13

 目を開けると、薄赤い光を宿した双眸に見下ろされていた。「――小紅」

 ゆっくりと体を起こす。彼女は唇を震わせながら両腕を伸べてきて、私の首筋に絡めた。強く引き寄せられる。

「ああ、よかった。急に倒れるんだもん、どうしようかと思った」

「私、気絶したの?」

「なんの前触れもなく。本当に大丈夫?」

 座敷に敷かれた布団の上だった。先ほどまでいた四畳半とは似ても似つかない、明るく広々とした部屋である。ずいぶんと高い位置に梁が見える。奥まった空間に、掛け軸やら陶器の置物やらが置かれている。

 誰かの暮らす場所だという気配がある。なんとなく安心した。

「水、飲む? 貰ってこようか」

「飲みかけのがあったと思う。どこかな」

 壁際に置かれていたリュックサックを、小紅が運んできてくれた。駅で買ったペットボトル緑茶の残りを飲み飲み、中身を検めた。財布。着替え。洗面用具。〈薄林檎チップス〉の残り二箱。小ポケットにはとらんぷとボールペン――。

「ねえ小紅、ザシキボッコって知ってる?」

「ザシキボッコ? ああ。座敷童子って呼ぶほうが通りがいいのかな。基本的には同じ」

「家にいるあいだは繁栄して、いなくなると貧しくなるっていう?」

「そう。ところでさ、座敷童子って他にどんなことをするか知ってる?」

 ペットボトルに蓋をしながら、「悪戯とか?」

「うん。普段は姿を見せなくて、どたばた音を立てたり、笑い声だけを響かせたりする。ときどき現れて子供と遊んだりもする。派手に悪さをするわけじゃないから、別に害はないの」

「そっか」私はつい嬉しくなり、頬をほころばせた。「そうなんだ」

 戸がするりと開いて、落ち着いた紺色の着物を纏った女性――老女が入ってきた。勝手をよく知っている風情で、この家の住人なのだろうと察しがついた。私は慌てて姿勢を正し、

「すみません、御迷惑をおかけして」

 私たちの前にまでやってくると、老女は深く皺の刻まれた顔に笑みを湛えた。

「別に構いませんよ。うちの子が悪さをしてごめんなさいね。思い切り遊べて満足したって、本当に久しぶりだったって笑ってて――駄目ね、叱らなきゃいけないのに」

「怒らないであげてください。私も面白かったですし。でも誘い方だけはもう少し、穏やかにしてもらえると」

 小紅だけが小首を傾げている。老女は掌で口許を覆いながら、

「夢のなかでの冒険のことは、あとでゆっくり、ふたりで話したらいいわ。それより、ここにいらっしゃったのには理由があるんでしょう? この〈蒐集家〉の屋敷に」

 私は頷き、「暁更紗といいます。お分かりかもしれませんが、人間です。失くし物を探していて――〈梨の天使らふらん〉の腕時計なんです。〈宵金魚〉の案内でここへ」

「八重の金魚たちね、さっき会いましたよ。よく訓練されてる。あまり珍しい種ではないから、手許に置きたいとは思わないけれどね」

「あなたのことはどう呼べば?」と小紅が老女に問いかける。「私もまだ、あなたの名前を聞いてないけど」

「ただ〈蒐集家〉と。名前はね、昔はあったんだけど、今はないの。ある貴重な品と交換して、手放してしまった。なんなのかは教えられないわね。魔法が解けてしまいそうだから」

 そう不思議な返事をすると、〈蒐集家〉は腰を上げた。ゆっくりとした、そして洗練された動作だった。

「〈蒐集家〉ね。時計も蒐集してるの?」

「もちろん。そういえば昔、とても美しい時計を見たのを思い出した。あれはそう、〈細雪の市〉だった。ふたつ一組の懐中時計でね、これはと思ったけれど、私の前にいた二人組の少女に買われてしまったの。ちょうど、あなたたちと同じくらいの歳頃だった」

「私、見てくれこそこうだけど、更紗よりずっと年上だよ」

「私からすれば誤差のようなもの。さあ、更紗さんもいらっしゃい。あなたの探し物があるかどうか、見てちょうだい」

 そういった次第で案内された一室は、ただ時計ばかりで埋め尽くされた空間だった。壁には縦長の柱時計、あらゆる形の掛け時計が並んでおり、かちかちと音を立てている。無数の棚や硝子ケースには、置時計や腕時計が整然と収まっていた。精巧な機巧が剥き出しになっているもの。凝った置物のようなもの。そうと説明されなければ時計に見えないもの。

 もっとも目立ったのは、部屋の中心に聳え立つ時計台である。支柱であるかのように、床から天井までを貫いている。両腕で抱きかかえようとしても、なおあまりある大きさだ。

 文字盤の形状に見覚えがあった。ややあって、先ほど勘違いで辿り着いたあの奇怪な建造物と同じだと気付いた。きわめて精巧なレプリカらしい。

「さあ、ここにあるかしら」足を止めた〈蒐集家〉が私を振り返る。「どうぞ、よく確かめて」

 硝子ケースを覗いてみて唖然とした。〈らふらん〉の時計ばかりが揃っている。思わず前のめりになって見入った。

 よくこれだけ集めたものだと思う。ごく初期のものから最新のものまで網羅されており、ちょっとした資料庫に近い。手に入れられず涙を飲んだ、限定生産品やコラボ品もある。咄嗟に言葉が出てこなかった。

「あった?」と傍らから小紅。「これが〈らふらん〉? 確かに愛嬌があるね」

「これ――」私は顔を上げ、〈蒐集家〉に視線を向けた。「本当に、あなたが独りで?」

「ええ。そこに飾ってあるのは、あくまで時計だけ。人形は人形、置物は置物で、また別の部屋にある。よければお見せするけど、それより探し物は見つかったの?」

 改めて端から端まで眺め渡し、かぶりを振った。「ないです。私の時計は、コレクションとしての価値が生じるものじゃないので、当然かもしれません」

「そうかあ」と小紅が吐息交じりに発した。「今度こそって思ったのに」

「残念。でもあまり気落ちしないでね。私の知人がよく言うの。探し物には、ただ待つだけでは出会えない。もちろん、これまで必死で探してきたんでしょうけど――」

 言葉に、意識を引き寄せられた。「それ、どなたですか」

〈蒐集家〉が小さく唇を開いた。私の反応が予想外だったようだ。単に慰めようとして発した、何気ない科白にすぎなかったのだろう。彼女は宙を眺めてから、

「巴さま、とだけ私は呼んでる。彼は彼で、物好きな人だけど、それがどうかしたの?」

「会っているかもしれないんです。私がこの世界、〈金魚辻の市〉に入り込む前に」

「そうなの?」と小紅が先に反応した。「人間の世界で? ありえないことじゃないけど――」

「まあ、いかにも彼がやりそうなことね。いろいろな場所に見物に出かけては、土産話を聞かせてくれるの。遊び好きで珍しいもの好き」

「その巴さんって、黒尽くめの背の高い男の人ですか?」と私。

 さあ、と〈蒐集家〉は笑い、

「時と場合によって、ぜんぜん違う姿を取るの。どれが本当の姿なのか、私も知らない。まだ見せてもらったことがないのかもしれない。けっこう長い付き合いなのにね」

 居場所を教えてもらえた。しかし会ってくれる保証はないという。

「本当に気紛れな人だし、自分が愉快だと思えることにしか関わりたがらないの。私の紹介でも――どうかしら。とにかく本心の見えない人だから」

「いえ、充分です。なにか知ってるかも、という程度ですから。会えなければ会えないで、また別の手を探します」

 頭を下げ、〈蒐集家〉のもとを辞去することにした。廊下の棚も壁も、私の見たことのない品でいっぱいである。玄関まで歩きながら初めて、自分がずいぶんと奥の部屋に寝かされていたことを知った。

〈蒐集家〉は私たちを見送ってくれた。戸を引き開けながら、ふと思い出したような風情で、

「ザシキボッコがありがとう、と。あなたの助けになるって」

 こちらこそ、と笑った。小紅と隣り合い、再び外の世界へと歩み出した。

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