殺戮オランウータンは夏の夜の夢を見るか?

劉度

無限の猿製

「以上のことから、この事件の実行者は殺戮オランウータンだと判明しました」


 本部長の発言と共に、記者会見場にどよめきが広がった。


「すみません、質問を」

「これで会見を終了いたします。列席者の皆様は、速やかにご退出ください」


 記者の質問よりも早く本部長は席を立ち、逃げるように部屋を出ていった。


「殺戮オランウータンとはどういうことでしょうか!?」

「レスパネエ一家についてコメントをお願いします!」

「本物のオランウータンですか!? それとも電気オランウータンですか!?」

「真犯人が別にいて、政府が隠蔽しようとしているのではないでしょうか!?」


 納得いかない記者たちが本部長たちの後を追いかけようとする。私は彼らの前に立って、侵入を押し留めた。部下のアンドロイド3体も横に立って、バリケードを作ってくれた。


「会見は以上です。速やかにご退出をお願いいたします」


 記者たちに呼びかけるが、彼らはなおも質問を投げかけてくる。


「国民に真実を伝えてください!」

「警察の捜査の過程を詳しく閲覧できませんか?」

「配布した資料に書かれている通りです」

「貴方でも良いです! 犯人はアンドロイドという噂がありますが、本当ですか?」

「質問には一切お答えできません」


 記者たちは粘ったが、私たちが固く扉を守っているうちに諦め、ひとり、またひとりと去っていった。


――


 サン・ロック区の超高層マンション。その44階に住むレスパネエ夫人とその娘、そして飼い犬が惨殺されたというニュースは、『サン・ロック区母子殺害事件』として瞬く間に世間を賑わせた。

 レスパネエ夫人はリビングで首を切られて殺害されていた。首には深い傷があり、体を起こそうとすると頭部が落ちてしまうほどであった。娘は絞殺された上、風呂場に放置されていた。飼い犬は激しい暴行の上、額に突き立ったカミソリが致命傷となって死んだ。

 あまりに残忍な手口であったが、捜査は難航した。マンションはオートロック式であり、人が出入りすれば監視カメラに映像が残る。だが、犯人らしき姿は一切写っていなかった。

 ベランダから侵入したとも考えられたが、サン・ロック区は飛行禁止区域である。ホバーバイクやジェットパックが飛んでいれば、すぐにドローンに補足されて通報、ないしは撃墜されるだろう。事件当日にそのような事は起きていない。


 更に奇妙なのは、レスパネエ親子が惨殺される理由が見当たらないということだった。

 レスパネエ夫人は未亡人であるが、十分な財産を得ており、更に人間関係も良好だったため、金銭トラブルや怨恨の線は薄かった。

 ならば強盗殺人か、と考えられたが、金品の類にも手はつけられていなかった。キャッシュカードや宝石、ドレスや電子機器はいずれも手つかずで、食卓のバナナがかじられていた程度であった。


 動機不明の密室殺人。警察は頭を悩ませたが、鑑識の分析結果が突破口を開いた。犯行現場に落ちていた毛を解析したところ、レスパネエ親子以外の毛があった。

 それは人間ではなく、オランウータンの毛だった。オランウータンの毛はリビングと風呂場、そしてベランダに落ちていた。

 ベランダから2mほど離れた壁面には避雷針がある。そこから雨どいに飛び移れば、誰にも気付かれることなく部屋に出入りすることができるだろう。人間には不可能だが、オランウータンなら可能な芸当だ。


 そして問題のオランウータンであるが、サン・ロック区で本物のオランウータンを飼っている人間は1人しかいなかった。レスパネエ親子と同じマンションの65階に住む、ジャルダンという男であった。

 鑑定の結果、ジャルダンが飼っていたオランウータンの毛と、事件現場にあった毛のDNAは一致した。更にジャルダンの腕についた噛み傷は、レスパネエ家の飼い犬のものと一致した。

 ジャルダンはオランウータンを檻に入れず室内飼いにしていた。これは立派な法律違反である。オランウータンは保健所へ引き渡され、ジャルダンも管理不行き届きで書類送検されることになった。


 これが、『サン・ロック区母子殺害事件』の真相だ。脱走したオランウータンがたまたま同じマンションのレスパネエ親子の部屋に入り込み、殺害した。それだけのことだ。

 だが、メディアは、そして世間は納得しないだろう。まるでミステリー小説のようにお膳立てがされたこの状況が、殺戮オランウータンの気まぐれによって引き起こされたものなどと、誰が信じるだろうか?


 ――私は信じる。捜査に関わったからではない。私は、この世界に起きるありとあらゆる出来事を信じる。

 何故なら、この世は乱数ではなく、綿密な筋書きに基づいた物語だと知っているからだ。


――


 5歳の時、雷に打たれた。左腕に火傷をした。

 11歳の時にも雷に打たれた。髪が焦げた。

 15歳の時に、また雷に打たれた。今度は無傷だった。

 それで初めて、ヒトが雷に打たれることは滅多になく、3度打たれて生きてる人間などほぼあり得ない、という事を知った。

 古い時代なら神様のお陰と信じたと思う。だけど、こんな世界に神様がいるとは思えなかった。かといって、自分があり得ない確率を握れるような特別な人間だとも思えなかった。

 答えは4度目、17歳の時の落雷だった。全身に電流が走った時、空にスポットライトが、視界の端に緞帳が見えた。この世界は舞台であり、物語だった。

 私は、物語の筋書きのために生かされている。


――


 冷たい雨が降り注ぐ。私は傘を差して、ひとりで雨の中を歩いていた。無料タクシーを運転するアンドロイドが、私に乗車するよう促すが、丁重に断った。

 雨の日は、必ず歩いて帰るようにしている。また雷に打たれるかもしれないからだ。


 辺りのビルや看板は、どれもネオンで絢爛に、あるいは猥雑に装飾されている。ギラついた、しかし空虚な町だ。

 向かいのビルの壁面には大型ビジョン。映っているのはワイドショー。『殺戮オランウータン事件』について、人間のコメンテーターたちが激論を繰り広げている。

 コメンテーターたちは誰も殺戮オランウータンという結末に納得していない。世論は『サン・ロック区母子殺害事件』を、人間による犯行だと決めつけようとしている。

 誰も彼もが怖いのだ。ヒトの仕業だと思ったことが、知能の劣るはずの動物にもできたということが。


 今やヒトは、この世の支配者ではない。その地位はアンドロイドに取って代わられた。

 高度に発達したAIはシンギュラリティをやすやすと突破し、アンドロイドはヒトの完全上位互換種となった。ヒトより強靭で、ヒトより賢い。記憶保存をクラウド化して死も克服してしまった。

 複雑高度なプログラミングは感情の模倣すら可能にし、実用科学だけでなく芸術すら生み出すようになった。ヒト独自のものだと思われていた『心』もあっさり手にしてしまった。フォークト=カンプフ法などという代物は半世紀前には通用しなくなった。

 そうしてヒトを超えたアンドロイドが、昔のSFみたいに人類に対して叛乱でも起こしてくれれば、まだ慰めはあっただろう。だが、アンドロイドはヒトに対してどこまでも従順であった。故障こそあれど組織的な叛乱を起こすことはない。アンドロイドは、ヒトを今まで到達し得なかった高みに至らせた。

 逆に言えば、これまでの人類とは何だったのか、という話になる。ヒトはアンドロイドを生み出すまでの繋ぎであり、今はもう無価値なのではないか。そういう思想が広がっていた。

 もちろん、私はそんな思想にはかぶれていない。ヒトもアンドロイドも変わりはない。私たちはこの物語を動かすための一員なのだ。


 私は小さな古本屋に入った。昔の人々が好んだ物語や、古い劇の台本がびっしりと並んでいる。

 古い紙の匂いを胸いっぱいに吸い込む。この空間が好きだ。数百、数千の物語に囲まれることで、私もまた物語であることを再確認できる。

 ふと、一冊の本が目に留まった。シェイクスピア『夏の夜の夢』。確か、愛し合う何組かの男女が、妖精の惚れ薬によって愛する相手が入れ替わってしまう様子を描いた喜劇だ。

 以前来た時は無かったと思う。ここで目についたということは、私がここで本を買うのが筋書きなのだろう。だから私は『夏の夜の夢』を手に取った。


 足元を羊が通っていった。本物ではない。店主が飼っている電気羊だ。ほんの僅かな不快感を胸の奥に押し込め、『夏の夜の夢』をレジに持っていく。

 電子決済を済ませると、私は早足で店を出た。電気羊が私を見つめていた。

 あれは嫌いだ。ヒトの慰めの象徴だから。


 ヒトは高みにいられなくなった。だからヒトはアンドロイドから目を背け、動物たちに目を向けた。自分たちよりも知性の劣る動物相手なら、まだ支配者でいられると。

 こうして世界的なペットブームが始まった。だが、生身の動物を手に入れられるのはほんの一握りでしかない。度重なる自然破壊と異常気象により、野生動物が全滅したからだ。

 ヒトが手にできるのは、自然保護区から調整のために出荷された『自然動物』だけだ。当然、そんな希少存在には法外な値段がつく。

 だから、金のない大半の庶民は、アンドロイドが作ってくれた『電気動物』、つまり動物型アンドロイドを購入することで、己の心を慰めていた。 そして人類は狡猾なことに、アンドロイドがペットを持たないように法律を作った。自然動物、電気動物、いずれもアンドロイドは所有権を禁止されている。


 アンドロイドは電気羊の夢を見る。夢は見るが、現実に叶わない。夢を手にするのはヒトの最後の特権だ。

 こうしてヒトは、より劣る動物たちの世話をすることで、自分たちの存在意義を確立した。『夏の夜の夢』の惚れ薬を塗られたかのように、ヒトは世界の支配者ではなく、動物の支配者であることを愛するようになってしまった。

 そうすることで、ヒトはまだ特別な存在なのだと、知性のある存在なのだと逃避していた。


 そこに、殺戮オランウータン様の登場だ。


 単にオランウータンがヒトを殺したとなれば、それは事故で済んだだろう。だが、オランウータンが密室殺人を起こしたということが問題だった。

 密室殺人は人間の高度な知性がなければ成立し得ないはずだ。だが、それを動物が起こしてしまえば、ヒトが誇っていた知性はそこらの動物と大差ないことになる。

 アンドロイドはいい。ヒトの完全上位互換存在として、ヒトが作り出したものだ。諦めがつく。だが、動物から進化してきたはずのヒトが、その実、動物の範囲から抜け出せていなかったとなれば、決定的な尊厳の喪失に繋がる。

 だから人々は、『殺戮オランウータン事件』を人間のものにしたいのだ。


「バカバカしい」


 雨の中、ひとり呟く。

 何をどう解釈しようと、脱走した殺戮オランウータンがヒトを殺したという事実は変わらない。そして、それだけなのだ。陰謀も運命もない。物語上特別なイベントでもない。ただ偶然、殺戮オランウータンが天文学的な確率を引き当ててしまっただけなのだ。


 まるで『無限の猿定理』だな、と歩きながら思う。

 知能の低いサルでもタイプライターを無限に叩き続ければ、地球上に存在するあらゆる文章を生み出すことができるという話だ。例えば『夏の夜の夢』をサルが打ち出すことも、理論上あり得る。あくまでも理論上の話で、実際にそうなる確率はゼロに等しい。

 今回の事件に例えるなら、殺戮オランウータンがタイプライターを叩いたら、偶然密室殺人ミステリを書き上げてしまったということだ。それも、連日ニュースになるぐらい面白いミステリを。


 ふと、想像をしてしまう。世間を賑わす作者不明のミステリ小説。ニュースやネットで物語の感想や作者の正体について、連日憶測が飛び交う。

 その頃、噂の作家はタイプライターを叩いている。その正体は殺戮オランウータン。すまし顔でタイプしているが、実は頭の中には物語など何もなく、叩いたキーが偶然名作ミステリを表す文章になっているだけだった。

 思わず笑ってしまった。これではミステリではなくコメディだ。優れた知性だとヒトが思い込んでいたものが、単なる偶然の産物などと。

 そして、足を止めた。


 優れた知性だとヒトが思い込んでいたものは、単なる偶然の産物なのではないか?


 連綿と続く歴史。その中で常に輝きを放っていたヒトの知性。それはヒトの特性ではなく、脳内の電気信号の組み合わせの中から、たまたま効果的に見えるものを引き当てただけの、殺戮チンパンジーのタイプライターと大差ないものなのではないか?

 ありえない、と自分に言い聞かせる。それこそ、天文学的な確率を引き当てなければならない。

 だが、ありえないと言い切れる保証がどこにある? 現実に殺戮チンパンジーによる密室殺人が起きているのだ。

 そしてそれ以上に、世界には確率的にありえない事象が数多く存在している。


 偶然にも信号機が故障し、たまたま通りかかった車に轢かれる。

 観光に出てみたら、その日初めてそこを訪れた通り魔に襲われる。

 数十万分の一の確率の宝くじに当たる。

 飛び降り自殺の第一発見者になる。

 僅か数十年の人生の中で、4度も雷に打たれる。

 双頭の怪物をヘッドショットした瞬間、別の地でゾンビがヘッドショットされる。

 巨大マグロが東京を襲った1年後、巨大不明生物が東京を襲う。

 加藤段蔵と加藤段蔵が出会った直後、新たな加藤段蔵が現れる。

 ヒロイン全員が織田信長になったと思ったら、オール信長が総進撃してくる。

 世界すら隔てた2つの海で、サメが殴られ撃退される。

 シャルンホルストと明智光秀が、全く同じ時間に永遠を目撃する。

 政府軍がテロ組織の本拠地を攻略した次の日に、テロ組織が政府の首都を攻略する。


 どれも荒唐無稽、かつ意味不明な話だ。起こる確率はゼロに近い。

 だが、確率がゼロではない限り、殺戮チンパンジーのタイプライターと同様に、起こらないとは言い切れない。

 そして。これらが現実に起こったとしたならば。途方も無い確率が踏み越えられたというのであれば。


 この物語が殺戮チンパンジーによってタイプされた無意味な文字の羅列だということを、誰が否定できるだろうか?

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