27

 髪飾りでも付けているものと思い込んでいた。緊張のあまり、まともに顔を見られなかったせいもある。甘い香りと柔らかな体の感触が、だいぶ思考を麻痺させている。

「あなたたちは――〈朱鼠〉なんですか」

「ここの女たちはみんなそう。知らなかった? 知らなくても構わないけどね」

 兎の耳を撫で上げられ、思わず声を洩らした。くすぐったいような、背筋がぞわつくような、どうにも名状しがたい感覚だった。頭部を逸らして逃げようとしたが、相手は許してくれない。

「ちょっと」と小紅が割って入ってきた。「そのへんにして。耳は弱点だから、知らない人に触られると駄目なの」

「そうなの? 満更でもなさそうに見えたけど」

「強く言えないだけ。とにかくもう触っちゃ駄目」

 断固とした調子だった。小紅が私の肩を掴み、女性から引き離す。ほっとした。自分がひどく間の抜けた存在になったようにも思えたが、ひとまずはほっとした。

「私たち、情報を知りたいだけなの。お金は払うから、話だけ聞かせてほしい」

 女性たちは顔を見合わせると、くすくすと笑いはじめた。やがて私に付いていたほうが赤い唇を開き、

「そういうのって、さりげなく聞き出すものじゃない?」

「そういう器用なことは、私にはできない」

「そっちの兎のお客さんにはできるかも」

「できない! とにかく話すことだけ話してよ。あなたたちだって、そのほうが楽でしょ?」

 女性たちは再び顔を見合わせた。今度は私たちに聞こえないよう互いに顔を寄せ、小声で囁き合いはじめる。ややあって小紅に付いていたらしいほうが立ち上がり、部屋から出ていった。

 小紅は私と居残った女性とのあいだを塞ぐ位置に陣取った。女性は薄く笑いながら私たちを交互に眺めていたが、やがて、

「知ってる人になら触られてもいいの? お耳。あたし、コウっていうんだけど、お客さんは?」

「望月はねる」小紅が勝手に答える。「見てのとおり兎」

「ふうん。あなたは?」

「霊感大王」

「おお怖い」女性が笑う。「妖怪?」

「恐ろしい妖怪。分かったら静かにしてて」

 扉が開いた。先ほどの女性に続いて、新しい人物が部屋に入ってくる。途端に空気が一変したのが分かった。私は息を詰めた。

 こちらも女性なのだろうが、驚くべき長身だ。なにしろ鴨居をくぐるように頭を低めていた。そのうえ鍛え抜かれているらしい、一部の隙もない引き締まった身体つきをしている。格闘家のような、という形容はいかにも安直だが、ともかく全身から発する緊張感が並大抵ではない。

 私たちの向かいに腰を下ろした。琥珀色をした顔の、右の眉の端から頬にかけて、大きな切り傷らしきものが走っている。強い光を宿した双眸が、私たちを見据えた。

「栄と申します。当〈朱紋様〉の女将をしております。うちの子たちがなにか失礼を?」

 口調こそ丁寧だったが、声は低く厳格な響きを帯びていた。従業員を信頼し、護ろうとしているのだと分かった。下手をすれば叩き出されかねない気迫を感じる。

「失礼なんて、そんな」

 とかぶりを振ってみせた私に、栄さんは畳みかけるように、

「ではお気に召さなかった?」

「そういうわけではないです。ただちょっと――刺激が強かったというか」

「ご理解のうえでお越しになったのでは」

「あの――ええと」

 しどろもどろになった私に代わり、小紅が口を開いた。「私たち、知りたいことがあって来たんだよ。それだけなの」

「ここは情報屋でも興信所でもない。入口を見てお分かりになりませんでしたか」

「店員さんと会話だけしたい。その権利はあるでしょ? お金を払わずに逃げようっていうんじゃないんだから」

「まあ、ね。それだけならば咎めることはありません。うちの子がなにか知っているような態度で客引きをしたのは事実のようだしね」栄さんはそこで言葉を切ると、両手の指先を合わせ、「では逆にお訊ねしましょう。話ができるのであれば、相手は私でも構わない?」

「あなたが欲しい情報を持っているかによる」

 これほどの相手であっても態度を崩さない彼女に、私は感心していた。しかしなにもかも任せきりにして、ひとり怯えているわけにもいかない。

「私たち、本当に困っているんです。お客でないなら出ていけと言われるなら、それは仕方ありません。でももし、少しでもお話を聞いてもらえるなら、とても助かるんです」

 お前たち、と栄さんがふたりの店員に呼びかけた。「ここはもういい。あたしに任せて、下がりな」

 ふたりが部屋を去った。栄さんは短く息を吐きだして、

「じゃあここからは〈朱紋様〉の女将としてでなく、〈祭火隧道〉の一住人として話させてもらう。どういった話を聞きたいんだ?」

「私の失くし物が、この〈祭火隧道〉に持ち込まれたらしいんです。市の掟で、私はそれを見つけないといけないんです」

「なるほど」と栄さんが頷く。「あたしも〈金魚辻〉の掟は知っている。客として訪れたこともある。〈金魚辻〉にあるべき品が地下に流れてくることは、たまにあるんだ。で、あんたはなにを失くした?」

 私は〈らふらん〉の腕時計の説明をした。この説明にもずいぶんと慣れてきたような気がする。話を聞き終えると、彼女はゆっくりと顔を上下させ、

「ひとつ訊きたい。誰の案内でここを? 向こうの市の主だって、ここは知らないはずだけど」

「巴さんという方です」

「ああ、あの男か。どうやって聞き出した? 只で教えたってことはないだろ」

「勝負に勝ったんです」

 栄さんが唇をすぼめる。「本当に」

「はい。ところで彼とはお知合いですか」

「あたしたち〈朱鼠〉とはまあ――腐れ縁だね。同じ地中の者どうし、それなりの付き合いがある。ただ奴ら一族があたしたちと違ったのは、地上も地中も、ときには外の世界へだって、好き放題行き来できる器用さの持ち主だってことだ。奴はあちこちを旅し、珍しい品を仕入れては売り捌いて、財を成した。そうして一族揃って、地上に住まいを移したんだ」

「珍品に目が利く方だ、と」

「ああ。その手の品の動きに関しては敏感だよ。奴は嘘は言ってないはずだ。あんたの探し物は、たぶんこの〈祭火隧道〉にある」

 小紅が身を乗り出した。「どこ?」

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