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 左右から私たちを押し潰さんばかりにせり出している棚には、無数の木箱が収められている。真新しく見えるもの、古ぼけたもの、大きなもの、やたら長細いもの。そのひとつひとつに、日時やら内容物やらを示す文字が書き込まれている。とてもではないが目で追い切れる量ではなかった。

 市の喧騒から少し離れた場所に位置する、途方もなく巨大な倉庫の内部である。足許から天井まで、みっしりと物に埋め尽くされたそのさまに、私は軽い圧迫感さえ覚えていた。

「時計だって言ったね。どんなの? 説明してみな」

 先を行く八重さんが肩越しに振り返り、私に訊ねる。

「白の文字盤に〈らふらん〉のイラストが入ってる腕時計です。ベルトは淡い水色。五年前の夏から使ってるものです」

「だからその、〈らふらん〉てのが私にはよく分からないんだ。絵が描いてあるんだね?」

「洋梨の天使です。可愛いの」

 ふうん、と彼女は吐息を洩らしてから、

「小紅、お前は知ってる?」

「知らないけど、なんとなく雰囲気は分かるかも。人間の世界ではよくあるみたいだよ。着ぐるみが歌ったり踊ったりして人気を競うお祭りを見たことがある」

「そういうもんなのか。私も一度くらい、覗きに行ってみたいね」

 不意に八重さんが立ち止まり、木箱を棚から引き出した。中を検めながら、

「文字盤に絵が入ってる時計だろ。これは黒い鼠だし、こっちは黄色い鼠だし、これは寝そべった熊だし……これはなんだ。青い狸? どれも違うか」

 箱を元の位置に押し込んだ。八重さんは私を見下ろしながら、

「このままじゃ百年かかっちまう。ちょっとお前の中を覗かせてもらうから、目を瞑りな。その時計をなるべく正確に、細かく思い浮かべるんだ。できるね?」

「できると思います」

「八重もその術、使えるんだ」

 呟いた小紅に、八重さんは視線を向け、

「雪那や篝ほどじゃないけど、まあどうにかなるだろ。さて、更紗。準備はいいか?」

 言われたとおり目を閉じると、額に掌が押し当てられる感触があった。ふわりとして柔らかく、かつ滑らかな手だった。

 母や祖母、あるいは蓮花さんの手とは明確に違っていたが、それでいてどこか懐かしくもある。私はゆっくりと呼吸しながら、宝物のことを一心に念じた――。

「嘘だろ」という言葉とともに、掌が離れた。「こんなことが――」

「なに、どうしたの?」距離を詰めながら、小紅が心配そうに発する。「よくないこと?」

「ないんだ。ここにはない」

「え?」

「だから、届いてないんだよ。霊獣たちがまだ見つけてないってこともあり得るが――」

 八重さんが真剣な眼差しで私を見据えた。低く硬質な声音で、

「よく聞きな。お前の時計は、いまこの時点で、この預り所のどこにも存在しない。滅多にないことで、私も驚いてる。どこかに落っこちたままならいいが、万が一誰かが拾って持ち去ってしまったら、拙いことになる。お前は帰れなくなるかもしれない」

「そんな」愕然とし、視線を床に落とした。「どうすれば」

「見つけるしかない。私は巡回の霊獣を増やして、もっと念入りに探させる。お前も思い当たる場所を確かめに行きな。小紅、お前も手伝ってやれるね」

「いいけど、私――」

「よし。決まりだ」八重さんが手を打ち鳴らしてから、倉庫の入口を指差し、「急ぐんだ。なにかあったら必ず使いを遣る。分からないことは小紅に相談するんだよ」

「――行こう」

 小紅がこちらを振り返って短く発した。私の影を映し返す、熾火のような深い輝きを湛えた瞳。

「うん」

 頷きを返し、外へとまろび出た。石段を下り、小路を辿り、市の輝きを目指して進む。

「いつまで持ってたかは覚えてる?」

「この世界に来てから、つまり鳥居を抜けた後だと――」中空に視線を彷徨わせる。「たぶんだけど、一回も見てない」

「あちこち歩き回った?」

「そうでもない。わりとすぐに、帰ろうと思ったから。覚えてる場所は、そうだ、お面屋」

 この市を訪れてすぐのことだ。般若や獅子に似た、恐ろしげな仮面を売っていた店。足を止めて見入ったと言えるのはおそらく、あそこだけだろう。

「月乃のところか」

「友達?」

「昔から知ってる。まずは話を聞いてみよう」

〈金魚辻の市〉の灯りが見えてきた。赤や黄色の提灯の色合いと、光を浴びた看板や横幕の華々しさ。渦巻く無数の声が、空へと舞い上がっていくようである。

「白狼丸がいれば、匂いを辿れたかもしれないのに」

 独り言ちるように小紅が洩らす。小さく首を傾けた私に対し、彼女は説明して、

「白唇の雪那っていう雪の神様と、よく一緒にいる霊獣なの。毛皮が分厚くて、走るのが得意で、八重の砂糖菓子がなによりの好物。ずっと昔、人間の女の子を助けた――自分が助けられたのかもしれないとも言ってたけど、とにかく一緒に戦ったことがあるんだって。でも今は夏だから、どこかで眠ってるんじゃないかな」

「霊獣っていうのは――神様の遣いみたいなもの?」

「しもべとして使役される場合が多いけど、ただ仲がいいだけのこともある。白狼丸は、自分は雪那の友達なんだって言ってた」

 目的の露店の前へと至った。私たちに気付いたらしく、驚くべき長身で逞しい体躯の、いかにも職人然とした出で立ちの人物が、奥からぬっと顔を覗かせる。左の眉から頬にかけて斜めに傷の走った、厳めしい風貌の女性だった。

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