将来疎遠になる子と旅行に行きました!

デートの約束

 夢から覚めたその日の俺は、どうにも一日やる気が伴うことはなかった。

 

 遠い将来……といっても十年先の未来に待ち受けている少女との別れ。それも、今から当分の間は一番仲良くする七瀬さんとの別れ。


 将来待ち受けているそんな未来が寂しくて、俺は一日を完全に棒に振ったのだった。


「古田君。聞いているの?」


「え?」


 そんな俺に話しかけている少女が一人いた。それは、他でもない七瀬さんだった。


「何かな?」


「何かな、じゃないわよ。期末テストの勉強を見てあげるためにずっと部室で待ってたのに、ちっとも来ないんだもの」


 七瀬さんは可愛らしく怒っていた。


「あー、もうこんな時間だったのか。ごめんごめん」


 迷惑をかけてしまった自覚を覚えて、俺は謝罪をした。


「ごめんは一回ね。どうしたのよ、今日は随分としおらしいじゃない」


 君のせいだよ。

 とは、言えなかった。何せ、大概彼女のせいでもなんでもないからな、これ。


 俺がタイムスリップしたことも彼女と疎遠になっていくのも彼女のせいだなんて、正直俺は今頭がおかしくなっている。


 まあそもそも、タイムスリップしていること自体、意味がわからないという点は今更掘り起こさないようにしよう。



 一先ず、黙りこくった俺を見て困っている七瀬さんに、俺は苦笑していた。


 そんな七瀬さんを見ていたら、俺は今朝見ていた夢の情景が脳裏に過り始めていた。七瀬さんと疎遠になったことを除けば、幸せだと感じる夢のことを、思っていた。



「七瀬さんはさ、将来の夢とかあるの?」


 気付けば、俺は呆れたように目を細めていた七瀬さんにそう尋ねていた。


「はあ?」


 こいつ勉強会に遅刻した上に突然何言い出すんだ。

 と言う顔をしていた。


「……これだけはキチンと伝えたいんだけどさ」


「何よ」


「別に、ふざけて言っているわけじゃないからね? 君のこともっと知りたいんだ」


 将来、俺達がどうして疎遠になっていくのか。


 そういう意図で言ったのだが、七瀬さんは何故だか顔を赤らめていた。


「あなたって本当に、恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言うわよね」


「そうなの?」


「そうよ。この朴念仁」


 朴念仁。

 確か、物の道理がわからない人のこと。つまりは分からず屋のことを指す言葉。


「俺は分からず屋なのだろうか?」


 腕を組んで聞くと、


「その反応を示している時点でねっ」


 七瀬さんはそっぽを向いてちょっと怒った。


「……で、なんで急に、あたしのことを……し、知りたいとか思ったの?」


「理由なんているのかい。君のことを知ることに」


 本心を言うと、七瀬さんは呆れたように目を細めた。


「まあわかったわ。あたしには言えない深い理由があって、あたしのことを知りたい。そう思ったってことでいいのよね?」


「その通りだ」


 言われてみれば、タイムスリップしてきたら将来君と疎遠になることを知ったから、君のことをもっと教えてくれ、とは言えなかったな。


 ……というか、いくら仲が良い友人に対してでも、将来疎遠になりたくないから今の内から対策しようだなんて、昔の俺ならとても考えそうもないことだなあ。地元での高校、中学での友人関係で、疎遠になった人数は数知れない。


 これもタイムスリップしたことが影響してのことなのだろうか。


 だとしたら、やはりこのタイムスリップを経験したことは、俺にとっては良かったことなのだろう。

 このタイムスリップのおかげで、俺は交友関係も人格も豊かになっていくのだから。


「それで……あなたが知りたいのは、あたしの将来の夢だったかしら」


「そうだね」


 俺が見た将来の夢だと、七瀬さんは高校を卒業すると、俺達と同じように東京の大学に進んでいったはずだ。だから、大学生活の間も度々皆で集まって遊ぶことが出来たんだ。


 だけど、ふとした拍子に関係は疎遠になっていった。


 男女間の交友関係が疎遠になっていく理由で真っ先に思い浮かぶのは、まあ色恋沙汰だけど、俺達ってただの友人関係だしなあ。

 だからこそ倉橋さんや綾部さんとの関係が途絶えなかったわけだし、七瀬さんだけ途絶えるというのもおかしな話だ。

 ……さては、束縛の強い男と交際を始めたとか?


 いいや、それはない。


 だって、七瀬さんとの交友関係が切れたのは俺だけじゃない。倉橋さんや綾部さんだってそうなんだ。三人して、俺達は七瀬さんとの関係が突如疎遠になった。

 仮に束縛の強い男と交際して、七瀬さんが俺は放っておくとして、他の女子二人との交友さえもないがしろにするだろうか?


 少なくとも、将来の夢で見てきた彼女は、そんなことをする人にはとても見えなかった。


 そうして考えてみて、次に浮かんだ理由は、彼女の就職先だった。彼女とは互いが大学を卒業してしばらく経ってから疎遠になったはず。

 

「あたしの将来の夢はね」


「あ、ちょっと待った」


 思考を遮られるのを嫌って、俺は一旦七瀬さんを止めた。七瀬さんは、思いっきり頬を膨らませていた。


 そもそも、だ。

 就職したことをきっかけに疎遠になることなんて、本当にあるのだろうか。仮に地方に転勤になったとして、それでも疎遠になることなんて滅多になさそうだけどなあ。

 スマホとかも将来は発展するし。


「そろそろいい?」


 七瀬さんの声は冷たかった。


「あ、ごめんごめん。どうぞ」


 まあとりあえず、聞いてみないことには何とも言えないな。


 俺が促すと、七瀬さんは呆れたため息を吐いて、続けた。


「あたしの将来の夢は、六十歳まで生きることよ」


 大真面目に言う七瀬さんに、俺は目を丸めていた。


「いやあの……就きたい仕事とかを聞きたいんだけど」


「仕事なんて、最悪アルバイトでもなんでもなるじゃない。あたし可愛いし。頑張ればすぐにお嫁さんにもなれる」


 おっほう、メルヘン!

 七瀬さん、こんな感じの人だったかなー。


 知らない彼女の一面を知れて、俺は苦笑していた。


「玉の輿を狙うのかい」


「そうね。お金持ちと結婚したらそれだけで幸せね。古田君みたいな平民じゃ、とても味わえない幸せでしょうね」


「暗に俺の将来の所得額を決めつけないでくれない?」


「暗でもなんでもないじゃない」


「……七瀬さん」


「何よ」


「確かに」


 言う通り過ぎて、俺は妙に納得してしまった。

 七瀬さんは呆れたようにため息を吐いていた。俺と一緒にいると、七瀬さんため息増えるなー。

 というか、毒気のあるこの言い方、七瀬さん、今機嫌悪そうだ。


 まったく、彼女の機嫌を損ねた大馬鹿野郎はどこのどいつだ。


「あなたが馬鹿なことを聞くから、勉強する気が削がれちゃった」


 七瀬さんは呆れたように肩を竦めた。


「それじゃあ、今日はもう帰るかい。送ってくよ」


「いつもありがとう」


「いえいえ。こちらこそ、勉強を教えてもらってありがとうございます」


 深々とお礼をすると、クスクスと笑い声が聞こえた。

 顔を上げれば、笑っていたのは七瀬さんだった。


「本当、あなたはおかしな人ね」


「将来の夢が六十歳まで生きる、の人よりましでは?」


「何か文句ある?」


「ないよ。微塵もない。俺も長生きしたい!


 長生きしたーい!」


 大きな声で騒ぐ奇行に走ると、七瀬さんは同類が増えたことを喜んでいるようだった。


「あなたなら出来るんじゃない?」


「まるで俺の将来でも知っているみたいだね」


「少しは知っているかもよ?」


「残念それはない。何故なら俺は、俺の将来をよく知っているからね」


 という事実。


「勿論、身の程をわきまえているという意味でだよ?」


 という建前。


 思わず喋らされてしまった事実を取り繕って焦っていると、七瀬さんはアハハと笑っていた。どうやらあまり深く考えられていないらしい。


 セーフ。


 ……というか、将来の話が出たから思わず否定したが、これだと俺長生き出来ないみたいじゃん。




「古田君。夏休みの初日、暇?」


 帰り支度を手短に済ませて七瀬さんの傍に近寄ると、彼女はどこか緊張しながら俺に聞いてきた。


「暇だよ。夏休みはオールデイズ暇」


「可愛そうな男ね」


「じゃあ、少しは俺の時間を穴埋めしてくれよ」


 冗談げに笑って言うと、



「わかった」



 七瀬さんの慎ましい声が聞こえた。


「え?」


 振り返った先には、廊下の窓から差し込んだ夕日のせいなのか。それとも別の理由なのか、顔が赤い七瀬さんが立っていた。


「夏休みの初日、一緒に出掛けましょう」


「いいけど、場所は?」


「軽井沢」


「避暑地か。いいね」


 彼女の提案に同意しつつ、俺は不安を抱いた。


「でも、軽井沢ってどうやって行くのさ。俺達、車は運転出来ないよ」


 まあ、夢の中とかタイムスリップ前に乗りこなしていたが、残念ながら免許がない。


「そうね。電車で乗り継いで、四時間くらいね」


「とおっ」


 これが東京からなら新幹線があったのになあ。しょうがない。土地が悪い。


「……実はね、さっき思い立って、倉橋さんや綾部さんを誘ったりしたんだけど、断られたの」


「そりゃあ、往復で八時間だろう? アウトレットにでも行くのかもしれないが、全然見て回る時間ないぞ」


「ううん。アウトレットには行かない」


「え、そうなの? じゃあ何しに行くのさ」


「……そりゃあ」


 言いかけて、七瀬さんは言葉をつぐんだ。あの顔は、何かを思い出している顔だ。


「前日……か、当日に話すわ。だから、絶対に来てね。始発で行くから」


 気合入っているなあ。


「じゃあ、とりあえずまずは試験を頑張りましょう。お楽しみはその後」


「うん。わかった」




「二人きりの旅行だなんて生まれて初めてだから、凄い楽しみっ!」


 玄関口でそう微笑む七瀬さんに、俺はどうしてか、心臓が締め付けられるような錯覚を覚えていた。

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