最近彼女が冷たい! だから婚約破棄だ!!

ふさふさしっぽ

こんなはずじゃなかったのに

「君と、婚約破棄したい」


 私……この国の第二王子アルベールは、目の前のマリー伯爵令嬢に、そう告げた。


 マリーの可憐な大きな目が見開かれるのを、私はただ黙って見ていた。彼女は、いつものように呼ばれた茶会で、私からこのような話が切り出されるとは、夢にも思ってもいなかっただろう。こんな、王宮の中庭の、四阿で、まさか、と思っているに違いない。


「それは……本気でございますか、アルベール殿下」


 マリーの唇が、わなわなと震えながら動いた。


「ああ。申し訳ないけれど」


 私は無表情なまま努めて冷静にそう返し、冷めた紅茶に口をつける。そして、上目遣いに彼女の顔をそっと窺った。二歳年下の、十七歳のマリーは、陶器のような真っ白な肌を青白くさせ、信じられない、というような目で私を見ていた。


「マリー……」


「そんな……っ! もうわたくし……生きていけない!!」


「え? マリー!?」


 マリーは椅子をがたーんと倒して立ち上がると、目にも止まらぬ速さで、挨拶もせずに中庭を去って行ってしまった。


「ま、待つんだ、マリー! 今のは冗談……ぐふっ!!」


 私は慌てて彼女を追いかけようとしたが、草の根に足をとられて顔からすっころんでしまった。足の速いマリーはすでにはるか彼方。私は草むらに突っ伏して、じたばたしながら、傍に控えている侍従に叫んだ。


「おい! 草むしりぐらいしとけよ! いや、そうじゃない、マリーを追うんだ! なんてことだ、婚約破棄なんて、するわけないのに!」


 年配の侍従は膝をつき、いかにも形式的に私を助け起こしながら、


「今、他の者に追わせています。しかし、殿下がいけないのですよ、なぜ冗談で婚約破棄、などと……」


「マリーが最近冷たいから、どうにかして彼女の心を確かめたかったんだ。そうしたら今婚約破棄が流行ってるって聞いて、つい……。まさか彼女があんな風に走り去って行くなんて」


 私は後悔した。

 引っ張りすぎた。すぐに、冗談だよー、婚約破棄なんてするわけないじゃん、焦ったあ? って、返すつもりだったのに、ショックを受けるマリーが可愛くて、つい……焦らしてしまった!!


「マリー様は、わたくし、生きていけないと、仰っていました。まさか……」


 侍従がぼそりと、物騒なことを呟く。


 そんな、マリー! はやまらないでくれ……!







 ――二時間後――


 マリーは変わり果てた姿で発見された。

 広大な王宮の外れにある花畑に、彼女はうつ伏せに倒れていた。ぴくりとも、動かない。


「マリー! マリー!」


 四方八方マリーを探して汗と泥にまみれた私は、マリーを抱き起そうと、花畑に足を踏み入れた。


「入ってはいけません、殿下! この花畑には、たしか毒を持つ花があったはずです。殿下はお下がりください。今、別の者が」


 顔色一つ変えずに私に追い付いてきた年配の侍従が、ぴしゃりと言い放つ。


「いやだ! 私はマリーの傍に行くんだ! 放せよ!」


 暴れる私を屈強な配下たちが押さえつける。いつもは冷静な私だが、取り乱さずにいられなかった。

 なんてことだ……! マリーは毒性の花を食べて、自殺を図ったんだ! さっきから全く動かないということは、もうすでに、彼女は……。


「マリー! すまない、私があんなふざけた冗談を言ったばっかりに! 私が馬鹿だった、許してくれ。君が最近冷たいから、つい試すような発言をしてしまったんだ」


 私がどんなに叫んでも、マリーは何の反応も示さない。


「婚約破棄なんて、嘘だ、私は君を、愛している。マリー、君を愛しているんだ!」


 何を言ってももう遅い。私のうっかりなんちゃって発言が、こんなとりかえしのつかないことになるなんて。 


「私も君の所へ行くよ! マリー!」


 私はめちゃくちゃに暴れて、配下たちを振り払い、花畑に入った。そして、手当たり次第にその辺の花をひっつかんだ。


「君がいなくなったら、私はもう生きていけない」


 めいっぱいつかんだ花を口に入れた。


「ア、アルベール殿下! わたくし生きております! おやめください!」


「やめるわけにはいかない。これが私の償いだ。愛するマリー、あの世でいっしょになろう」


 私は次々に花をむしり、口に押し込んだ。


「ですから殿下、マリーは、わたくしは生きています!」


「愛しているよ!! 私のマリー……え?」


 マリーが私の横に立っていた。愛らしい大きな瞳。陶器のような白い肌。まごうことなき、私の愛するマリーが、そこに立っている。


「ふぁりー? ひきてひりゅにょか?」(マリー? 生きているのか)


 私は口の中いっぱいに毒花を詰め込んだまま、彼女の方を見た。まるで、頬袋にエサをため込むリスのようになっているだろう。


「ご、ごめんなさい、アルベール殿下、わたくしったら」


「殿下! 殿下!! はやく吐き出してください!! 毒が回ります!」


 気がつけば私は侍従をはじめ、配下たちに囲まれていた。目の前には、泣きじゃくるマリー。そのマリーの姿が歪んだと思ったら、急に体の力が抜けて、私はその場に倒れてしまった。







 ――次の日――。


 私は自室のベッドの上にいた。


「失礼します。アルベール殿下、お体の具合はどうですか」


 年配の侍従が顔を出した。


「もう大丈夫だよ。色々すまなかった」


 昨日、私が花畑で倒れて、大騒ぎになった。だけど、侍従がすばやく私の喉に手を突っ込み、呑み込んだ毒花を吐き出させてくれたから、軽症ですんだ。


 私は一番聞きたいことを聞いた。


「マリーはどうしてる?」


 侍従の声は冷ややかだった。


「何度も申し上げておりますが、マリー様はお元気でいらっしゃいます。ですから、殿下は何もご心配なさらずに、あと一週間は安静にしてください。吐き出したとはいえ、毒花をあれだけ口にしたのですから」


 たしかにまだ頭がくらくらするし、腹も少し痛む。だけど……。


「マリーに会いたい。マリーとの婚約は破棄になんてなってないだろうね」


「殿下。勝手にマリー様を試すようなマネをして、挙句の果てに自死しようとするなんて、ご自分の立場をわかっておられるのですか」


 幼少のころから仕えてくれている、父親代わりというべき侍従に痛いところをつかれ、私は言葉に詰まった。


「……私が愚かだったよ。ごめん」


 間を置いて、そう言うと、侍従は少し微笑んだように見えた。まるで子ども扱いなのに私は面白くない。


「一週間後、殿下がお元気になられたらマリー伯爵令嬢とお会いできますよ」

「もう元気になってるよ」

「一週間後です」


 侍従はぴしゃりと言い放って、部屋を出て行った。



 そして一週間後、私は愛しいマリーと王宮の中庭で、再会した。マリーは私を見るなりわっと泣き出した。


「ごめんなさいアルベール殿下……。わたくし、殿下が婚約破棄だなんて仰るから、殿下を心配させようとして、つい、死んだフリを……! まさか、殿下がわたくしと共に死のうとするなんて、思わなくって」


 私は人目もはばからず、マリーを抱き寄せた。


「いいんだ、マリー。悪いのは私だ。私がなんちゃって婚約破棄なんてしたから」


「いいえ。学園の勉強が忙しくて、アルベール殿下にお手紙を書くのをおろそかにしていた、わたくしが悪いのです」


「いいや。毎日来ていた手紙が二日に一度になったからといって、君が冷たくなったと勘違いした私が愚かだった。まだ学生の君の忙しさも考えずに」


「本当にごめんなさい。もっと早く死んだフリをやめて、なーんて、嘘ですよ、殿下、心配しました? って言うつもりだったんです。だけど、殿下がわたくしへの愛を必死に叫ぶお姿が愛しくて……引っ張ってしまいました」


 私は微笑んだ。そしてマリーの愛らしい額を指でつん、と軽くつついた。


「小悪魔め。まんまとやられたよ」


 そうだったのか。私たちは、似た者同士だったというわけか。私もマリーも、相手の愛を確かめたくて、なんちゃってをやらかして、取り返しのつかない事態を招くところだった、というわけだ。はは、こりゃあまいった!


 これからは大丈夫だ。


 私たちは今まで少しだけ、お互いを、信じ切れていなかったかもしれない。

 だけど今、私とマリーは固くお互いの愛を信じた。もう何の問題もない。大丈夫だ!


「えー、アルベール殿下」


 少し離れた所に立っている、父親代わりの侍従が、咳払いをして、口を挟んだ。


「そろそろよろしいですか。申し訳ありませんが、公務のお時間です」


 こいつら本当に大丈夫かと、どこか呆れた様子だ。 

 心配しなくても大丈夫だよ。マリーが傍にいてくれれば、私はこの国のために第二王子としてしっかりやっていける。


 なんちゃって婚約破棄騒動は、こうして、幕を閉じた――。

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