第41話 チキンレース

 最終ゲーム後半。

 ラブレターを投函するようなさりげない所作で、ソルトからエグい威力の逆回転カットが差し出された。


(本当にこの子はッ!)


 口角を引き上げながら、ヒメは回転を打ち消して無回転ナックルに仕上げた。

 ブレる打球をペッパーは真芯にとらえられない。とらえられないながら、返球は成った。


「があッ!!」


 ガーディアンのショットで得点!

 リードを広げながら、ヒメは手のひらにじっとりと汗をかいた。


無回転ナックルで勝てている気がしない。無回転ナックルしか選択肢がない、という感覚だわ。

 それすらこの子たちは、いずれ攻略してくる)


 ぺろり。舌が出たのは無意識だ。


(攻略されるのが先か、勝ち切るのが先か。

 チキンレースといこうじゃない)


 打つ! 打つ!

 背中から舞い上がる汗の蒸気は翼となり、四名の技は空を飛ぶように交錯する。

 不可能を越えていく。今打ち返せない玉も、次の自分はきっと返せる。


 ガーディアンが高く玉を投げ上げる!

 横顔から高貴なる光を発する、それは王子サーブの構え。

 ソルトは瞬時に思考する。


(王子サーブの弱点は、打った後のスキがデカくて速い返球リターンに対応しづらいこと。

 ただしその弱点はヒメさんの足運びでカバーされてる。

 つまり対策は)


 ソルトの手首に力がこもる!


(もっと速い返球リターンを返すこと!)


 かつて先輩は言った。技術、戦略、奇策、戦法、それらはすべて筋肉で上回ることができると。

 その流儀に従う。自分なりの技で実現させてみせる。


 王子サーブ来る! ソルトは目を見開く!

 極度集中、スローモーションの錯覚、空気が凍りつくような感覚を幻視しながら、サーブの軌跡を読み取る。

 角度を合わせる。血潮は熱く、しかしラケットは繊細に。

 鏡面のように静かに凍った湖のごとく、最適な角度で差し込まれたラケットは、王子サーブの強烈な回転を余すことなくカウンターした!

 ヒメは歩法で割り込む、入りきれない、小柄な体を滑り込ませるわずかな余裕をガーディアンが作るヒマもなく、電撃のようなリターンが駆け抜け、得点確定!


「しゃァァッ!! ……ゲホッ!」


 雄叫びを上げ、ソルトの肌から汗がバシャバシャと床に落ちた。

 強打と雄叫びの余韻で息を吸い損ね、少しむせた。ささいなことだ。

 

 ガーディアンは輝く。次の王子サーブは角度を合わせきれず、リターン失敗。

 上等だ。一点取っただけでも、集中力を酷使した甲斐があった。


(向こうのサーブで差が広がらずに済んだ。

 ならその分だけ、こっちのサーブで攻める!)


 熱気がぶつかる。

 その熱気を追って、技が繰り出される。


 逆回転カット! 順回転ドライブ! 真・チキータ! そして致死の無回転ナックル

 

 打ち合いながら、ヒメはゾクゾクと冷えていく。


(こちらの技が、無回転ナックルが見極められようとしている!

 いつまで決まる!? いつ決められなくなる!?

 このチキンレースは……いつまで続くの!?)


 酸素が恋しい。

 湿度に粘った吐息を吐き捨てながら、次の空気を取り込む間もなく打球が迫る。

 気合いの発声が悲鳴のように高く細くなる。

 打ち出した無回転ナックルは真芯にとらえられずとも、確実にこちらへと返ってきた。


(いつまで続く!?)


 ジャストミートでない返球などガーディアンが軽くさばく。

 ではもし、ジャストミートされたら――


「ヒメ、マッチポイントだ!!」


 ガーディアンの声に、はっとする。

 十対九。あと一点取れば勝ちだ。

 逃げ切れる。そう安堵に唇をゆがめ――そして戦慄した。


(あたし、恐れてた?

 必殺の殺人打球を打ち破られることを……この試合、負けるかもしれないと?)


 ヒメは、向かいに目を向けた。

 滝のような汗をかいて息を荒げるソルトとペッパー、常に得点を追いかける形で、あと一点を失えば負けという状況で、集中し続けるその顔は――楽しそうじゃないか。


「きアッ!!」


 気合いを奮い立たせ、打つ。

 負けない、ためじゃない。

 勝つために打つ。


 逆手側バックに遠く伸びる横回転を、ペッパーは体勢を崩しながら拾った。

 そこに刺さるガーディアンのチキータ! 同じく逆手側バックに来る玉を、ソルトはペッパーにぶつかりそうになりながら返した。

 ヒメ。がら空きの利き手側フォアへ。無回転ナックルを狙う。


(これで決める!)


 心臓を拍動させる。

 込めるのは死神ではない。勝ちにゆくプライドだ。

 そのときガーディアンが覚えた危機感を、察知するには試合展開は速すぎた。


 ヒメのラケットに玉が触れるか触れないか。

 ソルトと重なり合っていた後ろから、ペッパーは利き手側フォアへ飛び出した。

 回転扉をくぐるような華麗さで。


 ソルトは送り出すように叫んだ。


「行けぇペッパー!!」


 ペッパーは目を見開く。

 ヒメのラケットから打球が飛ぶ。

 プラズマ放電を繰り返し、空気圧に押されてうねうねと蛇行する致死の打球が迫る。

 コースを見切れない。それでも返す。

 返すんだという意地をもって、ペッパーはラケットを振った。


 そのときピンポン玉は、吸い寄せられるように動いた。

 曲がった軌道が、ぴったりと、ラケットの真芯へ。


 ヒメの無回転ナックルがブレるのは、自転による軌道制御がないために、そのときそのときの空気抵抗の影響を受けるからだ。

 その空気を、会場内の気流を作るのは、この場にいる一人一人の、選手も観客もスタッフも含めた、あまねく全員が放つ熱気だ。

 なら、打球の軌道を、試合を見守る者たちの想いが曲げたとして、なんの不思議があろうか。

 打球をペッパーのラケットに引き寄せたのが、彼の母親や、親友の妹や、先輩や、同級生や、遠い隅でいまだ見続けているひと冬の師匠、彼らが勝利を願う想いの力ではないと、誰が否定できるだろうか。


 打球の威力がそのまま、ブレることなく跳ね返った。

 プラズマ放電を巻き起こしながらしっかりと自転する順回転ドライブが、相手コートを貫いていった。

 十対十。延長デュース突入。

 試合は、終わらない。

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