殺戮オランウータンin密室in密室

秋野てくと

本文

「この事件の犯人は殺戮オランウータンなんだ」


 警部の発言に私は面食らった。

「殺……なんですって?」

「殺戮オランウータンだよ。そこの檻の中に入っているエテ公だ」

 私は警部に促され、目の前の檻の中に入っている猿に目を向ける。被害者が飼っていたペットのようだ。体長は1.5メートルほどだろうか。毛深い身体に短い足、足とは対照的にすらりと長い手が目につく。子供の頃からあまり動物園には縁がない性質たちなので、こうしてオランウータンを間近に見るのは初めてだ。

 オランウータンは檻の中央で静かにうずくまっている。意外と大人しい動物なのか、微動だにしていない。近くで見てみるとなかなかに大柄で威圧感がある。警部の話だと、体重は100kg近いらしい。


 ふと、頭に浮かんだ疑問を警部にぶつけた。

「そういえば、オランウータンって飼っていいんですか?」

「ダメってことはないが、難しいだろうな。密漁で数が減っているから原産国では販売が制限されているし、日本で出回ってるのは基本的に動物園が飼育下で繁殖させたやつだ。それに飼育自体が個人では困難らしい。ちなみに、このマンションはもともとペット禁止だ」

「ペット禁止ならダメじゃないですか」

「隣近所は、うるさいんで鳥かなにかを飼っていると思ってたようだ」

「キーキー鳴きますからね」

 とはいえ、死人に説教するわけにもいかないか。


「正直に申告しておけば、飼っていたのが殺戮オランウータンだったと教えることもできたんだが……」

「そう、それです。殺戮オランウータンってなんですか」

「説明はめんどくさいから割愛するが、要するに人を殺してもおかしくないオランウータンってことだな。いや、しつけがなってない野生動物は大抵そうかもしれないが。とりあえず犯人だと思ってくれればいい」

「そう言われても」

「最初から犯人が決まってるミステリーなんていくらでもあるじゃないか。倒叙モノっていうんだっけ?とにかく頼むよ。こんな事件は名探偵にしか解決できない」

「猿の事件を解決するために名探偵になったわけじゃないんですけどね……」

 ぶつくさ言いながらも、私は名探偵としての責務を果たすために、警部から事件の概要を聞くことにした。


 被害者は猿山勘吉、52歳。

 このマンションの一室に住んでいる男だ。職業は事件に関係ないらしい。

 今朝、かねてより猿山が動物を飼っているらしいという苦情を聞きつけたマンション管理会社の職員が彼を訪ねたところ、チャイムを鳴らしても応答がなかった。部屋は内側から施錠されていたので、職員が合い鍵を使用して中に入ると、殺戮オランウータンが飼われていた一室で猿山が頭から血を流して倒れていたそうだ。

 マンションの鍵は猿山のズボンのポケットに入っていた。この鍵はセキュリティがしっかりしたもので、複製するのは困難だという。

 つまり事件当時、猿山が住んでいたマンションの一室は密室だった。


「これでわかっただろ。事件当時、猿山が亡くなった部屋の内側にいたのは殺戮オランウータンだけなんだ。だから犯人がわかったんだよ」

「なるほど。ところで、第一発見者である管理会社の職員は容疑者から外していいんですね」

「ああ。職員は死体を発見したことを除いて、今回の事件に関わっていない」

「ふむ」


 被害者の死因は頭部の打撲痕が原因だった。

 鑑識の検死によると、なにやらひどく硬いもので殴られたらしい。また、打撲痕からは凶器から剥がれたとみられる金属粉も検出された。成分については解析中のことだ。

 凶器の候補としてそれらしいものとして、室内には被害者がトレーニングに使用していたダンベルが置いてあった。しかしダンベルには血痕はなく、血液の痕跡を表すルミノール反応も検出されなかったという。


「殺戮オランウータンは……いや、殺戮オランウータンに限らずオランウータン全般に言えることだが、非常に筋力が強い。少なく見積もっても人間の成人男性の5倍以上の膂力があるそうだ。そんな力で殴られたら、ひとたまりもなかっただろう」

「とはいえ、ダンベルは凶器ではなさそうですね。オランウータンの力なら素手で殴っても容易に人間を殺せるでしょうが……被害者の遺体から、オランウータンの体毛などは発見されましたか」

「うーむ。衣服などから多少は検出されたが、元々ペットとして飼っていた以上は不自然なものではないようだ。被害者の頭部からも特に検出されていない。また、殺戮オランウータンの手に被害者の血液は付着していなかった」

「なるほど……それと、今回の事件の犯人がこいつだと考えると、厄介な謎がありますね」

 そう。この事件はある意味でミステリーの王道とも言えるネタが使われている。


「密室は、一つじゃない」


 私は檻の中に入っているオランウータンを一瞥した。

 そう、オランウータンはのだ。

 檻の中に入っているオランウータンは、如何にして被害者を殺害できたのか?


「この檻は外から鍵をかけるタイプなんですね」

「職員が遺体を発見したとき、檻はしっかりと外から施錠されていた。その鍵はこの部屋を出た玄関のところにある」

「自転車の鍵なんかが一か所にまとめてありましたね。あそこにあったんですか」

「そうだ。たしかに鍵がそこにあったことを職員が目撃している。またこの鍵もマンションの鍵同様に特別製で、複製することはできない」

「檻の鍵もですか! 別に動物を入れる鍵くらい複製できたっていいじゃないですか。そもそも檻にかける鍵なら、手回しのダイヤル錠かなにかにすればよかったのに」

「もしそんな鍵なら、わざわざ我々が名探偵を呼ぶ必要もなかっただろうな。なにせ、殺戮オランウータンは手が長い。檻から手を伸ばせば、内側から外側のダイヤル錠に手が届いてしまう」

「別に殺戮オランウータンじゃなくても、オランウータンならどれでも手が長いですが……」


 警部の言葉通り、檻の中のオランウータンは手が長い。目測だが、おそらく伸ばせば1メートル以上はあるだろう。そしてこれもまた警部の言葉通り、この檻は格子と格子の隙間が大きいので、檻から腕を伸ばすこと自体はできそうだ。

 おそらくオランウータン用の檻などは手に入らなかったので、大型犬を室内で飼うときに使用するような市販の檻を流用しているのだろう。それでも檻は安っぽいステンレスではなく頑丈なスチール製で、オランウータンが暴れても壊れることはない程度の強度はある。また、檻は四角い立方体状の構造をしているので、檻を持ち上げて下から逃れたり、檻を登って天井から抜け出すといった芸当もできない。

 もしオランウータンが檻の鍵を手に入れることができたら、中から手を伸ばして外側の鍵穴に差して回すことぐらいはできたかもしれない。だが、残念ながらその鍵はこの部屋から廊下を挟んだ玄関にあった。距離としても3メートル以上はあり、腕を伸ばして届く距離ではない。また玄関までに廊下が曲がっているので、檻の中から投擲して玄関に鍵を置くことも不可能だ。


「ついでに話しておくと、檻の鍵からは殺戮オランウータンの指紋は検出されなかった。これに関しては拭き取った可能性もある」

「オランウータンにも指紋があるんですね。人間に近い動物だとは知ってましたが」

「人間だって、一皮剥けば猿みたいなもんだからな」

「急に思想を出すのを止めてください」

「殺戮オランウータンの指紋を取るのは初めてだと、鑑識も興奮していたよ」

「私は別にオランウータンの事件を解くことになっても興奮はしません」

 名探偵であるからといって、別にミステリマニアというわけではないのだ。ミステリマニアだったら「今、殺戮オランウータンの事件に挑戦している!」と謎の興奮をしていた可能性もあるが――


 と、ここで天啓が閃いた。

「金属……そうだ、金属か。凶器がわかりました」

「ほう、もう解けたのか!」

「はい。被害者はなにか金属質のもので殴られた。そして現場にはダンベルの他に、もう一つ金属でできているであろうものがあります――そう、それはこのマンションの鍵ですよ!」

 そう。鍵というものは金属でできているもの。そしてそれは確かに殺人現場にあったのだ。


 おそらく事件のあらましはこうだ。

 被害者はマンションに帰宅すると、玄関を内側から施錠した。このとき、檻の鍵は玄関の鍵置き場にあったはずだ。

 そして被害者は事件が起きた檻のある一室に入り、そこでなんやかんやあって、檻から手を伸ばしたオランウータンにマンションの鍵を奪われてしまった。そしてその鍵を使って檻越しに殴られて、被害者は死亡した。そして猿はこれまた檻から手を伸ばして倒れた被害者のズボンに鍵をしまったというわけだ。


「猿の手が長いことを利用したこの事件――名づけるとしたらそう、『猿の手』殺人事件とでも呼びましょうか」

 私はこれでもかというぐらいに決めたつもりで見栄を切った。

「猿の手か。じゃあ古のホラー小説にならって、君の望みを叶えるとしよう」

「ほう!」

「名探偵が欲している、事件の新たな情報を与えることにする。猿の手だけに、君には不本意な形にはなるがね」

「えー」


 いや、猿の手なんて言わなきゃよかったかな。縁起でもないし。

 そんな思いをよそに、警部は新たな情報を提示した。

「後出しになったのは申し訳ないが、君が先走るからいけないんだぞ。

 おほん。

 1、マンションの鍵からも殺戮オランウータンの指紋は検出されなかった。

 2、被害者の遺体と檻の距離は殺戮オランウータンの腕の長さよりも離れていた。つまり1メートルより長い、1.5メートル程度だ。ズボンの中に鍵がしまわれていたので投擲の可能性もない。

 3,鍵を引っ掛けてズボンに押し込むのに使えそうな取り回しのいい棒状のものも室内にはなかった」

「ご丁寧に三つですか……猿の手だけに。となると、弱ったなあ」


 まぁ、私としても正直ダメ元だった。そもそも、鍵って殴れるようなもんじゃないし。思いつきが通らなかったので天を仰ぐと――私は今更ながらに、ある事実に気づいた。

「ここ、ロフトあるんですね」

 よく見ると、オランウータンが捕まっている檻の近くに、梯子がある。固定されたものなのでズボンに押し込む棒代わりにしたり、殴る凶器にするのは不可能だろうが――梯子を登ると、そこは雑多な物置になっていた。

「警察も一応登ってみたが、物置のものは事件とは関係ないぞ。長年使っていないみたいで、どれも埃を被っていた」

「ロフトって意外と使わないんですよね」

「熱も籠もるから夏はつらいし、物件を選ぶときはやめといた方がいい」

「私は別に部屋探しをしているわけでは……っと!」

 ここで、私はこの事件を解くために必要な最後の手がかりを手に入れた。

 ロフトの縁の部分に、最近になって埃が払われた痕があったのだ。


 私はロフトの上から階下のオランウータンを見下ろす。階下までは2.5メートルほどはあるだろうか。

 こうして話しているあいだも、檻の中のオランウータンは檻の中央でじっとうずくまっていた。だが、顔の向きを変えないようにしながらも、視線だけはぐっと私だけを追っている。そこには確かに、巧緻なるトリック殺人を実行するだけの悪魔的な知性の灯があった。ここにきて名探偵たる私は、殺戮オランウータンたるものの実存を理解したのだ。



「謎が解けました。それでは、真相解説の時間と参りましょう」



 名探偵、みなを集めてさてと言い。

 だが今回の事件に管理会社の職員は関与していない以上、私は私と、警部と、殺戮オランウータンというこの事件を構成する最小単位を相手に、事件を解き明かすことになった。


「今回の事件の謎は主に密室に関係するものです。とはいえ――マンションの部屋という大枠の密室については触れる必要もないでしょう。今回の事件の犯人が殺戮オランウータンであり、その殺戮オランウータンがマンションの内側にいる以上は考慮する必要がないものです――

「まぁ、それなら二重密室とは言わないのですが。まったくの誇大広告ですね。

「ポイントとなる密室はもう一つの密室。すなわち、殺戮オランウータンが閉じ込められていた檻の方です。ご丁寧に鍵が無ければ施錠も解錠もできない仕組みである以上、この事件は檻を解錠せずに起こされたものだと推測することができます。

「ところが、いくら手の長い殺戮オランウータンとはいえ、檻から伸ばせるのはせいぜい1メートル程度。そして被害者はなにか金属でできたもので殴られているが、その凶器も発見されていない――このあたりが主たる謎と言っていいでしょう。しかし、それは実のところ謎でもなんでもなかったのです。

「殺戮オランウータンが猿山勘吉を殺害せしめた凶器は、事件の当初から我々の目に映っていた。そう、殺戮オランウータンが閉じ込められていた檻――が、被害者を殺害した凶器だったのです。

「殺戮オランウータンが閉じ込められていた檻と、ロフトに登るための梯子は非常に近い位置にありました。殺戮オランウータンは、被害者が帰宅するまでのあいだに檻から手を伸ばし、檻ごと梯子を登っていったのです。檻はスチール製ですので重量もあり、人間業ではとても無理でしょうが――人間の成人男性の5倍以上の筋力を持つ殺戮オランウータンなら、不可能ではない。

「かくして梯子を登り終えた殺戮オランウータンは、ロフトの縁に両手をかけて、被害者の帰宅を待ちました。帰宅した被害者は室内に入って驚いたでしょう。飼っていたオランウータンが、檻ごといなくなっていたのですから。しかし実際にはそのとき、檻は部屋よりも2.5メートル上にあるロフトの縁にぶら下がっていた。人間の視界は、横には広いが縦には狭いものです。

「この芸当を可能にしたオランウータンの長い腕と強靭な筋力は、彼らが大自然において樹上にぶら下がって生活する中で育まれたもの――そして――100kg近い体重の殺戮オランウータンが、頑丈なスチール製の檻ごと勢いをつけて被害者の頭上に落下しました! 頭部を打撲した被害者は、そのまま絶命し――被害者の頭部にぶつかって跳ねた檻は、1メートル以上跳躍して元あった場所に収まった。ここまでくれば、殺戮オランウータンと恐れられた凶悪生物が、ここを訪れたときから微動だにせず檻の中央でうずくまり、指紋の採取などにも大人しく応じていた理由わけがわかるでしょう――

「殺戮オランウータンがうずくまっている檻の中央――その下には、です。そのために殺戮オランウータンは決して檻の中央を離れることはできなかった――そこだけが自らの犯行を立証するウィークポイントであると同時に、それだけで事件の解答となる動かぬ物証だからです。故に、動くことはできなかった――動かざることは山の如し。

「しかし、たとえ殺戮オランウータンが、その大山の如き肉体で物証を覆い隠そうと――名探偵の目は、目に見えないものまで論理で導き出すことができる。

「これが、この事件の真実です」


 私は真相を一息に話し終えた。

 警部は心の底から感心した目で私を見ている――見ているのだが――私は不安で仕方なかった。恐らく、事件の真相は私の推理通りだろう。とてもオランウータンが考えたとは思えない七面倒臭い計画殺人――その悪魔的な発想は、オランウータンの膂力と殺戮技巧者の頭脳を併せ持った最悪生物・殺戮オランウータンなる胡乱存在を私に信じさせるに充分なものだった。


 故に、私が心配しているのは。


 ここで殺戮オランウータンが暴れ出したら、ということだ。


 檻の格子と格子の隙間から、にゅっ、と毛深い腕が伸びて――狭いマンションの一室でスチール製の檻が動き出すのを横目で捉えながら――

 私は、猿の事件なんかうけるんじゃなかったと後悔するのだった。


 あー、閉幕カーテンフォール





 

 

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