第16話

 私は信寛君の家のリビングのソファに座っているのだけれど、正面には美春ちゃんがじっとこちらを見つめたまま無言で座っている。いったい何を言われるのだろうか。それよりも、飲み物を買いに行った信寛君はいつになったら戻ってくるんだろうか。コンビニにしてもスーパーにしても自動販売機にしても時間がかかりすぎているような気がする。


「泉ちゃんはお兄ちゃんの帰りを気にしているみたいだけど、そんなにすぐには帰ってこないから安心していいよ」

「え、どういうこと?」

「お兄ちゃんには私と泉ちゃんの分のタピオカを買ってくるように言っておいたから。どんなに早くても片道三十分はかかると思うし、店の混み具合によってはもっと時間がかかるかもね」

「なんでわざわざタピオカなの?」

「そんなの決まってるじゃない。私が泉ちゃんと二人でお話ししたかったからだよ」

「お話って、どんな?」

「それは今からするから焦らないで。私は皆みたいに外を自由に出歩いたりできないってのは泉ちゃんも知ってるよね?」

「うん。知ってるよ」

「知ってるならいいんだけど、私はその事でお兄ちゃんにいっぱい心配をかけてきたと思うんだよね。私は皆みたいに外で遊んでみたいなって思ってたんだけどさ、お兄ちゃんも私と一緒に家で遊ぶことが多いから我慢することが出来たんだよね。でもね、それってお兄ちゃんが外で遊んでると私が悲しい思いをしてるって思ってるから外で遊ばなかったんじゃないかなって思ったの」

「どうしてそう思ったの?」

「今まではさ、お兄ちゃんは学校からまっすぐ帰って来てお手伝いをしたり私と遊んだりしてくれていたんだけどね、ある時から外に遊びに行く回数が急に増えたんだ。今までは年に一回か二回くらいしかなかったのに、先月は二回も遊びに行ったんだよ。私はお兄ちゃんが私のせいで遊びに行くのを我慢してたんじゃないかなってその時から思い始めたんだけど、どうして急に遊びに行くようになったのか気になっちゃってね。お兄ちゃんに聞いてみたんだ」

「信寛君はなんて言ったの?」

「お兄ちゃんはね。美春の事も大事だけど、それと同じくらい大事な人が出来たんだって。その人は昔から大事ではあったけど、特別な存在になったのはつい最近なんだって。それでね、私は何となく恋人が出来たんだなって思ってさ、相手がどんな人か聞いてみたんだよね。それで、相手は美春も知っている人だよ。って教えてくれたの。お兄ちゃんの友達で知ってる人って女の子では泉ちゃんと愛莉ちゃんだけだし、男友達だったら嫌だなって思って聞いてみたらね。泉ちゃんだったんだよ。私は愛莉ちゃんでも嬉しかったんだけど、泉ちゃんの方で良かったなって思ったの。でもね、お兄ちゃんにも言ったけど泉ちゃんにも言わなくちゃいけないことがあるんだよね」

「あれ、その口調って、もしかして怒ってる?」

「うん、美春は怒ってるよ。だってさ、この家で勉強会を時々開いてたのって中学生の時でしょ。その時から二人はイイ感じだったのに付き合うまで三年近くかかるってどういうことなのよ。美春は勉強している時でも優しく相手をしてくれた泉ちゃんが好きだったし、休憩中は愛莉ちゃんも一緒に美春と遊んでくれて嬉しかったんだよ。美春が外で遊べない分二人は家の中で美春とたくさん遊んでくれて嬉しかったんだ。それなのにさ、二人は中学を卒業してから一回だけ遊びに来ただけで全然美春に会いに来てくれなかったじゃない。もう、美春は二人に会いたくて寂しかったんだよ」

「ごめんなさい。私も美春ちゃんに会いたかったけど、遊びに来るのは迷惑かなっておもってて」

「迷惑な事なんて無いよ。もう、美春は何度もお兄ちゃんに泉ちゃんと愛莉ちゃんを家に呼んでって言ってたのにさ、お兄ちゃんはなんだかんだ理由を付けて呼んでくれなかったんだよね。お兄ちゃんは優しいんだけど、なんかそれがズレてる時があるんだよ。これからはさ、お兄ちゃんと泉ちゃんが付き合ってるってこともあるし、もっと美春と遊んでくれたら嬉しいな。もちろん、お兄ちゃんと泉ちゃんの邪魔はしないようにするけどさ、少しは美春の事もかまってくれたら嬉しいな。ううん、少しじゃなくて、一杯かまってくれたら美春は嬉しい。お兄ちゃんと二人で遊ぶのも楽しいんだけどさ、やっぱり女の子だけで遊ぶのもいいと思うんだよね。美春は学校に友達がいないし、病院の友達もみんな美春よりも深刻な病状の人が多いから気を遣っちゃうしね。そうだ、今年も泉ちゃんはお兄ちゃんと一緒に劇をやるんだよね?」

「うん、今年もやる予定だよ」

「そっか、美春は直接見に行くことは出来ないかもしれないけどさ、お母さんかお父さんに頼んでビデオに撮ってもらおうと思ってるんだ。去年までのは古いカメラだったからあんまり表情はわからなかったんだけど、今度のは良いやつを買ってもらったから顔までばっちり写せるはずだよ。他の人も撮影しているだろうし、どうにかしてその撮影データを貰えたら美春が上手に編集するんだけどな」

「ビデオの編集って、美春ちゃんはそんなことも出来るの?」

「うん、動画編集くらいなら美春は出来るよ。外に出れないから家で出来ることって何かないかなって考えてたらさ、いろんな動画を見ているうちに美春もこんな風に動画を作ってみたいなって思うようになったんだよね。お父さんも結構そういうのが好きだったみたいで、美春と一緒に動画編集の勉強をしてくれているんだよね。お母さんとお兄ちゃんはそういうの苦手だってわかるんだけど、二人も協力してくれたりするんだよ。でも、その作った動画は身内で楽しむだけにしてるんだ。本当はYouTubeとかにも上げてみたいとは思うんだけどさ、家族同士で名前も普通に呼び合ってるからそれってどうなんだろうって思うと、やっぱりネットにはあげられないよね。お兄ちゃんは気にしないって言ってるけど、お兄ちゃんから私の事を特定されたりしたら嫌だし、面倒なことになりそうな予感はしているからね」

「美春ちゃんはどんな映像を編集しているの?」

「えっとね、ほとんど家族が撮ってくれたやつかな。お兄ちゃんがランニングついでに撮影してくれたやつとか、お父さんとお母さんがデートしている時の様子とかだね。親のデートをビデオで見せられるのはちょっと嫌なんだけど、他に良い素材なんて無いから贅沢は言ってられないんだよね。お兄ちゃんが撮ってくれる映像はブレブレで何が何だかわからないし、少しは美春の事を考えて撮影して欲しいなって思うんだけどさ、お兄ちゃんにそんな事を期待しても無駄だってわかってるから何も言えないんだ。そうだ、良かったらお兄ちゃんと泉ちゃんがデートしている様子も撮影してきてよ。今から素材たくさん集めとけば結婚式の時とかに盛り上がるんじゃないかな。それにさ、美春の知らないお兄ちゃんの姿も見てみたいなって思うんだよね。きっと、私に向ける優しさと泉ちゃんに向ける優しさって違うものだと思うんだ。だから、泉ちゃんが美春の知らないお兄ちゃんの良いところを美春に見せてくれたら嬉しいんだけどな」

「私達のデートって言われてもさ、映画を見に行った後は一緒に帰るくらいしかしてないんだよ。休みの日にどこかに出かけたこともないし、これから舞台の本番が近くなれば休みだってなくなっちゃうかもしれないしね。そうなったら美春ちゃんが期待しているような撮影はしばらく出来ないと思うかも」

「あれ、もしかして、お兄ちゃんって休みの日に家から出たのって美春の記憶だと部活以外では一回もないかも。これって、もしかしたら美春のせいでデート出来てなかったって事なのかな」

「違うと思うよ。私も信寛君とは会いたいなって思うけどさ、休みの日って家族と過ごすことが多いから前もって予定を組んでおかないとなかなか会えないんだよね。私は平日に学校で信寛君に会えるだけでも嬉しいし、帰りも送ってくれるから安心なんだ。それにね、今年は信寛君の衣装を私好みのやつにしちゃうんだよ。去年までのも好きな感じのやつだったけど、今年のやつは特にお気に入りって感じでさ、愛莉ちゃんのお兄ちゃんが私が好きそうなデザインで衣装の原案をくれたんだけど、今はそれをもっと私の好きな感じに変えている最中なんだよ。今年の劇が終われば一緒の舞台に立つこともないし、今年の衣装は今まで以上に気合を入れて一針一針心を込めて縫っているんだよ」

「そっか、お兄ちゃんも泉ちゃんも今年で卒業だもんね。美春はたぶん直接見に行くことは難しいと思うし、お医者さんにもダメだって言われると思うんで感想は遅くなっちゃうかもしれないけど、泉ちゃんの輝く瞬間を絶対に見るからね。お父さんにもお母さんにも他の人にも絶対に撮り逃さないように言っておくからね」

「今年も顧問の若井先生と他にも何人かの先生が撮影してくれるって言ってたから何かあっても大丈夫だよ」

「そうだ、美春のお父さんとお母さんが撮った映像と先生たちが撮った映像を編集したらいいものが出来るんじゃないかな。もしかしたら、ちゃんとしたプロの映像みたいに編集できるかもしれないよ。お兄ちゃんから台本を借りちゃえばセリフも字幕で入れられるし、泉ちゃんも可愛いから話題になるんじゃないかな。お兄ちゃんが帰ってきたら今年はDVDじゃなくてデータでも貰えるようにってお願いしてみようかな。それにしても、お兄ちゃんは遅いよね。早く帰ってくればいいのに」


 信寛君がまだ帰ってこないのは美春ちゃんがタピオカを買いに行かせたのが原因だと思うのだけれど、美春ちゃんはその事をすっかり忘れていたようだった。

 その証拠に、信寛君が買ってきたタピオカドリンクを見て驚いていたし、「タピオカは太るからそんなに好きじゃない」という言葉を何の悪意もなく言っていたのには私も信寛君も驚いてしまった。

 それでも、文句を言いつつも信寛君が買ってきたタピオカミルクティーを美味しそうに飲んでいる美春ちゃんの姿はとても可愛らしかった。

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