも――」


 白兎は、ふふっと笑った。


「昆も気づいたけれど、なにか理由があって黙っていたのか――どれだろうね?」

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