33

 三人で連れ立ち、中庭へと向かった。今度は独りではないし、日中である。とはいえここは地下であり、日光が届いて明るいというわけではむろんない。〈祭火隧道〉における光源は常に、篝火や窓明かりのみなのだ。独特の薄赤い光が、昼も夜も関係なく満ちている、といった状況だ。

「あんたが幽霊を見たときと今とで、見え方はほとんど変わらないね? じゃあ動きを再現してみよう。こっち側から、手洗いのあるほうへ歩いていく。ここだと思う位置で立ち止まって合図しな」

 ちょうど廊下の真ん中あたりまで至ったタイミングで、私は足を止めた。ひときわ目立つ背の高い木を指差し、「確か、このあたりです。あそこから出てきました」

 栄さんが渡り廊下から歩み出した。庭の玉砂利を踏みながら木に近づき、陰に身を滑り込ませる。それなりに幹が太いようだ。大柄な彼女の体もすっかり隠れてしまい、私の立ち位置からではまったく視認できなかった。

「栄が隠れられるんだから、誰でもあそこに身を潜めていられるってことだね」

「まあ、よっぽどの巨体じゃなきゃあね」小紅の言葉に応答しながら、栄さんが再び姿を現す。「でもこうやってただ出てきたところで、幽霊に見える?」

「見えても不思議じゃないんじゃない? 夜中、怖がりの前になにかが出てきたら、幽霊って勘違いすることはありえるでしょ」

 どうかな、と小紅が目で問いかけてきた。私は腕組みし、

「ありえると思います。でも仮に人の仕業だとすると――」

「あんたがここを通りかかるまで、ずっと隠れてたってことになる。誰がいつ手洗いに行くかなんて、事前には知りようがないから」

 栄さんがゆっくりとこちらに戻ってくる。私は頷き、

「現実的じゃないですよね」

「更紗がお手洗いに向かうのを見て、急いで先回りしたっていうのは?」と小紅が新しい説を提示する。「それならここに隠れてなくて済む」

「それもあんまり現実的じゃないと思う。木の下まで行こうとすれば、どうしたって足音がする。更紗は耳がいいんだろ?」

 という栄さんの意見に私は頷き、

「あのときも〈兎面〉を着けっぱなしでしたから――耳は鋭かったはずです。足音は聞こえませんでした。さっきくらいの音がすれば、気付かないということはまずありません」

「そうか。これなら?」

 栄さんは再び玉砂利に足を乗せた。今度は慎重かつ滑るような動作で歩きはじめる。特殊な技術を体得しているらしく、ほとんど物音が響かない。しかし私はかぶりを振って、

「それでも気付いたと思います。振動として分かりますから」

「いちおう私も」

 と小紅も栄さんと同じことをした。体重は圧倒的に軽いはずだが、やはり身のこなしの違いなのか、彼女の足音のほうが大きく聞こえる。小紅はすぐに足を止め、

「無理か。栄以上の身体能力の持ち主って、ここにいないよね?」

「一般的な運動能力って意味じゃあ、いないだろうね。いたらお目にかかりたい。お手合わせ願いたい、かな」

 唇の端を婉曲させて笑っている。よほど格闘技を愛しているらしい。ともかくも誰がどう歩いたところで、足音を完全に消し去ることは不可能のようだ。

「じゃあ先回り説はいったん取り下げ。次の仮説。人じゃなくて物を見間違えたって可能性はないかな。誰かがなにかを、事前にそれらしく仕掛けておいたっていうの」

「例えば? 案山子とか?」と栄さんが首を傾ける。「木陰から出てきたって証言と矛盾するだろ」

「実際には動いてなくても、動いたように見せかけることはできるかもしれない。それまで見えていなかったものが、ある瞬間に見えるようになる。それを出てきたと錯覚する。ありそうじゃない?」

「ありそうだね」と私は同調した。なんらかの視覚効果で誤認させる――幽霊をでっち上げるにはお誂え向きの方法に思えた。

「具体的にどうやったか、だな。廊下を渡りはじめた時点では見えないが、半ばに至ると見えるようになる。そういう方法は――」

「ある?」小紅が急かすように問う。自説が採用されそうと見て昂奮しているらしい。その気持ちはよく分かった。私も息を呑んで、栄さんの言葉を待った。

「――あるのかもしれないが、まず前提として、大掛かりな仕掛けや革新的な装置をここに持ち込むのはかなり困難だ。光を操るのも当然、不可能だよ。ここに勤めてる子たちはみんな、外部との繋がりが少ない。これは雇ってるあたしの非でもあるんだが、蓄えもあまりできていない。やるとしたら、どこにでもある道具を使った単純な仕掛けがせいぜいだろう」

 栄さんは木に近づき、その根元に屈みこんだ。少しずつ位置を変えながら、丹念に地面を調べている。ややあって顔を上げ、

「ある程度以上の大きさのものを、ここに安定して立たせるのは難しそうだな。微妙に角度があるし、凸凹もある。木に縛り付けたりするしかないか」

「縛り付ける――縛り付けるか」そう繰り返していたかと思うと、小紅は唐突に手を打ち鳴らし、「分かったかもしれない。栄、木の上のほうの枝になにかない?」

 呼びかけられた栄さんが立ち上がり、腕を伸ばした。天辺付近の小枝を示しながら、「このあたり?」

「それだと細すぎ。もう少し下かな。なるべくまっすぐ横向きで、多少しっかりしてそうな枝を探して」

「じゃあこのへんか。ちょっと待ってな」

 長身の栄さんにとっては目の高さほどでも、私からすれば遥かに頭上だ。彼女はしばらく枝の付近を行き来したり、表層を指で撫でたりしていたが、やがてはっとしたように、

「あった」

「糸かなにかで擦ったような跡じゃない?」

 小紅が得意げに笑みながら問いかける。栄さんは頷いて、

「ああ。かなり小さくて目立たない、消えかけたような傷だけど、確かにそのとおりだよ。あんたの意見を聞かせてみて」

 促された小紅は小さく咳払いをし、私を見やって発した。「――さて」

 つい笑みが零れた。巴さんと問答をしたときの私の真似だと分かったからだ。ひとり小首を傾げている栄さんには構わず、小紅はゆっくりと木の下を歩き回りながら、

「これから更紗の見た幽霊の正体についての、私の考えを話す」

「ずいぶん勿体をつけるね」

「そういうつもりじゃない。まず栄に約束してほしい。もし私の話に納得してくれたら、更紗が安心できるよう対処して。真相があなたにとって都合が悪いことだったとしても、有耶無耶にはしないでほしいの」

「つまりこの店の誰かが犯人だってこと?」と栄さんが少し表情を硬くして訊ねる。

「その可能性が高い。でも今の段階で私に分かってるのは、方法だけ。犯人を見つけるのは栄の役目。みんなに向き合って、本当のことを告白させてほしい」

「分かった。できる限り誠実な対応を取る。〈朱紋様〉の女将として約束する」

 小紅は顔を上下させ、

「まず結論から。更紗が見たのは幽霊じゃない。ただの白い服をそれらしく加工したもの。髪の毛の代わりには、鬘かなにかをくっつけたんだと思う。どっちも店の女の子なら用意できるでしょ?」

「普段から店で使ってるものだからね。誰でもただで準備できるはずだ」

「よし。あとは細い紐。必要な道具はそれだけ。服と鬘で作った幽霊を、小さく畳むか丸めるかした状態で、その枝に吊り下げる。上手く他の枝や葉っぱの陰になるように工夫してね。それならよっぽど注意して上を見ない限り、まず気付かない」

「なるほど。それから?」

「簡単な仕掛け。廊下の真ん中あたりの位置に、端から端まで糸を張り渡しておく。更紗はただ廊下を歩いていくんだから、絶対に引っ掛かる」

「狭い一本道の通路だからこそ、というわけか」

「そういうこと。仕掛けが作動すると、糸が外れて幽霊が落ちてくる。更紗の目には、いきなり現れたように見える。単純な悪戯だったんだよ」

 栄さんは短く吐息した。「――幼稚なんだか手が込んでるんだか」

「そのへんの心理は私には分からない。でも栄だって、くだらない悪戯をして面白がるような奴に心当たりがないわけじゃないでしょ?」

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